[Amazon] Echo販売開始 - 招待制の購入リクエスト

Amazon Newsroom - Amazon、 日本語対応のAlexa、最新のAmazon Echo、Echo Plus、Echo Dotを日本で販売開始ネタ。昨日、申し込み受付中のメールが届いたので、早速、Echo dotの購入を申し込んだ。プライム会員は3,980円で購入できる。

招待してもらわないとどうしようもないわけだけど。13日(月)から出荷開始。プライム会員は、17日中までに購入すれば(招待制の購入申し込みが完了していれば?)、プライム特典を受けられる。招待のEメールが来るのは数週間のうちにと書かれていた。

一番、試してみたいのが、Googleカレンダーへの予定の追加や読み上げ。これは便利だと思う。

[拡張現実] Vrvana

Apple acquired augmented reality headset startup Vrvana for $30M | TechCrunchネタ。

ARがどこまで具体的に使われるか、興味深いけど。アップルの魔法に掛かれば、普通の消費者に届くようなものになるのだろうか。

デモビデオ見るべし。Bertrand Nepveu (VRvana): Creating Content that Blends AR & VR (Lessons Learned) - YouTube

[アート] ヴラマンク展 - ひろしま美術館

昼から出掛けた。「日本人の愛した ヴラマンク展 ~絵画と言葉で紡ぐ人生~」。ヴラマンクはVlaminckと書く。

パンフ・チケット半券・出品リスト

../パンフ・チケット半券・出品リスト

ゴッホを敬愛していたというだけあって、筆遣いがゴッホ的という感じがする絵が多い。また、透視図法で描かれた両脇に建物や樹木がある通りの絵がたくさんあるが、横尾忠則のY字路連作を思い出させる。Y字路の場合は逆に拡がっていくのだが・・・


正面入り口横、中はミュージアムショップ

../正面入り口横、中はミュージアムショップ

ショップの奥のガラス窓越しの向こう側に本館ホール、庭の紅葉や屋外展示の彫刻などが覗いている。


本館ホール

../本館ホール

円筒形のホールの周囲に展示室が並んでいる。四つの展示室は常設展に使われる。ホールではミュージアム・コンサートやトークなどが行われる。


1907年にセザンヌの回顧展が開かれ、その影響を受けてキュビスムが生まれる。最初は影響を受けるが、数年でそこを脱出していく。第1章に展示されているのは1907年以降のセザンヌ期の作品から。「私は生涯、言葉やペンでは表すことのできない、この気持ちを色彩を使って、時間の流れを止め、カンヴァスに定着させようと試みてきた。」

第2章は第一次大戦後、1918年、ラ・ナーズに転居してからの時期。「われわれは芸術から現実世界を切り離すことはできず、死に至ることでしか、肉体から魂を切り離すことはできないのである。」

第3章は1925年、リュイエイユ=ラ=ガドリエールへ転居してから。文章がいろいろと絵と一緒に展示されていて、その文章の指し示すものは、「規則や理論ではない、絶対的な必要性の確信があるものだけ描く」ということ。

最後、第4章、遺言。1958年春の晩年の12のリトグラフが並んでいる。実際、黒を基調とした暗い色彩だが、有彩色の部分は油彩よりも色が鮮やかで明るい。「画家は発明家ではないし、絵画は発明であってはならない。本当に個人的でオリジナルな表現は稀である。たいていの場合、芸術家、いや人間というものは、すでに使用されたやり方、どこかで見たことがあり、それを再利用するやり方、使い古されたやり方でしか、何ごとも行うことができないものである。内的様相をそれ自体の深みから表現し、人々に理解してもらうことがいかに難しいことか!」(ARTS誌、1957.1.8)

更新: 2017-11-21T20:23:08+09:00

[ブログ] たった一人で、とことんやった男の話

2017-11-08 - shi3zの長文日記ネタ。

とてもいい話。広大ネタ。西田友是先生。

[本] ブックカフェ 16 ミヒャエル・エンデ「鏡の中の鏡 - 迷宮 -」

起床時、室温17℃、足元の座ホットマットを点けて、しばらくすると20℃。昨日、車で近くまで送ってもらい、広島東洋カープのリーグ優勝パレードを終点の鶴見橋に近い場所で見てから、中央通りの交差点まで移動、北上、茶論記憶へ向かった。N先生も来られていて、NTSWJの5名。茶論記憶の個室の机は8名まで座れるので、5名ではゆったり使える。もう一人ぐらい増えても全く問題ない。

川面の鶴見橋

../川面の鶴見橋

比治山多聞院にお墓参りをしてから、比治山下の電停を渡って、平和の道経由で鶴見橋に向かう。


カープのリーグ優勝パレードがやってくる

../カープのリーグ優勝パレードがやってくる

平和大通り、鶴見町(西)交差点付近。昨年は11月5日だったので、今年はだいぶ遅い。エルドレッドなど外人勢がいないのが寂しかったが、鈴木誠也が元気な顔を見せた。


パレード後、中央通りに向かう

../パレード後、中央通りに向かう

みんな三々五々と散り散りに解散。平和大通りと駅前通りの田中町交差点の横断歩道が通行禁止なので、鶴見町から三川町の中央通りに行くのに一苦労。陸橋を渡るのが正解だった。昼間のドリミネーションの飾り付けの状態を初めて見た。


「鏡の中の鏡」は単行本、岩波書店の同時代ライブラリー(1990年、単行本: 岩波書店、1985年)、岩波現代文庫のバージョンが古書と合わせて流通している。現行の岩波現代文庫には解説がついているので、付加価値は高い。いずれも丘沢静也訳。ミヒャエル・エンデの父であり、シュルレアリスムの画家であるエトガー・エンデの口絵(扉絵)と挿絵、18葉が収録されている。訳者あとがきには「父エトガーの描いた絵十九葉をおさめ」と書かれているが、W氏がもとめられた単行本にある表紙の絵を含めての数と思われる。このシュールな表紙絵は、合わせ鏡の無限のつながりを暗示させる。合わせ鏡の表現ではないところがシュールなんだけど・・・論理的なものを外して表現するところがシュール、それは物語にも共通している。

「モモ」と「鏡の中の鏡 -迷宮-」

../「モモ」と「鏡の中の鏡 -迷宮-」

娘と家内が読んだミヒャエル・エンデ作、大島かおり訳「モモ」(岩波書店、1976年; 原著:「MOMO」、1973年)を引っ張り出してきた。僕自身は読んだことがない。この機会に読んでみよう。「モモ」と「はてしない物語」が児童文学としてはミヒャエル・エンデの代表作と言われる。「鏡の中の鏡」は最初は不評だった。当然だろうと思う。児童文学ではない、まったく大人の物語だ。

「モモ」のもくじの最後に「ミヒャエル・エンデ絵」と書かれている。


30の連作短編からなる。各短編に論理的なつながりがあるわけではないが、一種響き合うものがある。訳者あとがきには「そのつながりは、論理や因果関係の連鎖というよりは、むしろ音楽の進行に似ている。この本は、三十枚の絵からなる変奏曲と呼べるだろう。エンデじしん、『鏡の中の鏡』の迷宮は、建築としての迷宮ではなく、意識の迷宮であると言っている。」とある。

会話の中でW氏が取り上げられ、結果として、みんなで一緒にじっくり味わうことになったのは、12「すでに何世紀も何世紀も以前より・・・・・・」。4ページ程度の短編に過ぎないが、内容は複雑で豊かである。それは、慌ただしい現代、自分でざっと流し読みするだけでは得られない体験だった。W氏が何度も読み返したい本だという感想がなるほどと思えた。S氏も手元に置きたい本だと。短編なので一つ一つじっくり味わうことができるかもしれない。表現が視覚的で絵のように見えてくる。そこらも魅力である。

こまかな論理的な脈絡に拘っては読めない本。矛盾したことが一杯詰め込まれているのだが、それは一種の暗喩のようなものになっていて、それも単純なものではない。暗喩だろうと思うとそういう解釈・常識をさらに裏切っていく。なんといってもシュールなお話。それを愉しむこと。

16「この紳士は文字だけからできている。」、2ページちょっとの短編。この寓話の意味。短すぎて、ヒントは少ない。「汝の力をためせ!」というわけだが、結局、文字だけの存在では試せなかったということかな。無理してでも試したほうが後悔しなくてよいというお話。

その他、話題になって、僕が長めの短編ではおもしろかったと思ったのは、4「駅カテドラルは、灰青色の岩石からなる・・・・・・」と22「世界旅行者は、この港都市の・・・・・・」の二つ。

最初の1「許して、ぼくはこれより大きな声ではしゃべれない。」、2「息子は父親でもある師匠(マイスター)のすぐれた指導のもとで・・・・・・」は少し暗い感じがして、物語としての魅力が今一つ感じ取れなかった。この先どうなるだろうと思って読みにくい感じがしたので、WEBを調べた。例によって、鏡のなかの鏡―迷宮 感想 ミヒャエル エンデ - 読書メーターの感想を頼りに、感想に取り上げられているタイトルをまずいろいろと読んで、ペースを掴んだ。どれから読んでも問題はない。短いものからチャレンジするとよいかもしれない。当然のことながら、その世界に入り込まないとおもしろくない。読書には、それだけの余裕が必要だと思うこの頃。

最近、渋谷 シェアオフィス x コワーキング | Connecting The Dotsなどの話題に関連していると思われるのだが、スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学の演説が再び話題になっている。これが話題になった。帰宅してよく調べると、Connecting the dots ― スティーブ・ジョブズが信じたもの | ドイツ語通訳・翻訳 TOMOKO OKAMOTOの記事(2015年7月14日)を見つけた。スティーブ・ジョブズが言っているのは、「自分の直観、運命、人生、カルマ、たとえそれが何であれ、信じなくてはならない」ということ。いずれ点と点はつながり、道が切り開かれると信ずること。多くの人と違う道であっても、それこそが大きな違いをもたらすことになる。これは「Think different.」につながる話だと思う。Appleの原動力『Think different.』からの20年を振り返る | cloudpack.mediaを参照。この記事も今年の7月、新しい。

さて、次は「デュシャンが語る」。12月23日、12:00から。

その後、僕はT氏と丸善ジュンク堂に向かう。僕はInterfaceの2018年1月号が「高速&リアルタイムPythonの研究」となっているのが、昨日から気になっていた。それをチェックに。ようやく、Interface誌の在り処を探し出したが、まだ見当たらなかった。残念。しかし、一昨日から本の購入禁止令が出たので困っている。確かに既に一生かかっても読めない本が積読になっているかもしれない。

