毎度お世話になっているMACLALALA2の昨年の記事、Steve Jobs が Flash を嫌う本当の理由 - maclalala2などを読み直していた。やはり、おもしろいなあ。
昨年発表にならなかった巨大データセンターの役割についていろいろと考えるのだけど、実際のところ、現実となってみないとわからないということだろう。ユーザーとしての期待値は、MobileMeの無料化とiOS上でのUSTREAMを含むFlash系アプリの再生の二つに関わることであって欲しいということに尽きる。iPod touchを使っていてFlash系アプリが再生できないことは最大の不満なのである。このままではまずいだろうということになる。Androidに食われる原因を抱え込んでいるようなものだ。
そこから見えてくるのは、巨大データセンターの役割の一つはHTML5コンテンツの潤沢な供給にあるのかもしれないということ。これを敷衍していくと、さて・・・
日曜美術館、「千年の花を咲かせたい~小泉淳作・東大寺ふすま絵に挑む~」。あの絵は僕のものじゃないんです。自分が自分がではダメ。自分を無にして描いているんです。だからサインは一切入れないんです。あれはそういうもんなんですよ。
物としての深みが出るまで塗り重ねる。岩絵の具は取り置きが効かないので乾いた絵に塗り重ねるたびに作る。大作は並大抵の辛抱の積み重ねでは完成しない。どこまで書き込むのか、自分の中に関所を持っている。辛抱・辛抱・・・
蓮の襖絵を書かれるときに言われたのは、同じ画面に違う状態の花を描き込む。蕾から、開き、成熟し、散る。ここでは、六本木昼図の「異時同図法。昔が現在につながる。現在に過去を見つけて、未来を想像する。移ろう時を書き留める。」に似た話をされていた。
同様に平山郁夫逝く - 道標なき旅の彼方にでは、「文化は滅びない。東西の文明が出会った場所、トルコのローマの遺跡。そこに想像力で騎馬兵を線画で描き始める。もうこれで終わりと思っても、さらに自分を試したり、実験したりしていると、発酵してくるものがある。眼には見えなくても生きているものがある。永遠に生きている命の今を描く。」ように描いている。絵に描かれているのは関係的な空間時間なのかもしれない。
昨日昼から、広島県立美術館に出掛けた。バスで女学院前まで乗る。昼食時にも関わらず、美術館の中は人が一杯。展示場への入場制限をしている。2階へ上がるエスカレータの前に長蛇の列。食事をしてから見ようかと迷ったが、まず目的から片付けようと、入場券を購入して列に並ぶ。
目玉は、レンブラントの二作品。「机の前の学者」(1641)とレンブラントのモナ・リザと言われる「額縁の中の少女」(1641)。少女の手が額縁から出てきているように見える。一種の騙し絵なんだけど、リアリズムということもできる。実際そこにいるように描かれている。ルネサンスは肖像画のリアリズムの時代でもある。ルネサンス以降、18-19世紀の建築画や風景画は平面的な写真よりもリアルに見える。絵の数は少ないが、20世紀に入ると現実が抽象化されていくのが見て取れると感じた。
ポーランドの至宝展のパンフと入場券ポーランドの偉人を三名上げよと言われたら誰を上げるだろうか。ショパンは有名だが、コペルニクスやマリー・キュリーが出てくるだろうか。キュリー婦人の、古いなあ、たくさんの写真が壁一面を埋め尽くしている。
ポーランドの至宝展の2F出口付近から入場のために並ぶ人々いつもながら所蔵展も作品が大幅に入れ替えられて興味深い。洋画は南薫造の作品が多く展示されており、スケッチブックのデッサンなども一緒に展示されているので絵を学ぶためには参考になるだろう。欧州に学んだ近代洋画家の一人。呉の安浦出身。戦中広島に疎開し、昭和25年没。
先週土曜、南区民文化センターの図書館で本の雑誌と中央公論を眺めた後、徳川で関西風お好み焼きの遅い昼食を済ませ、ゆめタウンの紀伊國屋で本を二冊購入。
酒井健著「シュルレアリスム 終わりなき革命」(中公新書、2011年)と石井洋二郎著「フランス的思考 野生の思考者たちの系譜」(中公新書、2010年)。それと先々週水曜、松丸本舗で、星野力著「蘇るチューリング コンピュータ科学に残された夢」(NTT出版、2002年)を購入。
十夜一冊プロジェクトもどこに消えたのやら・・・そのうち復活させよう。
Twitterで知ったのだが、手が出る仕組み。 - tomoko-mooseの日記の元ネタ。朝日新聞1月30日付け「鼎談・読書について」。
筒井康隆の「漂流 - -本から本へ」がネタの筒井康隆、丸谷才一、大江健三郎の鼎談。見出しを引用すると、大見出しが「本の世界 知の楽しみ」、小見出しが「おもしろい本を飛び石伝いに 筒井」、「良書と出会う最高の時代 大江」、「本には他の本を読ませる力 丸谷」である。
朝日新聞 2011年1月30日付け読書欄「鼎談・読書について」僕が最もおもしろいと思ったのは、筒井先生の次の部分。
我々が幸せだったと思うのは、文学以外でも何かを追っかけることができる時代だった。演劇にしたって、新劇で大きな劇団は四つしかない。あちこちのジャンルの地平を見定められた。いまはあらゆるジャンルでいろんなことが起こってわけがわかりません。
現代、わけがわからないのをわけが分かっている風を装うのが多いような気がしないでもない。まあ、何事も理解するのは困難である。そうするしか生きる道はないかもしれない^^;)
奥村先生のツイートから、手書きメモをiPhoneでデジタル化!新コンセプトの次世代文房具~「ショットノート」発売 | ニュース | 「ファイル」と「テプラ」のキングジムネタ。
いやー、これはヒットかもと思った。新聞なんかも取り込みたいけどどうなんだろう。貼り付けるのかな。iPhoneのアプリだけじゃなくて、デジカメにもこのような機能があるとうれしい。
時代は変わる。ボブ・ディランじゃないけど、何度も使った言葉。昨年ほど時代は変わったと感じたのは2003年末にRSSが燎原の火のごとく広まるのを知ったとき以来かな。
Twitterの機能は更新日記にはない。Facebookのインテリジェントな表現力には驚かせられ、人気がある理由もよくわかるが、機能的にはソーシャル性を除いてはそれほどない。更新日記+Twitterでしばらく行くかなと思う。Facebookにも情報は流す予定だが・・・
Firefoxのお天気虫も今年は雪の新年になると予想している。気温は-0.2℃を示しているが、いつものHiroshimanishiの表示ではない。北海道の広島があるから・・・Yahoo天気予報では3℃。朝は1℃。天気は湿雪と書いてある。霙みたいなものかな。牡丹雪。昨夜もそんな感じだった。プリンタを買いに外に出ると冷たいものが顔に当たる。雨にしてはちょっと違うと暗がりの中で感じた。傘を取りに帰った。
初日の出は今年は期待できないので、朝早く出掛けるのはパスかな。
Twitterのタイムラインに追われて、行く年来る年を大晦日に書いている暇がなかったので、何か思いつくことを次いでに書いておこう。
昨年はAppleに始まりAppleに終わったと言っても良いぐらいだったが、ソニーも頑張ったねという感じ。ソニーの逆襲という記事を書いたぐらいだ。PS3/torne/PSPの連携は素晴らしい。
起きている変化は、メディアの変転、それに伴うコミュニティの変質という次元に留まっている。Facebookは5億、Twitterは1.6億のユーザー数を誇るというが、はて、単なるリンクや引用、リツイートを除いた一次情報の比率はどれくらいなんだろうか。ブログのユーザー数のデータはどこかにあったっけ。Facebookは一種の高機能なブログである。変化はそれほど本質的なものとも思えない。ソーシャルな機能がすべてなのだろうか。それはブログにもある程度は備わっていたわけだが。いずれにせよ、コミュニティには寿命がある。いつまで続くか。リアルなコミュニティが単にネットを利用するだけでは便利になっただけ。バーチャルなコミュニティができてこそ、物質的な制約を超えてコミュニティの本質が変化する。
初日の出が見える可能性はないと、朝生を途中まで見て寝たが、本日は晴天なり。広島西のお天気虫データが表示されはじめた。1℃の予想は当たりだが、雪のかけらも見えない。
朝生も何を議論して、どのような結論になったのか、よくわからなかった。もちろん、途中で見るのを止めてしまったので、当然ではあるのだが。さすが朝までTwitterで参加している人はなかなかのレベルだね。
