米国では9.11が8周年を迎えたというニュースを聞きながら帰ってきた。僕も8年前には日記を書きながらテレビでWTCの崩壊を目の当たりにして呆然としていたものだ。【レポート】Apple音楽・映像イベント - ジョブズ氏復帰、touchへのシフトが鮮明に (1) 臓器移植の経緯を説明、ドナーと支持者へ謝意 | パソコン | マイコミジャーナルネタ。
ジョブスが戻ってきた。痩せているところは変らない。最初は少し声がかすれ気味だったが、以前と同じようにプレゼンを始めて、Norah Jonesの歌で終えた。その歌は昔ながらのフォークソングのようだった。
簡単に言うと、新しいiPodシリーズは記憶容量を増大させ、かつ低価格化した。お買い得というわけだ。iPod classicの1.8インチ型HDは160GB。東芝製らしい。
iTunesはLP化された。LPのアルバムジャケットやライナーノーツや歌詞がiTunes上に表現されるようになった。長い時を経て、塩ビLPレコードがデジタル化してリバイバルしたわけだ。Norahの懐かしい歌がふさわしい。コンパクトディスクの時代は去ったのかもしれない。小さな円盤に押し込められた思想は奔放に開放される可能性を得た。
残念ながら、e-Book関連の予測(カクテルの中味は)はすべて外れたが、iPod touchは潜在的なe-Bookリーダーの能力を既に備えている。後は売りたい人、読みたい人がどれだけいるかだ^^;) 8月3日のiTunes Store for e-Books記事の時点では、約7000種の書籍がAppStoreで販売されていたが、9月12日現在では約8800種の書籍がある。
問題は、Windows XPのiTunes 9でiTunes Storeが文字化けすることとiPod shuffleが認識されないことだ。なんとかしてほしい。一応、文字化けは連絡したが、iPodのWindowsでの不認識問題は対応策が数多く示されており、複雑で面倒だ。途中であきらめた。バージョンアップを気長に待つかな^^;)暗にMacを使えば問題ないよと言われているような気がしないわけでもない。
次の焦点は、ソニーが新型ウォークマンを来週発表へ、安価な多機能モデルか - GIGAZINEだろう。そして、PSP-4000の行く末と・・・
アップルのタブレット端末は3G WWAN内蔵で9.6型、来年2月発売?ネタ。
9.6インチは大きいね。そして$799-999、高価。Vaio type Pが8インチ、メインメモリ2GB、64GB-SSD、630g程度、Vista→7で、66,800円だから、ノートブック並みだ。MacBook系列の小さいサイズが13.3インチだから、そこから考えると妥当なのかもしれない。
CPUにはP.A.Semiのものがいよいよ搭載されるらしい。CPUでどこまで差別化できるのか・・・
iTunes 9.0.1.8が出ている。新しいiPod+iTunesで書いたiPod認識問題は解決したことを確認。今日iPod shuffleをUSBでつなぐ操作を何度か繰り返すとようやくデバイスとして認識された。一度認識すると接続は安定している。
なかなかiPodのランプが点灯しないので壊れたかと思った。やれやれ。iTunes Storeの文字化け問題は継続中だ。再度、報告済み。バージョン9はiTunes StoreのブラウジングにSafariと同様にWebkitを組み込んだとどこかに書いてあったが・・・
iPodを使う習慣も一度途絶えると、なかなか回復しない。今回のようにトラブルと、回復どころか・・、面倒だなと思ったら・・。FMをエアチェックする習慣も途切れてしまった。まあ気が向くまで待つしかないのだが、今回のトラブルが逆にiPodに触るきっかけになったかも^^;)
知識の社会史 - 情報考学 Passion For The Futureと読書の歴史―あるいは読者の歴史 - 情報考学 Passion For The Futureネタ。時折、覗いているブログの一つ。興味深い二つの書物の紹介を見つけた。
「読書の歴史・・・」のほうにある中世までの音読による読書の話は、最近いろいろなところで読んでいるのだが、これは眉唾物じゃないかなと思った。なぜなら、黙読は十分に自然な読書形態だと思うからだ。音読するのは本を読んでいることを人に伝える必要があるからだ。音読していたのは人が回りに存在したからだと思う。
本はグーテンベルクの印刷術が普及するまでは、筆写本であり、希少価値のものだった。読書の機会を与えられること自体が特権的なものだったに違いない。読む場合は読んでいることを回りに示さねばならなかった。読まないんだったら、他の人に機会を与えよということになりかねないからだ。そして、声を出して読むことは自分の能力を誇示することだったかもしれない。声を出さないと読めなかったのではなく、それが必要だったと考えることの方が自然だろう。単なる仮説に過ぎないが、例えば、個人が書物を独占できる状況、筆写するような場合には黙読であったかもしれない・・・少なくとも本の所有者は黙読していたに違いない。
もう一つの仮説。本を独占することができない。そして、本を読む機会は少ない。そういう環境下では本を暗記する必要があった。できるだけ、頭の中に残す必要があった。そのために必要な読書のしかたとは音読であったろう。しかし、それなら写本をして自分で持てばよいとも考えられるが、個人的な使用のために写本をするだけの時間を与えられるかどうかという問題もあるし、当時は紙は高価なものであったという背景があったと思われる。ルネサンス時代のレオナルド・ダ・ヴィンチでさえ、紙の表裏に丁寧に小さな文字で書き込んで使っていたという話である。紙も貴重品であったのだ。
グーテンベルクの印刷術の発明、ヴェネツィアのアルド・マヌッツィオの出版業こそが音読の世界を黙読の世界に変えた。もう一つの要素である紙については、紙 - Wikipediaを参照しよう。19世紀半ばには化学パルプの製造に成功したが、当時はまだ紙は貴重品だった。現在使われている紙が工業的に大量に生産できるようになったのは20世紀も半ばになってからのことである。そして、誰もが本の所有者になれる時代が到来したのである。
「知識の社会史」のベーコンの人間の能力の分類はなるほどと思った。詩学が想像力に関する学問として分類される。想像力や詩学が学問として取り扱えるのかどうか、現代において自明かどうかは不明のような気もしないではないが、そのように捉えなおしてみるのは価値があるだろう。学問などにおいても定着した制度は既得権益の温床となり、変革への障害となるという話。変革への原動力は何が生み出すのだろう。一度読み解いてみたい本である。
思考のレッスンネタの続きで、十夜一冊に取り上げることにした。丸谷才一著『思考のレッスン』(文春文庫、2002年;原著: 「本の話」、文藝春秋、1998-1999年)。
丸谷才一の本で持っているのは『文章読本』(中央公論社、1977年)しかなく、それもまともに読んだかどうか記憶が定かでない。文章読本からの連想の展開もあるのだが、それは別の機会に置いておこう。
読了したので、ちょっと栞が入ったところをメモっておこう。
現代日本には、文学は人生の真実を追求し、それによってためになるものではなくてはならないという科学主義的な文学観がはびこっている。それとまったく対立する、いわば「祭祀的文学観」があるんだ、それが大切なんだと言っているわけですね。
(83ページ)
バフチンの思想は、彼の学んだ哲学から生まれているんですね。それは、最近の文学者が好むルソーとかヘーゲルとかニーチェとかハイデッガーといった文学的思想家でなくて、新カント派の哲学だった。ごく粗雑に要約すると、精神と世界との相互的関連を探究する哲学ということになるんじゃないかな。精神だけでもダメだし、世界だけでもダメ。その関連を重んじようという立場だった。ここからバフチンまではすぐですよね。
