[A.I.] AI救国論その後

東大特任准教授が「行き過ぎた言動」を謝罪 原因は「AIの過学習によるもの」 - ITmedia NEWS09/16/2019: [A.I.] 十夜一冊 第千七百八十夜 大澤昇平著「AI救国論」の続き。

[Bach] バッハのクリスマス

毎朝、6時35分にアンプにスイッチが入って、YAMAHAの年代物のT-4チューナーからNHK-FMが流れる。月曜日から金曜日までは「古楽の楽しみ」の放送時間中だ。一昨日気が付いたのが、「バッハのクリスマス音楽を中心に」のシリーズ。いずれ、リンク切れになると思うが、古楽の楽しみ ▽バッハのクリスマス音楽を中心に(4) - NHKクリスマス・オラトリオ (バッハ) - Wikipediaの第1部。クリスマス・オラトリオは「ドイツ語の歌詞による全6部(計64曲)から成るカンタータ集」。カンタータ - Wikipedia通奏低音 - Wikipediaも参照。

「バッハのクリスマス」で検索すると、クリスマスとバッハその3 【降誕節カンタータ一覧】: ♪バッハ・カンタータ日記 ~カンタータのある生活~も見つかる。凄いサイトだね。

たまたま聴いたカンタータBWV140は清澄な雰囲気を持つ素晴らしい音楽。曲目解説・たまには有名曲も~「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえる」BWV140【三位一体節後第27日曜日】: ♪バッハ・カンタータ日記 ~カンタータのある生活~に詳しい。

最近、繰り返してググっていると、同じ言葉の検索でもヒットするものが変わってくる。最初、「バッハのクリスマス」でヒットしたものの中に、Amazon | トッカータとフーガ~J.S.バッハ:オルガン名曲集 | カール・リヒター, バッハ | 古典・バロック | 音楽があって、カスタマーレビューの記述の中に「この曲の元となったカンタータ第140番は待降節(教会暦でクリスマスを待ち準備する期間)に入る直前の日曜日の礼拝のためのもので、クリスマス前、イエス・キリストの降誕を待つ期間に聴くのが最もふさわしいと思っています」を見つけたのが、カンタータBWV140を聴く切っ掛けになった。カール・リヒター & ミュンヘン・バッハ管弦楽団の「Bach, J.S. : Cantata BWV 140 & Magnificat BWV 243」をApple MusicでをMacBookのiTunesからMusicCastへのAirPlayで聴いた。

更新: 2019-12-15T11:57:14+09:00

[クラシック] 堤剛×萩原麻未 デュオ・リサイタル - シンフォニア岩国 レジデンツ・アーティストシリーズ

昨日、12月7日15:00開催。シンフォニア岩国まで車を走らせた。三原のポポロで一度聴いて、ハクジュホールの演奏をテレビとFMで聴いているので、デュオを聴くのは三度目。

2016年6月、ポポロの演奏メニュー、パンフレットより

../ポポロの演奏メニュー、パンフレットより

前の記事にはリストを残していないので、曲目をテキストで残しておこう。ベートーヴェン:「マカベウスのユダ」の 主題による12の変奏曲ト長調、 フランク:チェロ・ソナタ(ヴァイオリン・ソナタ・イ長調の編曲版)、シューマン/リスト編曲:献呈<ピアノ・ソロ>、シューマン:アラベスクop.18<ピアノ・ソロ>、三善 晃:母と子のための音楽、R. シュトラウス:チェロ・ソナタ ヘ長調。


ハクジュホールの演奏の記録は、堤剛&萩原麻未 デュオ・リサイタル|ハクジュホールにある。ポポロの曲目のうち、ベートーヴェンが「ベートーヴェン:モーツァルトの「魔笛」の“娘か女か”の主題による12の変奏曲 ヘ長調 op.66」に入れ替わっている。もっともベートーヴェンは最初のCDには入っていない。