風邪から少し回復。思想地図βを昨晩読み始めた。まだ最初の猪瀬直樹+村上隆対談の非実在青少年から「ミカドの肖像」へを読みかけだが、おもしろい。これを読んでいたので、東浩紀さんのツイートから村上隆さんのツイートに飛んだ。
世界は変わりつつあるということを感じさせるが、実際どの程度の影響力があるのだろう。バーチャルなコミュニティが形成されつつあるのだろうか。フォロワーの数は、東浩紀さんが55,000、村上隆さんが35,000程度。リツイートがあるから実際に読む可能性のある人はさらに増えるだろうが。猪瀬直樹さんが68,000だね。
自分に見えている範囲が世界だと考えがちだから、新しい情報に接するとやはり大海を知らずと反省してしまう。そうして触手を延ばしていくとさらに情報の海に沈んでいくことになる。はて、個人の情報処理システムはどうあるべきか、今年もさらに実験を続けていこうか。
さて、我が日記もjarp,を追いかけて、10周年を3月には迎えることになる。今年はこれまでやってきたことをもう少し深く掘り下げて、アプリケーションとしてまとめてみたいとも考えている。継ぎ接ぎで発展してきた本日記も最終的にはデータベース化していくかもしれない。しかしながらテキスト処理は柔軟である。いかようにでも料理できる。
前から作ってみようと考えていたビュアーを作りはじめた。今のところ単なるビュアーだが、そのうち、ServersMan@VPSのサイトを活用して自然言語解析とか、グラフ化とかを組み合わせることを試みたい。記事の関連性というか、連環の表現を自動化してみたい。今は、カテゴリのグループ化とマンスリー・インデックスを組み合わせて、時系列的に辿る仕組みを作っているが、記事全体の関連を一覧できるようにはなっていない。実は、全部印刷して栞付けしながら縦横無尽に読むのが一番であることはわかっているのだが^^;)それに近い操作性をどのように作り上げるかというのが問題意識の根底にある。これこそが電子書籍なのだと密かに思っているわけ^^;)
rnviewer2.cgi on Firefoxstrict.pmを動作させるため、Sjis.pmの0.70を出していただいたが、@niftyではCGIの実行エラーになる。過去にさかのぼって試していくと、動くのを確認できたのは、以前@niftyの動作を確認した0.52である。うまく動かないことを確認したのは、0.70,0.69,0.68,0.55。
稲葉さんとのやりとりで、Sjis.pmの0.70でrnviewer2.cgiをWindows上でコンパイルしたものを送り込むと問題なく動作することが判明。どうも機種依存など環境の問題らしい。@niftyはSolarisだしね。今は、0.70で動いている。
#!/usr/local/bin/perl # rnviewer2.cgi ver. 0.3 (2011-01-16) written by jscripter #use strict; use Sjis; use CGI qw(:cgi); my $baseurl = "http://homepage1.nifty.com/kazuf"; my $cgiurl = "http://hpcgi1.nifty.com/kazuf"; my $anc = $ARGV[0]; my $renewalhtml; my $year; my $mon; my $mday; my $top = "top"; my $dev; if(param('dev') =~ /^(normal|mobile)$/){ $dev = param('dev'); }else{ $dev = 'normal'; } my $awidth = 800; my $aheight = 640; my $lwidth = 400; my $lheight = 640; if($dev eq 'normal'){ $awidth = 800; $aheight = 640; $lwidth = 400; $lheight = $aheight; }elsif($dev eq 'mobile'){ $awidth = 320; $aheight = 240; $lwidth = 320; $lheight = $aheight; }else{ $awidth = 800; $aheight = 640; $lwidth = 400; $lheight = $aheight; } if(param('anc')){ $anc = param('anc'); }else{ my $ctime = time; $anc = "dummy_${ctime}";; } if(param('year') =~ /^\d+$/ && param('mon') =~ /^\d+$/){ $year = param('year');# yyyy $mon = param('mon');# mm }else{ $renewalhtml = "renewal.html"; } (my $category, my $anctime) = ($anc =~ /^([a-z]+)_(\d+)$/); if($anctime){ ($mday, $mon, $year) = (localtime $anctime)[3..5]; $mon += 1; $year += 1900; $mday =~ s/^(\d)$/0$1/; } (my $cmon, my $cyear) = (localtime)[4..5]; $cmon += 1; $cyear += 1900; #print $anctime,"\n"; #print join(':',$year,$mon,$cyear,$cmon); my $pyear; my $pmon; my $nyear; my $nmon; if($year == $cyear && $mon == $cmon){ $mon =~ s/^(\d)$/0$1/; $renewalhtml = "renewal.html"; if($cmon == 1){ $pyear = $cyear - 1; $pmon = 12; }else{ $pyear = $cyear; $pmon = $cmon - 1; } }else{ if($mon == 1){ $pyear = $year - 1; $pmon = 12; }else{ $pyear = $year; $pmon = $mon - 1; } if($mon == 12){ $nyear = $year + 1; $nmon = 1; }else{ $nyear = $year; $nmon = $mon + 1; } $mon =~ s/^(\d)$/0$1/; $renewalhtml = "renewal_${year}_${mon}.html"; } print <<HEAD; Content-type: text/html; charset=Shift_JIS <html> <head> <link rel="stylesheet" type="text/css" href="/css/rnviewer2.css" /> </head> <body> <table><tr><td valign=""top">" HEAD my $renewalhtml_anc; if($anctime && $category ne 'dummy'){ $renewalhtml_anc = "${renewalhtml}#${category}_${anctime}"; }else{ $renewalhtml_anc = "${renewalhtml}#${top}"; } print <<FRAME; <center><b>更新日記: ${year}年${mon}月</b></center> <iframe src="${baseurl}/${renewalhtml_anc}" name="rn_article" width="${awidth}" height="${aheight}>" </iframe> FRAME if($renewalhtml eq 'renewal.html'){ print "<br><center><a