(85ページ)
『本居宣長』という本があります。あれは僕はどうもよくわからないし、僕が知っている宣長と関係がないことが書いてある、変な本なんですけれど、あの本の中の宣長も妙に人生論的な宣長で、文学論的な宣長ではない。宣長の文学観の中心にあるのは『新古今集』であり『源氏物語』でしょう。ところが、小林さんにとって、『新古今集』が好きな宣長、『源氏物語』の好きな宣長は、関心の対象になっていないんですよ。
(147ページ)
インデックス・リーディングとか、年表や登場人物一覧(人物表)などのメモを作りながら読むとか、なるほどと思う読書術も書かれている。松岡先生の「多読術」と同様に、インタビューによって作られている本なのだが、縦横無尽に話が飛び回り、登場人物・話題などのインデックスを作ってみたい本である。慌てて本を読むべからず・・・
本質的なことで肝に銘ずべきこと。
だから、言うべきことをわれわれは持たなければならない。言うべきことを持てば、言葉が湧き、文章が生まれる。工夫と習練によっては、それが名文になるかもしれません。でも、名文にはならなくたっていい、とにかく内容のあることを書きましょう。
そのためには、考えること。そう思うんですよ。
(最後、269ページ)
昨日は久し振りの雨の中を歯医者に出掛けた。昼からは仕事の電話が掛かってくる。関係者にメールを書いて、来週事実関係を精査して方向性を決定するという話にする。最近は休みの日に電話が掛かってくることが多くなった。今日は青空が見える。空気も乾いている感じ。十夜一冊をどんどん進めよう。まず、僕がどれくらいの本をリストアップできるのだろう。それに興味がある。大野晋著『日本語の源流を求めて』(岩波新書、2007年)。
持っている大野先生の本の中でもっとも古いのは、『日本語の文法を考える』(岩波新書、1978年)。『日本語の源流を求めて』は、大野先生が亡くなられたときに購入した本だ。大野先生がタミル語に出会ったのは、60歳の時。そういうところから書き起こされている、最後の著書である。
最近、「日本語はどこからきたのか」(中公文庫、1999年)に続いて、『日本語の起源 新版』(岩波新書、1994年)も購入した。
日記を書いていると、今度は東京のF氏から電話が掛かる。高校のクラス会をしようという話。場所と時間は決めるから案内を出してくれと言う。グローバリゼーションという言葉は最近の言葉のように思えるが、実は人類の歴史はグローバリゼーションの歴史であったというお話。アフリカで生まれた人類は生きるために移動を始める。新世界を目指して。なあるほど。極東の島に辿りついた人類の子孫の我々はクラス会をするために集まる。
人類が6万年ぐらい前にアフリカを出て、5000年ぐらいで既にオーストラリアに到達したという。ミトコンドリアDNA(女性)とY染色体(男性)に残されているマーカーを追跡することによって、人類のグローバリゼーションが解明されつつあるのはつい最近になってからのことである。
ナヤン・チャンダ(Nayan Chanda)著、友田錫/滝上広水訳『グローバリゼーション 人類5万年のドラマ 上、下』(NTT出版、2009年)。原題は、"Bound together: How Traders, Preachers,Adveturers, and Warriors Shaped Globalization"である。
さて、これで気になっていた本のピックアップは一応完了かな。21世紀に再刊、刊行された本から100冊をまず選んでいこうと思う。本日記で取り上げてきた本がどれくらいあるかは知らないが、じっくり考えていこう。福岡伸一著『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書、2009年)。
『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書、2007年)、『できそこないの男たち』(光文社新書、2008年)に続いて出た。一年に一冊の良質の生物科学ストーリーが送り出されている。単純なサイエンスストーリーではない。ストーリーの構造はかなり複雑だし、生物学の最新の成果を単に披露するのだけが目的ではない。「生物と無生物のあいだ」については僕は「脳髄の日記」に「時間という名の解けない折り紙」という短いまとめを書き留めた。
まだ、最初のほうを読んだだけだが、パドヴァやヴェネツィアという地名、「ラグーン」(ラグーナ: 潟)や「コルティジャーネ」(コルティジャーナ)という用語が、実は塩野七生著『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年』と響きあう。物語についての予備知識があるというのはうれしいものだ。
パドヴァ大学は世界最古のボローニャ大学と並ぶ大学で、ヴェネツィアの最高学府と定められた。現在でも存在しているわけだ。ラグーンはHunting on the Lagoon (recto); Letter Rack (verso) (Getty Museum)の話で出てきているのだが、ヴェネツィアは
しかし、知らないこともある。これで、また枝分かれが始まる。
最近、夜はすぐ眠たくなって寝てしまう。本を一緒に寝床まで持っていくが、2、3ページ捲ると、眠気に負けて、蛍光灯のリモコンを探してしまう。早く寝ると早く目覚める。自然の摂理だ。心臓の鼓動が最も遅くなり、人間が最も死に近づく時とブラッドベリが書いた午前3時過ぎ、少し早すぎるが目覚めることにする。
金曜日に原爆ドーム前付近で仕事を済ませ、そごうの紀伊国屋書店に寄った。須賀敦子の「地図のない道」を探しに。「世界は分けてもわからない」の第2章「ヴェネツィア、二〇〇二年六月」に、「地図のない道」に収録されている「ザッテレの河岸で」の「リオ デリ インクラビリ」という水路の話が出てくる。インクラビリ(incurabiri)は不治の病(英語ではincurable)という意味である。この言葉は第12章「治すすべのない病」に別の意味で現われる。その意味は今朝読むまでは知らなかったのだが・・・前の意味は梅毒である。運良く、本(新潮文庫、2002年)は見つかり、土曜日のうちに読み終えた。
人間の身体は分割することができない。切断するのは意識であるというのが養老人間科学であるが、まさにそのことが「世界は分けてもわからない」の主題でもある。意識は世界を分けようとするが幻想に過ぎない。人間は現実の中に見たいものを見るのである。パターンマッチングは人間の飽くことない性癖である。もうひとつ、興味深い概念のペアは、map-loverとmap-haterである。人間はマップヘイターの原理で作られているのにマップラバーなのである。DNAという地図を細胞の一つ一つに持っていることの意味もさりげなく教えられる。人間の構成原理はマップラバーでもある。もっといろいろと記したいところだが、種明かしはこれぐらいにしておこう。
本書は最先端の生化学-分子生物学の情報に基づいて人間とは何かを考えている。21世紀の必読書だろう。明け方、読み終わって蛍光灯を消すと窓のカーテンからはまだ弱い朝の光線が差し込んできた。その暗がりの中で久し振りに読書の醍醐味を味わえた幸福感に浸った。
ヴェネツィアはパドヴァ大学にガリレオ・ガリレイを招聘した(「海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年」)。チョムスキーはシエナ大学に1999年に招聘された。ピサ講義(1979年)の二十年後のことである。イタリアのトスカーナ地方にはピサとシエナが隣り合って存在している。チョムスキーはピサ大学で「ガリレオ講義」と名付けられた講義を行っている。