今回の曲目は次の通り。

前半はピアノの音が柔らかく滑らかで、チェロとピアノの紡ぎ出す心地よさの中を漂っていた。後半のラフマニノフのチェロ・ソナタは一転凄かったね。ピアノの名手だったラフマニノフの曲だけあって、ピアノは伴奏ではなく、対等の位置づけ。堤剛先生も麻未さんの迫力には圧倒されたことだろう。ダイナミックな演奏だった。

CD、プログラム、チケット

../CD、プログラム、チケット

コンサート後、僕らも最新のCDを購入して、サインをもらう列に並んだ。CDを買うのは久しぶり。


会場となったシンフォニア岩国のコンサートホールは音が良く伸びて自然な音で聞こえる。コンサートホール|施設紹介|シンフォニア岩国 山口県民文化ホールいわくに。アンコール曲を「お知らせ」でキチンと知らせてくれている。堤剛×萩原麻未 デュオ・リサイタル アンコール曲目について | お知らせ | シンフォニア岩国 山口県民文化ホールいわくに。ヴォカリーズは、家内は最初の音でわかったみたいだけど。

音楽を聴きながら、やはりと思った。音楽の聴きとりも、人それぞれまったく聴こえ方が異なるのだろうと強く感じた。それはなぜかというと記憶との相互作用があるからで、記憶空間と知覚空間が相互作用して認知空間・存在空間が生まれるからだ。それぞれ別の、空間というよりは、時空が生まれるのだと思う。

更新: 2019-12-08T12:57:15+09:00

[クラシック] さちこのゆるクラコンサート vol.25、第九ひろしま2019、バッハコンクール

ムシカが来年閉店するという話があることもあって、昼から出かけた。GoogleMapが教えるところによると、昨年6月17日に訪れている。その時、撮影した写真も表示される。

ムシカ入口

../ムシカ入口

2018年6月17日撮影。この日の日記はない。GoogleMapのムシカの地理的記憶が思い出させてくれた。調べてみると、No.18のパンフが見つかった。ヴァイオリニストの上野眞樹さんがゲストの回。2-3か月に一回開催されている。


さちこのゆるクラコンサート vol.25のパンフ

../さちこのゆるクラコンサート vol.25のパンフ

表も中の絵もかわいくて楽しい。


生の音楽を近接距離で聴けるのは得難い体験だということもある。今日はサキソフォンをフィーチャーしたチェロとピアノ。「Happy Christmas !」が副題。トナカイやサンタの衣装も纏って、バラエティに富んだクリスマスの音楽が中心。最後のアンコールは「きよしこの夜」をみんなで歌って終わり。

コンサート演目リスト

../コンサート演目リスト

誰もが楽しめるし、月並みでもない充実した演目。2時間たっぷりだった。


50名程度の聴衆は僕を含めてほぼ素人衆と思われ、家内の知り合いもいない。曲目も主に素人衆向けだが、末永さんのチェロは後半の部の三曲で聴かせた。ボッケリーニのチェロ協奏曲はいいね。初めて聞く名前。ハイドン・モーツァルトの時代のイタリアの作曲家、チェロ奏者。ルイジ・ボッケリーニ - Wikipedia

ピアソラの「オブリビオン」は映画音楽という話だったが、帰宅して確認すると、思った通りトム・クルーズ主演のSF映画。oblivionの意味は「忘れること」、「忘れ去られていること」、忘却という意味で当たっている。アストル・ピアソラ - Wikipediaは作曲家、バンドネオン奏者。タンゴをクラシックとジャズと融合させたとWikipediaには書いてある。前半一部では、ピアソラの「ブエノスアイレスの四季」が、冬春夏秋の順に演奏された。家内によれば「冬」が一番ポピュラーらしい。

