[Apple] Good News

アップル、第1四半期決算を発表 純利益は16億1000万ドル - Engadget Japaneseネタ。

暗いご時世にグッドニュース。

[拡張現実] 第六感

人間に「第六感」を追加するMITの拡張現実デバイス - スラッシュドット・ジャパンネタ。詳細は、昨日出た身体と世界と情報を統合:情報をどこにでも投影するウェアラブル・マシン:動画 | WIRED VISIONを参照するとよくわかる。

コンピュータとプロジェクタとビデオカメラを組み合わせたシステムのようだ。指先に付けたカラーテープをマークにして指や手の動き(ジェスチャー)を検知し、コンピュータに指示をして、写真を撮影したり、絵を描くなどの作業をしていると思われる。その結果をプロジェクタで投影する。

ポケット・プロジェクタが出てきているし、iPhoneやAndroidのようなケータイの高性能化が進展すれば、新しいアプリケーションの登場も夢ではないだろう。

プロジェクタの大きな問題は電源の確保だろうと思う。液晶ディスプレイを備えたヘッドフォン型のウェアラブルコンピュータUP(Media Port UP)は、単三形充電式ニッケル水素電池2本で動画を2時間連続再生。ポケット・プロジェクタはリチウムイオン電池を使い、省電力モードで連続2時間を達成している。再生時間はほぼ同等と言える。予備の電池を標準で装備しているのは実用性を考慮しているからだろう。2時間では上映時間が足りない映画も多いからだ。

更新: 2009-02-11T17:28:12+09:00

[Computer] 高級万年筆よりも安い

バッテリー寿命8時間で200ドルを切るネットブック:Freescaleマシン今夏登場へ | WIRED VISIONネタ。

特に言うことはないんだが^^;)/

[データベース] Web時代のデータベース

Slashdot | Is the Relational Database Doomed?経由、Is the Relational Database Doomed? - ReadWriteWebネタ。

リレーショナルデータベースに対して、key/value databaseというデータベースが登場しているそうだが、単にDBMのようなものでもないらしい。文書指向型のデータベースとして、Apache CouchDB: The CouchDB Projectが紹介されている。Erlangで書かれているので、分散型のシステムでもある。atom2msrdb.cgiでは、Atomフィードの文書をMySQLデータベースに格納しているのだが、遅い感じ。効率が悪そうだ。CouchDBを調べてみよう。Windowsで動くのかな・・・

UTF-8前提なら最早Windowsである必要もないから、Linuxに移行ということも選択肢ではある。

更新: 2009-02-16T22:53:41+09:00

[ドナルド・キーン] 日本人と日本文化

ドナルド・キーン先生を遅蒔きながら、人物カテゴリのメンバーに登録した。司馬遼太郎との対談「日本人と日本文化」(中公文庫、1984年;改版: 1996年;原著: 中公新書、1972年)を昨年読んで注目したからである。最近、読み直している。

本書は最初の対談を収録したもので、穏やかながらも深い知識・教養と経験に支えられた両者が一歩も引かぬ力強い議論を繰り広げており、スリリングな感じさえする。自分の意見にゆるがぬ自信はあるが、相手の言うことも認めながら議論を深めていく。

キーン先生は日本は儒学思想に大きな影響を受けていると見ているが、司馬遼太郎は日本にはどのような思想でも載せることのできるお皿のようなものがあるというのがおもしろいところじゃないか、儒学も皿の上の一つに過ぎないという考え方を出されるのだが、これについては議論が収束しなかった。お皿というのは一種のメタフレームワークのようなものだと考えられる。もっと議論が深まるとおもしろかったと思う。


更新: 2009-02-01T23:32:04+09:00

[Flash] Cooliris

安藤日記: CoolFlick ネタ。

先月のページに画像ファイルのcooliris-quick.xmlへのリンクを置いたので、Coolirisのプラグインをインストールして見るとおもしろい。非常に高速に動作するのでびっくりする。

../jpg/mycooliris_s.jpgCoolirisで表示した2009年1月の日記画像

Coolirisのサイトから出力されるcooliris-quick.xmlは次のようなXMLファイルだ。ファイルのパターンマッチに正規表現のようなものが使われている。画像ファイルを選択するだけでこのようなパターンを抽出するとは賢いプログラムだが、同じパスにある画像ファイルが増えるとこの程度のパターンではマッチするものが増えてしまう可能性があると思うけど・・・

<?xml version="1.0" encoding="utf-8" standalone="yes"?>
<cooliris-quick version="1.0">
  <src>^http\:\/\/homepage1\.nifty\.com\/kazuf\/jpg\/(.+?)01(.*?)\.(.+?)$</src>
  <dst>http://homepage1.nifty.com/kazuf/jpg/{1}01{2}.{3}</dst>
</cooliris-quick>