href=\"${cgiurl}/${0}?anc=${top}\&year=${pyear}\&mon=${pmon}\">${pyear}年${pmon}月へ戻る</a></center>\n"; }else{ print "<br><center><a href=\"${cgiurl}/${0}?anc=${top}\&year=${pyear}\&mon=${pmon}\">${pyear}年${pmon}月へ戻る</a> | "; print "<a href=\"${cgiurl}/${0}?anc=${top}\&year=${nyear}\&mon=${nmon}\">${nyear}年${nmon}月へ進む</a></center>\n"; } print "</td><td valign="\"top\">\n";" #print "<ol>\n"; my $a_year; my $a_mon; my $a_mday; open(IN,"/homepage/$renewalhtml"); open(OUT,"> /homepage/rnlist.html"); print OUT "<html><head>"; print OUT "<link rel=\"stylesheet\" type=\"text/css\" href=\"/css/rnviewer2.css\" />\n"; print OUT "<body><ol>\n"; while(<IN>){ if(/<div class="emph"><A HREF="renewal_index\.html#\w+">\[([^\]]+)\]<\/A> <A NAME="(\w+)_(\d+)">(.+)<\/A><\/div>$/i){ print OUT "<li>[", $1, "] <a href=\"${baseurl}/${renewalhtml}#${2}_${3}\" target=\"rn_article\">", $4,"</a> ("; ($a_mday, $a_mon, $a_year) = (localtime($3))[3..5]; $a_year += 1900; $a_mon += 1; $a_mon =~ s/^(\d)$/0$1/; $a_mday =~ s/^(\d)$/0$1/; print OUT join("-", $a_year,$a_mon,$a_mday),")\n"; } } close(IN); print OUT "</ol></body></html>\n"; close OUT; print <<LISTFRAME; <center><b>記事リスト</b></center> <iframe src="${baseurl}/rnlist.html" name="rn_list" width="${lwidth}" height="${lheight}>" </iframe> LISTFRAME #print "</ol>\n"; print "</td></tr></table>\n"; print "</body>\n</html>\n";
アジアカップ決勝を横目で見つつ。映画と夢:『インセプション』の神経科学 | WIRED VISIONネタ。
複数の人の夢が同期するというアイデアにはちょっと無理があるが、フィクションだからね。それを神経科学に結びつけるのも無理だろう。第一、夢が同期するだけではなくて、相互作用を起こす仕掛けを作る必要もあるだろう。と考えていたら、もはやどんな話だったか詳細には思い出せないことに気がつく。
夢なら現実的な意味はないわけだし、夢が現実に影響を与えたのだとしたら、それはどのようなメカニズムなのだろう。
そうムキにならずに、映画は夢と認めよう^^;)みんな夢を見に映画館に行くのだ。
AndroidでフルFlashを実現するにはARMv7が必要 - 小宮日記ネタ。Flashを動かすためのハードウェア・リソースにはメモリどころか、CPUそのものにも制限があるという話。まだ、Flashにとって道のりは険しい。
坂本教授の韓国公演のUSTREAM配信はiPhone用にアナウンスされたURLを使って、iPod touchで長時間に渡って問題なく受信できた。既にiPhoneへの配信を意図しているUSTは問題ないことを確認できた。
Apple、FlashやSilverlightに対抗するフレームワーク「Gianduia」を開発中の行方については、その後の情報が出ていないようなので、もう少し動向を見極める必要はあるだろう。
ISIS本座 - 【第二夜】森田の視点が、いまこそ求められてるネタ。久しぶりに更新。第一夜は取り上げていなかったか・・・見るべし。
おもしろいなあ。森田療法。科学と非科学の相克。「受け入れて諦めよ」か。
ISIS本座 - 『歴史序説(全4冊)』イブン=ハルドゥーン 松岡正剛の千夜千冊ネタ。まったくこれまで聞いたこともないなあ^^;)
はて、ルネッサンスという西欧の観点とイスラムはどのように照応しているのか。
井筒俊彦先生の「イスラーム文化 その根柢にあるもの」(岩波文庫、1991年;岩波書店、1981年)によれば、イブン・ハルドゥーンはイスラームの生んだ最も独創的な思想家だが、例外的な思想家なのだという(75ページ)。歴史の捉え方が因果律的で連続的である。非連続に出来事が生起するというのが、アラブの伝統的な歴史観なのだそうだ。「イスラーム文化」では、ここ一箇所しかハルドゥーンについて言及されない。
iPhone開放で瀬戸際に追い詰められたGoogleとMicrosoftネタ。
さすが、専門のライターだね。おもしろい。関連する二つの記事も追加。
ユーザーサイドから見ると勝手にしろみたいなもんだ。「今でもブラウザやデバイスを含めてあらゆるものを自分の都合に合わせて使い分けているんだから、どうってことはないさ。」と嘯くだけだ。
ただ、未来から見るアップルの行く道はよく見ておいたほうが良いような気はするね。
例えば、New iOS Feature Coming: 'Find My Friends' - Mac Rumorsには、Steve Jobs: MobileMe to 'Get A Lot Better' Next Year - Mac Rumorsのジョブズの言葉が引用されている。既にPC/Mac/Apple TV/iPod touchはホームシェアリングとRemoteで連動し、iTunesのリソースを共有するようになった。次のステップはいずれ溢れ出すリソースをどこに置くのかということだ。既に、AirMac ExtremeにHDDをUSB接続してMobileMeを使えば、モバイル時にもプライベート・リソースにアクセス可能になる。しかしながら、ジョブズはユーザーはHDDなどの記録媒体を自分で管理したくないと思っていると言った。ということは、クラウド(MobileMe)に置くということになる。さて、いかがあいなるか。そして、問題は、モバイルにどこまで求めるかだが・・・
iTunesからiPadにAirPlay AirView - W&R : Jazzと読書の日々ネタ。久しぶりかな。取り上げるのは。
Brad MehldauのPodcastでトリオのビデオをiPod TouchとApple TVで視聴。AirViewをiPod Touchにインストールすれば、iTunesからAirPlayできる。Apple TVはPC/MacのiTunesライブラリをホームシェアリングするわけだが、iPod TouchのAirViewはPC/MacのiTunesで操作する必要がある。
寒い日々が過ぎゆく。出勤時のこの冬の最低気温は、-3℃。最近は0℃の数値を見るのも珍しくない。最近、帰宅時は西広島バイパスを走るのだが、先週と今週は渡辺貞夫のNightly Yours(広島FM、2011-01-10)のエアチェック[REC: E:/RadioREC/渡辺貞夫NightlyYours/20110110_000000.mp3]を聴きながら快適に疾走した。
「Contemporary Music Selection」~アグレッシブなアフロ・ブラジルのイメージが強いカルリーニョス・ブラウンの意外なアコースティック・テイストの新作、50年近いキャリアを持つデヴィッド・T・ウァーカーのウォームなギター・サウンド、ウルグアイを代表するピアニスト、コンポーザーのウーゴ・ファットルーソのアフリカンな新作、そして、ブラジル、バイーア音楽シーンの底力を感じさるシンガー、マリエーニ・ヂ・カストロのライブ・・・