一部の最初、メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番と二部の最初、バッハ無伴奏パルティータ第3番はヴァイオリンのパートを山下氏がソプラノ・サキソフォンで演奏するという形でサックスがフィーチャーされる。オーケストラにはサキソフォンは普通はないという話と共に、なるほどと思った。サックスの音域が足りないところをどのようにカバーするかなど、音楽の専門的な話をわかりやすく、山下氏の実演も交えて、笑いを取りながら丁寧に説明して興味深い。その他にも、梶矢さんのピアノの自らによる、メンデルスゾーンのピアノ協奏曲の場合は不可能に近い、高度な譜捲り技について、末永さんが言及して笑わせるなど、語りが的確でうまい。

これが今年のコンサート納め。先週は、エリザベト音楽大学のザビエルホールで行われたバッハコンクールを聴き、日曜日は広島サンプラザホールの「第九ひろしま2019」イヴェントで、広島交響楽団の演目リストは多様だが、目玉の萩原麻未さんのモーツァルト・ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488第2楽章を聴き、メインのベートーヴェンの第九合唱付きに感動し、最後に「蛍の光」を歌った。今年は三列目中央右側で聴いたので、オーケストラのコントラバス(ベース)の演奏の様子がよく見えた。

「第九ひろしま2019」の会場に向かう

../「第九ひろしま2019」の会場に向かう

開場14時、開演15時。駐車場は帰りの混雑が大変。粛々と出る順番を待つ。


第九ひろしま2019開演前ステージ

../第九ひろしま2019開演前ステージ

広島サンプラザホール1階アリーナ席から見る。奥の合唱団は、中央に男性合唱団、後方と左右に女性合唱団を配置し、写真では見えないが、両脇にも女声合唱団が大勢いる。右側の女性二人は合唱団の知り合いを撮影している。総勢1736名とか言っていたと思う。


最も印象に残ったのは、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番の美しさ。有名な名曲であることを認識。聴いた事がないわけではないのだけど。

更新: 2019-12-22T17:46:15+09:00

[日記] スマホと孤独とハイデッガー

サンデーモーニング。SNSによって子供が犯罪被害に遭う。韓国も日本も年少者の自死が増えているという。電車内でスマホから顔を上げると、みんな並んでスマホを覗き込んでいる。家族で一緒に食事をしていても、それぞれがスマホを見ている。確かに便利にはなったが。人間て何だろう。現存在とは何かと思わせる。

「現代は」と言っても、おそらく、ここ数年、5年ぐらいのことだと思う。人間は膨大な情報に取り囲まれている。一人の人間が現存在という時空を生み出すのには多過ぎるぐらいの。

もっとも、スマホで何をしているのかと見ると、ゲームが結構多い。後多いのはデバイスをむやみやたらと操作して見せびらかしている場合もある。ある意味、「暇つぶし」である。SNSを見たり応答している場合も多いのだろうが。

実際的には、スマホはモバイル時だから見ているのであって、その他の時は、調べることが出てきた場合、手元にPCなどのデスクトップやノートブックがない場合に已むを得ず使う。しかし、子どもたちはPCを持っていないかもしれないが、スマホは既に旧石器時代のPCの性能を遙かに超えている。画面が小さいのが玉に瑕、そして、デスクトップの環境をすべて使えるわけではない。

結局、スマホに問題があるわけではない。スマホは便利な道具に過ぎない。問題は「孤独」にある。そして、孤独と退屈は背中合わせかもしれない。みんながスマホにのめり込むのは退屈だから。そこに人生の意味を求めようとする。LINEなどのSNS(Social Network System)に生ずる疎外・孤独の問題とは別問題かもしれないが、退屈がなければ、そもそもSNSなど不要かもしれない。

いやはや、もう単純なキーワードを基に記事を辿る暇はないということになってきた。検索で、OR検索は正規表現で簡単にできるが、AND検索には対応していない。もっとも、(A.*B|B.*A)を使えば、行単位でAND検索はできる。更新日記の場合はパラグラフ(段落)単位で可能だ。実際のところ、上記の検索結果を見ると、日記記事単位で両方の単語が存在している記事はないことがわかる。