このXMLファイルをサイトに置いて、XMLを参照するHTMLファイルに次のように記述しておく。HTMLファイルを表示させて、ブラウザのCoolirisボタンを押せば、前記のような画像ビュアーが起動する。

<link rel="alternate" type="application/x-cooliris-quick"
 href="http://homepage1.nifty.com/kazuf/cooliris-quick_2009_01.xml" />

しかしながら、このままでは、おーっとと一度は思うが使い続ける可能性は少ない。画像だけでは意味が不足しているからだ。画像の意味づけ・構成を再編集するような機能が必要である。結局、自動でできることって大体において意味が不足している。手作り部分に意味が出てくる。アプリケーションは付加的な属性を組み込めるような(データを追加できる)仕組みを持っていて欲しいと思う。あるいは他のデータと連携できるような仕組みが欲しい。

更新: 2009-02-04T23:12:48+09:00

[GPS] GPSトラッカー

ソニーからデジタルカメラ用GPSトラッカー「GPS-CS3KA」、ディスプレイ追加 - Engadget Japaneseネタ。

早く日本でも出して欲しい。

[ImageMagick] ImageMagickの世界

ImageMagickは昔から知っているが、まともに使ったことは一度もなかった。デジカメが普及して、画像処理の自動化はコンピューティングの一つの課題である。

まだ、どこまで意図した作業が自動化できるか手探りだが・・・なかなか使えそうだ^^)

../jpg/output_2009-02-03_s.jpgケータイで撮影した画像をモンタージュ

うーむ、jperlからでも動かせたかな。

更新: 2009-02-04T22:03:30+09:00

[インド] 頭脳外注

朝日新聞グローブ (GLOBE)|インド「頭脳外注」 もはや、その存在なくして世界は動かないネタ。何かの新聞でインドのITはこの経済危機のなかでも15%の伸びを示していると読んだ。

コストを下げるためにインドに外注するということなのだが、もっと工夫の余地はないのだろうか。

[インド] 頭脳外注 II

朝日新聞グローブ (GLOBE)|インド「頭脳外注」02 「知の戦略」したたか。産学直結で起業家が輩出(1/2)朝日新聞グローブ (GLOBE)|インド「頭脳外注」03 この大国の力を日本が生かす道 (1/2)ネタ。

単にコストというわけでもないらしい。負けるな日本・・・

[インド] 頭脳外注 IV - インド数学とハイテク

朝日新聞グローブ (GLOBE)|インド取材記 「頭脳大国」を支える人々: [第7回] 学習塾で復活の試み 「ベーダの教え」に基づくインド数学朝日新聞グローブ (GLOBE)|インド取材記 「頭脳大国」を支える人々: [第8回] ウィプロに見るインドITの「ルック・イースト(東方政策)と世界戦略」ネタ。

下請けというようなことを言うのは失礼な話のようだ。うーむ。なかなかやるねえ。

[IT] 頭脳外注 III - 世界のフラット化

朝日新聞グローブ (GLOBE)|インド取材記 「頭脳大国」を支える人々ネタ。

インドのITは世界のフラット化にインドの若い人の力が結びついて発展したということなのだが、それは最近の話だろう。アシャンク・デサイ氏の起業時には自前のコンピュータや電話さえなかったというのには驚いた。それは今では考えられないことだが、1982年のことだというのだから、わからなくはないのかもしれない。

マイクロソフトの創業が1975年、アップル・コンピュータが1977年だから、時代は変ったということである。1980年代はメインフレーム・ミニコンとPCとの戦いに見えたものも、PCの高性能化・低価格化はあたりまえのものとなり、コンピュータとはPCを指すようになり、同時にインターネットの発展によってPCの利用環境は様変わりした。PCは単なる計算機やワードプロセッサーからコミュニケーション・マシンとなった。これが世界のフラット化をもたらす。日本全体が本当にフラットになっているのとは思うが、そういうことが実現できる状況にはなっているのだろうと思う。それがどういう意味を持ちうるのかは自らが考える必要がある。

日本の拠り所がサンデープロジェクトで議論されている。結局歴史を学べということらしいのだが・・・

[文学] 文学と科学

忙しい一週間でした (内田樹の研究室)ネタ。

それから難波江先生、飯田先生といっしょに居酒屋カウンター的文学論をわいわいと1時間。

いま、日本中の大学から「文学部」という名称がなくなりつつある。「文学研究をしたい」と言って入学してくる学生もほとんどいない。文学に対する評価はたぶん明治以来今が最低だろう。それは「文学を創作すること」「文学を批評すること」「文学を研究すること」が職業として成立してしまったことの「ありがたさ」を、当事者たちがすっかり忘れてしまったことにたぶん関係がある。

私たちは「暇人の暇ごと」をしている。まさに、そのような世上無益のことに大の大人がかかずらわっているという事実についての「疚しさ」ゆえに、文学にかかわる人間は「大の大人がこんなことにかかずらわっていることのやむにやまれなさ」についてのアカウンタビリティを負う。