今月も世界各地のコンテンポラリー・サウンドをご紹介します。
<予定曲>
- 「セントロ・ダ・サウダーヂ」カルリーニョス・ブラウン
- 「エリノア・リグビー」デヴィッド・T・ウァーカー
- 「昨日のカンドンベ」ウーゴ・ファットルーソ
(Sadao Watanabe / Nightly Yours 今後の放送スケジュール ※一部地域では放送日が異なります。2011.1.08)
家内にApple TV経由のオーディオ再生で、For all timeの曲を聴かせると、すぐにビートルズねという。調べると、最初の曲は、ビートルズのEleanor Rigby、次がホレス・シルバーのSong for my fatherだった。暗闇の中を音楽を聴きながら車のシートに深々と埋まり渾然一体となって走る快感は他では得難いものだ。特にSong for my fatherの延々と続く繰り返しは車のドライブ感にマッチする。8ビートの古き良き音楽。
外気温3℃。お天気虫は雲に雪のマークを示している。被害が出なければよいが。少しずつ地図を咀嚼してみよう。論考の一つ、千葉雅也さんの表題記事。
最初のほうは現代の哲学の状況の概説でわかりやすいが、次第に文学的になり、最後は小説なのか、詩なのかわからなくなる。現代の哲学は、分析哲学に代表される科学主義か、過去の哲学の洗いなおしである文献学かにわかれているのだそうだ。なるほどねえと思った。それ以降は「意味の論理学」の読み解きになっているらしいので、興味があるのだが、未だその意味を測りかねている。まあ、焦らずに進むことにしよう。
科学主義をなんでもかんでも推し進めることについては疑問がある。数学を基盤とする科学の持つ限界というものを先端の科学者はあっさりと認めている。例えば、チョムスキーは言う、「数学の応用には限界がある。むしろ言語的創造力のほうが役に立つだろう」と。ファインマンも「この非科学的時代」という講演で、「ただし科学が芸術や文学、人間の精神的姿勢や理解などに大きな役割を果たしていないという点では、僕は現代を科学的時代だとは思いません」と述べている。「何かが非科学的であるといっても、べつに何も悪いことではなく、ただ単に非科学的というだけの話なのです」という流れの後、もちろん科学的であっほうがよいことの例として確率の問題なども取り上げられるが、類推とか科学的推論などをうまく適用するとよいのだというような話が展開される。科学的方法も使いようというわけ。何か数値化すればそれが科学だというわけにはいかないのだと思う。と昨日の記事を繰り返している・・・まあ思考の反芻が顕になったところで今日はおしまい。
第2部 パターンサイエンスの最初の座談会「パターンの可能性 - 人文知とサイエンスの交差点」に紹介されるPingPongプロジェクトのある程度の詳細は、池上高志氏の「Living Technology」に示される。
緒言の最初で「視覚化された時空間パターンを考察し分類する時代が終わり、不可視のパターンを扱う時代となった」と宣言する。へーっ、そういうもんかなと思う。「ここでは統計的なアプローチに対し、大量データをインプットする翻訳装置の自己組織化という考えを提唱する」と続けられる。
なるほど、統計ではないか・・・、自己組織化は統計的なものとも関連すると思うけどね。環境から受け取る意味。アフォーダンス。
概要だけでは、実際にどんなものかはわからないから、具体的な成果を見たい。
更新日記Viewer: rnviewer2.cgiは実行エラーになる可能性あり。エラーになった場合には手早く元に戻すが・・・
年初から稲葉さんとやり取りしたメールの数は28通になった。一度は原因らしきものが特定できたと思われたのだが、それが理由とも考えにくかったようだ。試すと、案の定まだ解決しなかった。さて、・・・
取り敢えず、@niftyの@homepageでは、0.52を使えば問題ない。strict.pmは使わないこと。0.52はCPANにはもうないので、Backpan(Index of /authors/id/I/IN/INA/Sjis)から入手のこと。
UTF-8使用前提になったPerlをjperlの感覚で使えるようにしようと提案されているSjis.pmあるいはEUCJP.pm。さて、今後どのように発展するのか、興味深い。なお、UTF-8を取り扱うUTF2.pmもある。稲葉さんの目標は単なるjperlを目指すことではない。utf-8フラグの不要なperl・・・
@homepage@niftyにおいてSJISのCGIテストを延々と続けて、稲葉さんとのメールのやり取りは60通に及んだ。幸いにも最後の最後でバグが発見され、0.70にあった問題は解決。
更新日記Viewer: rnviewer2はSjis 0.71で動作している。当初、問題に気がついたuse strict;もuse warnings;もスクリプトに記述して問題ないことを確認した。
石原都知事曰く、「ケータイとテレビとパソコンが知識を肥大化させた。しかし、身体的知識となっていない。」
身体的知識となっていないということは、知識は言葉の上だけでは足りないということなんだろうなあ。要は経験が足りないということ。知識がありすぎて、予測して体験を避けてしまう。考えすぎなんだよね。
昔は「見る前に飛べ」なんてスローガンがあったような、なかったような・・・
思想地図βは雑誌(magazine)ではなくて哲学専門誌(journal)なのかもしれない。購入するかどうか迷っていたのだが、結局、読まねば始まらないよねと、年末に注文して、大阪から取り寄せてもらった。2日には届いた。
全部詳しくは読んでいないけど、内容的には、よく練られているような気がしていて興味深い。
特集第二部のパターン・サイエンスの対談が特に面白かった。サイエンスを取り上げようという気持ちはわからぬではない。現代においては科学は無視できないものになった。魔術として単に受け入れているだけではいかなくなったのだ。それほど生活や社会に与える影響が大きくなった。科学を応用しない手はない。哲学者も最早擬似的な科学ではなく本物の科学を追求するようになったのだと思う。言ってみれば、フッサール2.0なのかもしれない。
もっとも統計的な処理にあまり多くの期待を持つのは危険かもしれない。まず仮説が必要だ。その仮説を検証するために測定を行う。そういう方法が科学だと思う。まずデータありきではない。
この本を読んで、集合無意識はありそうかなと思った。関心の領域は大体重なっている。ただ、まだ結論には到達していない。次号に期待したい。どのように展開するのか楽しみだ。
「メディア・タブレット」と電子リーダーの市場調査結果 | WIRED VISIONネタ。
iPadを寝床に持っていくという習慣がどこかで話題になっていたが、iPod touchを本と一緒に持っていく習慣が僕も定着している。Twitterのタイムラインを眺めるためである。AppStoreのアプリの豊富さ、新しさも昨日だったか今日だったか話題になっていた。iPadの優位性を揺るがすのは難しいだろう。Androidはアプリの話題がほとんどない。
PCがなくてもWebが見えるようになりつつある。今日、Web版フォーサイトの案内が届いた。スマートフォン用のサイトの紹介があったので、早速、iPod touchのSafariで接続、ホーム画面にリンク用のボタンを追加する。YouTubeへのリンクなども使って、Web版になったメリットを示している。
メディア・タブレットは大雑把に言えば、5インチ以上14インチ未満のカラーディスプレイを装備したタブレットである。iPod touchは仲間に入れてもらえないのが残念だね。
坂本龍一の音楽に触れる機会が増えた。北米ツアーや国内・韓国の公演のUST配信が続いたせいもあるし、たまたま、正月のFM特別番組で即興演奏をエアチェックしたりしたからだ。昨日はRADIO SAKAMOTO Podcastingを聴いた。安藤裕子との対談。昨年、+ + Andrew Page + + 2010.07.17「牙の行方」が話題になったのだそうだ。
CDの売上が落ちて音楽業界は厳しい。坂本龍一でさえ、CDの制作費を持続的に捻出することが難しい。なぜだろうということになる。スタジオの閉鎖も続いているらしい。生ピアノの録音をできるところも必要なのに・・・