もし退屈が増えているとしたら、意味をもたらすものとしての社会や文化に重大な欠陥があることを示している。この「意味」という言葉は、総体的にもっとも大切なものと理解してほしい。僕たちは総体的な意味(形は何であれ)で社会の一員になっている。総体的な意味がさまざまな部分に意味を与え、それが僕たちの人生をかたちづくっている。ここで言う総体的な意味については、これまで伝統的な他の言葉が示していた。それは「文化」である。現代の理論家の多くは、文化は消え、代わりに、たとえば「文明」に取って代わられたという結論を出している。要するに、もし退屈が増えているとしたら、理由はおそらく総体的な意味が離脱してしまったからだろう。総体的な意味と部分的な意味、つまり、文化とその文化から生まれるものが結びついているのは明らかで、僕たちは次のように自問することができる。物事はどの程度までまだ文化をもたらしてくれるのだろうか。ハイデッガーの同語反復法を借りれば、物事はまだ物事たりうるのだろうか。別の言い方をすると、物事は全体で文化として機能しているのだろうか。

(ラース・スヴェンセン著、鳥取絹子訳「退屈の小さな哲学」、集英社新書、2005年)

とすると、退屈ということは、日常に意味が見いだせないということを意味する。総じて、世界はそういう状況に陥っているということになる。「暇」を楽しんでこそ自分が磨かれる [國分功一郎] | ISSUES | WORKSIGHTには、『「暇ではないが退屈」という感覚が日本に蔓延している』と書かれているが、日本のことだけではないのかもしれない。

國分先生は、前記記事のタイトルから考えると、「暇」を作って楽しめと言っている。確かにそれは最も健康的な提案であろうと思われる。自分から忙しがっていても仕方がないということだろうね。意味を見つけるためには暇にならねばならぬ。

暇で孤独な時間こそ大事だと僕は思っています。アーレントも指摘しているように、「孤独」と「独りぼっち」は違います。英語でいうとソリチュードとロンリネスの違いですね。ロンリネスというのは寂しさや人恋しさを帯びた状態です。対して、音楽やバレエの世界で独奏・独演する人をソリストというように、ソリチュードという言葉は他にまみれない“確立した個”を含意している。孤独でいられる人というのは自分自身と対話できる人、すなわち内省できる人だというアーレントの指摘に僕は共感します。

(「暇」を楽しんでこそ自分が磨かれる [國分功一郎] | ISSUES | WORKSIGHT)

ようやく「孤独」が「暇」を介して「退屈」と結びついた。ハイデッガーにまで結び付けるにはもっと時間が必要かな。どんどん日記は長くなる。引用してもよいけど、「退屈の小さな哲学」の178~179ページあたりを探るとよい。

國分功一郎著「暇と退屈の倫理学」増補新版(太田出版、2015年)にも言及しておこう。ハイデガーの「退屈の第二形式」について225ページから書いてある。これは奥が深くて難物だ。いろいろと考えさせられた。一見退屈していない状態でも、実は退屈している。「暇ではないが退屈」に分類されるのが、退屈の第二形式だが、単純ではない。ハイデッガー流の言い方に変えると「何かに際して退屈させられること」。

ちなみに「退屈の第一形式」は「何かによって退屈させられること」である。そして、暇があるのに退屈するのである。ただ、この「暇と退屈の類型」(239ページ)の説明は、列車を待つ時間の例えと共に、242ページの「自己喪失」、時間を失いたくないという脅迫観念に取り憑かれた「狂気」に他ならない、大いなる「俗物性」への転落であるとさえ言うのとは、ニュアンスが異なるように思う。退屈という言葉のニュアンスが違うのかな。日本語では「退屈」というと、何もすることがない、のんびりとした牧歌的な雰囲気を伴っていると思うが。「退屈」には「狂気」のニュアンスがある!? そして、「暇」ということは、余裕がある、時間があるというニュアンスで使う言葉だ。だから、日本語では「暇」と「退屈」はよく似合う。何かがないから「暇」なので、何かがあるなら暇ではない。