八丁堀から、運動のため、しっかり歩いて帰宅。

御幸橋から望遠で北北東、広島駅方面を見る。

../御幸橋から望遠で北北東、駅方面を見る。

南竹屋町から御幸橋西詰通りを南に下って、御幸橋を渡る。見えている橋は平野橋。二つの高層ビルは、左側がビッグフロント広島タワービル、右側がEkicity Hiroshima。


更新: 2017-11-27T19:51:30+09:00

[ビジネス] なぜ必要か、から始まる

iPhoneを生み出せなかった日本企業の「しくじり」を中島聡が分析 - まぐまぐニュース!ネタ。

そして、不可能を可能にする。誰かが既にやっていることをマネしてもダメ。理屈は簡単だが、これがむずかしい。

ベンチャー・キャピタルが必要だという話になるわけだが・・・

[クラシック] 音楽創生 - イェルク・デムス ピアノリサイタル

昨晩、「イェルク・デムス ピアノリサイタル」に出掛けた。はつかいち文化ホール、さくらぴあ小ホール。広島ドイツリート協会主催。僕はイェルク・デムス JORG DEMUS ピアノリサイタル (2014/11/29)以来、聴かせていただいている。今年で連続4年目だが、広島でピアノリサイタルが聴けるのは今回が最後という話。御年、今年12月2日に89歳になられる。1928年生まれ。

リサイタルのパンフレットとプログラム、チケット半券

../リサイタルのパンフレットとプログラム、チケット半券

休憩前に、予定されていたベートーベン:ソナタ 変イ長調 作品110は「ソナタ ホ長調 作品109」に変更し演奏されたというアナウンスが入った。


アンコールは、ドビュッシーの「月の光」、シューベルトの四つの即興曲op.90の第三番。家内は最初のバッハのパルティータ6番とアンコールの時は涙が溢れて止まらなかったとハンカチで目頭を何度も押さえていた。それぐらい叙情的で感動的な演奏だった。特に前半のバッハとベートーヴェンの二曲は圧巻で、音楽がピアノから次々に溢れでてくるような印象を受けた。それは、さくらぴあ小ホールの響きの良さと相俟って、録音ではなかなかわからない、生の演奏からだけ感じ取れるものだったかもしれない。音楽を聞かせるだけで人の涙腺を緩ませるような演奏とはなかなか出会えない。

休憩後は、デムス先生作曲のピアノソナタ、田園、op.19。1~3楽章までは譜面を見ながらの演奏。4楽章の「ひまわり変奏曲」だけは自ら譜面台を倒して、演奏された。その中の「星の夜」は星が瞬く様子を表現した、親しみを持てるだけでなく、複雑な構成を持つ曲だった。Jorg Demus - Wikipediaのドイツ語版には、Pianistだけでなく、Komponist、作曲家とも記されている。昨年は「ショパンに献げる」(Op.35)を演奏された。

プログラムの最後が、ドビュッシーの「Images II」(映像 第2集)。録音/アルバムを二種類見つけたが、手に入れるのはむずかしいか、LPの中古になりそうだ。

今朝から、デムス先生の演奏をApple MusicとAmazonで検索しては聴いている。

どこまで、それぞれのデータベースに入っているかは、いろいろと検索しなくてはわからない。「イェルク・デムス」、「イェルク・デームス」、「Jorg Demus」、「Jörg Demus」、「イョルク・デームス」などの揺らぎがどこまで検索システムが許容するのかもよくわからないから、あらゆる場合を試してみる。

Apple Musicの場合は、iTunesの検索からはあらゆる場合を試してもそれほど多くヒットしない。特に演奏者名ではヒットしない傾向がある。これはデータベースの問題のような気がする。なぜなら、ググるとよい場合があるからだ。外国のAppleサイトのApple Music Previewの検索結果が引っ掛かるのだ。そこからiTunesを起動するとキチンとアルバムは存在して再生できる。他で調べた特定のアルバムがあるかどうかは、iTunesストアでまず検索して確認するとよさそうだ。そこにあるものは基本的にはApple Musicで聴けるだろう。

Amazon Musicは、すべてがプライム・ミュージックで聴けるわけではないが、CDやMP3などを含めて検索するとどのようなアルバムがあるかははっきりする。

他にどのようなアルバムがあるかは、Allmusicか、最近使い始めたDiscogsのサイトが頼りになる。ヒット数では、Jorg DemusのDiscogsにおけるディスコグラフィが290件でトップ。Amazonのミュージックストアで190件。iTunesのストアで「Jorg Demus」で検索すると100件。

オーディオからは、デムス先生のバッハが流れている。Apple MusicのRadioで「イェルク・デムス」のチャネルを作ってみた。今日は一日中聴くことになりそうだ。

デムス先生のバッハのパルティータ6番を調べると、Jorg Demus - Bach's Instrumental Works - Discographyによれば、3回録音されている。が、最早、Apple Musicにはないし、Amazonからも手に入れることは不可能だ。昨日の演奏を聴けたのは偶然の奇蹟だったのだ。

ベートーヴェンのピアノソナタの30番(Op.109)は最後の三つのソナタの最初のものだ。デムス先生には、最後の三つのソナタのアルバムがある。「Beethoven - Les 3 Dernieres Sonates」(SAPHIR PRODUCTIONS, 1998,2006年)。これはApple Musicで聴くことができる。

更新: 2017-11-04T09:34:28+09:00

[クラシック] 広島交響楽団 in くらら アフタヌーン・コンサート

飯森範親指揮、ピアノ、萩原麻未さんの広響を聴きに、東広島芸術文化ホールくらら、大ホールに出掛けた。「くらら」は初めて。萩原麻未さんの演目はチャイコフスキー、ピアノ協奏曲第一番。超絶技巧とパワーを必要とする。本命はこれを聴きに。

東広島芸術文化ホールくらら正面玄関付近

../東広島芸術文化ホールくらら正面玄関付近

全体的な外観を撮るチャンスがなかった。東広島芸術文化ホール くららを参照のこと。


指揮者の飯森範親氏はコンサートに先立って曲目の解説を熱心にされ、ベートーヴェンの田園二楽章の小川のせせらぎの幅など、ベートーヴェンが散策した道の話などを加えて、田園が第五番「運命」と一緒の時期に作曲され、すでに当時ベートーヴェンは耳が聞こえなくなっていて、四感を使って作曲したと説明された。そういう時期だったのかと、ベートーヴェンの有名な境遇を思い起こした。

もちろん、まずは「くらら」の大ホールを褒め、オペラハウスのようで地方都市にあるホールとしては素晴らしいと。次に萩原麻未さんが一位優勝となったジュネーブ国際音楽コンクールがなかなか一等を出さないことで有名なことに言及し、素晴らしいピアニストであることをほめたたえた。そのため一曲目の「フィガロの結婚」序曲の説明は、フィガロの結婚がオペラだということ程度で付け足し後回しになり、聴衆は今日の演目は何がどういう順序で演奏されるのだったか、少し戸惑って、プログラムを見直したり、そばの人に確認することになった。それでもその熱心さに感銘を受けた。その活躍ぶりは、飯森範親 - Wikipediaに詳しい。僕は初めて知ったのだが、このタイミングで出会えたのは運がよかったと思う。活気のある音楽の世界が拡がった。

コンサート・パンフとチケット半券

../コンサート・パンフとチケット半券

飯森範親氏はアンコールのモーツァルトの交響曲第九番第4楽章の演奏の前にも、モーツァルトとベートーヴェンの違いを親しみやすく説明して笑いを誘った。モーツァルトが最初の交響曲を作曲したのは八歳、ベートヴェンは三十歳の時と早熟の天才と晩成の天才を対比させた。


そして、本屋大賞をご存知ですかという話題を出しながら、「モーツァルト交響曲全集」がCDショップ大賞2018 前期クラシック推薦盤に選ばれました!」の話で自らの売り込みも抜かりない。このシリーズは13枚のCDセットで53の交響曲が収録されている。山響CD│山形交響楽団│Yamagata Symphony Orchestraとの10年間の全曲演奏会「アマデウスへの旅」などの集大成となっている。

ベートーヴェンの交響曲に関しては、ドイツの交響楽団とCDを出していると話をされていたが、ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」&第4番: NORICHIKA IIMORI OFFICIAL SITE - 飯森範親オフィシャルサイト | discographyなどヴェルテンベルグ・フィルハーモニー管弦楽団と5枚のCDがある。

本命の萩原麻未さんのチャイコフスキーは、ピアニストの動きを通して、ピアノ協奏曲を聴くという体験だった。ああ、こういう曲なのかと初めて聴くような新鮮さを持った。アンコールで弾いた十八番、グノーのアヴェ・マリアのような柔らかいタッチとレガートの繊細さを本領とする人が、目にも止まらぬ早業と強靭さを持ってピアノに立ち向かう。凄絶な演奏だったとしか言いようがない。音楽の芸術性とパワー・音量の両方を満足させるギリギリのところが追求されていたのではと思う。既に単に美しいという領域を遥に超えた演奏だった。これは、先月のエリザベト音楽大学のリサイタルのリスト「パガニーニによる大練習曲 第3番 ラ・カンパネラ」でも感じていたこと。若い人はどんどん進化していく。素晴らしい。

更新: 2017-11-06T19:35:56+09:00

[クラシック] Afternoon Duo Concert

いい天気。19℃まで気温が上がる予想だったが、シャツにセーターだけでは暖かいとは言えなかった。エリザベト音楽大学まで送り迎えと自分の行き来で、3回の出動。アフタヌーン・デュオ・コンサート~二人でひとつに! Vol.2~へ。いつも止める駐車場は満杯だった。その先の駐車場に運よく一つだけ空きがあって停めることができた。ザビエルホールは満席ではなかったが、かなり埋まった。出演する17組34名の動員力によるものだろうけど。企画がうまい。200席ぐらいはあるはず。魚住恵先生が取りを務められた。

パンフとチケット半券

../パンフとチケット半券

ザビエルホールに今年は何度来たかな・・・四回目か!