佐久間正英氏のツイートによればもはやギタリストという職業は成立しないとのことなので、はーっ、そういうことなんだねと思う。
音楽は電子化が進み、あらゆるものをシミュレートできるようになった。一人で音楽が作れる。才能があればだろうけど^^;)それでコンピュータ化による音楽制作のコストダウンは、人から職業を奪っていく。
iTunesなどによる音楽のWeb配信がCDの売上を落とす要因なのだろうか。ネット音楽配信はCDの売上減少を支えきれたのか!? 音楽CDなどの売れ行きと有料音楽配信の売上をグラフ化してみる:Garbagenews.comのデータを見る限り、まったく関係ないと考えたほうが良い。音楽配信が始まる前から減少は始まっていたのだ。よくはわからないが、Webの発展と対応関係にあるようには思える。原因の一部として、インターネットが消費者の時間の使い方を変えたのではと思う。音楽自体も停滞しているようにも思う。なにがどうなったのだか、音楽の過去とのつながりが僕などにはよく見えなくなっている。
昔はクラシックがあって、ジャズがあり、ロックやフォークが登場し、さらにジャズ・ロック、フォーク・ロックやフュージョンと言われるような変化の流れが見えていた。ポップスも並行してあったが・・・。そのほか、コンテンポラリィ、レゲエとか。その後ぐらいからよくわからなくなった。それほど昔と比べて、格好いいとも魅力があるとも思えなかった。むしろ、退化しているのじゃないかなとも思うぐらいだった。
最近の過去の音楽とのつながりの一つが坂本龍一であり、渡辺貞夫であり、山下達郎である。しかしながら、山下達郎についてはアルバムを一枚も持ってないし、坂本龍一についても一昨年に購入した「Out Of nOise」の一枚しかないのである。要は過去において音楽に関して強いつながりを持っていたわけではない。ジャズは好きだったので、ナベサダは昔からある程度知っていたし、LPを何枚か持っている。そんな具合だが、知っている名前で、聞いてみようと思うほど興味があって、現在、メディアに露出がある人たちを、僕の場合音楽に関係するメディアとはFMなので、エアチェックしているということになる。
これまでの記事にも少し書いているけど、渡辺貞夫のNightly Yoursのワールド・ミュージック・セレクションを楽しみに聴いている。いつも単なるジャズではなくて、アフリカや南欧、南米などの民族音楽そのものだと思うのだが、ワールド・ミュージックとして紹介される。これが次世代の音楽に発展するのじゃないかなと思ったりすることがある。
まあ、それで「音楽機械論」とか「音楽の聴き方」などを読んでいる。戦後何が起きたのかとともに、ルネッサンス後の西洋に何が起こり、世界に伝播したのかを考えることに継っているように思う。
「joe zawinul + zawinul syndicate world tour」(1998)を聴きながら。
「音楽の陶酔」研究:脳内では「快楽物質」 | WIRED VISIONネタ。
車で走行しながら、For all timeで陶酔状態に陥ったのだが、翌日もう一度試すとそれほどでもなかった。もちろん、音楽を聴くタイミングとか、周囲の状態がまったく同一でないから当然ではあるが、その時の体調や身体的状態によっても音楽を聴くことによって得られる感動や印象は違ってくることはよく経験することだ。脳内に分泌される快楽物質の量に違いがある可能性も十分あるだろう。
NHKで特集が組まれた。昨晩と今朝の再放送を見た。萩原麻未はピアノを引き始めると音楽の中に没入する。よく知っている人は、これは小さな頃からの特徴だという。フランスの友人は「ピアノを引き始めると別人になる。別の惑星から来たみたいな・・・」
音楽にのめり込むことができるのが凄いこと。ジャック・ルビエは麻未にしか表現できない音楽があると評価する一方、感情を抑えることを説く。なるほど、客観性は大事だけど。
Twitter / @渡辺香津美: GUITAR STORIESは今夜オンエアです。~情熱のスーパーギタリスト列伝~ #3 渡辺香津美編 Part1 1月29日(土)21:00~21:55を昨晩忘れることなく見た。BS12チャンネル。
やっと冬休みに岡田暁生著「音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉」(中央公論新社、2009年)の購入記録を書いたが、その後ざっくりと読み終えた。近世の西洋音楽が登場して以来、「作る」、「演奏する」、「聴く」の要素が分離していく過程が進行している。現代では、演奏を「記録する」、「複製する」、「配布する」という過程が、「演奏する」と「聴く」というプロセスの間に介在していると言えるかもしれない。コンサートは演奏の一回性の体験を色濃く残しているが、録音の機会でもあるだろう。「聴く」の後に付随する「批評」は昔はコンサートの実演に関するものが普通だったが、レコードが出て以来、記録の複製を聴いて批評することも当たり前になった。「批評」の「配布」は以前は新聞・雜誌や音楽専門誌がその役割を担っていたが、インターネットが普及してからは、ブログなどで個人の感想を発表することも普通に行われるようになった。
昔は、音楽を聴くこと自体、特別な体験だったわけで、批評できることは一種のステータスシンボルだったろう。小林秀雄でさえ、「僅かばかりのレコオドに僅かばかりのスコア、それに、決して正確な音を出したがらぬ古びた安物の蓄音機、・・・」と「モオツァルト」(1946年)で不服を漏らしかけている。今は、他の人のお勧めを読んで、CDを購入するか、MP3などのデジタルファイルをiTunesやAmazonで購入すれば、ほとんどの音楽を自分で体験することが可能な時代なのである。批評というよりは消費のための「お勧め」なのである。
「音楽の聴き方」では村上春樹の「意味がなければスイングはない」(文藝春秋、2005年;初出、ステレオサウンド;[更新日記] 2009/06/20: 1Q84の意味)が重要な役割を演じている。そこで吉田秀和の「今月の一枚」(新潮社)の内田光子のシューベルト「ピアノソナタ第十七番二長調」D850の演奏について書いた文章について触れている。「ソフトな混沌の今日性」という文章である。その内容はともかく、第二次大戦後の我々の時代の音楽についての思考は、村上春樹や吉田秀和の思考に強く影響されている可能性が高いと言えるだろう。
また、小林秀雄の「考えるヒント 3」(文春文庫、1976年)に収録されている「美を求める心」についての言及もある。僕が既に「モオツァルト」を引用したように小林秀雄も戦後、音楽批評に大きく影響を与えた一人であろう。
音楽を語ることは、何かを語ること同様に難しい。特に感覚的・身体的なものだからだし、本著にあるように同じ音楽を聞いても他者がどのように感じるかはよくわからない。他者の体験と自己の体験が必ずしも一致するとは限らない。聴いたときの印象は、聴くときの状態や環境に大きく依存するし、知識や経験にも大きく依存するからである。そのようなことは、音楽に関わらずあり得ることを、様々な場面で日常的に経験しているはずである。適当な結論に到達するためには、まずは感想を書きだしてみて、また様々な観点から考えるという繰り返しが必要である。本日記はそのような繰り返しを行うツールである。
さて、冒頭の渡辺香津美のギターレッスンに戻ろう。若手のギタリストを集めて、自分のギタリスト体験を語る。中牟礼貞則が先生なのだそうだ。WES MONTGOMERYの奏法の解析の話は詳しかった。渡辺貞夫の名も出たし、YMOにも参加したことがあるのだなあ。
WikipediaのYMOの記事を読んでいると、山下達郎、大滝詠一と坂本龍一の関係が見えてくる。僕が知っている日本の音楽家たちは皆つながっている。
批評に関して言えば、あまりに多くの要素が含まれるので、簡単には何かを表明することは難しいだろう。批評とはなにかというところから、考えねばならない。今、この日記で考えているのは、その多くの要素を抽出していこうということだ。人があり、他人との関係があり、場所があり、経済があり、政治があり、技術があり、演奏があり、記録があり、複製があり、再生があり、生理学があり、心理学が、哲学がある。
ちょっと遅れた書初めだが、@niftyで何か意味のあるCGIをと思っていて、日記の抄録をツイートしたときのリンクが一月古くなるとリンク切れになるのを防止するCGIを考えた。もちろん、作ればできることは以前からわかっているわけだけど。Sjis.pmを使わせてもらっている。