退屈の第三形式もある。「なんとなく退屈だ」。これ自体は事象としてはわからなくはない話だが・・・

スヴェンセンの「退屈の小さな哲学」に、のどかな余裕のある洒落た話を期待すると、だいぶ雰囲気が異なる。バラードの「クラッシュ」など、えーっと思う話題が延々と取り扱われる。前読んだ時も違和感が残った。やはり話が少し違う感じがしてきた。「退屈」という言葉、文字通り、「退いて屈する」、精神的に抑圧された状態を指すのだろう。ハイデッガーの「退屈論」は「形而上学の根本諸概念」の中で取り扱われている。「存在と時間」では「不安」が主題だったのだが、「退屈」に移行していく。

更新: 2019-12-01T21:45:09+09:00

[日記] 師走の日々の混沌

12月7日、今朝、アレクサが大雪を告げた。「たいせつ」と読む。二十四節気の第21、次が冬至。この前が、11月22日、小雪、「しょうせつ」だった。朝の車外気温表示は6~7℃が当たり前になった。帰宅時も7~8℃。室温も20℃を切るので、エアコンが23℃設定で稼働、ホットマット15Wも足元で稼働中。どうなんだろう。やはり暖冬かな。COP25(国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議)で、温暖化対策の強化を求める座り込みデモにグレタさんが参加との報道。

問題は混沌としている。対応策を地道に考えるしかない。しかし、CO2を出さないようにすることを考えると、様々な問題点が見えてくる。単にガソリン車の代わりにEVを作れば済むというものでもない。それだけで済むはずもない。COP25は問題点や課題を整理して、方向性を打ち出せているのだろうか。UN Climate Change Conference - December 2019 | UNFCCC

更新: 2019-12-08T09:01:24+09:00

[日記] 45分のナイト・ウォーキング

昨日の朝は、今年初めて、廿日市高架で「外気温低下に注意」の表示が出た。外気温の表示は3℃。実質的に0℃に近いはずだ。広島の過去の天気を見ると、12月9日の最低気温は3.6℃。朝晴れて放射冷却だったのかも。今日は暖かかった。今日は最低気温5℃、最高気温15℃の予想だった。昨晩の記録。

ドリミネーション

../ドリミネーション

Night Walk No.19: 昨日の話。八丁堀から速歩で帰った。


夜のYouMeタウン

../YouMeタウン

最近のトレーニングの甲斐あってか、速歩のスピードもまったく落ちずに帰宅。


5075歩、45分。毎夜の30分速歩もかなり歩いていることになるね。

Night Walk No.18の夜空

../Night Walk No.18の夜空

日曜日の夜。


Night Walk No.18のオリオン座

../Night Walk No.18のオリオン座

拡大して切り取り、コントラストを強めに。


日記も注意して読まないと、時間が混在している。

更新: 2019-12-10T22:59:58+09:00

[日記] ARとしての日記

「拡張現実としての日記」と書いた方がよいかもしれない。書くことによって現実は拡張されていく。スマホのカメラ・ディスプレイの中に映し出された風景に、何か属性を示すタグを表示する程度の話よりも、はるかに実用的だし、複雑で奥が深くなる。書籍に関する話題は、自分自身の意識の中では、多読術的な深化を遂げ始めた。進化するためには20年掛かるということだなあと思っている。

最近は音楽の話題が多くなっている。とうとう、バッハ(Bach)はカテゴリーの一つになった。カテゴリーの分類もある程度はして、少しずつ整備はしてきたが、今のところ単純すぎるし、だからこそ恣意的なものになる。しかし、カテゴリーの集合自体が物語を語り始める可能性もあると感じている。カテゴリーのグルーピングを日記の内容によって自己組織化できればおもしろい。それを自らの意識でやるのか、アルゴリズムによってコンピュータを利用するのかが問題ではある。