7歳から70歳を超える幅の広い年齢層の出演者なんだそうだが、実際、みんなレベルが高い。いろいろな曲を聞かせていただいた。7歳とは言え、素晴らしい才能のある子どもさんがおられるものだと驚いた。音楽に魅力が感じられる。また、70歳を超えていても実力者だけに素晴らしい音楽が聴けた。自らも出演された小嶋先生のピアノにはその芸術性の高さに後から誰もが称賛しているようだ。

小嶋先生が最後挨拶されたのは、ピアノをもう一度弾いてみようと思う人を引き出すことが目的の一つなので、来年(次?)は是非応募してほしいと・・・次は何を弾こうかと共演者間で会話が始まっている。

今回のコンサートで演奏された連弾の曲の作曲者は、ドビュッシー、佐藤俊直、篠原真、チャイコフスキー、フォーレ、メンデルスゾーン、サン=サーンス、リスト、シューベルト、ビゼー・山田耕作・岡野貞一・中田喜直(大宝博編曲)、モシュコフスキ、バーンスタイン、ブラームス、ヨハン・シュトラウス2世、プーランク。連弾の曲もいろいろとあるものだと感心した。ピティナのコンクール、ピティナ・ピアノコンペティションの中には連弾部門もあるのだそうだ。

知らない作曲家、編曲者を調べておこう。佐藤敏直 :ディヴェルティメント | さわかみオペラ芸術振興財団 / The Sawakami Opera Foundation篠原 真| 指導陣紹介 | 大学案内 | 洗足学園音楽大学岡野貞一 - Wikipediaモーリッツ・モシュコフスキ - Wikipedia大宝 博 - Webcat Plus

更新: 2017-11-12T10:20:58+09:00

[CPU] メニーコア - Qualcomm Centriq 2400

Qualcomm、Xeonよりも省電力な「Centriq 2400」でサーバー市場に殴り込み ~サーバー向け初の10nmプロセス/48コアArmプロセッサ - PC Watchネタ。

48コア、48スレッド。Centriq 2460(48コア/TDP 120W)は1,995ドル。コストパフォーマンスは高いらしい。

[日記] パラノイアだけが生き残る

という、アンドリュー・S・グローブ、アンドルー・グローヴ - Wikipediaによれば、元インテル会長で昨年亡くなったのだが、もちろん、WikipediaがなくてもインテルのCEOを務めた人だということは良く知っているが、その有名な著作を購入するかどうか迷っていた。

本が有り過ぎるので、当面買わないけど・・・メモとして残しておこう。スティーブ・ジョブズもピーター・ドラッカーも絶賛とか。

だいぶ以前、調べてみると、原書は1996年の出版だ。和訳は最近復刊されて、再度話題になっている。「時代の転換点をきみはどう見極め、乗り切るのか」が副題。先の見えない時代に読まれるべき本というわけだ。ドラッカーを考えこませたというからにはいずれ読まずばなるまい・・・

更新: 2017-11-01T20:02:58+09:00

[日記] ストーリーテラー 2

外で風がヒューヒュー音を立てている。何かが倒れる音がした。どうも気温は上がらなくなったみたいだ。外気温17℃。ブックカフェ15で何が切っ掛けだったか、小鳥のさえずりは言葉の起源だという話をした。ずっと以前に取り敢えず日記に切っ掛けだけは残していた。ストーリーテラー (2014/07/01)。もう三年が経過している。

最近、シルヴァン・ヌーヴェル著「巨神計画」上下(創元SF文庫、2017年)を読んだ。「原稿段階で即映画化決定の巨大ロボット・プロジェクトSF!」という売り込みについ嵌ってしまった。「6000年前に何者かが地球に残していった人型巨大ロボット」の回収作戦を、主に「インタビュアー」との対話で構成する。それが最初の導入部は少し惹きつけられたが、後が、下巻になってもネタがいつまでも発展しないというか、それが最後に「続く」ということになって、あれあれというお話になった(このことについては、下巻にある解説、266ページで言及されている)。ここまで読んだので、続きも読むからキチンとしてね、みたいな・・・読書メーターかどこかでもそんな感想があった。

読書メーターの情報から調べると、The Themis Files - Sleeping Giants | Waking Gods | Only Human - by Sylvain Neuvelの「Sleeping Giants」が「巨神計画」に対応している。「Waking Gods」のタイトルからは「巨神計画」が巨神の回収作戦とすれば、具体的に巨神が目覚める物語と思われる。これを読みたかったのに・・・「設定だけはなにかおもしろそうだけど、中味がないというか、巨神再生のプロセスにおいて、なにが起こっているか、なにが焦点で、なにがおもしろいのかがよくわからない」と感じるのは読みたい部分をまだ含んでいないから。

下巻では、巨神の最後のパーツが集められ、組み立てられたとか、巨人が半径五百メートル以内のものを非物質化したとかということが断片的には語られるが、伝聞的な記載に過ぎない。リアルな感じがほとんどない。細部がない。

「巨神計画」上・下巻を並べる

../「巨神再生」上・下巻を並べる

この絵は内容を期待させるのだけど・・・もっと深読みすればおもしろいのかもしれない。


性格的には随分違うが、同じロボット物で「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」は尋常ではない想像力があって、期待に違わないストーリーを生み出していた。十夜一冊 第千百九十夜 ピーター・トライアス著「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」 (2017/01/19)。

ストーリーテラーという言葉を知ったのは大昔、創元推理文庫のあとがきあたりだろう。フレドリック・ブラウンは凄い小説家だと子供心に思った。これ以上の小説家はあり得ないのではとまで思っていた。後に、418夜『宇宙をぼくの手の上に』フレドリック・ブラウン|松岡正剛の千夜千冊で正剛先生が激賞(?)されているのを知って、我が意を得たりと思ったものだ。

正剛先生は「編集」との関連においてストーリーテリングを捉えておられるのだが、それは実用的な意味では当然として、物を語る切っ掛けは言葉の起源と関係があるはずだと思っている。無意識が意識化される瞬間と言葉の起源は関係がある。無意識に語り(聞き)たいことが意識化されないもどかしさを「巨神計画」に感じていた。もっとおもしろい話をしてよという感じがずっとしていた。それはどんな小説を読んでいてもある程度は感じることではあるが。ちなみに正剛先生は、フレドリック・ブラウンの小説のうち、ストーリーテリングを勉強する題材として、SF短編小説を勧めておられる。

ストーリーをどう語って聞かせて、読者を引き付けるかは、登場人物の魅力にも大きく依存する。主役たるべき「インタビュアー」にあまり魅力を感じられない。もっとも、そういう設定自体が主役足り得ないのかもしれない。謎の人物というが、その「謎」に魅力を感じさせない。このままでは状況がわかりにくいということもある。・・・さて、どうなるか・・・「Waking Gods」に期待するしかない。

それはともかく、ここで「小鳥のさえずり」と言葉の起源からもっとおもしろい話に展開できないかと考えているんだけど、ちょっと連想に無理が有り過ぎるので、止めておこう。そのうち何か言うかもしれない。

外気温が15℃まで下がってきた。竜王戦七番勝負第三局の前橋も風が強そうで、対局者が寒いと言われたそうだ。封じ手は49手目、羽生棋聖になった。さて、AbemaTVでは19時から続いて「魂の七番勝負」、トップ棋士と若手棋士の戦い、三浦弘行九段と増田康弘四段の対戦が放送される。超激戦ののち、増田四段の勝ちに。これで七番勝負のうち、六番が若手の勝ち。トップ棋士の立場がなくなりつつある。これだけ強い若い棋士がいるとは知らなかった。藤井聡太四段の話題からはじまって、こんなことが露わになるとは・・・

更新: 2017-11-05T08:36:18+09:00

[日記] 意識と無意識、そして意味論 - 心の中の辞書

日本シリーズは昨晩、ソフトバンクの4勝2敗で終了。サンデーモーニングのスポーツコーナーで伝えている。カープは秋季日南キャンプが11月7日から始まる。広島東洋カープ日南協力会 > キャンプ(春季・秋季)参照。ここで、将棋はともかく、野球の記事を書いていても仕方がないのだが・・・昨日、ストーリーテラーの古い記事を読んで、谷口忠大著「記号創発ロボティクス 知能のメカニズム入門」(講談社選書メチエ、2014年)を思い出した。十夜一冊 第六百六十夜 記号創発ロボティクス 知能メカニズム入門 (2014/07/13)で取り上げている。

帯には「ロボット研究を通じて心・意識の構造を解明する」とあって、その志を追い掛けてみたいと思った。ただ、困難な課題であることは間違いない。生命現象を解明することに通じる話だからだ。生命を作るのと同じレベルの話。手が届くようで届かない。実際にできること、現実と志との乖離は大きい。十夜一冊 第六百七十夜 ダイナミックな脳---カオス的解釈 (2014/07/13)の記事ではそのように考えた。

心とか意識とかの実体、構造のようなものが解明されるには、構成論的アプローチを取るにしても、心や意識がどのような構成・成り立ちになっているかの理論的な仮説が必要だと考えられる。記号創発という概念は、大変重要だが、素粒子論だというような気がする。

今、ここで述べていることは、思いつくままの、十分に個々の議論を検証したうえでの考えではなくて、印象批評のようなものであるので、それほど気にするほどのことではない。単に思考を進める、あるいは促すための仕掛けのようなものである。これまで本日記を発想支援型データベースと呼んだりしている。実験室 (2006/09/19)の記事を参照のこと。あまり真面目に読んではいけない。

(続く)

更新: 2017-11-05T12:16:10+09:00

[日記] 土曜日の朝 - Vu Ja De

ピーター・バラカンのウィークエンド・サンシャインが始まった。ボブ・ディラン。Slow Train Comingから、ライブかな。

ツイッターだったと思うけど、細野晴臣の新譜「Vu Jà Dé」を見かけたので、Apple Musicで聴いている。のどかでよいねえ。

さて、今日もいろいろといそがしい。

[日記] Rebuild Rebuild.fm

帰宅時外気温15℃。今朝は少し雨模様。しかし、寒いという感じはなかった。Windowsの天気予報を見ると、今週の土日は最高気温が10~9℃に下がることになっている。哲学茶会は寒くなりそうだ。Apple MusicのFor Youから、Let It Beが流れ出した。アコースティック・クラシックのプレイリストといっても、古典的ロックという意味だ。

Amazonのプライム・ビデオ、Person of Interestは抜け駆けして見ることは許されていないので、仕方なしにというか、クリミナル・マインド(FBI vs. 異常犯罪)を見ている。五つ星。これも人間性溢れるドラマになっている。探せばいくらでも見るものはある。ウォーキング・デッドをわざわざ見る必要もない。