文学は「正業」ではない。そして、それゆえに「正業とは何か?」ということを絶えず自問することを構造的に強いられている。「自分がここでこんなことをしていることに意味はあるのか?」という切実な問いを抱え込んでいるということそれ自体が文学の手柄であると私は思っている。文学も文芸批評も文学研究も文学部も、軒並みダメになったのは、文学にかかわる人間たちが自分たちの仕事を「正業」だと思い始めたからである。

文学部がダメになったのは、看板を「現代文化学部」とか「国際情報学部」とか「人間総合研究学部」とかつけかえると「正業らしく見えるんじゃないか」と思ったというような「浅はかさ」ゆえである。文学はどう転んでも「正業」にはならない。

胸を張って「文学してます」と言えないという、この「疚しさ」が文学のたったひとつの「いいところ」なのである。かつて文学が君子の必須であったのは、ヒエラルヒーの上層にいる人間には「自分はこんなところで、こんなことをしている資格がほんとうにあるのだろうか?」という切実な懐疑に囚われていることが必要だからである。

「私にはこれらの権力や財貨や文化資本を享受する『資格』がある」と思っている人間には絶対に権力や財貨や文化資本を与えてはならない。これは万古不易の人類学的ルールである。そんなことをしたら「交換」が停止してしまうからである。

「貸し家と唐様で書く三代目」というのは、文学が「没落の装置」だということをみごとに言い表した俚諺である。そして、「没落のための装置」は穏やかで余情のある社会的流動性を担保するために必須のものなのである。

関川さんが基調講演で繰り返し強調したのは「文学はある種の“醜業”だ」ということである。まともな家の子どもが就くものではない。それでも「やりたい」という子どもは文字通り「自己責任」において文学をやるしかない。そういう条件を課してはじめて「文学をやることの意味(というよりは社会的な無意味さ)」について熟慮する仕事が始まる。

今の日本で「文学部」の看板を掲げているということは、「私に生きる価値はあるか?」という問いをおでこに貼り付けて生きているようなものである。こういう問いを引き受けて生きる「狂」の人が社会には一定数(一定数で十分だが)必要である。ほとんどの大学から文学部が消えて、いくつかの文学部が残る。そこで人々は「私たちには生き残っただけの理由があるのだろうか?」という重い問いを抱えて生きている。そういうのが「好き」という人たちだけが文学部に集まってくる。心温まる光景である。

「美とは痙攣的なものだろう。さもなければ存在しないだろう。」
La beauté sera convulsive, ou ne sera pas

というのはアンドレ・ブルトンの『ナジャ』の最後のフレーズだが、この「美」は「文学」に置き換え可能だと私は思う(昔、このフランス語を「美とは痙攣的なものだろう。さもなければ痙攣的でないだろう」と訳してげらげら笑うというのが竹信くんと私の間のお約束であった・・・合掌)

長い引用になってしまった。1文ごとに改行されている文章なので、例によって適当に編集させていただいている。キーン先生によれば、日本語にはパラフレーズ(段落)の概念がなく、一つの長い文句(センテンス)になる傾向があるのだそうだ(「古典を楽しむ」、162ページ)。本ブログは、文は短く切ってあるが、どんどんつながっていっているのかもしれない。

文学部でどんなことを勉強しているのか知らないので、文学がどんな学問かはよく知らない。高校の現代国語や古文・漢文の授業を想像してしまうのだが。文法理論や言語学であれば、学問かもしれない。ある程度の客観性があるから、科学的だからだ。文芸批評や詩歌・小説を書くのは主観的な作業だから、学問ではないだろう。学問を超えている。それでは、文章の読解は実際のところ客観的作業だろうか。おそらく客観と主観の境目にある。もっとも学問が主観であってはならないかというとそうでもないだろうと思う。そう言ってしまうと論理が破綻してしまうか^^;)

文学に負い目を感じるのはあまり良い趣味とは思えない。言語的想像力こそが、客観を超えるのだから。文学は科学さえも吸収していくのではないか。単なる小説などを読むのが文学ではもの足りない科学の時代なのである。小林秀雄の「感想」は現代物理学を吸収しようとしてしきれなかったかもしれないが。デカルト以来、人文諸科学は合理主義を取り込もうとし続けたのかもしれないが、まだそこに答はないのかもしれぬ。

「文章日本語が成熟したのはいつか」という司馬遼太郎の質問に三日考えて昭和33年と桑原武夫は答えた。地球物理学者の西堀栄三郎に「南極探検の越冬隊長としての体験を書いて社会に報告すべきだ」とすすめたとき、「理科系だから書けない」と答えたのに対して、週刊朝日を読めば書けるといったのがその頃なのである。実際、3ヶ月で書けるようになったのだそうだ。週刊朝日は大正末年から発行されているのだが、週刊新潮が出たのが昭和31年で、出版各社が雑誌に参入して、だれでも参加できる文章がはんらんしたということなのだそうである。文学の日本語と誰もが参加できる日本語にはどのように違いがあるのだろうか。