[日記] 今時のバースデー・ソングを聴こう

昨年は、くるみ割り人形をドゥダメル指揮のロス・フィルで聴いた。12/20/2018: [日記] Happy birthday to you!。今年は、人気のバースデーソングランキング【2019】を覗いてみた。BUMP OF CHICKENの「HAPPY」が一位。世間はそういうものか・・・

Windows上のiTunesが、二度目のアップデートで動きそうな雰囲気だっので、「BUMP OF CHICKEN」をミュージックで検索してみる。最新アルバムの「aurora arc」を、DELLのデスクトップ・オーディオで聴き始めた。アルバムを開いてみると「HAPPY」はない。最後まで聴いて、探そうか・・・

洋楽のバースデーソング。誕生日に歌いたいおすすめの定番曲。二位にStevie Wonderの「Happy Birthday」。懐かしいね。これも聴いてみよう。

あっ、ドリカムの「Happy Happy Birthday」がいいね。

そういえば、Billie EilishがApple Music Awardを受賞したのでは。初のApple Musicアワード受賞者はビリー・アイリッシュとLizzo、LIL NAS X | TechCrunch Japan。バースデーソングもあるだろう。今年も後11日。音楽で暮れ行くか・・・

ビリー・アイリッシュは、アルバム・オブ・ザ・イヤーと、兄のFinneas(フィンニア)と共同でソングライター・オブ・ザ・イヤーも受賞した。アルバム・オブ・ザ・イヤーは「WHEN WE FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?」に対して贈られたもので、これはApple Musicで10億回以上再生され、2019年で最も多く再生されたアルバムだという。

Billie EilishのSteve Jobs TheaterのライブをApple TVのMusicで視聴しているけど、単なるアイドル的な歌手ではない。決定的な未知数-『ドント・スマイル・アット・ミー + 5』ビリー・アイリッシュ| 洋楽 CD/EP新譜レビュー| 音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)の「party favor」が、まさに「Happy birthday」ソングなのだけど、『ヒップホップを土台にするエレクトロ・ポップを基調としていて、随所でゴスやインダストリアルが介在し、不機嫌でグルーミーなムードを生み出していく。それは世代の共有感覚としてのメロウ、という「トレンド」をさらりと纏った今時少女のセンスの賜物かと思いきや、次の瞬間には時代にぷいっと背を向け、他人の理解を拒絶したブルーな苛立ちへと没入していく、気まぐれなアウトローっぷりが最大の魅力だ』が時代の雰囲気らしい。10代の兄妹が生み出す現代の音楽はある意味素朴。今年はグレタさんのこともあったし、10代が活躍する時代に突入かな。

更新: 2019-12-21T09:20:50+09:00

[環境] 今年の人

グレタさん、米誌タイムの2019年「今年の人」に

確かに、今年の人かな。新しい世界を開かせよ・・・

[Google] 時は流れて、Alphabet & Google CEOはピチャイ氏

Alphabetのラリー・ペイジCEOが辞任 後任はGoogleのスンダー・ピチャイCEO - ITmedia NEWS

1998年創業。21年目。いろいろなことがあったね。

[数学] 宇宙際タイヒミュラー(IUT)理論の行方 - 加藤文元著「宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃」

これまで「TARO-NISHINOの日記」を読んできて、さてどうなるんだろうと思っていたのだが・・・

TARO-NISHINOの日記がスラドから移行され、すべてリンク切れになっているので、ここに新たにリンクを作っておく。まあ、タイトルで検索すればすぐ出てくるのだが。

色々調べると、他には次のようなリンクが得られる。

京大の天才教授が発表した「未来からやってきた論文」IUT理論とは『宇宙と宇宙をつなぐ数学』 | 本がすき。を最近読んで、やはり読んでおこうと思った。

最後まで読んでまた書くだろう。to be continued...