ノーム・チョムスキー著、大石正幸/豊島孝之訳『自然と言語』(研究社、2008年)の第2章「言語と精神の展望」が「ガリレオ講義」である。
ノーム・チョムスキーは「デカルト派言語学 合理主義思想の歴史の一章」(みすず書房、1976年)を1966年に書いているが、ほぼ同時期か、もう少し歴史を遡った。ガリレオは塩野七生のルネサンス人のリスト(「ルネサンスとは何であったのか」)には上がっていないが、最後にピックアップされたシェークスピアと同時代を生きている。合理主義思想、科学が登場したのはルネサンス末期なのである。
十夜一冊は、100-1000冊ぐらいの本を、21世紀から過去と未来を見通すための書物として自分なりに選び出し、かつ読んでいこうというプロジェクトである。それほど計画的に選び出しているわけではない。その時々の行き当たりばったりである。自分で読むためなのだから、自分で興味のある範囲で選ぶのが原則である。
選ぶ本は、出版されたのが、再刊、改版を含めて、21世紀になって刊行されたものという基準を設けている。過去を振り返るだけでなく、現時点で未来を見通すということが一つの目的だからである。新たに購入したものだけでなく、既に購入しているものの中から選ぶ場合もある。十夜で一冊を読もうというのが基本的なアイデアであるが、十夜の間に関連のある書物を取り上げる場合もある。十の倍数でない夜の場合、副次的に選ぶ場合は刊行日についての基準を適用しない場合も出てくるかもしれない。そして、十夜一冊は時間的には錯綜する。重なることもあるし、前後し、戻ることもある。更新日記の一部であることも前提であるから、書き直されたり、追加されたり、十夜一冊から離れて展開される可能性も大きい。このように100%の自由度を宣言するプロジェクトなのである。しかし、十夜は一つのかたまりになるように構成していくことを意図している。したがって、テーマあるいはカテゴリを100ぐらい選ぶ作業にもなるだろう。
さて、第百十夜は伊達宗行著『新しい物性物理 物質の起源からナノ・極限物性まで』(講談社ブルーバックス、B-1483、2005年)。
僕は大昔に物性学を学んだ。物性学とはミクロなレベルの現象でマクロなレベルの現象を説明する学問である。ブルーバックスは昔から愛読している。そのコレクションの中には、伊達宗行著『物性物理学の世界 波動・粒子のジレンマから極低温の謎まで』(講談社プルーバックス、B-130、1968年)と『改訂新版 物性物理の世界 電子の素顔から極限物性まで』(講談社ブルーバックス、B-633、1986年)がある。ほぼ20年毎に時代に合わせて新版が出ていることになる。
AFM(原子間力顕微鏡)で原子一個一個の並びを制御した写真?が表紙になっている。高温超伝導、フラーレンやナノチューブ、スピントロニクス、極限物性では中性子星の原子が針状になる話など、「新しい」と銘打っているだけに最近の話題がちりばめられている。
第7章「物性の新局面」の7-3「物質から見た生物」には物質科学から見て注目される生物構造物質などについて、20ページ弱のページを割いている。改訂新版でも1ページ強という取り扱いであったから注目度はかなり上がっている。「世界は分けてもわからない」で主役を演ずるタンパク質やATPなどが注目物質なのである。そして、DNAやRNAという構造体。
・・・DNAはコンピュータでいうと磁気記録であり、RNAは半導体メモリーである。
DNAは生命情報をすべて収納しているが、自分でその情報を持ち出したりはしない。ところがRNAはDNAから情報を写し取り、輸送して必要な生産現場で情報を提供して指定のタンパク質を作る。・・・
(251ページ)
そして、今のところ、生物におけるCPUと記憶の物質的構造がよくわからないという話が解明されていないこととして上げられている。うーむ、物性屋もそこまで考え始めているのか、なるほどと思うこと請け合いである。
昨日はよく晴れたので、グリーンピア瀬戸内(以前の安浦)まで185号線を車を走らせて帰ってきた。片道1時間半の行程だった。今日は雨。昨晩から松岡先生の本は何を取り上げようかと考えた。
結局、松岡正剛著『情報は、ひとりでいられない EDITORIAL EMGINEERING 知の編集工学』(朝日文庫、2001年;単行本: 朝日新聞社、1996年)を選んだ。少し古いけど、「編集工学」という言葉の出発点が、生のまま肉声で語られているからだ。僕には工学という言葉のニュアンスは何か硬くて物足りない感じがするけど、やはり工学なのかな。
1996年時点の「第六章 方法の将来 1◆電子の中の編集」の中味が、2009年現在ではどのように変貌し得るのかという点について興味がある。それが千夜千冊なのか、『書物の達人』池谷伊佐夫 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇の最後で予告された模様替えしたものなのか、「ISIS本座」なのか。エディティング・モデルを交換しあう(307ページ)とは具体的にはどのようなことを指すのだろう。現在のWebはテキスト(XML)メッセージングによってデータベースと対話するようになっている。現在のレヴェルでは、データベース側のモデルに合わせて、クエリのメッセージを送ることになるので、エディティング・モデルの交換ということまでには至らないだろう。しかし、その概念は新しい展開への連想を刺激するものである。
今日は、たまたま気になって「自著本談:遊I」を印刷した。「遊」は刊行当時知っていたはずで、興味はあったが、おそらく高価だったために、手にとって見るだけだった。今日は、言語物質論という言葉が頭に引っ掛かっている。物質は情報(の交換)からできているかもしれないので、それなら言語はメタ物質かもしれないなあと思ったり・・・
同じ時代を生きているので、松岡正剛はリファレンスとして大変参考になるだろう。この十夜は僕が学び続ける間、ずーっと拡張し続ける可能性がある。その時は小数点で伸ばしていけば良い。
「知の編集工学」を昨晩読み返しながら、松岡正剛を読み解くためには「空海の夢」を読まなくてはと思い至り、夢タウンの奇異国屋書店に出掛けた。そこでたまたまE・S・ファーガソン著、藤原良樹/砂田久吉訳「技術屋の心眼」(平凡社ライブラリー、2009年;単行本: 平凡社、1995年;原著: 1992年)を見つけた。編集工学とエンジニアが響きあったのだ。非言語的な思考、この視点は是非とも獲得しておきたいと購入を決めた。「空海の夢」もほどなく精神世界の書棚で見つけた。こちらについては他の理由から別の夜に書くことになろう。
昨晩の黙読仮説について。「技術屋と心眼」をパラパラと捲ると110ページに「十五世紀までは、学問の世界は写本の世界だった。筆耕者は手書き本を写し、一人の人物が読みあげるのを多くの筆写人が同時に「口述筆記」するための筆写室があった。」とあるのが、目に入った。脆くも黙読仮説の一つが崩れ去ったかな??? なるほど、筆写も口述筆記で大量生産か・・・筆耕とは報酬を得て筆写することを意味する。
それはともかく、心眼とは「技術における言葉を用いない思考」を指している。Webにおいても言葉による思考だけでなく、非言語的な思考も取り扱う必要があるような気がしているのだが、具体的には何だろう。図とか写真とか画とかぐらいかな。取り扱えるといえば、表示をするという意味では可能なわけだけど。