ドナルド・キーン著「古典を楽しむ 私の日本文学」(朝日選書、1990年)に、「日本の散文の第一の特徴を一つだけにしぼろうとすれば、主観的である、ということではないかと思います」とある。「源氏物語」は本質的に現代的であり、なぜかというと主観性を持っているからである。キーン先生は「源氏物語」は世界最古の小説であると考えておられる。それは小説は主観性を持っているべきと考えているからである。主観性があるかどうかは内面的に人間が描かれているかどうかで判断される。単に行動が記される神話・物語を小説と見做していない。

科学は客観であり、人間を含まぬ世界を記述するのには適しているが、そのままでは大概おもしろくない。それを超えた物語・小説を僕は読みたい。

話は変るが、先の桑原武夫先生の日本語の成熟の話は、司馬遼太郎、ドナルド・キーン著「世界のなかの日本 十六世紀まで遡って見る」(中公文庫、1996年;原著: 中央公論社、1992年)の「5 日本語と文章について 文章日本語の成熟」にある。その後の部分に、次のようにある。江戸時代に書かれた原資料を読むのは難しいという話がTSNETで出たので参考までにメモしておく。

キーン

・・・

わたしは漱石以前の江戸時代の文学を読むと、はっきりしたイメージをなかなか受けないことが多いのです。あまりいい例ではありませんが、たとえば、だれでも読めるような文字で書かれているものはいい掛軸ではないんです。なるべく難しい、だれも読めないような字が尊敬されます。あるいはどこかの喫茶店に行くと、壁に映画俳優とかの書いた色紙がありますが、なるべく読めないような字で書いています。それが"芸術的"なのです。普通の、だれでも読めるような字だったら、掛けずに捨てるかもしれません。

江戸時代の文学にも、そういう装飾的なものがいっぱいありました。近松の文章を読みますと、意味をもっと複雑にすることがありますが、そうでなくて、ただ文章をきれいにしている。浄瑠璃を聞く人は、意味がよくわからなくても、だいたいこういうムードだ、ここで悲しんでいるとか、憂鬱になったとか、そういうことはわかります。しかし、分析しようと思ったら、非常に難しい。とくに「道行(みちゆき)」のような文章だったら、きわめて難しいです。当時の聴衆は、聞いてわかっただろうかと思います。

司馬

私もそう思います。

(139ページ)

用語法に多少問題あるかな。単に科学と言う場合には「自然科学」を指す。

更新: 2009-02-08T19:05:50+09:00

[文学] 新世界恐慌

今朝、出掛けようとドアを開けると、微かに雪が舞っていた。この冬二度目の雪。外気温2℃。帰宅時は4℃。寒い日だった。胸焼けの原因に逆流性食道炎という病名が付き、確認のために10年ぶりぐらいに胃カメラを鼻から入れてみた。薬が効いたせいもあってか、食道にもまったく問題は認められない。昔胃カメラを飲んだ原因だった胃潰瘍もきれいに直っている。逆流性食道炎は内臓脂肪が胃を押し上げているのが原因とのご託宣に長年サボっていた筋力トレーニングを再開。スクワット50回×2セット。腹筋と足上げは不十分だが20回ずつはなんとかこなす。運動はやはり体調にプラスだ。筋肉が痛いけど、いいね。この調子で行こう。でびろぐ: 文学部では、どんなことを勉強しているのか?ネタ。でびさんの文学と科学記事に対するコメントに今日気がついた(^^;)

20世紀の前半は大変な時代だったし、アインシュタイン、ゲーデル、シュレーディンガー、ハイゼンベルク、ディラック、ノイマンなどが出てきたすごい進歩があった時代だったことを今更ながら思っている。世界恐慌も20世紀前半だったし、世界大戦も2度あったわけで、生きていた人は大変だったろうと思う。ルネサンスから現代までをもっと詳細に辿ることが必要だろうと思い始めた。新世界恐慌のただ中で・・・

最近、読み始めたのが、デイヴィッド・バーリンスキ著「史上最大の発明アルゴリズム - 現代社会を造りあげた根本原理」(早川書房、2001年)。ようやく読む気になった。そして、間宮陽介著「ケインズとハイエク <自由>の変容」(ちくま学芸文庫、2006年;原著: 中央公論社、1989年)。昨日、情報プラザから帰りに買って来たのが、養老孟司/竹村公太郎著「本質を見抜く力 環境・食料・エネルギー」(PHP新書、2008年)。養老先生も先は長くないなんて弱気は払拭、俄然やる気を出した本。新しい仕事を見つけた。