パラメータとして、記事のアンカーを渡す。本日記のアンカーには作成時の時間情報が含まれている。
#!/usr/local/bin/perl use Sjis; use CGI qw(:cgi); my $baseurl = "http://homepage1.nifty.com/kazuf"; my $anc = $ARGV[0]; if(param('anc')){ $anc = param(anc); } my $anctime = $anc; $anctime =~ s/^[a-z]+_(\d+)$/$1/; (my $mday, my $mon, my $year) = (localtime($anctime))[3..5]; $mon += 1; $year += 1900; (my $cmon, my $cyear) = (localtime)[4..5]; $cmon += 1; $cyear += 1900; if($year == $cyear && $mon == $cmon){ $renewalhtml = "renewal.html"; }else{ $renewalhtml = "renewal_${year}_${mon}.html"; } my $url = "$baseurl/$renewalhtml"; print <<HTML; Content-type: text/html; charset=Shift_JIS <html> <body> <b>更新日記: ${year}-${mon}-${mday}</b><br> <iframe src="${baseurl}/${renewalhtml}#${anc}" width="640" height="480>" </iframe> </body> </html> HTML
もちろん、スクリプトはShift_JISで保存すればOK。Sjis.pmの便利さを感じることができる。@niftyのPerlのバージョンは5。CGIモジュールとSjis.pmをcgi-binへ転送して使う。次のツイートから試せる。
ふと、抜けがあったなと頭に浮かんだので修正。本日記の最新のHTMLファイル名は常にrenewal.htmlである。新しい月に入ると、古い月の日記は一月単位でrenewal_yyyy_mm.htmlという名前に変更して保存していく。問題は、月が数字で一桁の場合に、前に0を付加する処理を忘れていたこと。それを追加修正。
#!/usr/local/bin/perl use Sjis; use CGI qw(:cgi); my $baseurl = "http://homepage1.nifty.com/kazuf"; my $anc = $ARGV[0]; if(param('anc')){ $anc = param('anc'); } my $anctime = $anc; $anctime =~ s/^[a-z]+_(\d+)$/$1/; (my $mday, my $mon, my $year) = (localtime($anctime))[3..5]; $mon += 1; $year += 1900; $mday =~ s/^(\d)$/0$1/; (my $cmon, my $cyear) = (localtime)[4..5]; $cmon += 1; $cyear += 1900; my $renewalhtml; if($year == $cyear && $mon == $cmon){ $mon =~ s/^(\d)$/0$1/; $renewalhtml = "renewal.html"; }else{ $mon =~ s/^(\d)$/0$1/; $renewalhtml = "renewal_${year}_${mon}.html"; } my $url = "$baseurl/$renewalhtml"; print <<HTML; Content-type: text/html; charset=Shift_JIS <html> <body> <b>更新日記: ${year}-${mon}-${mday}</b><br> <iframe src="${baseurl}/${renewalhtml}#${anc}" width="640" height="480>" </iframe> </body> </html> HTML
もっとも問題は月を跨ぐときのファイル名変更作業が円滑に行われているかどうかである。厳密にはそのようなチェックも入れておく必要があるだろう。そのうち何か考えつくかもしれない。まあ、うまく動かない場合は更新日記に直接アクセスください^^;)
Zazelさんからメールが届いた。CGIパラメータを受け取る$ancを直接HTMLの中に埋め込んでいるのでJavascriptなどを流し込めるということ。いつも注意されているんだが、物覚えが悪い生徒で^^;)
ということで、改訂版。
#!/usr/local/bin/perl #use strict; use Sjis; use CGI qw(:cgi); my $baseurl = "http://homepage1.nifty.com/kazuf"; my $anc = $ARGV[0]; if(param('anc')){ $anc = param('anc'); } (my $category, my $anctime) = ($anc =~ /^([a-z]+)_(\d+)$/); (my $mday, my $mon, my $year) = (localtime $anctime)[3..5]; $mon += 1; $year += 1900; $mday =~ s/^(\d)$/0$1/; (my $cmon, my $cyear) = (localtime)[4..5]; $cmon += 1; $cyear += 1900; #print $anctime,"\n"; #print join(':',$year,$mon,$cyear,$cmon); my $renewalhtml; if($year == $cyear && $mon == $cmon){ $mon =~ s/^(\d)$/0$1/; $renewalhtml = "renewal.html"; }else{ $mon =~ s/^(\d)$/0$1/; $renewalhtml = "renewal_${year}_${mon}.html"; } print <<HTML; Content-type: text/html; charset=Shift_JIS <html> <body> <b>更新日記: ${year}-${mon}-${mday}</b><br> <iframe src="${baseurl}/${renewalhtml}#${category}_${anctime}" width="640" height="480>" </iframe> </body> </html> HTML
今回のスクリプトを検討していて、Sjis.pmとuse strictを併用するとうまく動かないケースがあったので、use strictを記述して文法チェックした後は外して動作確認したほうが良いだろう。稲葉さんには報告して、検討していただくことになった。
まあ、一応載せておこう。読み出す記事の月の記事リストも表示させるようにした。もちろん、フレームに記事を表示させるリンクも張っている。まさに更新日記ビュワーである。携帯で見るのは難しいか^^;)