毎日、通勤時はRebuild.fmを聴き直している。Rebuild Podcastの案内メールはエピソード99(2015/07/06)から届きはじめている。購読を始めたのがそこらへんからということ。調べると、Rebuild 96 - Swiftpocalypse (2015/06/19)で、Rebuild.fmというPodcastの存在に気付いている。このあと、エピソード1まで遡って全部聴いたが、最近のエピソード195までライブなどで全部聴いた保証がないので、もう一度遡り始めた。まあ、大体は聴いたことがあると思うのだけど、二度聴いても新鮮だ。聴けば聴いたことがあるという記憶が蘇るのだが、またすぐに忘れてしまう。記憶というものは頼りないものだ。

記憶は無意識の中にある。何かの刺激で意識に浮上する。樹木状の記憶ネットワークの先端が意識にあるのだろうか。意識の表面をスキャンすると、先端部から並行して無意識の中に下降して走査していく。なんていうモデルを考えた。心の中の辞書もそんな具合になっているはずだ。

ドリー・パートンのJoleneが記憶を刺激した。

更新: 2017-11-14T21:06:53+09:00

[日記] 遙かな旅

さて、本日記も二度目の変異を遂げようとしているのかもしれない。一度目は10年以上前に遡るが、2006年ぐらいに一度変化した。変化すべきかどうかと迷ったが、自然に任せようと思った。何がそうさせるのか、周囲、環境、社会が変化しているせいかもしれないし、それに伴って、自分自身が変化しているのかもしれない。後者の方が妥当な話だろう。脳内ネットワークが変化している。記憶が変化している。

将棋くらいは時事ネタとして取り上げているが、ハイテクネタは最小限、よほどのことがないと取り上げない。ほとんどSF化した世界。あらゆることが順列組合せでニュースになっている。例外的ではあるにしてもタイトルだけで惹きつける申し訳に書かれたほとんど意味のないニュースもある。本日記に一般的な意味があるのかどうかは別問題として。

ライフログということを意識したこともあったが、リアルタイムですべては書ききれないし、追いかけて書いたとしても書くのはほんの一部に過ぎない。なんのために書くのだということもある。最近は手書きもある。哲学茶会やヴラマンク展の記事は手書きのメモを参考にして書いた。手書きはおもしろいけど、検索性に欠ける。それが問題。日記にデジタル化すれば、手書きを後に参照することも可能だけど・・・

ジャクリーヌ・ブランカール(Jacqueline Blancard)のシューマンが流れている。子供の情景だろう。ドイツ語だけど。凄いピアニストだ。端正な音、静けさの漂う音・・・

iPadからGmailの着信音が響いている。海外からのメールだ。

明日といっても今日の朝だけど、ブランカールの演奏を探してみよう。

更新: 2017-11-23T08:40:33+09:00

[日記] More Music, More Mathematics.

なぜ、Jacqueline Blancardを知ったかというと、Schumann: Masterpieces for Solo Piano - Jacqueline Blancard, Alfred Brendel | Songs, Reviews, Credits | AllMusicをたまたま、Apple MusicのFor Youで見つけて聴きはじめたから。その時はAlfred Brandelの名前しか見えていなかったが、前半は、ブランカールの演奏だった。今、後半のブレンデルを聴いている。音のニュアンスはブレンデルのほうがはるかに豊かだ。ブランカールの音楽は自己主張があまりない。淡々と弾いている。そこが静けさにつながる。子供の情景に合っているのかもしれない。

森田真生氏の「数学する言葉」(新潮2017年2月号)を読んだ。これは「数学する身体」の続きのようなエッセイでもあるが、最初から自然言語と数学言語の本質的な違いを論じるなどしておもしろい。なるほどと思う。自然言語だけで頭脳をプログラミングするのは足りないか・・・

森田真生氏、新潮「数学」3連載

../森田真生氏、新潮「数学」3連載

早く続きが読みたいのだが、新年号に載ればいいなあ・・・


『「わかる」と「操る」』(新潮 2017年12月号)から「数がつくった言語」(新潮2017年6月号)に遡り、「数学する言葉」に到達したのだが、最近の連載の二つはエッセイというよりは数学史に近い。「数がつくった言語」では『カントの「直観」』の項で、「純粋理性批判」に関連して「数学的な知の総合性を支えているのは・・・直観において概念を構成するプロセスなのだ」というカントの認識論に言及し、哲学をも論じる。

『「わかる」と「操る」』の連載3の最後は「数学は誰のものか」という著者の問題意識が提示される。

リーマンの数学の抽象性が、無闇な抽象化の帰結ではないことはすでに見てきた。彼は、それまで信じられていた素朴な空間の概念が、実は経験的な仮説によって制約されていることを見抜いた。そして、そうした恣意的な仮説に制約される以前の空間として「多様体」の概念を構想したのだ。リーマンの抽象化は、起源へと遡行していくための抽象化である。

・・・

私たちは、カントが主張したようなアプリオリな空間の形式に囚われているのではなく、能動的な仮説形成を通して、主体的に空間の概念を構成できることができる存在なのだ。生きたこの身のまま、暗黙に信じてきた仮説の仮説性に目覚め、自ら別の仮説を生成していくことができるのである。

・・・

数学はひょっとするとこれからも、一部の専門家のための特殊な営みであり続けるかもしれない。あるいは、読むことや書くこと、計算することと同じぐらい、人間にとっての常識になっていくこともあるかもしれない。私が数学を主題に考え、書き続けている理由は、後者の可能性を考えたいからである。リーマンのように思考することが、小学生にとっても常識になることは、決してあり得ないことではない。

(『「わかる」と「操る」』、新潮 2017年12月号、「数学は誰のものか」182-183ページ)

まだ、森田真生氏の旅は続きそうだ。楽しみにして次回の報告を待とう。

ブラームスのバラードが流れている。アール・ワイルドというピアニスト。この人も名前は初めてだね。Brahms: Masterpieces for Solo Piano - Jacqueline Blancard, Bruce Hungerford, Earl Wild | Songs, Reviews, Credits | AllMusic。このアルバムはブランカールを含む四人のピアニストの演奏が収録されている。

[日記] のんきに将棋観戦しつつ

A級順位戦でも羽生棋聖は渡辺竜王を破った。藤井聡太四段は大橋貴洸四段(25)に棋聖戦第一次予選で敗れた。いずれも観戦はしていない。しかし、疲れた時は、深刻なドラマを見るより、将棋でもぼんやり眺めているのが、精神衛生上よさそうだ。AbemaTVの将棋チャンネルばんざい・・・

というわけで、今日は藤井聡太四段と高見泰地五段(24)とのC級2組第3戦を見ている。ググると、8月の録画、35勝目の対局。

とうとう、今日、アマゾンから、Echo dotの招待が届いた。早速注文した。久しぶりに新しい概念のデバイスが入る。音声認識にどの程度の実力があるんだろう。楽しみだね。

世界は危機的な状況だけど、身近にはなにほどのことも起こらず、時は過ぎていく。情報だけは、たっぷりある。消化するのに疲れてしまう。調べれば調べるだけ掘り下げられる。終わりがない。

17歳の天才高校生、人工知能の論文を発表──その頭脳がAIの進化を加速する|WIRED.jpの記事が気になる。「Meta Learning Shared Hierarchies」少しずつ勉強していこうかな・・・

[Jazz] 続・エヴァンスを聴け!

またも新作!『Another Time: The Hilversum Concert』: 続・エヴァンスを聴け!ネタ。

このサイトは初めて拝見。ココログのサイトだね。「Hilversum Concert」でググって見つけた。たまたま、Apple Musicでビル・エヴァンスの見かけないアルバム(2017年)を見つけて聴いたところだった。

続けて、Aloneの「Here's That Rainy Day」が鮮やかなイメージを残した。次は「A Time for Love」。「Webster Hall Version」と書いてあるが・・・

ビル・エヴァンスを超えるものがあるかと問われると、ないと答えてしまうだろう。

更新: 2017-11-27T23:51:34+09:00

[言語] 数学言語 - 行為の足場

森田真生氏の「新潮」連載1、「数学する言葉」の最初の節「行為の足場」。

行為の足場

<五十七>を意味するために「57」と書く。このとき、記号に過ぎないはずの「57」を人はじかに割ったり掛けたりできる。このあと詳しく見ていくが、これは自然言語にはできないことである。

・・・数学の言葉は、数や図形の存在を呼び起こすだけでなく、そうして存在を喚起された数や図形について、言葉の上でじかに計算したり、推論したりすることを可能にするのだ。数学の言葉は数学者にとって「行為(=計算、推論)の足場」として機能するのである。

(新潮2017年2月号、141ページ)

森田真生氏は数字を見ると素因数分解を催し、実際してしまうという自らのエピソードを語って文章を始めている。57は3で割れそうなことはすぐわかる。57=3×19。3と19は素数だ。確かに「行為の足場」となる。

このあと、第二節は「数字において計算する」となる。ここでは原始的なドングリを使った計算、ヒマワリの種を使った計算、ローマ数字を使った計算と算用数字を使った計算の違いを見せる。

次の節が「意味」。

意味

数字の思考=行為が、数学の言葉において展開できるようになると、数学は、外部の世界を参照することなく、自ら意味を作り出すことができるようになる。

(上掲、143ページ)

そして、「上演」。

上演

数学の言葉は、数学的行為(=計算や推論)の足場を提供(アフォード)する。その行為の周りに、数学の意味が結晶していく。こうして、数学の言葉が織り成す世界は、通常の自然環境とは異なる行為と意味の空間を形成する。

(上掲、144-145ページ)

と続く。さらに続くのだが・・・

ただ、いろいろと考えていると、算用数字の体系とローマ数字やドングリコロコロの数表記(?)の体系の持つ数や数え方(演算)の持つ機能(意味)は一緒だと思うのだけど。いずれでも演算はできる。ドングリやヒマワリの種を袋に入れたり、袋を箱にまとめたり、袋や箱の数を数えたりする行為が演算のプロセスである。実際、XII×VI=LXXIIはGoogleの検索窓で計算できる。算用数字は10進数表記であるに過ぎない。ローマ数字は実用的には3999までを表示するために使われていたとしても表記の方法を素直に拡張すれば、現実的であるかどうかは別にして原理的には延々と並べることはできる。表記として便利かどうかの違いしかない。