人文諸科学に含まれるもの。文学、歴史学、経済学、法学、民俗学、考古学、哲学、社会学、言語学、美学、心理学・・・あっ、政治学もあるかな・・・

更新: 2009-02-18T22:16:50+09:00

[雑誌] 日本語は亡びるのか

中央公論2009年3月号「特集 日本語は亡びるのか 水村美苗/蓮實重彦/東浩紀」ネタ。借りていた「ライプニッツ著作集 第10巻」(工作舎)を南区図書館に返却にいった。中央公論を調べると、いろいろとおもしろい記事があるので紀伊国屋で購入するかとゆめタウンに向かった。「がんで死ぬ県、治る県」という趣味の悪いタイトルと暗いタイトルばかりの表紙に辟易しながらも、中味を読んで購入決定。

買おうかなと思ったのは、蓮實先生の話が飛んでいておもしろかったから。「『反=日本語論』の余白に」というタイトルでインタビューが掲載されている(226-233ページ)。「いまなお続く苛立ち」という節には次のようにある。

日本語でも何語でもかまいませんが、個々の言語を超えた、いわゆる言語への接近と、言語による拒絶とを同時に生きることから文学は生まれます。例えば、夏目漱石に『文学論』がありますが、これは日本文学論でもイギリス文学論でもなく、より普遍的な文学をある程度抽象化した形で論じている書物です。それと同じように、日本語とかフランス語とか英語とか、日々使われている具体的な国語とは異なる領域に、より普遍的な言語というものがあり、優れた作家や批評家は、自分の国語を通してその言語に触れようと躍起になっている。

ところが、当時流行していた日本語論は、それを国語としての日本語論に閉じ込めてしまい、人間にとってより普遍的な言語体験には触れまいとしている。それらは言語の手前で日本語をあれこれ扱っているだけなのです。

それよりも、例えば『反=日本語論』で言及した大岡昇平や藤枝静男といった小説家たちの実践は、われわれを日本語の中に遊ばせるのではなく、「それを超えた」といってしまうと語弊がありますが、より普遍的な言語そのものに裸で向き合わせてくれる。文学にはそういう役割と機能があるのです。

個々の正しい日本語、美しい日本語というものは、それはそれで快いかもしれませんが、われわれが話したり書いたりすることはまぎれもなく言語活動なのであり、それをたまたま日本語でやっているだけなのです。ところが、日本語を論じる人のほとんどが、書いたり読んだりすることを言語体験として生きてはおらず、巧みであったり稚拙であったりする日本語操作の問題としか考えていない。そこにわたくしの大きな苛立ちがあったし、それはいまでも続いている気がします。

(蓮實重彦著「『反=日本語論』の余白に」、227-228ページ)

ここまで言うからには普遍語論みたいなものが必要だなと思う。それが『反=日本語論』にあるのかもしれない。一度読んでみよう。Rakudo Perl 6はParrot上の普遍語たらんとしているわけだが、Parrotの持つ言語要素を駆使してコンピュータ言語としてあるべき姿を可能なかぎり体現した言語として登場するのだろうと思う。

蓮實先生の話で飛んでいたのは、英語が普遍語となることによって、イギリス語やアメリカ語が亡ぼうとしているという指摘。例えば、最近のニューヨーク・タイムズの英語は感心するようなものではないらしい。そして、優れた英語話者は他のヨーロッパ諸語や日本語・中国語からも情報を得ているという指摘。バイリンガルではとても足りないというわけだ。


更新: 2009-02-15T22:26:48+09:00

[Media] GLOBE = Newspaper + Web

「新聞だけど新聞じゃない」--朝日新聞GLOBEの取り組み:ニュース - CNET Japanネタ。ちょっとおもしろい。

朝日新聞の新紙面|朝日新聞グローブ (GLOBE)、Webサイトのデザインも斬新だ。ハイブリッド新聞、新しいメディアとなるか。楽しみ。

[Media] Amazon Kindle

朝日新聞グローブ (GLOBE)|Media Watch--メディア最前線 スティーブン・レビーネタ。

スティーブン・レビー氏は何か誤解しているように思える。KindleにできることはWebブラウザでもできるようになるはずだからだ。どのような形態にせよ、なぜ、本や新聞を読むためだけにPCやケータイ以外のディスプレイを持つ必要があるのか、ユーザーを説得することは困難だろう。ユーザーは既にケータイでマンガや小説を読んでいるのだ。そして、エネルギー・森林資源問題は残るが、紙は石油と違って再生可能なのである。

ジョブズ氏の逆説的な話は笑って読むべしということだろう。もともと本を読まない人を対象にした商品じゃないんだから。メディアは死につつあるわけではなくて、多様化しているだけだ。本や新聞・雑誌の紙媒体はテレビやビデオゲームなどのディスプレイ型メディアにそのマーケットを侵食された。そして、テレビはWebというマルチメディアに取って代わられようとしている。