「忘れえぬロシア」展を見た後、26号線のバスで女学院前から比治山下へ移動。広島市立南区図書館で予約していた2冊の本を受け取った。明日から三日間コンピュータシステムの変更のため休みだと言う。今日来ておいてよかった。アルベルト・マングェル著、原田範行訳『読書の歴史 あるいは読者の歴史』(柏書房、1999年)。情報考学で取り上げた音読の話を原本に当たって確認してみた。
「2 黙読する人々」という章(55-69ページ)がある。結論としては、黙読というのは一般的ではないにしても紀元前からあるわけで、中世-ルネサンス以降に現われた新しい読書形態ではないということだ。中世までは、読書は一般の人のものではなかった。ルネサンスにグーテンベルクが現われ、ラテン語から日常語に記述言語も変化する過程で、書物は次第に一般の人のものになっていったのである。それまでは文字自体が読めなかったので、音読も黙読もできなかった。他の人が読み上げるのを聞いていたのである。人に聞かせるためには音読でなければならなかったという意味で、音読が一般的だったと言えるかもしれない。しかし、本を所有している人においては、現代の人がそうであるように黙読する人々は遠い過去においても存在していたはずだと思うし、「読書の歴史・・・」にも示されている。
もちろん黙読の事例は、かなり早い時期にまで遡って見いだすことができるが、西欧では一○世紀にいたるまで、決して一般的ではなかっのである。
したがって「大声で本を読むことはなかった」アンプロシウスの黙読の様子を記したアウグスティヌスの記述は、西洋の文献に記録されたものとしては最も早い例といえる。それ以前のものには、はっきりとしない点が少なくない。
・・・
修道院の写本室の写字生に対して、静かに黙読することを求めた最初の規則が登場したのは九世紀のことである。・・・
引用はこれぐらいにしておこう。アウグスティヌスの記述は「告白」(4世紀末)によるものである。黙読について、二段組で15ページにも渡って記載すべきことが存在するのである。
きのうの朝は「抜けるような青い空」と天気予報のおねえさんが言うほどだったが、帰宅時には鱗のような雲などで空は満ちていた。今日はその流れで曇り。
わが日記は全体的には何にも分類できない。分類を拒否する日記である。あっちこっちに関心が飛ぶわけだが、世界全体が相手だから仕方がない。
丸谷才一著「思考のレッスン」(文春文庫、2002年;原著: 文藝春秋、1999年;初出: 「本の話」、文藝春秋、1998-1999年)を読んでいる。それから、大野晋著「日本語はどこからきたのか ことばと文明のつながりを考える」(中公文庫、1999年;原著: ポプラ社、1996年)も読んでいる。「日本語はどこからきたのか」のほうの文庫版の解説は丸谷氏が書いていて、この中に「思考のレッスン」について書かれている。我流で執念深く子どもの頃から考えた。それがよかったという話。
「日本語はどこからきたのか」を購入したきっかけは、「思考のレッスン」ではなくて、ナヤン・チャンダ著「グローバリゼーション 人類5万年のドラマ」(NTT出版、2009年)を読みかけで、アフリカから拡散した人類がどのような経路で日本に渡ってきたのかという地図にタミル語が使われているインドの地域があったからだ。
インターネット、40歳の誕生日 - スラッシュドット・ジャパンネタ。Unixも40歳とコメントにあるのだが、Unixの歴史がインターネットに重なるのはいつからだろう。1969年はインターネットのはじまりというよりはARPANETの始まりである。TCP/IPがBerkeley Unixに統合されたのは1980年代の最初頃で、4.2BSD(1983年)で公式リリースされている。
この話はPeter H.Salus著、QUIPU LLC訳『UNIXの1/4世紀(A Quarter Century of UNIX)』(アスキー、2000年;原著: 1994年)がネタ本なんだけど、原著が出てから15年が経過したということ。翻訳が出てから9年。年を取るわけだ^^;)一昔、二昔。
コメントを書かれている方には、お年寄りもいらっしゃるようで、「10年ならともかく、今から30年も経ってたらすでにあっちの世界へ移住済みでしょう。」と茶化して、後はグレッグ・イーガンネタで煙に巻こうとしている。10年後、30年後にマイルストーンとされる技術を話題にしようとの呼びかけに応じての話だが、さて。
もち、WWW(HTTP+URI+HTML)の発明が既にそうなっている。もう構想から20歳。次の発明はケータイかな。ユービキタス・コンピューティングの先駆けとなったとか。デジカメ。あまりに身近でおもしろくない。PCはWebより古い。ロボットかな。
やはり、Web絡みだろうねえ・・・今後の展開は。
科学においては、生物情報学(バイオインフォマティクス)と量子情報科学が新しい領域として発展しているのだろう。
今日、広島は快晴だった。雲一つない。日中は日差しが強く暑かった。帰宅時の外気温も30℃。朝は放射冷却のせいか、気温が下がる。
量子情報科学という言葉が量子コンピュータとか量子暗号と一緒に使われるようになった。良い解説書がないかなあと思っていたら、朝日新書に佐藤正隆、井元信之、尾関章著『SF小説がリアルになる 量子の新時代』(朝日新聞出版、2009年)が目について購入。
状態の重ね合わせが多世界解釈につながるわけだが、「パラレルワールド」(NHK出版、2006年)を読んだ時にはあまりそのようなことは意識しなかった。なぜだろうともう一度手に取った。調べてみると「量子の新時代」と同じような記述もある(第6章 量子論的な並行宇宙)が、この本は本質的にひも理論やM(膜)理論に関する本だからだ。
量子情報科学でも万物理論でも良いのだが、その関係の著作を第五十夜では取り上げていこう。
昼休み、暑さを逃れて避けていた散歩を再開。T氏と久し振りですねと挨拶。「最近、歩いてました?」「いやー」しかし、結局部屋に戻ると汗だくになった。止めとけばよかったと後悔。昨晩は、17人の新閣僚にお付き合いして深夜2時ぐらいまで起きていた。
毎日、読むべき資料が多過ぎる。と言っても、実際には読むべきものを求めて視線は上滑りしているだけかもしれない。日経産業新聞だったか、クラウド関連の特集でGoogleの話が出ていた。グーグルによれば、Web上の情報は5年前は一日5エクサバイト(1EBは1GBの10億倍)ずつ増えていたが、現在は281EBずつ増えているのだそうだ。信じられないね。まあ、数え方自体はまださらに100万倍ぐらいまでは準備されているようだけど・・・ギガ、テラ、ペタ、エクサ、ゼタ、ヨタ(10^24)。人間の想像力の範囲内というわけだ。そのうち足りなくなる^^;)
1EBの情報を記録するためには1TBのハードディスクが、100万台必要なんだけど、281EBというと2.81億台必要なことになるが・・・なんだか嘘っぽいなあ。もう一度確認しよう。
やはり、記事が間違っているみたい。グーグルが目指す検索の進化は「簡単な入力」と「パーソナライズ」、Twitter検索も対応へ:ITproが元ネタみたいだが、Webトータルの話。毎日そんなに増えたら破綻してしまう。しかし、それにしても、ちょっと大きすぎるデータ量だね。
コンピュータは面白い - NC特集1:ITproによると、IDC(IDC Japan 株式会社)とEMC(EMCジャパン株式会社)による調査によるものらしい。「全世界で生成されるデジタル情報は07年の281エクサバイトから、11年には1800エクサバイトに増える」と予測されている。もうすぐゼタの世界に入る。18ヶ月でデジタルデータは2倍に増えるのだそうだ。しかし、この予測はおそらく単にデータストレージの伸び率から推定しているだけの話で、中味がどうなっているかの話ではないような気がする。それは確かめようと思っても無理な話だけどね^^;)