もちろん、表面的なプログラムでは、先のローマ数字の計算はコンピュータに載せるために一度10進数に変換して計算して、得られた10進数値をローマ数字にもう一度戻して表示しているに違いない。実際のところ、コンピュータの中ではビットに変換しているので、10進数で取り扱っているわけではない。数表記はルール(アルゴリズム)に関わる問題であって、数や演算・推論の意味に本質的な違いはないのではないだろうか。

もっともローマ数字やドングリコロコロの表記体系が素因数分解に適していないことだけは確かだろう。それはともかく、数という概念はいつ誕生したのだろう。まずそこが物を考えるための出発点であるような気がする。自然言語の中にも数は存在している。少なくとも人が、ある数値の素因数分解をしようと思えば、九九の知識を活用しなければできないだろう。

更新: 2017-11-25T18:23:17+09:00

[数学] リーマンの多様体

さて、将棋観戦ばかりに現を抜かしている場合でもない。と肩ひじ張っていても仕方がない。口笛吹いて、鼻歌を歌って散歩でもしようか。昼過ぎ、散髪に出掛けて、日経の日曜版を忘れずに買って帰った。

日本経済新聞 日曜版 2017年11月12日 22-23面、My Story 建築家 隈研吾さん

../日本経済新聞 日曜版 2017年11月12日 22-23面、My Story 建築家 隈研吾さん

22-23面のMy Storyは建築家の隈研吾氏だった。「大けがで知った諦める楽しさ」「自然素材との対話を続ける」「生と死 建築の本質に通じる」などの見出しが並んでいる。


「どんな小さな仕事でも楽しんでやれる自信がついたことが、あの転機(大けが)で得た最大の幸せだね」

・・・

「永遠に生きることを前提にしたものは本当は虚構、うそなのではないか。だんだんと死んでいくというような考え方のほうに今はリアリティーを感じるようになった」

(上掲記事、22-23ページ)

隈研吾氏を知ったのは、ちくま学芸文庫の「反オブジェクト」というタイトルの著作だった。「反オブジェクト」という言葉に惹かれた。副題が「建築を溶かし、砕く」、帯には「環境から切断されない建築へ」「反建築の可能性を拓く」とあった。この本が「十夜一冊」シリーズの第十夜、最初の夜の本となった。

「ものごと」の捉え方がおもしろい。リアリティーを感じる「ものごと」の捉え方・考え方とはどんなものだろうという問題意識につながっていた。

たまたま、おそらくツイッターで新潮に「数学する身体」の著者、森田真生氏が記事を書かれたのを知って、ゆめタウンの紀伊國屋で12月号を手に入れた。『「わかる」と「操る」』というタイトルだが、その中に「リーマンの多様体」という項があった。もっとたくさん引用したいのだけど、遠慮しておこう。出たばかりだし。

空間を規定する計量的な構造よりも、それに先立つ「繋がり具合」(現代的な言葉では「トポロジー」)に注目する視点は、すでにガウスの研究の中に萌芽が見られる。リーマンはガウスの洞察を発展させて、計量的な構造が入る前の「多様体」から出発し、そこに種々の構造を添加していくことで、具体的な空間を構成していくのだ。

空間はカントが主張したように、経験に先立つアプリオリな形式ではなく、経験を通してその真偽を確かめることのできる「仮説」によって具体化していく。このような見方は当時としてはまったく斬新で、講演を聞いたガウスも興奮を隠せない様子だったという。

(新潮 2017年12月号、森田真生、「わかる」と「操る」、176ページ)

上記引用の『「多様体」から出発し、そこに種々の構造を添加していくことで、具体的な空間を構成していく』というのは具体的にはどのような操作を意味しているのだろう。多様体の表現を知りたいなあと思った。リーマン多様体 - Wikipediaをまず参照。これは微分幾何学の話。リーマン多様体 - 初級Mathマニアの寝言を見ると情報幾何学という分野があるらしい。結局、機械学習につながっていく。「多様体学習アルゴリズム」というような用語が「Pythonではじめる機械学習」(オライリー・ジャパン、2017年)のインデックスにあるね・・・具体的には、t-SNE(t-distributed Stochastic Neighbor Embedding)か。

更新: 2017-11-12T20:54:53+09:00

[数学] リーマンの多様体 2

リーマン幾何学をアインシュタインが相対性理論を導くための数学として使ったということは有名な話で、昔から知っていたが、なぜ使ったのだろう、なぜ使おうという発想を持ったのだろうという漠然とした疑問が思い起こすたびにいつも頭の中に沸き起こった。今回、リーマンの多様体が空間を構成するための基盤となることを森田真生氏の『「わかる」と「操る」』(新潮 2017年12月号)で知って調べ始めた。670夜『数学と自然科学の哲学』ヘルマン・ワイル|松岡正剛の千夜千冊の『数学と自然科学の哲学』を、最近、手に入れていたので、それを調べると。

もし人が計量的に均質であることを空間に要求するならば---そうして'現象の形式'としての空間は必然的に均質である---、そのときはただちにRiemannの空間概念から運動群に関するHelmholtzの公準が導く古典的な空間概念に投げ戻される。しかしRiemannは空間の計量的性質の本性と起源について全く違った構想を持っていた。彼にとって計量の場はきっぱりと不動に与えられているのではなくて、物質と因果的に結ばれている。それ故に物質とともに変ずる。彼は計量を現象の静的な均質な形式の部分ではなく、常に変じつつある物質的内容の部分と考える。・・・(かなりの部分を省略している)・・・Einsteinは時間を含めることによって空間を外界の全四次元媒質へ拡張した後、Riemannの考えを詳細な物理学的の重力の理論に発展させ、とくに、物質が計量の場に作用する法則を確めた。

(ヘルマン・ワイル著「数学と自然科学の哲学」、岩波書店、1959年(原著: 1949年)、97ページ)

「数学と自然科学の哲学」の箱と本体

../「数学と自然科学の哲学」の箱と本体

1968年第8刷、箱は古さを示しているが、中味を守ってくれている。


「数学と自然科学の哲学」の第3章「幾何学」、15.「Riemannの観点、位相幾何学」

../「数学と自然科学の哲学」の第3章「幾何学」、15.「Riemannの観点、位相幾何学」

第1部は「数学」であり、第3章「幾何学」の最後が、15.「Riemannの観点、位相幾何学」である。この後、第2部「自然科学」につながる。


数学に関しても、千夜千冊は何を読めばよいか、非常に参考になる。森田真生氏の新潮の連載も楽しみだ。結局、連載の初回、「数学する言葉」を読むために「新潮」2017年2月号も手に入れることにした。

更新: 2017-11-19T11:44:10+09:00

[数学] 十夜一冊 千三百七十夜 齋藤正彦著「数のコスモロジー」

齋藤正彦著「数のコスモロジー」(ちくま学芸文庫、2007年)。森田真生氏の「数学する言葉」が刺激になって、数学言語に関する著述を探してみた。この中に「数学は言語か」という論考がある。

「数のコスモロジー」と齋藤正彦著「線形代数入門」(東京大学出版会、1966年)

../「数のコスモロジー」と齋藤正彦著「線形代数入門」(東京大学出版会、1966年)

齋藤先生の「線形代数入門」は大学時代の教科書だが、「数のコスモロジー」には「自著を語る - 『線形代数入門』」の項がある。


自然言語は開いた、変化する体系であり、そこにパタン認識が介入する。数学は確定した素記号から明示的な文法によって生成される閉じた体系である。

形式数学の意味論、すなわちモデル理論を見てみよう。3+2=5という式をリンゴの数に関する計算と思うか、日数の計算と思うか、という問題ではない。我々は数学の内部だけで考える。こうした上で、解釈に一意性がないというのがゲーデルの不完全性定理の帰結である。自然数ということばの意味さえも確定することができない。

これは自然言語の多義性やあいまいさとはまったく別のことである。それにもかかわらず、この多義性が形式数学・自然言語両方の創造性を保証しているのは不思議だ。

(「数のコスモロジー」、「数学は言語か」、33ページ)

この後に、「自然言語は音素と形態素とで二重に分節されているけど、数学はそうではない。」と続く。自然言語の成り立ちは興味深いものだ。言葉を文字列として表すと、簡単にコンピュータで取り扱える。文字列は正規表現によるパターンマッチングで自在に抽出・付加・置換などによって変形できる。こうなると数学の世界に近くなっているのではと思う。音声のパタン認識の話もあるのだろうけど。

ゲーデルの不完全性定理の話から、もっとおもしろい話がいろいろとある。再読・・・

これまでに言及した記事のリンクを残しておこう。

10年前か、まあ、少しは進歩したかも・・・望むらくは

更新: 2017-11-25T21:55:20+09:00

[数学] 十夜一冊 千三百八十夜 チャールズ・サイフェ著「異端の数 ゼロ」

小春日和が続いて、また少し寒くなってきたかな。チャールズ・サイフェ著、林大訳「異端の数 ゼロ 数学と物理学が怖れるもっとも危険な概念」(早川書房、2009年; 単行本: 2003年)。これも<数理を愉しむ>シリーズの一冊。原題、「ZERO The Biography of a Dangerous Idea」(Charles Seife, 2000)。数の概念はいつ生まれたのかが、ゼロの概念の伝記に現れた。ゼロが誕生する前から数は存在した。それも、言葉が生まれる前から、数は存在したらしい。

石器時代、3万年前に数は存在した。オオカミの骨に刻まれていた。これは五進法だった。一つの骨に五本ずつ刻みが並んでいて、その単位が五つ並び、それに続いて次の二十五の刻みが来るという具合。現代においても南米には二進法の(すなわち、三より大きな数を表す言葉を持っていない)言語が存在している。人間の指の数に対応する五(片手)、十(両手)、二十(両手足)というのが、基本単位となる。ただ、ゼロは存在しなかった。