紙とデジタルデータと両方あると大変便利だし、様々な読み方ができるだろうと思う。ハイブリッド型メディア「GLOBE」が成功するかどうかは大変興味深い。ディスプレイで読む場合は、適度な長さが必要だ。その時の気分によるのだが、3ページぐらいまで。あまり長いと印刷物で時間と場所に制約されずにゆっくり気儘に読みたいと思ってしまう。GLOBEにある記事も長すぎるものがある。月2回なら雑誌にするべきでは・・・朝刊に挟み込むというのは、朝日新聞自体の販促のためか。日曜版のような特殊な形態のものを出せる能力を活かしてということか。GLOBEだけ読みたいのだけど、そういう選択肢も欲しいね。

更新: 2009-02-14T14:48:47+09:00

[宮崎駿] 次回作

2008年12月22日 スタジオジブリの鈴木敏夫さん_Tokyo Midtown presents The Lifestyle MUSEUM__vol.38 ネタ。

たまたま東京FMのポッドキャストを調べていて、ピーターバラカンの「Tokyo Midtown presents The Lifestyle MUSEUM」の上記番組を聞いていると、「崖の上のポニョ」の興行成績が「ハウルの動く城」を少し下回っていることを知って、宮崎駿先生が次の作品を作ると言い出されたのだそうだ。まあ、それは取って付けた理由で、そうでなくてもきっと作ると言い出されたような気がする。

観客を動員するためには全世代に受けるものを作る必要があるんじゃないか。狙って作れるものかどうかは定かでないが、「ポニョ」は子ども向けだから、小さな子や孫を持っている世代と宮崎ファンが動員されることになったはずだ。しかし、宮崎アニメファンの中には子供向けの内容だなと躊躇して見に行きそびれた人も多かったのではと思う。

次回作がどんなものになるか楽しみだが・・・さて。


更新: 2009-02-12T20:53:23+09:00

[Mobile] モバイルの運命

アスーステック、「Android」搭載のネットブックを開発中? : UMPC/ネットブック - Computerworld.jp「スマートフォンを次世代PCに変える」MSの新戦略、特許申請で明らかに | WIRED VISIONネタ。

この二つの方向性はいずれもPCを究極のモバイルマシンにするのではないかと期待される。モバイルマシンは本格的なPCとなる運命にある。

[マイクロソフト] Visual Web Developer 2008 Express Edition

MSのVisual Web Developer 2008 Express Editionをインストールしてみた。

Silverlight2を試してみようと思ったのだが、こんな統合環境は敷居が高すぎる。そう思うのがわかっているのについついインストールしてしまう。

ついでにオプションをチェックしたせいか、SQL serverが動いていた。なぜかMySQLに接続するデスクトップCGIがエラーになるので気がついた。Apacheのerror.logを調べるとMySQLデータベースに接続できていない。タスクマネージャでプロセスを調べるとmysqlがなくて、sqlserverが動いている。サービスを調べるとMySQLは停止状態。SQL serverを停止して手動に切替えておく。MySQLを起動。問題解決。インストールするだけで勝手なことをするのは困るね。

それはともかく、手軽にFlashみたいなテクノロジーを勉強する方法はないかなあ。もち、フリーでだけど^^;)Flashがいいのかねえ、それともSilverlight。iPhoneでC#アプリが審査に通るワケ - @ITを読んでSilverlight2に触ってみようかと思ったのだが・・・



更新: 2009-02-05T22:56:44+09:00

[Parrot] ファイナル・カウントダウンが始まった

Parrot 0.9.1 "Final Countdown" released! - nntp.perl.orgネタ。

3月1.0リリース予定。

[Perl] Rakudoは第3ウィークエンドに出る

Planet Perl Sixネタ。

Parrot 1.0は3月の第3火曜日に出て、続いてその週末にRakudoが出る予定。

[プログラミング言語] トレンドを追うな

「2009年はトレンドを追うな」――小飼弾氏が講演 - @IT

20%で稼げというのは真理かもなあと思う。それぐらいで食えれば、将来への投資に時間を使えるということになる。

[ロボット] ロボット工学 - 我考えず、故に我あり

爆問学問、ロボット工学、三浦宏文のロボットの虫。

本能は機械か。


[RSS] CoolirisとMedia RSS

帰宅時の外気温は16℃。寒いという感じがなくなってきた。ImageMagickネタでTSNETスクリプト通信第4号の記事を書こうとしている。

CoolirisのサイトのSimple & Quickで作るXMLを使わずに、Media rssを使うFull Featured(Cooliris | Discover More)の方法でXMLデータを作成する。もちろん画像の加工とRSSの生成のためにスクリプトを書いた。

Media RSSでは元画像(960x1280)とサムネイル(240x320)の両方をセットしているので、拡大しても画質が劣化しない。本ページにセットしているので、CoolirisのAdonをインストールすれば見ることができる。