鳩山首相の国連などの演説を聞いて、自分の信念に基づいて日本を引っ張っていこうと行動されていることが伝わってきた。それはよかったし、国内も外国からも好ましく評価されているようだ。しかし、問題は厳然として存在している。
CO2排出1990年比25%削減は国内の経済活動の縮小によって近々大部分は達成されるという皮肉なコメントをテレビで聞いたような気もするが、どのように達成していくのかを考えていく必要があるだろう。今のところ、その道筋が示されたわけではない。
内需拡大などによる経済の活性化とCO2排出25%削減を同時に達成しようというわけだが、問題は他にある。中国・インドなどの大人口を抱える国の経済発展と生活水準の向上に伴う、地球規模の食料と水・エネルギー・工業用資源の不足あるいは枯渇問題である。日本に限れば、水害が最近目立つが、水は豊かな資源であるように見える。ただ、食料の輸入自体が食料生産に必要な水を輸入していることになると聞いたこともある。食料自給率(2008年供給熱量ベース: 41%)は低いので、自国のことだけ考えればリスクを抱えている。飼料を含む穀物の自給率は28%(2008年)であり、食糧危機のリスクは大きいと思われる。石油や原子力を含めたエネルギー問題は、ハイブリッド・電気自動車や太陽光発電などの自然エネルギーの利用と合わせて最近の話題だが、そのシステムを構築するための希少元素などの資源の問題が明らかになっていない。都市鉱山からの回収リサイクルは既に動き出している。既にチェックは始まっているだろうと思う。
さて、どのような日本にするのか・・・少なくとも食料自給率は上げておいたほうがよいと思われるが。売れ残りの廃棄問題もあるので、無駄をなくすだけで解決したりして・・・
八ツ場ダムやアニメの殿堂の建設中止問題などマニフェストに取り上げられために、当面注目されているもの。表面に現われている議論を見ていると、既に日本全体から見るという視点が欠けている。しかし、それも言うは易く行うは難しである。ローカルにもグローバルにも問題は解決する必要がある。代替策は効率がよく、従って、より費用が少なくても済むようなものでなくてはならない。そして、優先順位付け。予算には限界があり、国家のレヴェルで既に大幅な赤字なのだ。すべては同時に実行できないどころか、本当に必要なものしか実行できないのだ。そして、加えてデフレスパイラルに入りつつある景気の浮揚効果の大きいものに予算を配分する必要がある。すべてを満たす解を見つけることが可能なのだろうか。現状の把握、見極めが最大の課題だ。それに基づいて政治のリーダーシップが発揮されるべきだろう。
ここ数日読んでいる。文藝春秋の記事のレヴェルは高い。気になる記事がたくさんある。
野口悠紀雄先生の「連載 今月買った本 92」のタイトルは「究極の問い」。トップに取り上げられたのはサイモン・シン著「宇宙創成 上・下」(新潮文庫、2009年)。おもしろくて読むのを止められない本と書いてあったのを読んで、同系統の本をいろいろ読んでいるからなあと抑えていた好奇心を解き放した。これも十夜一冊にいずれ取り挙げることになるだろう。
「誰でもわかる経済教室(1)価格破壊が巡りめぐって自分の首を絞める ユニクロ栄えて国滅ぶ 浜 矩子」。デフレスパイラルという言葉は使われていないが。
『ウォール街「強欲資本主義」は死なず リーマン・ショックから一年 神谷秀樹』。二番底あり。日米の自国内には価格競争力は既にない。価値競争力しかない。それは一朝一夕には得られないが、それを目指して前に進むしかない。
「特別企画 不安な時代の人生読本」には外山滋比古先生の『あなたを救う「忘れる力」』。知的メタボになるな。過去は忘れよ。複線の人生を考えよ。
久し振りの養老ネタ。「一度は田舎に帰って畑を耕そう お金など当てにならない。自然こそ大切な資産だ」。耕す元気があればラッキーなことである。ドイツ人の林業専門家に日本の森を見せると80年遅れていると言うそうだ。林業がビジネスとして成り立っているのは先進国だけなのだそうだ。
政治関係は当然山盛りだが、まあ置いておこう。
忘れていた。「大座談会 司馬遼太郎が愛した日本人」。
ネットブック的な電子書籍リーダー、ASUSが開発中 | WIRED VISIONネタ。
紙を捲るようにして読める電子書籍リーダーはPC上ではだいぶ以前に実現されていた。最初、Zinioというリーダーを見たときは、このような本の読み方をPC上で実現できる時代になったのだと感心した。
しかし、それを使わないのはPC上でしか使えないからだ。紙の本はあらゆるところに持ち運ぶことができ、自由な姿勢で読むことができる。何冊も並べて取り替えながら読むことができる。
この差を埋めることができる可能性が出てきたのは、Netbookとかケータイとかのモバイル・コンピューティング・デバイスの登場による。
紙とデジタル。デジタルは紙の様子を真似ただけでは意味がない。検索ができること、しおりとメモ、書籍に関する情報の共有など、デジタルならではの特徴を活かさねばならないだろう。書籍の切り替え、比較なども自在になってほしい。電子書籍の最大の優位性は書棚を探し回る必要はなく、書棚のスペースも必要なくなるということかもしれない。
電子書籍リーダーの行き着くところは、どこにいても自分の書棚から必要な書籍を取り出し、読めるようにすることだ。Server on iPhoneに書いたようにデスクトップクラウドのようなものが、今後重要になるだろう。VPN、DTIならU+linkのようなサービスも使えるが、ServersManではEmotion Linkを使う。モバイルからデスクトップを使うことになるのか、やはりWebにあるサービスを使うのか。
iPhone/iPod touchには、Welcome - BookShelf - E-book reader for iPhone and iPod Touchのようなサービスがある。
Zed 0.42 リリース:晴れときどき更新中(掲示板)ネタ。昨晩遅く、出ました^^)v ご苦労様。久世さん。
編集用スクリプトと定義ファイルをZed 0.42のフォルダにコピーする。起動。ツリーウインドウに新しいタブがある。フォルダのツリーウインドウだ。これは便利。なるほど、このフォルダの選択とサブウインドウのディレクトリが連動するわけだ。素晴らしい。より実用性が高まった。
ツール→クイックフォルダ移動が僕がお願いした直接的な機能のようだ。サブウインドウでディレクトリを変更した場合などに、編集ファイルのフォルダに移動することができる。
アウトラインのマッチングもほぼ完璧になったようだ。編集中は少しおかしくなる場合もあるが・・・ツリーウインドウのアウトラインとファイル管理を切替えると正常になることが多い。それよりも右クリックでアウトライン解析リフレッシュのほうが確実かも。
しばらく使ってみよう。スクリプト編集の問題もなくなったことを確認。良好^^)v
がっちりマンデー!!ネタ。歴女ブームを起こした「戦国BASARA」、映画化などのマルチユースを想定して最初から外人主役、英語化されていた「バイオハザード」、宝塚歌劇とのコラボの「逆転裁判」などが紹介され、最後に会長が30名に「モンスターハンター3」をプレゼント。
なーんにも知らないので、なーんにも言えないのだが、覗き見る限りでは、やればそれなりにおもしろそうだなあと納得。詳しくは聞き漏らしたが、各種のマシン用のゲームは一つのコードから生成できるようになっているらしい。ここでもマシンの時代は去ったと見えた。コンテンツの時代だ。ソフトウェアもコンテンツをハードに合わせるための手段としてしか見えない時代だ。