「数を数える能力は古代世界では珍しかったが、数と計数の基本は常に読み書きより先に発達した。」(15ページ)とある。

考えてみると、随分と人間は言葉において進歩したものだ。現生人類は20万年ぐらいの歴史を持つはずだが、解剖学的には変化していないと言われる。

「異端の数 ゼロ」と小川洋子、岡ノ谷一夫著「言葉の誕生を科学する」

../「異端の数 ゼロ」と小川洋子、岡ノ谷一夫著「言葉の誕生を科学する」

言葉の誕生を科学するには、数の誕生をまず科学する必要があるのかもしれない。


本当に不思議。ゼロを探究していくと、言葉についても何かわかるのかもしれない。読むための動機付け、いよいよ高まる。

[ニュース] 人生はすぐ過ぎ去る

ロシア革命勃発の年に生まれた100歳女性 激動の1世紀を振り返る 写真2枚 国際ニュース:AFPBB Newsネタ。

心に残った言葉。

「幸せだったかって? 分からない。私はただ生きてきただけ。人はこの世に生まれたら、あとは生きるしかないでしょう? 大事なことは、人生は本当にあっという間に過ぎてしまうということです」

[ニュース] 少し遅れたニュース - aiboとiPhone X

昨晩は十五夜。十三夜と十四夜は冴えた月が夜空に明るく輝いていた。昨晩は朧月で、デムス先生のレッスンを聴講するのを送り迎えした帰りに、上空の雲の後ろに隠れた月を見ながら走った。気温が少し上がっている。ソニー「アイボ」、30分で完売:CubeニュースアイフォーンX発売=直営店に長蛇の列-米アップル:Cubeニュース

革新的な特徴のあるものはまずは売れる。いわゆるアーリーアダプター(early-adopter)という購買層が存在するから、最初は売れる。継続するかどうかが問題。一般的に売れるかどうかは、コストパフォーマンス。

僕らは旧世代のPC派。革新的PCとはいかにあるべきかを常に考えているし、それがロボットやスマホに置き換えられるかどうかという視点から見ている。

さて、aiboを購入したのは誰なのか、昔のAIBOファンなのか、そうでもないような気がするが、どうだろう。そのうち誰かが調べるだろう。昔のAIBOは25万円だった。今回のaibo本体は19.8万円だが、ネットワークを使うのは必須なので、実質的にはもう少し高い買い物だ。今後、可能性を見るためには詳細を調べる必要があるだろう。これも誰かがやるはずだ。

iPhone XはiPhone X first impressions: Apple's best by farのようにダントツで最高のように思える。Fallイベントでもそう思えた。買うならこれを買うしかないんじゃないかと・・・

今のところ、The Transcript of today's Opening Statement from Apple's CEO on Fiscal Q4 2017 is now available - Patently Appleのようにアップルは絶好調であり、革新的なiPhone Xを登場させた。ほとんどの人にとって、iPhoneというデバイスはPCを超えているのかもしれない。

アップル売上高最高

../アップル売上高最高(7~9月)

日本経済新聞、2017年11月4日、土曜版、1面: 7~9月5.9兆円「X」販売開始


iPhone 10年 集大成船出 アップル「X」発売

../iPhone 10年 集大成船出 アップル「X」発売

日本経済新聞、2017年11月4日、土曜版、3面: 供給力に課題残る 市場成熟「驚き」どう生む


PC派にとって特筆すべきは、iPadが再び伸び始めたことだ。iPad ProとPencilデバイスの動向には関心がある。「Swift Playgrounds」とかも・・・Macも好調、Macとのバランスがどう変化していくのか、アップルの製品はテクノロジーとデザインのバランスに無理がない。ここから未来が見えてくる。

例えば、シリコンバレー101 (727) 初代iPhoneから10年、時計サイズになって身に付けられる時代に | マイナビニュースの記事は、僕の解析したいことを既にやってくれている。Apple Watch Series3の性能は初代iPhoneに追いついている。だからこそ、GPS+Cellularモデルが登場しているのだと思う。

[Perl 6] Rakudo Star 2017.10 Released

2017.46 Spesh Explained | Weekly changes in and around Perl 6

地道に最適化が続いている。6guts | Tales of Perl 6 guts hackingではMoarVM Specializer Improvements Part 4: Argument Guards | 6gutsまで、MoarVMの改良の話が続いていた。(18) "How to hack the MoarVM JIT compiler" - Bart Wiegmans - YouTubeを見てまずは勉強して読むのがよさそうだが。ここ数年、MoarVM JIT CompilerはHackされていたという話。

MoarVMはまだ登場して日が浅い。当然のことなのかも。ただ、MoarVMが出てきてから、Rakudo Perl 6が完成するのは速かった。

Episode 13: Interview with Damian Conway, designer of Perl 6 programming language - Mapping The Journeyで、Damian Conway氏が11月9日にPerl 6に関するインタビューに答えている。思いのたけを語っている。じっくり読もうか・・・Mapping The JourneyはPodcastでもある。Transcript付きだから、英語の勉強になりそうだ。

それはともかく、そろそろ何か考えよう。「Programming Perl 6」を待っているのだけど・・・もう待ってはいられないかも・・・

「Perl 6」本をリストしておこう。

既に7冊ある。Andrew Shitov氏の本が、そのうち4冊。僕は、「Think Perl 6」と「Learning to program with Perl 6: First Steps」を持っているが、「Think Perl 6」を調べ始めた。「Learning Perl 6」はまだ未完成。「Programming Perl 6」は着手されていると予想しているが、まだ時間が掛かるだろう。

日本語で読みたいなら、以前はPerl6入門書(Using Perl6)の日本語版を公開しました - Perl Tech - Hatena::Group::Perlから、「Using Perl 6日本語版」(2012年)を入手して印刷したが、現在は見当たらない。

Using Perl 6日本語版

../Using Perl 6日本語版

今なら「Perl6入門」かな。


更新: 2017-11-17T21:26:54+09:00

[Perl 6] 次の道 - Write code everyday.

外気温10℃、室温19℃。座ホットマット、足元で稼働中。午前8時半から竜王戦第4局のAbemaTVの放送が始まる。9時対局開始。矢倉模様。ブランカールその人をフィーチャーした録音はあまり残っていない。関係した録音はApple Musicが最も充実している。テレビはAbemaTVの音を消して、iTunesとオーディオからラヴェルのピアノコンチェルトが流れている。

最近は、日曜プログラマも自分の頭脳を自然言語でプログラミングしているという感じ。入出力インターフェースは五感か六感と身体。これまでのプログラミング言語でしたいことは大体終わっているというか、毎日、使っているわけだけど。新しい展開は、「Perl 6」でと考えているのだが、何を載せることができるのだろう・・・

Damian Conway氏の「Perl 6」の売りは、大体「Perl 5」と同じだと思うが、それを上回るものになっているということかもしれない。思想的には、「Perl 6」には「Perl 5」の拡張(による思考方法)が埋め込まれている。誰もが納得する言葉で言うと、「複雑なことが短く書ける。したがって速く書ける。コード量が少ないと、バグが減る。同様にコードのメンテナンスが楽。すなわち、生産性、コストパフォーマンスが高い。」ということになる。自然言語のように喋れるプログラミング言語が理想なのだ。簡単なことは簡単に書ける。複雑なことも問題なく書ける。言語仕様を豊かにするとどうなるか。何が起きるか。そういうことを確めようとしているのが「Perl 6」だという認識。

ただ、それだけでは、手慣れた「Perl 5」を離れる理由にはなりにくい。「Perl 5」では表現できないこと、しにくいことは何なのかという話になる。そういったことを書いた「Perl 6」本がほしいわけだ。なぜ、twigilが出てきたか、必要になったのかとかね・・・まあ、WEBを検索すれば回答は山ほど出てくるが・・・最も重要なのは、パターンマッチの正規表現の書法を変えたこと、これによってどんなに便利になったのかが知りたいね。もちろん、メニーコアの時代においては並列処理が最大の動機付けになるはずだ。もう一つは言語の拡張性。新しい概念にも対応できる。100年言語たる所以である。それってどう書くのってわけだが、新しい概念をまず獲得しなければ、それを書く機会はない^^;)

2017.47 More TPCiA Videos | Weekly changes in and around Perl 6が出て、アムステルダムのPerlカンファレンスのビデオへのリンクが置かれている。Perl 6 Performance and Reliability Engineering: November 2017 - The Perl FoundationのJonathan Worthington氏のレポートも「Perl 6」の現在と未来を知る上では欠くべからざるものだろう。氏のブログと共に。

ブランカールのシューマンの幻想小曲集が流れている。モノラルで1952年の録音。ちょっと音の伸び、高音が足りないけど、静かに終わった。もう一度「子供の情景」、アルバムの表にはKinderscenenと書いてあるが、Kinderszenenの間違いだろう。でも、Kinderscenenもかなり使われている。

更新: 2017-11-23T11:58:24+09:00

[哲学] 哲学茶会 Vol.1 - 「茶論 記憶」にて

場所を十分確認していなくて少々遅刻。予定通り、午前11時3分前には八丁堀のバス停に着いていたのだが。福屋本店正面玄関のエレベーターを上がり、8階で降りて左手にある。もう一本早く来るのが正解^^;)Google Mapsの時間の見積もりに、飲み物や食べ物を注文する時間が計算に入っているわけがない。ブックカフェメンバーから5名の出席。TSYWJ。

問題1「絞首刑好きの裁判官」と問題2「牧草地の牛」の二題。簡単そうな問題2から始まったが、意外に奥が深い。先入観で物を見ていると、もっと違った解釈があることに気付かない。問題1は難しいというか、ディスカッション(一応の答え)にあることが成立するための前提が不明確。「哲学者」を自称する囚人は嘘つきであるという前提が必要だと考えられる。それがないと答えの可能性の幅が大き過ぎる。

ネタバレになるので、ここはそれぐらいにしておこう。ディスカッションで議論されていることと問題の記載の対応が今一つ足りないような気がする(実際のところ足りない)のも確かだから、自分なりにいろいろと考える余地がある。そこがおもしろいと言えるかもしれない。

一人で考えていると考え付かないのだが、みんなで話していると、ふとした言葉やきっかけで新しい見方が得られる。おもしろい。それほど魅力を感じられないと思う「問題」が生彩を帯びてくる。

二つの課題を十分に片付けた後、W氏が「言葉と現実」という話題を出された。空海は「すべてはリズムである」と言っているらしい。そして、少し議論になったのが、「言葉の物質性」という概念。言葉が、音声や文字によって、聴覚や視覚のような物質的な基盤を持つ機能によって伝達されるという意味での物質性なら、ある意味当たり前のことを言い換えているに過ぎない。もっと他の意味ではないのかと思った。