../jpg/cooliris_2009-02-13.jpg1月、街に歩いて出る(Coolirisサムネイル画面)

../jpg/cooliris_2009-02-13EL.jpg1月、街に歩いて出る(Cooliris拡大画面)

../jpg/montage_2009_01.jpg1月、街に歩いて出る(ImageMagickモンタージュ)


更新: 2009-02-15T20:28:48+09:00

[Ruby] 未来の言語

今日の最高気温は広島で21.5℃、夏日になった地域も出たようだが、冬に夏日とは、今年の夏が思いやられる。昨年でさえ、暑い夜に疲れ果てたのに。未来の言語は「APL」? Rubyのまつもと氏が講演 - @ITネタ。

Erlangの本も書棚の高いところに収まったまま。Haskellにも興味はあるが、いずれもそれで何をするのか、したいのかという実用実践的なレベルの答えが自分自身にない。結局コンピュータを動作させるのだから、動作するのがコンピュータである限り、できることがそれほど変るわけではない。Pugsを生み出したHaskellの生産性の高さについては一度は調べておく必要があるだろう。

MAKE: Japan: FLARToolKit - Flash対応ARToolKitのflartoolkitのソースを調べようとし始めたのだが、まだパッケージやドキュメントが提供されていないし、かなりのファイル数なので途中で挫折^^;)

最近では、CPUとGPUが似たものになってきたような話を最近読んだのでそうでもないかもしれないが、プログラミング言語は何を処理するのかによって最適なものが変るのかもしれないと思っていた。数値計算、テキスト処理、グラフィックス処理の三つぐらいに分野が分けられると思う。グラフ処理、表処理、帳票処理も組合せではあるかもしれない。FORTRANやCOBOLの話もおもしろかった。ユーザー知識やライブラリ資産の問題もあるわけだ。

Rakudo Perl 6/Parrotでは、C言語を各種のプラットフォームへの移植のためのプログラミング言語として位置づけている。OSやハードウェアに密着したプログラミングをする場合はC言語が標準というわけだ。ハードウェアという身体とOSという神経系をどのように操作して、計算や表現を実現するのかの基本的な機能を実装する。その上で動作する言語はメタ言語である。実装された機能を組み合わせて、ある種の思考や思想を表現する。その表現のしやすさとパフォーマンスが言語選択の基準である。

未来の言語は、分散処理・並列処理に適した言語なのか、得意な処理によって、場合によって使い分けるのか、もっと哲学的な思索のための言語であるのか、はてさて・・・

更新: 2009-02-15T11:48:51+09:00

[科学] ノーベル賞、嬉しくないといった理由

益川敏英著、「受賞手記 ノーベル賞、嬉しくないといった理由 路上と喫茶店が書斎。僕はひたすら歩いて考える」、文藝春秋、2009年3月号、138-147ページネタ。是非みんなに読んでもらいたい。

特に「日本の科学はどうなる」の節。

われわれの世代は、日本は資源がない小国なんだから、科学技術で生きるしかないと思っていた。戦争にも負けた貧しい国だった。そういう条件のなかで、俺達は頑張るぞ、世界のなかで、日本は科学立国で生きていくんだ、という思いを共有していた。だから学問をするうえでも覇気、がむしゃらなパワーがあったんです。

でも今は社会全体にそういう覇気がなくなっている。資源がないから科学立国だと言わなくなりました。

ずいぶん前から、アメリカでは白人のエリート学生はみな儲けるために経済・金融関係にすすみ、自然科学をやっているのは留学生ばかりだといわれていました。日本もそうなりかかっているんです。

つまり理科離れには経済が絡んでくる。いまの社会的な風潮のなかで、科学立国と金融立国、どちらが若者により魅力があるのか、というところから議論しなければ、単に理科や算数の教育が悪いなんていっても意味がないと思います。

しかし、去年の秋から世界的な経済危機に襲われて、アメリカ型の金融立国モデルが崩れた。環境問題もあるし、逆にふたたび科学立国へのモデルチェンジが起きるかもしれません。今回のノーベル賞が、それに少しでも役立てばいいのですが。

[千夜千冊] デザイナーの未来派

『モノからモノが生まれる』ブルーノ・ムナーリ 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇ネタ。

久し振りの千夜千冊ネタ。アキバ系!電脳空間カウボーイズ: 【ヨーロッパ特番】電脳空間カウボーイズ in ヨーロッパを聴きながら、ムナーリを調べた。イタリアのWikipediaの外部リンクを辿ってみると雰囲気は掴めるが・・・著作に当たってみるかな。


[知的生産の技術] 仕事耕具

USBメモリーとふせん紙が合体したなんとも不思議な製品が登場 - スラッシュドット・ジャパン経由、仕事耕具:USBメモリと付せんが合体した「USBメモ2リー」 - ITmedia Biz.IDネタ。

えーっ、どんなもんなんだろうと見て、絶句!?^^;)