ITproの記事一覧を調べていて、グーグル次の一手~製品責任者20人に聞く - NC特集1:ITproを見つけた。ChromeはChrome OSのために開発されたものであり、Chrome OSはNetbookを想定している。しかし、Native ClientはWebとDesktopのブリッジと言われるが、x86を想定していた。NetbookやケータイならARMだろう。そして、Chrome OSの登場の中でAndroidはどうなるのか。
ChromeとARMで検索してみた。Google社の新ブラウザ「Chrome」、携帯電話への搭載狙い中核部をARMプロセッサに移植 | EE Times Japan。なるほど、いずれAndroidとChromeは統合される方向だろう。
Native Clientについては、ネイティブコードをブラウザで実行する「Native Client」が次の開発ステージへ | パソコン | マイコミジャーナルで納得。
重要なのは「世界観を持ったプラットフォーム」--グーグル辻野氏らが議論:特集 - CNET Japanネタ。
なるほどと思った話。冷蔵庫は家庭で常に通電されている唯一の家電である。ホームサーバーを作りこむべきは冷蔵庫なのかも・・・売り出せばもしかしたら買うかな^^;)冷蔵庫の省電力化システムに汎用PCを使って、ホームサーバーとして消費電力監視システムが構築できるのかもしれない。かなり古いけど、電灯線を使った家電製品のネット化、今夏実現へ - ニュース - nikkei BPnetのような動きが既にある。ECHONET CONSORTIUMはまだ一般的には知られていないような気がするが。ベースになる技術のPLC、電力線搬送通信 - Wikipediaを調べると、短波通信の雑音の問題が関わって揉めているようだ。
家庭で常に通電しているサーバーが必要かどうかという問題も頭の片隅で考えてみると、通常の情報システムとしてはまあいらないかとも思ったりするわけだけど。PCは低消費電力化させるべきだということは間違いないと爆熱CPUを動かしながらそう思う。十分、低消費電力化すれば冷蔵庫に組み込むまでもなく常に通電しておくことが可能になるかもしれない。この方向性は従来のデスクトップはなくなるということを意味している。今後は消費電力に注目だろう。
消費電力が十分小さくなれば、リアルタイムに情報収集するようなスクリプトを組んで、最新情報を常に表示し、古いものは蓄積・検索できるようにすれば便利だろう。
生者と盛者の読みが問題になった。広辞苑第三版ではいずれも「しょうじゃ」という読みがある。盛者は「じょうしゃ」の読みの項に「盛者必衰」の例が出ており、「しょうじゃ」の読みの項には『[正しくはジョウシャ、「生者」と混同した誤読か]⇒じょうしゃ』となっている。
僕もジョウシャという読みは頭になかった^^;)間違いやすいというか、確定していないというか。角川の新字源には「盛者必衰」の読みは「しょうじゃひっすい」とある。しかし、もちろん、漢和辞典だから「盛」の文字のところにあるのだが、「ショウ」という読み方はない。「セイ」か「ジョウ」である。
ちなみに講談社の日本語大辞典では生者は「ショウジャ」、盛者必衰は「じょうしゃひっすい」と「せいじゃひっすい」の両方に項目が立ててある。「盛者」そのものに項目はない。ぼくは「せいじゃひっすい」と読んだり、「しょうじゃひっすい」と読んだりしていたかな・・・
言葉は揺らぐもの。今度、白川先生の辞典をチェックしてみよう。
Rails Magazine Issue #4 - Free Downloadネタ。
Rails MagazineのIssue #4のフリー版(the digital edition)が出た。有償の印刷版(print edition、6.62$)が先に出て、2週間以内にということだったが、四日目で出た。
The Perl Reviewの購読更新の案内も来ないので、そのままになってしまっていたのだか、更新(renew)ページから購読を更新した。web onlyになっていて、5$/年の購読料。年4回の季刊である。しかし、夏号が出ていないね^^;)春号まではダウンロードできたが・・・夏号が出たら、もう一度購読を更新する必要がある。
なにごとも続けることは難しい。Rails Magazineは完全にデザイナーの仕事になっている。趣味なのか、仕事なのか・・・仕事なんだろうねえ^^;) #4には、RubyKaigi2009の取材記事があり、松本氏、笹田氏のインタビュー記事も掲載されている。DHHのインタビュー記事によると、Agile Web Development with Railsは全世界で140,000部を売ったのだそうだ。
Pythonを調べてみると、Python Magazineがある。こちらは、php|architect(PHP Magazine, PHP Training, PHP Conferences, PHP Books, PHP Apparel ― php|architect)を出しているカナダの出版社、Marco Tabini & Associates, Inc.が発行している。いずれも月刊で、PyMagが、69.99$/年(print + PDF)、PDFだけで59.99$/年。php|architectは、29.99$/年、PDFだけだと、4.99$/issue。
我らがTSNETスクリプト通信は電子版だけで無料。カラフルさに欠けるか!? 手弁当のデザイナー求む^^;)
「TSNETスクリプト通信」もISSNを取得することにした。TSC編集委員各位。TSC編集委員会へどうぞ。
Rubyist Magazine - るびまは0027号がまもなく刊行されるらしい。
第126回 (2009年9月15日放送) 闘いの螺旋、いまだ終わらず 漫画家 井上雄彦| NHK プロフェッショナル 仕事の流儀ネタ。バガボンドの最初から6巻まで読了。おもしろい。
漫画家の創作の場は壮絶だ。これは、心のままに、荒野を行け 漫画家・浦沢直樹(2007年1月18日放送) | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀を見たときもそう思った。なにごとも何かを生み出そうとする場は壮絶なものになる。言葉で表現するのと比べると、絵で思想のようなものを表現し続けるのはもっと大変かなと思ってみたり。特に、見たことのないものを描くのは難しいだろうと思う。
技術屋の心眼も言葉や映像では表現できないものは多い。感覚的な身体の記憶は仕様書や作業手順書では表せない。人そのものが記憶装置なのである。漫画家の仕事はその創造的出力に近いものだ。
小熊英二著「1968」上下は、重さで計3kg近く、ページ数で2000ページを超える。校正段階で心身過労のため三週間ほど動けなくなったのだそうだ。原稿用紙6000枚の校正は凄まじいかもしれない。千夜千冊の放埓篇は文字量50%アップで再編集されたそうなんだが、どんな具合になっているんだろう。これは常識を超えたもの凄い分量ではある。
JVC・ケンウッドが乗り出すラジオを利用した新事業--「M-LinX」「RYOMA」を2010年春から提供:ニュース - CNET Japanネタ。
なんだか、おもしろそう。
古いけど、セイゴオちゃんねる: 2009年06月26日 News FMラジオ「学問ノススメ」に出演ネタ。ラジオ版 学問ノススメ Special Editionで聞くことができる。
15世紀頃は読書(リーディング)は音読だったという話も出てきた。黙読になったのは17世紀。
読書自体が書物と読者のエディティング・モデルの交換である。