「言葉の物質性」という言葉でググってみると、前述のような文脈に近い「言葉=オブジェ:マンガの中では言葉がモノとして物質化している - ideomics」がトップに見つかる。物質である人間の中に存在しているものという観点もあるが、それも物質的な基盤の上に成り立つものという視点とそれほど変わらない。さらに、いろいろ見ていくと二つおもしろい記事を見つけた。

一つ目、内田樹先生のブログ、2007年06月06日 国語教育について (内田樹の研究室)。直接的な結論の部分をまず引用しよう。

音楽の命は音の物質性のうちに棲まっている。言語も同じである。言語の命は言葉の物質性のうちに棲まっている。

強い言葉があり、響きのよい言葉があり、身体にしみこむ言葉があり、脈拍が早くなる言葉があり、頬が紅潮する言葉があり、癒しをもたらす言葉がある。

現実に読み手聴き手の身体を動かしてしまうというのが「言葉の力」である。言葉には現実を変成する力がある。そのような言葉に実際に触れて、実際に身体的に震撼される経験を味わう以外に言語の運用に長じる王道はない。

(引用者が段落を作っている)

こちらは、言葉が物質的に影響を与えるという観点の話である。もちろん、前述のように言葉は物質的な基盤の上に成り立っているのだから、当然であるとも言えるが。

内田先生は、この議論を展開する前に、モーリス・ブランショの「火の部分」所収の「文学と死ぬ権利」から引用して、その後に次のように述べられている。

「いいたいこと」は「言葉」のあとに存在し始める。極端なことをいえば、「私」は「私が発した言葉」の事後的効果として存在し始めるのである。その点で私はブランショに同意する。理論的に整合的であるばかりか、実感としてその通りだと思うからである。

(各行の改行を引用者が削除)

この部分は、当初著者が意図したことを既に著者は忘れ、過去の自分に共感できないとしても、言葉は読者の解釈を載せる乗り物になるという文脈で使われているのだが、読者の身体に影響を与えるという意味では物質性を持っている。言葉は、著者が言葉を発した瞬間から、言葉として独自の性質を持つ物質的なものに変化する。世界に存在するためには、何らかの物質性を持たねばならないから、言葉の一つの並びをテキストと呼ぶなら、テキストは様々な存在形態を持ち得る奇妙な事物である。それはミーム(meme)を組み込んだメディアの一種ということも言えるかもしれない。

ここまでくると、最初にピックアップした記事のマンガの中の吹き出しの言葉も言葉の物質性の具体的な表れと言えるのだろう。要点は、著者が生みだしたものは、その瞬間から別のものに変質してしまうというところにあるのだけど。

実は、モーリス・ブランショの「火の部分」(邦題「焔の文学 火の部分 I」、重信常喜訳、紀伊國屋書店、1958年)には、語が物であることについて、様々な表現がある。比喩に過ぎないとも言えるが。一つだけ引用しておこう。「シュールレアリスムへの反省」という文章。

・・・シュールレアリストたちは語の奇妙な性格を非常によく知っており、それを見事に用いた。彼らは語がそれ自身の自発性を持っていることを知っていた。すでにずっと以前から言語は特殊な存在形態であることを主張してきた。それは単なる透明体であることを拒否してきた。言語は単なる眼、すなわち見るための空虚な手段ではなく、存在する具体的な物、色のついた物ですらあった。シュールレアリストはさらに言語が生気のない物じゃないということも知っている。つまり言語は自己の生命を持ち、われわれから逃れる潜在力を持っているのだ。・・・

(前掲書、45-46ページ)

「火の部分」の邦訳には「虚構の言語 火の部分 II」(重信常喜・橋口守人訳、1969年)もある。こちらからも一箇所引用しておこう。

・・・つまり詩句はますます音に、リズムに、調和に、言語の物質性と名づけられるもので日常の言語では一般に無と考えられているあらゆるものに訴えるのである。そこから書かれたもの、つまり本の特権が生じるのである。本は一そう物質的なもの、ページに設けられた印刷上の構成、≪句点や終止点で行間をあけられた構図≫を持っているからである。言語は、意識の動き、つまり事物を無限に離しながらも事物の中に存在しうる意識の力や、虚無によって自分が識っているものを識別する意識の権利と最もよく結びつく瞬間に、意識とは反対のもの、事物、かたまり、純粋にして単純な物質的存在ともまた最もよく結びつかねばならない。これこそサロイヤンが、率直な作家の暖かさをもって、岩について、≪堅い岩≫、あるいは何かしら≪太陽のようなもの≫、あるいは単に≪物≫と言ったところである。・・・

(エイトレの矛盾、44-45ページ)

引用の後も重要な部分が続くので、言語の物質性の部分だけを取り出せばよいものでもないのだが・・・

モーリス・ブランショ、火の部分 I, II

../モーリス・ブランショ、火の部分 I, II

IとIIの間には11年の歳月が流れている。


二つ目、『ポール・ド・マン:言語の不可能性、倫理の可能性』 - 今日もぐだぐだは、まだ解明できていない。次の部分を引用しておこう。

そして、ド・マン最大の謎とされる「物質性」について。

「物質性」は『盲目と洞察』のデリダ論を除けば、主として『美学イデオロギー』に登場する鍵概念だ。物質性は、現実の物質とは無関係の、言語に内在する特性であり、言語の譬喩としての機能(究極的には「美学イデオロギー」)を突き崩すような言語の零度を示している。その言語に由来する物質的性質によって、人間はイデオロギーの外部に立つこともできない代わりに、イデオロギーの完全性も阻まれる。

ただ、「物質性」というその響きは、認識対象の(認識できない)モノ自体の次元を連想させるのも事実だ。ド・マンの物質性は対象をもたない理念的なものであるにもかかわらず、どうしても対象指示性がつきまとう。つまり、言語の根源として現実に存在するモノを想定してしまう。もちろん、ソシュール言語学を経由した言語観の持ち主であるド・マンは、現実と言語とがまったく無関係であることに自覚的だったことを忘れてはならない(ラングは現実から独立したシステム。ソシュール超入門 (講談社選書メチエ)は良書)。いや、だからこそ、≪言語の物質性≫という言葉には戸惑いを覚える。

今日のところはそんなところで。続くかもしれない。

取りあえず、次回の予定。問題31「にせ物」と問題91「光速に関する諸問題」の二つ。

更新: 2017-11-20T23:04:22+09:00

[量子コンピュータ] 量子コンピュータとは何か

ネタは他にも山ほどあるが、とにもかくにも取り上げずばなるまい。世界初の“常温量子コンピューター”、NTTなどが24時間動作を実現 - 日経テクノロジーオンラインネタ。

記者の眼 - 門外漢が考える「話題の国産量子コンピュータはまがいものか?」:ITproなどという記事が出る以上は・・・

量子の世界の話は本当にそうなのという感じで、人間的感覚の時空に住んでいる身には直観が働かない。量子コンピュータもそうだが、実際に動いて、現実の計算に役立つということになり、製品として販売されるという信じ難い話がどうも嘘でもないらしいとわかってきた。そこでまじめに勉強することになった。2009年の日付の奥付がある、ジョージ・ジョンソン著、水谷淳訳「量子コンピュータとは何か」をまじめに読み始めた。<数理を愉しむ>シリーズの一冊、この本は最初、2004年に早川書房から出版されている。原著は「Shortcut Through Time, The Path to the Quantum Computer」(2003年)である。170ページに付箋が貼ってあるので、ざっくりとは読んだはずだが・・・

「量子コンピュータとは何か」と「物理と数学の不思議な関係」

../「量子コンピュータとは何か」と「物理と数学の不思議な関係」

どうも物理を理解するにも数学的直観というものが必要らしい。


今日、家内が、「□□×□=5□」の計算式の「□」の中に1,2,3,4がどう入るかという問題を出した。一目で答えがわかったという。僕はしばらく考えてわかったけど、1分で答えがわからないといけないらしい。直観でわかる必要があるわけだ。理屈でわかるのではだめなのかもしれない。森田真生氏が、ホテルの部屋の番号「801」を素因数分解してしまうように・・・

実は、133夜『直観幾何学』ダヴィッド・ヒルベルト&コーン・フォッセン|松岡正剛の千夜千冊のせいで、「直観幾何学」を手に入れたのだが、それを見て、なにそれ、もう訳の分からない本ばかり買ってと購入禁止令を出したのだが、自分は直観を使っている。それで今日は「だからね。直観が大切なんだよ。それで、直観幾何学なんだよね」って・・・なにしろ、ヒルベルトの本だよ^^)/

On a Clear Dayが流れてきた。さて、Clearになったところで寝ますかね。

更新: 2017-11-28T22:56:47+09:00

[ロボット] aibo予約開始

aiboネタ。仕様的には画期的だが・・・愛玩ロボットみたいで、実用性がない感じ。

本体198,000円+aiboベーシックプラン90,000円(利用期間3年)+aiboケアサポート(3年)54,000円=342,000円也。高いと見るか、当然とみるか。ベーシックプランにはaibo専用モバイル通信サービスがセットになっていて、SIMカード付。

この記事が詳しい。新型aiboをソニーが発表。自ら好奇心を持った、生活のパートナーとなる犬型ロボット - Engadget 日本版を参照。

更新: 2017-11-01T21:00:18+09:00

[季節] 哲学茶会の朝

昨日の朝の外気温7℃、帰宅時外気温11-12℃、今朝の外気温はWindowsの天気予報によれば9℃、室温19℃。昨晩、足元が冷えてきたので、例年通り、座ホットマットを出してもらった。昨年の「座ホットマット」の火入れの記録があるのは11月23日。少し早目の火入れになったのかもしれない。外気温10℃、室温20℃を切る時点が火入れの大体の目安になっている。今日は11時から映画館「八丁座」併設の茶論「記憶」にて、W氏主催、哲学茶会Vol.1が開催。場所の名前も哲学的。10時半に出てギリギリかな。

ブックカフェよりは敷居がだいぶ低い。読む量が少ないので、読むことの負担はほとんどない。3ページも読めば済む。ただ、考える量はそれほど違いはないかもしれない。今日は、問題1「絞首刑好きの裁判官」と問題2「牧草地の牛」の二題。問題2は簡単そうに思えるが、問題1はよくわからない。論理実証主義とは何なのかがわかる必要がありそうだが・・・ネタはマーティン・コーエンの「哲学101問」(ちくま学芸文庫、2008年)。