[TS Network] TSNETスクリプト通信第4号刊行するも改訂中

さて、お約束の第4号、2月末刊行。なんとか予定通り刊行したが、自分の文章を含め改訂中。しばらくお待ちくだされ^^;)

今号は、Copalの海鳥さんからRuby記事を投稿いただいて、大変うれしかった。maze.rbを動かすと、見事にPostscriptで書いた迷路が生成出力された。Postscriptの名前はデスクトップパブリッシングとともにずいぶん昔から知っているが、その中味について真剣に考えたことがなかった。今回は大変良い機会をいただいたと感じている。

[TV] 目覚めよ身体

ETV特集「目覚めよ身体 感覚の宇宙~メディアアーティスト岩井俊雄の特別授業」、チャンネル :教育/デジタル教育1、放送日:2009年 2月15日(日)、放送時間:午後10:00~午後11:30(90分)ネタ。

作るのは楽しい。そんな感覚をWebにも持ち込みたいと思っている。


[Unix] 今、何時!?

Happy 1234567890! - Engadget Japaneseネタ。

おーっと思って、試したが過ぎていた^^;)

C:\Scripts\Perl>perl -e "print time"
1234597608

[天候] 大暖冬に読む文藝春秋の3月号

今朝は7℃。さすがに冷えてきたが・・・北極圏の気圧が低いと寒気の吹き出しが弱くなって暖冬。既に冬が終わっているという気象庁の解説だが、月曜日ぐらいから寒くなる!?文藝春秋の益川先生の受賞手記に感動したものの、未曾有の難局に陥った世界は変らない。サイバースペースカウボーイズや任天堂・楽天、インドのIT業界などは悪くない感じだが、この状態は維持されるのだろうか。振り込め詐欺に振り込むお金があるぐらいだから、日本はまだまだ大丈夫?^^;)

しかし、文藝春秋3月号には未曾有の危機に関する様々な記事が満載だ。背筋の寒くなる記事も。これらの記事を読んで、適確な情勢把握は可能なのだろうか。

次の部分は引用しておこう。

その上で今回の危機では、金融資本と産業資本の関係において、金融資本の二つの負の側面が露呈しました。第一が短期的な資金回収に走ったこと。本来、金融資本は産業活動を円滑にするための潤滑油の役割、いわば黒子の存在だったはずです。その役割をいつの間にか逸脱して、自らが主役に躍り出ようとして世界中に大混乱を巻き起こした。

そして第二が、モノやサービスといった価値を創造する企業をも売買の対象とする態度を鮮明にしたことです。M&Aといえば聞こえはいいんですが、一部の金融資本が行った、企業をモノであるかのように右から左に売り抜ける行為は、やはり許されるべきことではありません。おそらく多くの金融資本の間で反省が生まれているはずです。今回の金融危機によってこの金融資本の負の側面があぶりだされたことは、不幸中の幸いかもしれません。

(三村明夫著「緊急提言 「よい赤字」で日本を復活させよ 不況は必ず終わる。根拠なき悲観論からは何も生まれない」、119ページ)

以上のように反省も適確なこのインタビュー記事の内容は、今後の日本の進路を指し示していると思った。この方は新日本製鉄会長・日本経団連副会長か、・・・日本もまだ大丈夫かなと思わせる人だ。説明がわかりやすいし、なるほどと思ってしまう。

やらねばならないこと。

昼前には気温が12℃まで上がっている。少しすっきりして暖かい気持ちになってきた。

更新: 2009-02-21T12:22:53+09:00

[Windows] Windowsのオープン化

Windowsはオープンソース化すべきである - スラッシュドット・ジャパンネタ。

このタイトルを見て連想したのが、NT互換のフリーなOS最新開発版「ReactOS 0.3.8」 | パソコン | マイコミジャーナルの記事。Frontpage - ReactOS Websiteで、ユーザー登録だけは済ませたが、ダウンロードには至らなかった。α版だし、ReactOS 0.3.8 - 糸且之入Eヨ言己によれば、まだ日本語を取り扱うには問題があるようだ。

連想しただけ・・・Linux+Wineと違うのはデバイスドライバを新たに開発しなくてもよいということなんだろうけど。もうOSの時代ではないような気はするが。Linuxが実用的なものになった。そしてクラウド・コンピューティングが現われた。だからこそ、オープン化の話も出るのだろう。

クラウド・コンピューティングの話は最近多いが、何を指しているのか、一般ユーザーにはよくわからない話、本当にクラウドだ。Webサイトの画像データのファイリングをPicasaやFlickrなどのWebに求めるとかはある程度の合理性はあるがねえ。コンピューティングを人に依存するのは自分の思考を他に依存するようなものだ。まあ、それもまた一つの選択肢ではあるかもしれないが、自ら制御しなくてはならないだろう。

更新: 2009-02-07T13:34:11+09:00