#!/usr/local/bin/perl # rnviewer.cgi ver. 0.2 (2011-01-10) written by jscripter #use strict; use Sjis; use CGI qw(:cgi); my $baseurl = "http://homepage1.nifty.com/kazuf"; my $anc = $ARGV[0]; if(param('anc')){ $anc = param('anc'); }else{ $ctime = time; $anc = "dummy_${ctime}"; } (my $category, my $anctime) = ($anc =~ /^([a-z]+)_(\d+)$/); (my $mday, my $mon, my $year) = (localtime $anctime)[3..5]; $mon += 1; $year += 1900; $mday =~ s/^(\d)$/0$1/; (my $cmon, my $cyear) = (localtime)[4..5]; $cmon += 1; $cyear += 1900; #print $anctime,"\n"; #print join(':',$year,$mon,$cyear,$cmon); my $renewalhtml; if($year == $cyear && $mon == $cmon){ $mon =~ s/^(\d)$/0$1/; $renewalhtml = "renewal.html"; }else{ $mon =~ s/^(\d)$/0$1/; $renewalhtml = "renewal_${year}_${mon}.html"; } print "Content-type: text/html; charset=Shift_JIS\n\n"; print "<html>\n<body>\n"; print "<table><tr><td>\n"; print <<FRAME; <b>更新日記: ${year}-${mon}-${mday}</b><br> <iframe src="${baseurl}/${renewalhtml}#${category}_${anctime}" name="rn_article" width="800" height="480>" </iframe> FRAME print "</td><td>\n"; print "<ol>\n"; my $a_year; my $a_mon; my $a_mday; open(IN,"/homepage/$renewalhtml"); while(<IN>){ if(/<div class="emph"><A HREF="renewal_index\.html#\w+">\[([^\]]+)\]<\/A> <A NAME="(\w+)_(\d+)">(.+)<\/A><\/div>$/i){ print "<li>[", $1, "] <a href=\"${baseurl}/${renewalhtml}#${2}_${3}\" target=\"rn_article\">", $4,"</a> ("; ($a_mday, $a_mon, $a_year) = (localtime($3))[3..5]; $a_year += 1900; $a_mon += 1; $a_mon =~ s/^(\d)$/0$1/; $a_mday =~ s/^(\d)$/0$1/; print join("-", $a_year,$a_mon,$a_mday),")\n"; } } close(IN); print "</ol>\n"; print "</td></tr></table>\n"; print "</body>\n</html>\n";
モバイル利用の多いTwitter用のビュワーにtableタグを使った本格的なビュアーは必要ないので、単に更新日記の該当記事に転送するだけのCGIに変更。前のは本ページにリンクしたrnviewer.cgiで使っている。こちらは、今後、本格的なビュワーに変化していくかも。
#!/usr/local/bin/perl # rnviewer.cgi ver. 0.2m (2011-01-10) written by jscripter use CGI qw(:cgi); my $baseurl = "http://homepage1.nifty.com/kazuf"; my $anc = $ARGV[0]; if(param('anc')){ $anc = param('anc'); }else{ $ctime = time; $anc = "dummy_${ctime}"; } (my $category, my $anctime) = ($anc =~ /^([a-z]+)_(\d+)$/); (my $mday, my $mon, my $year) = (localtime $anctime)[3..5]; $mon += 1; $year += 1900; $mday =~ s/^(\d)$/0$1/; (my $cmon, my $cyear) = (localtime)[4..5]; $cmon += 1; $cyear += 1900; #print $anctime,"\n"; #print join(':',$year,$mon,$cyear,$cmon); my $renewalhtml; if($year == $cyear && $mon == $cmon){ $mon =~ s/^(\d)$/0$1/; $renewalhtml = "renewal.html"; }else{ $mon =~ s/^(\d)$/0$1/; $renewalhtml = "renewal_${year}_${mon}.html"; } print "Location: ${baseurl}/${renewalhtml}#${category}_${anctime}\n\n";
しかしながら、転送用のCGIの短縮URLはどうして作るんだろう。
bitlyのサービスを使うことにした。
坂本龍一のRADIO SAKAMOTO Podcasting Vol.65、「作家・村上龍さんと弁護士・山崎卓也さんを迎えた鼎談をお届け」ネタ。
教授の父上は河出書房の編集者であられたそうで、野間宏の編集者をしていたとき、「真空地帯」?、著者自身が筋を追うのを助けるために小説の登場人物などのマップを作っておられたそうだ。野間宏といえば、「青年の環」、「全体小説」がすぐ頭に浮かんでくるわけだけど、小説が長いので著者自身が筋がどうだったか、次第に正確に把握できなくなるというわけ。これもおもしろい話だなあ。全体小説とは、小説で世界、社会全体を捉えようという考え方。僕でさえも前に書いたことはもう忘れているけどね^^;)
メインは電子書籍、「歌うクジラ」をiPad版で先行発売した話から展開。この本というか電子書籍は、音楽を坂本龍一が、アートワークは篠原潤が担当。なかなか興味深いアプローチだ。企画が人を惹きつける。価格も1500円、紙なら上下で3360円。電子書籍を購入する動機付けは十分だろう。
「限りなく透明に近いブルー」の電子書籍版は、36年前の手書きの生原稿でも読めるらしい。なかなか・・・
思い起こしてみると、「限りなく透明に近いブルー」(講談社、1976年)はそのタイトルの斬新さとともに日本における新しい小説の登場だった。村上龍と坂本龍一で吉本隆明や浅田彰などのゲストを招いての対談集「EV.Café」がある。古い知り合いというわけだ。
「限りなく透明に近いブルー」と「超進化論 EV.Café」(講談社文庫、1989年;講談社、1985年)SCEがプレイステーション事業の次の一歩--コードネーム「NGP」公開、Androidでのゲーム提供も - CNET Japanネタ。
CPUはARM Cortex-A9 core(4 core)、GPUはSGX543MP4+。仕様はモバイルデバイスに発表されている範囲で追加しておいた。
現段階では最強の仕様なのだろうけど、年末にどうなっているかは定かでない。PSPはARMプロセッサに移植されるのだろうね。
QriocityもBRAVIAでビデオオンデマンドとして開始された。ただ、Apple TVより価格設定が高いので、当面使うことはないだろう。
デザインや質感はよさそうだ。コンピュータ・フリークから見ると、ゲーム以外のソフトウェアやプログラミング環境などが興味があるところなのだが・・・関連ニュースをまとめておこう。
まあ、一応、昨年の量的評価。
2010年更新日記生産量ぶっちぎりで年間最高を作る予定だったのだが、Twitterの1000ツイートで新記録を阻まれた^^;)
ISIS本座 - 『イスラームの歴史(全3巻)』ジョン・エスポジット編 松岡正剛の千夜千冊ネタ。イスラームにどんどん入っていく。
僕らが習った世界史からは抜け落ちているのが、イスラムだが。そこからどう展開するのか。がんばれ、正剛先生。