「リーマンの多様体」の概念がおもしろいなあと思っていて、William R.Derrickの「複素関数論とその応用」(大槻義彦訳、講談社、1973年)を引っ張り出して眺めたりしている。たまたま、本日記の「座」を検索していて、内田樹先生のブログ(内田樹の研究室: 2006年05月02日 村上文学の世界性について)の引用を見つけた。

地図がなければ、私たちは進むことも退くことも座り込むことも何も決定できない(はずである)。でも、地図がなくても何とかなるんじゃないか・・・という考え方をする人がまれにいる。村上春樹は(フランツ・カフカと同じく)、この地図もなく、自分の位置をしるてがかりの何もない場所に放置された「私」が、それでも当面の目的地を決定して歩き始め、ランダムに拾い上げた道具をブリコラージュ的に使い、偶然出会った人々から自分のポジションと役割について最大限の情報と最大限の支援を引き出すプロセスを描く。

言葉と物 CL - ポストモダン読解 II (2008/10/13)

このプロセスは森田真生氏の『「多様体」から出発し、そこに種々の構造を添加していくことで、具体的な空間を構成していく』プロセスに似ているのではとふと思った。

「リーマンの多様体」への関心を引き起こした森田真生氏の「新潮」随時連載の2回目「数がつくった言語」(新潮2017年6月号)を手に入れて読んでいる。それは詳細は取り敢えず省くが、フレーゲについて書いてある。フレーゲは論理実証主義の起源となる(?)「概念記法」を1879年に出版している。

この項もさらに続くだろう。

更新: 2017-11-18T20:42:28+09:00

[将棋] 魂の七番勝負、最終局

AbemaTVで19:00から放送があった。木村一基九段と近藤誠也五段。木村九段が辛勝かな。若手は強いね。

将棋というものの難しさが、長い対局全体を見るようになって少しわかるようになったような気がする。

トップ棋士チーム1勝6敗。戦国時代に入ったのかな。木村九段は、将棋界は過渡期にある。さらに将棋を勉強していきたいというようなコメントをされていた。44歳、近藤四段は弱冠二十歳、落ち着いた指しぶりで、優勢になったと思われたが、漠然とした状勢でもあり、感想戦の言葉によれば、手が広過ぎて読み切れなかったらしい。持ち時間二時間では将棋は人間にとっては難しいのかも。

竜王戦の第三局は渡辺竜王が勝利し、羽生棋聖の2勝1敗となった。第四局は11月23、24日(木、金)となっている。

更新: 2017-11-12T11:14:39+09:00

[将棋] 第67回NHK杯テレビ将棋トーナメント2回戦第15局

こちらも屋敷伸之九段と青嶋未来五段の新旧の世代の戦い。魂の七番勝負の別の組み合わせ。先手居飛車穴熊対後手振り飛車穴熊。解説が木村一基九段。

後手青嶋五段の勝利。やはり強い。

来週は、2回戦最終局、羽生善治棋聖対山崎隆之八段。楽しみの一戦。3回戦第1局が、郷田真隆九段と増田康宏四段という、またまた新旧世代の対決。これも魂の七番勝負の別の組み合わせ。

将棋を本日記で最初に取り上げたのは、将棋ソフトと最初に女流棋士が戦い始めたのが話題になってから。決戦 (08/23/2010)の記事が最初、もう7年前の話。

羽生善治著「変わりゆく現代将棋」上下巻

../羽生善治著「変わりゆく現代将棋」上下巻

発行年が2010年、発行者は米長邦雄、発行所は財団法人日本将棋連盟になっていることに今日気がついた。いや、後付けは必ず見るはずだから、憶えていなかったにすぎない。もう一度なるほどと思ったわけだ。


この後、米長邦雄永世棋聖日本将棋連盟会長は2012年に第1回将棋電王戦に敗れ、「われ敗れたり」(中央公論新社、2012年)を書くことになる。われ敗れたり (03/11/2012)。時代の先を見据えて、コンピュータとの戦いに自ら挑んだ。その後の顛末を含めて、歴史に残るだろう。まだ、人間対機械の戦い(?)は終わっていないと思うのだが。

米長邦雄著「われ敗れたり」

../米長邦雄著「われ敗れたり」

副題は「コンピュータ棋戦のすべてを語る」。肩書は「永世棋聖」、右側に小さい文字で「日本将棋連盟会長」とある。


将棋の話題は藤井聡太四段の最年少プロ入りから29連勝で白熱し、今は若手とトッププロの対局に興味が集中しつつあるが、コンピュータ将棋を忘れてよいのかという気もする。忘れていないのは棋士自身かもしれないが・・・

更新: 2017-11-12T12:45:32+09:00

[将棋] 羽生棋聖、竜王戦第3局、NHK杯テレビ将棋トーナメント2回戦第16局敗れる、藤井聡太四段50勝到達

寒い日々が続く。朝の外気温7℃、帰宅時外気温8℃。昨晩はAbemaTVで藤井聡太四段が苦しんだ末、逆転勝ちをするのを見ていた。羽生棋聖のNHK杯は昨年と同様いいところなく負けてしまった。残念。JTプロ公式戦、山崎隆之八段が豊島将之JT杯覇者を破り初優勝|棋戦トピックス|日本将棋連盟と合わせて、山崎隆之八段は絶好調。

竜王戦第4局は明日あさって。AbemaTVでも放送される。

更新: 2017-11-23T22:22:23+09:00

[将棋] 竜王戦第4局、羽生棋聖、104手で勝ち

昨日からAbemaTVで見ていたが、今日は帰宅してから感想戦を見ていた。最近は帰りの道路がいつも混んでいる。困ったものだ。今、第3局から少し時間も空いたので、リフレッシュして臨めたという羽生棋聖のインタビューがあった。新潟県三条市の秘湯、嵐渓荘。今日は雪になったらしい。

もう一度、対戦を振り返る。深浦九段の解説。矢倉模様から、完全に囲わずに角を一段に引いて、戦う。AbemaTV名物、おやつや昼食の話が写真入りで詳しく解説される。一日目、封じ手まで。

二日目、雪が降り続けているのが映される。木村一基九段の封じ手開封の解説から。6五歩の予想に対して2四歩。33分、羽生棋王考える。また、午前中のおやつの話。お昼休憩。将棋指し手抜きの記録。・・・3四角。4五桂。三時のおやつ。・・・午後六時過ぎ、渡辺竜王投了。第4局の振り返り終了。今日は強かったね。

第5局、12月4日、5日、鹿児島、指宿(いぶすき)白水館。

[Windows] Fall Creators Updateが不安定になる!?

一応、注意喚起。スタートメニューがおかしくなった。左クリックでメニューが開かなくなり(右クリックの簡易メニューは開けるが、メニュー項目をクリックしても機能しない)、デスクトップやタスク・バーのファイル・アイコンをクリックしても開けなくなる。また、いつもはタスク・バーに起動して表示されるアプリケーションが少なくなる。いずれにしても正常な起動状態ではない。何回か、電源ボタン長押しで強制終了、再起動を繰り返して回復。どうなることかと気を揉んだ。今、写真関係を外部USB-HDDにバックアップ中。

バックアップ用のノートブックを起動して調べると、Windows 10 Fall Creators Updateにアップグレードした後、スタートメニューが破壊される不具合が報告されているなどの記事がいろいろと見つかる。

何をするにしろ、バックアップは必須だ。お気をつけて・・・

バックアップ・マシンにそろそろ真剣に環境構築するかな。

(追記) 特にスタートメニューとタスクバーの動作・状況に異常を感じたり、見つけたら要注意。「Fall Creators Update」をインストールして最初にいつもと違うと思ったのは、起動時にスタートメニューが最初から開いたままになっていること。マイクロソフトさん、これってデフォルトなのかな。そして、やはりアカウント名が日本語になっている場合、ユーザーのフォルダ名が日本語の場合、相変わらず、インストールを失敗するアプリが多い。Javaのアップデートに何時も失敗するし、OneDriveも使っていないが、同期エラーが目立った。

更新: 2017-11-06T23:03:41+09:00

[Windows] ちょっと気になる - Build 17035 (Redstone 4)

次期Windows 10に“AirDrop”的な共有機能 - PC Watchネタ。

先進的な機能はともかく、安定性とスピード。

Fall Creators Updateのバージョンは1709、OSビルドは16299.19。タスクバー上のサウンド設定が機能しない。うまく動くときはポップアップで出力を切り替えられる。USB AM/FM Radioの常駐アイコンは昨日は見えなかったが、今日はあるべきはずの場所もない。今のところ、全体のシステムがおかしいわけではない。ほとんどは問題ないのだが・・・もちろん、ピン止めしているアイコンは存在しているし、ラジオのアプリケーションはデスクトップ上でちゃんと動作している。

更新: 2017-11-09T23:06:40+09:00

[Windows] 今日は快調

今朝は通勤時の外気温、9~12℃、9℃はこの秋、最低気温かな。帰宅時は既に真っ暗、外気温17~18℃。日中は寒いということはなく、室内は暑いぐらいだった。昨日のFall Creators Update不具合ネタから一転、今日は快調。

今、世の中にあるアプリケーションで最も複雑なものの一つがWindows OSだろう。何かおかしくなってもおかしくないというか・・・ということで、いろいろな不具合も再現性がないように見える。

Windows 10 Pro Fall Creators Update、常駐プログラム起動状況

../Windows 10 Pro Fall Creators Update、常駐プログラム起動状況

今日は、常駐プログラムがこんなにあるのっていうぐらい多く表示されている。


昨日、愚痴ったUSB AM/FM Radioの常駐アイコンもキチンと表示されて録音中を表示している。サウンド表示アイコンも再生デバイス選択(出力切り替え)のメニューを示した。

Apple MusicのChill MixをiTunesのマイコンピュータの出力から再生できている。この動作は正常だ。最近は、Apple TV経由のAirPlayしかできなかったりしていた。確かめると、設定→デバイス→サウンドの設定からの変更と常駐アイコンのサウンドのデバイス選択メニューは連動している。これまでの経験では常駐アイコンが多いのは吉。PCも体調があるのかも・・・我がマシンはDell XPS 8500。2012年の11月にWindows 8 Proと一緒に入れている。もうすぐ、5年経つ。OSのせいにしていたら、ハードウェアの劣化の問題が潜んでいるという可能性もある。さて、真相はどこにあるのやら・・・

ちなみにスタートメニューが起動時に開かれている問題は直近は見えなくなっている。

更新: 2017-11-12T08:05:48+09:00