おもしろかったのは、どれくらい本を読まれているのですかという質問に、おいおいそんなことを聞くのかいという感じも漂わせながら、「編集工学研究所に5万冊、自宅に1-1.5万冊の本があるけど、実際、何冊読んだかはわからない。手には取ってみたかもしれないが」と読んだ本の冊数はわからないで通された。『書物の達人』池谷伊佐夫 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇では、パピーニの言葉として「自分を鍛えたのは少年時代の100冊ほどのボロボロの本だった、世界のすべてがそこから出所した」を挙げられている。
PCによる情報処理はかなりのレヴェルのものになり、便利になったが、PCの前でないと情報が編集できないのでは足りない。Ted Nelsonと会って対話したときに、ポストイットにメモを書いては身体に貼り付けるのを見て驚かれた。編集工学研究所ではA3の紙にポストイットを貼り付けて行う編集方法を指導されておられるそうだ。人間はツールを使って思考・編集するわけだ。
編集工学研究所には、■EDIT64~知を再編集する道具箱~があり、そこに挙げられている用語を見ているだけで刺激される。エディタはテキストだけでなく知を編集できるようになるのが進化する方向かもしれない。
今日の昼食は、31号翠町線のバスを稲荷町で降りて、稲荷橋西の北側にあるレガロホテルビル2階のイタリアンレストラン Canova Canova(カノーバカノーバ)へ出掛けた。パスタとピッツァをシェアしてまずまずのランチを済ませ、さらに歩いて北上し、広島県立美術館で国立トレチャコフ美術館展「忘れえぬロシア」を見る。
稲荷橋からレガロホテル側を見るリアリズム(写実主義)から印象派の影響を受けた絵が中心でわかりやすい。たっぷりと存分に見せてくれる。素晴らしいと思った。それは人間の視覚の素晴らしさである。お勧め。
Toshiba's JournE touch multimedia tablet (updated with hands-on video!)ネタ。シャープのNetWalkerと対比すべき製品かな。
機種名 | JournE touch | NetWalker |
---|---|---|
メーカー | 東芝 | シャープ |
タイプ | a 7-inch multimedia tablet | PC-Z1 |
OS | Windows CE 6.0 Pro | Ubuntu 9.04(ARM版スマートブックリミックス、シャープカスタマイズ版) |
CPU | ARMベース NVIDIAの「Tegraプロセッサ」(NVIDIA Tegra - Wikipedia) | Freescale Semiconductor社製 i.MX515 マルチメディア・アプリケーション・プロセッサ(i.MX515 Product Summary Page) |
メモリ | ? | 512MB |
ディスプレイ | 7” LCD 16:9 LED backlit touch screen | タッチパネル付5型ワイドTFT液晶(WSVGA対応、LEDバックライト) |
LAN | 802.11b/g WiFi | IEEE802.11b/g |
出力 | sub-1080p video over an HDMI plug in the dock | - |
外形寸法 | 189mm (w) x 133.6mm (d) x 14mm (h) | 161.4mm (w) x 108.7mm (d) x 19.7~24.8mm (h) |
重さ | 450g | 409g |
内蔵記憶媒体 | 1GB of built-in storage | 4GBフラッシュメモリー(ユーザーエリア2GB) |
外部記憶媒体 | SD slot(32GB SD card), external storage over USB | microSD^(TM)メモリーカード/microSDHC^(TM)メモリーカード×1 |
バッテリー(駆動時間) | 2200 m Ah Li-polymer internal battery(7 hours of audio playback, or 2 hours of internet browsing) | 内蔵リチウムイオンバッテリー(約10時間: JEITAバッテリ動作時間測定法 Ver.1.0) |
価格 | 250 Euro 33,000円 | 45,000円 |
発売 | Q4 this year. | 2009-09-25 |
JournE touchのCPUがARMベースという記事とNVIDIAのTegraプロセッサという記事があった。ハイビジョン動画の外部出力能力から考えて、Tegraだろうと思われる。「Zune HD」はNVIDIA製「Tegra」を搭載--マイクロソフト認める - 毎日jp(毎日新聞)の記事には、TegraはARMの流れを引き継ぐという表現もあり、0.5Wという低消費電力はそこに由来するのだろう。HDMI出力の1080pの仕様から考えて、Tegra 650が採用されている。
とは言え、4Gamer.net ― NVIDIAのMichael Rayfieldゼネラルマネージャーに聞く,Tegraの現在と今後(Tegra)のような記事を読むとまだ待ちの判断が妥当かな・・・アップルもそう判断しているかも。しかし、いつまでも待てるということは・・・必要性がそれほどないことの裏返しでもある^^;) 後藤弘茂のWeekly海外ニュース: NVIDIAの携帯機器向けメディアプロセッサ「Tegra」の狙いの記事も再読すべし。
【コラム】シリコンバレー101 (333) オバマ政権発足から7カ月、自販機モデルからの脱却とGovernment 2.0 | ネット | マイコミジャーナルネタ。
行政の問題解決に国民が直接参加する。このような事例が米国で起きている。それとは直接は関係ないが、政府の持つデータを公開し、「見出せ、参加せよ、関与せよ」と呼びかけている。また、政府の支出についても公開している。このような現象を見ると、新しい民主主義の模索が米国で始まっていると言えるだろう。政府はインターネットを通じて国民一人一人に呼びかけることができるようになった。
Data.govの提供するデータを活用するアプリケーションのコンテストも行われている。
Bye Bye Linux - TheSixthAxis - PS3 and Xbox 360 News, Trophies And Opinionネタ。
Cbe-oss-devメーリングリストでも話題が出たが、PS3 LinuxのメンテナのGeoff Levand氏は、SCEはOtherOSをインストールできる仕様の旧マシンのサポートを続け、新しいファームウェアリリースにおいても無効にしないので安心してくれと述べていた。
Cbe-oss-devとはCell Broadband Engine - Open source software - developmentの意味。CBEのプログラミングを試せる安価なマシンがなくなるという意味では、コミュニティーの発展を阻害することになるだろう。
CBEが今となっては高性能CPUとしてどれほどの意味があるのかがよくわからない。IntelなどのCPUメーカーは継続してCPUを改良し続けているのであるから、CBEも競争力を維持するためには同様に改良して変化していく必要があるのではないかと思われる。
MacOS XがPowerPCアーキテクチャーを放棄した今、CBEの行く末には大変興味があるのだが・・・
フォトレポート:米のグーグル本社で「Espresso Book Machine」を見学してみた:ニュース - CNET Japanネタ。