ServersMan@SD開発成功! SDカード単体でServerに! | A's BIT WORKS、フリービット、aigo、Smart Cloud共同でSDカード単体でWeb Serverとして動作する「ServersMan@SD」の開発に成功。世界最大の家電見本市CESで参考展示。|FreeBitネタ。
以前から、ServersMan@iPhoneをmp3ファイルの転送・再生用にiPod touchで使ってきたけど、それほど便利だとは思っていなかった。デスクトップからWeb(ブラウザ)経由でiPod touchに転送される。これがMobileMeみたいなもんなんだろう。最近では、Webブラウザを起動せずにServersMan@DesktopとServersMan Shellをデスクトップで起動して、ドラッグ・アンド・ドロップでファイルを転送している。しかしながら、この方法も煩雑なインターフェースになってしまう。アプリケーションを三つも起動しなければならない。
一味違うのが、ServersMan@SD。これはトロイの木馬をSDを記録媒体として用いているデバイスに送り込める。本来つながる機能のないデバイスがつながるようになるというか、コンピュータ化するわけだ。SDカードにCPU、WiFiモジュール、SDメモリモジュールなどが実装されているというのだから、驚きだ。
Apple、Google、Microsoftも目を剥くだろう。もちろん、価格や電力消費が問題だけど。まあ、マイクロデバイスなのであまり電気は食わないだろうし、価格も安いだろうと期待している^^;)
Experia Playは現時点で公式に認められたわけではないらしいが、今回の発表の内容をモバイルデバイスにまとめながら思ったこと。
NGP = PS3-Portableの位置づけが大きい。PS3もAndroidに移植されるのではないか。そうすると、テレビからケータイ、ゲーム機まで含めてメディアデバイスをある程度統合できる。もちろん、PS3のようなデスクトップシステムをケータイに統合することは難しいと思われるが、メモリを増やさなかったことがモバイル化の可能性を高めているように見える。今後、CPUの性能や消費電力の問題が解決されていく可能性は高いだろう。
先走って言えば、既にAppleはMacのiOSとの統合を図ろうとしている。第一、AppStoreで購入したコンテンツがMac上のiTunesに存在するにもかかわらず、Mac上で動作しないのは不便だし、不自然である。これは早晩解決されるべき問題だろう。
iPhoneやiPadの登場はゲーム専用機の時代の終わりを示唆している。そういう意味でソニーはまだ大きな課題を抱えている。ゲーム用インターフェースの問題である。Experia Playのように専用デバイスの搭載が必要ではコストが下がらない。無論、コストは二次的な問題である。ゲーム用インターフェースとはどうあるべきかという問題設定の方に意味があるだろう。
もう一つは、メディアデバイスのVAIOとWalkman、そしてPS3の今後である。VAIOはWindowsマシンとして放っておいても生き延びるかもしれない。WalkmanはExperiaの下位機種として、AppleのiPod系列の製品として生き残るのだろう。こうしてみると、PS3はソニーのMacとして位置づけることも可能だと思われる。まだ、ソニーはアップルの後塵を拝している。がんばれ、ソニー。
そして、忘れそうだったけど、iPadに対応するデバイスの話がまだない。Dellを追い抜いて、「iPadはPCの再定義」と威張っているアップルのPC売上台数の大半は、iPadによるものだ。2010年第4四半期のコンピュータ市場、iPad効果でAppleがDELLを抜いて3位に - GIGAZINEを参照。
リツイートの中から選んだ記事二編。モバイル通信を完全にP2Pでやろうというラジカルな提案: Peep WirelessとCES 2011: iHome Airplay Speaker, Eye-Fi Direct, Fling Game Controller - Mac Rumors。
P2Pはいずれおもしろくなるんじゃないだろうか。iHome Airplay SpeakerとEye-Fi Directは欲しいな。
iHome Airplayはアンプへの入力デバイスで十分なんだが。
わたなべさんのjarp,が、新年に10周年を迎えられた。遅ればせながら、おめでとうございます。
毎日というのが凄いなあw(。。)w
武士の家計簿 - Wikipediaネタというか、torneの録画を見て、古文書の話なのかと・・・いまさらの話題を取り上げる。
家内が「武士の家計簿」という映画がおもしろいと言っていたのだが、タイトルを聞いてSF優先の僕は「なにそれ」と即却下していた・・・失敗、失敗・・・
今日図書館でTwitter / @jazzy scripter: 本の雑誌2011/1の今月の一冊、本は、これから。T ...をツイートした。写真を添付してメールを送ってツイートすることもTwitterの標準的機能となり、簡単になった。その後で、夢タウンの紀伊國屋に向かったのだが、「本は、これから」は置いておいて、高瀬正仁著「高木貞治 近代日本数学の父」(岩波新書、2010年)と藤井貞和著「日本語と時間 - 〈時の文法〉をたどる」(岩波新書、2010年)を購入。
「本は、これから」どうなるんだろう。それほど紙の本は変わらないと思うんだが・・・電子書籍は紙の本とセットでこそ、最も役に立つだろう。電子書籍は単なる紙の書籍のアナロジーでは意味が無い。検索できたり、栞やメモを付けることができたり、引用できたり、他の事項と関連付けたり、関連事項を参照したり、あらゆる本を読む体験を支援する機能を持つことが不可欠だろう。すなわち、電子本はWebとなるとき(関連付けられた他の知識・情報と一体となるとき)、紙を超えるかもしれない。
今、高木貞治著「解析概論」の電子書籍化がWebの話題になっていて、奥村晴彦先生のTwitter / @Haruhiko Okumura: はい,どなたか入力して青空文庫に! RT @ttmt ...が出発点となって、解析概論 - Wikisourceがスタートしている。
高木先生の著作は、岩波文庫に「近世数学史談」と最近ちくま学芸文庫に入った「数学の自由性」を持っている。後者の解説は高瀬正仁先生が書かれている。「高木貞治 近代日本数学の父」の著者である。高木先生の青空文庫にある「回顧と展望」と「ヒルベルト訪問記」の文は「近世数学史談」の附録である。
藤井貞和先生の著作は、著作権は存続しているが、青空文庫の作家別作品リスト:藤井 貞和に少し入りつつある。
以上のような情報はほとんどツイッターから得られた情報が媒介している。もちろん、インターネット、Googleの検索も絡むわけだが、マスメディアの情報が媒介しているわけではない。情報はパーソナルメディアを流れつつある。そして、個人が生成した有用な情報が流れ出している。その清水で人々は喉の渇きを癒すようになったのである。
Togetter - 「読売新聞でtwitter禁止令?」ネタ。天下の読売新聞がとは思うが・・・
パーソナルメディア、あるいはCGM(Consumer Generated Media)が重要になったとは言え、マスメディアたる新聞・テレビ・出版社の取材力、情報の編集なくして世界の把握は叶わぬ。マスメディアがパーソナルメディアをいかに取り込んで、あるいは相互作用をしつつ、自らの変革を成し遂げるかということが問題。大いに期待している。
禁止というよりは、むしろ、取材に活用せよということだろう。
また、旧来のメディアの仕事に敬意を払うことも必要だろう。特に出版などはその努力によって文化が引き継がれてきているわけだから。
ちょっと疲れている。先週、東京に出掛けたり、インフルエンザに罹患したりで。ツイッターのほうはフォローする時間が少なくなっている。
フォローしている関係の新鮮味が次第に失われ、フォローの拡大策を取り始めたが、一日に一回程度のアクセスではシステム的にも24時間分をすべて見ることができない。疲れて根気が無くなっていることもあるが、やはり、当初考えた100名程度のフォローが限界のようだ。はて、どうすべきか。特定のユーザーのプロファイルを読みに行くしかないのかもなあ。検索・・・何が知りたいのか・・・それを知りたくて、読むのだけど・・・