来るべきものという感じはするが。初期投資、$75,000(カバー用フルカラープリンタを含む)+テキストプリンタ(モノクロ中速、$4,108~フルカラー高速、$25,939)コスト。一冊$8の課金(配分は、Google: $1、OnDemandBooks: $1、パブリックドメインの著作なら残りは設備の導入者かな)。消耗品は紙、トナー、インク、接着剤を合わせて、$0.01/ページ程度。300ページなら$3。300ページの著作が、$11程度なら本の購入者は納得の価格かもしれない。しかし、設備設置者は設備に1,000万円程度掛かる。うーむ、設備管理者一人を置いて、ペイするか。300ページの本で4分(連続なら3分)で1冊出版できるので、出版能力は十分だが、売れるかなあ^^;) なお、830ページの本まで制作可能である。
家庭で出版が可能になる日も近いかもしれない。電子出版は既に家庭で可能な時代である。プリンタのインクコストさえ下がれば、紙媒体の出版も夢ではなくなるだろう。
PSP-3000、新価格は1万6800円! 新発表目白押しとなったSCEJカンファレンスで発表 - ITmedia Gamez、TGS2009:「守り」から「攻め」へと転じたPS陣営――SCEJカンファレンス詳報 (1/3) - ITmedia Gamez、SCE、PSPgo向けの各種アクセサリー類をラインナップ | ホビー | マイコミジャーナルネタ。
一応、メモとして残しておこう。PSP-3000が16,800円に値下げされて、PSP go(26,800円)の位置付けがいよいよわからなくなってきた。PSP goは、コンバーターケーブルアダプター(1,980円)を装着すると、「ワンセグチューナー」「GPSレシーバー」「カメラ」が使えるようになるのだが、そういう使い方をしたければ、PSP-3000を買うだろうと思う。
PSP-1000からの発展的乗り換えを期待して待ち続けているのだが、PSP-3000の値下げで少し気持ちが揺らいだ。ワンセグチューナー(6,980円)とクレードル(4,800円)の組合せで、TV録画かなあ。しかし、PS3でTV録画の話も出ているしね。そして、PSP-4000はどうなるんだろう・・・
【PC Watch】 【IDF 2009レポート】ジャスティン・ラトナー氏基調講演レポート ~Intelが思い描くTVの未来、【PC Watch】 【IDF 2009レポート】エリック・キム氏基調講演 ~TV向けSoC「Sodaville」ことAtom CE4100を発表ネタ。
インテルの考えているテレビの未来。なかなかおもしろい。しかし、まだ家庭内ネットワークやホームオートメーションの基本的な枠組みがしっかりしていない。ホームサーバーさえ、まだ適切なものがないのである。
わが身を振り返れば、我が家はテレビ録画もVHSビデオデッキから進歩していない。元々、こまめに録画する習慣がない。今さら、VHSテープに録画するつもりもない。テレビはながら族的、垂れ流し的視聴である。時折思い出したようにテレビに注意を向ける。耳だけで聞いていることがほとんどだ。
PS3はホームサーバーにするには電気を食い過ぎる。ソニーも二の足を踏んでいるに違いない。別に出すしかないんだよね。
声高にはアピールしていないけど、AppleのiPod touch+iTunes+Apple TV+AirMac Extremeの組合せはおもしろいなと思ったりしている。ただ、この中にもテレビ録画はない。まだ、環境が整っていないというわけ。テレビ番組がiTunes Storeで販売されればシステムとして完結するのだが・・・
結局、部分解ばかりで、すっきりしない。録画はやはり専用機かな。
米国で急成長中の「Hulu」上陸!?日本でテレビ番組の無料配信が進まない理由 - デジタル - 日経トレンディネット、そして、テレビ朝日とTBS、YouTubeでコンテンツ配信 - Googleと公式パートナー契約 | ネット | マイコミジャーナルネタ。
米国では、テレビ放送直後から、Huluで動画広告付きテレビ番組が無料配信されている。そうだったっけ^^;) 既に先を行っている。これで成り立つなら最高だろう。録画もいらない。
日本でもそう言えば進んでいたか。しかし、今のところニュース程度で、テレビを見るようなわけにはいかないから、これからの展開しだいだろう。
結局、どれだけみたい番組かというのが問題で、見逃してもまあいいかみたいなのでは、なかなか見ないし、NHKオンデマンドのように別途料金が必要なのでは、それこそ余程のことでもないと見ないだろう。もっとも足りないものは時間。
TSNETスクリプト通信第6号に書いた「Zed入門 II - Twitter on Zed」のzed2twitter.plの修正。
よく考えると、Zed上でTerm::Promptのモジュールの動作を確認していなかった^^;) 最初の接続時に、Twitterのusernameとpasswordをコマンドライン入力し、YAML形式のファイルで、ユーザーのホームディレクトリに.twitterというファイルを生成して保存し、次回から入力を自動化する仕組みの部分である。次のように、サブウインドウに入力用のプロンプトは現われるが、エラーになる。
C:\sites\tsnetwork> zed2twitter (zed2twitter.pl) C:\Perl5.8\bin\perl.exe C:\Scripts\zed041\macro\exec\menu\edit\zed2twitter.pl < tmp.log Encoding: cp932 username: GetConsoleMode failed, LastError=|6| at C:/Perl5.8/lib/Term/ReadKey.pm line 264, <STDIN> line 1. password:
コマンドプロンプトでも動作するように書き直したので、最初のusername、passwordの入力はコマンドプロンプト上で行っていただきたい(^^;) 例えば、次のように。
C:\Scripts\zed041\macro\exec\menu\edit>perl zed2twitter.pl ただいまテスト中 Encoding: cp932 username: jscripter password: Set status: ただいまテスト中
修正スクリプトはzed2twitter.pl - TSNETWiki on TextWorldから入手お願いします。
今日、広島は日本晴れ。雲一つない晴天。日差しには残暑を感じるが、ひんやりした乾いた風が吹くと、爽やかな感じがする。帰宅時には広島市上空に淋しげに漂う僅かな雲を目指して走った。マッコウクジラかと思えば、鶏の形や空想上の生物に変化していく。宮島上空では存在感の薄かった白い影のような月が広島上空で燦然と輝き始め、それと同時に小さな雲の群は次第に断片と化し、あっという間に形を失い、消えていった。
目の端に 青緑の海 流れゆき
今朝の「日本全国8時です」は荒川先生の時間。俳句の話だった。上の空で中味はよく聞き取れなかったが。しばらく、俳句も詠まなかったなと思い、車を走らせながら詠んでみた。季語がないかな^^;)
今年は梅雨明けが特定できなかったという判定になったらしい。
【レポート】話題の3D描画技術「WebGL」とは - WebKit上の試験実装でデモ | パソコン | マイコミジャーナルネタ。
あらゆるものがWebブラウザで動作するようになる。組み込み向け3DグラフィックスAPI、OpenGL ES 2.0の仕様が明らかに | EE Times Japanを読めばわかるように専用ゲーム機が不要になる時代が到来するはずだ。