[数学] 十夜一冊 第千八百十夜 加藤文元著「宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃」

肝心な部分を味わったとはいえないかもしれないが、急ぎ目を通して完読。対称性で宇宙と異なる宇宙との通信を行う。モノから対称性を抽出して、対称性からモノを復元する。対称性の群によって行為を計算できるという話なんだが・・・復元しても歪みがある。歪みの量を計測すれば、不等式が作れる。

異なる言語間の翻訳なんかにも使えるのかも・・・異なる言語は似て非なるものだよね。根幹にある身体的生得的構造は同じだということになっているが、世界において現れ方は異なる。もっと言えば、人それぞれ、自らの時空を生成しつつ異なる宇宙に住んでいる。人間が対称性通信によって宇宙間コミュニケーションをしているとすれば、IUT理論は人間の理論かもしれない。尤も、人間のコミュニケーションを対称性通信で表現できるとすればだが・・・

「宇宙と宇宙をつなぐ数学」と「数学する精神」

../「宇宙と宇宙をつなぐ数学」と「数学する精神」

「数学する精神」はやはり加藤文元先生の著書で、2007年刊行の中公新書。新書や文庫は横書きだと読みにくく感じてしまう。無意識が縦書きのつもりで本を読もうとするからだろう。

IUT理論の本が加藤文元先生の著書と分かったことが購入の一つのきっかけとなった。望月新一先生と加藤文元先生の二人のセミナーは2005年から2011年まで続いたのだが、そのセミナーの初期の最中に書かれた本ということになる。そして、「あとがき」によれば、当時の著者の年齢は39歳。基になるものはあったのだろうけど、草稿を一週間程度で書かれたという。天才だね。この本は、今アマゾンで、なぜか2200円、定価は780円なのだが、人気が出ている。

「通史」を書くには40歳になる前の怖いもの知らずか、怖いものなしの60歳になってからと岡田暁生著「西洋音楽史」に書いてあるらしい。十夜一冊 第二百四十夜 岡田暁生著『西洋音楽史 「クラシック」の黄昏』 (2011/06/30)のあとがきの最初に書いてある。岡田氏は45歳で書いた。

それはともかく、第8章「倒錯する数」の夏目漱石の「吾輩は猫である」からの引用やIUT理論のほうの脚注にイアン・ハッキングが登場するところは人文にも通じていることはあきらかだ。


「まえがき」を読んで驚いたのは、川上量生氏と清水亮氏の名前を見つけたこと。川上量生氏が数学を勉強しているという話はどこかで読んだと思うが。川上量生カドカワ社長「数学を諦めることは人生を諦めることと同じ」 | 『週刊ダイヤモンド』特別レポート | ダイヤモンド・オンラインなどにある。川上量生氏が主宰された「MATH POWER 2017」における講演が、本書のもとになっているそうだ。角川書店から刊行されたのは当然ということだね。MathPower参照。川上量生氏は「おわりにかえて」を寄稿して、本書の出版の経緯を伝えている。

応用するとすれば、群論を活用できるようにする必要があるのだろう。何か考えてみようか。情報間の対称性ってなんだろう。情報を群論で表現すれば何かわかるのかもしれない。当然のことながら、既にそんな研究はあるだろうね。Content-Based Information Retrieval by Group Theoretical Methods | Semantic Scholarあたりが、出発点らしい。論文にバッハのフーガ、ハ長調、BWV846が出てくるのには少し驚いたが・・・マルチメディア・ドキュメント領域の話だから。

ちょっと関連メモ。群論と圏論の関係については、圏論と群論 - Naughie's Advent Calendar

川上量生氏の目的はやはりディープラーニングの進化・深化。目の付け所が素晴らしいね。ディープラーニングというよりはニューラルネットワークと群理論の関係の研究の中心にいるのは、Risi Kondor氏のように見える。なるほど・・・情報理論よりは物理学の方から来ているのかな・・・尤も万物理論も情報理論になるという話もあるぐらいだから、本質的なところは物理学から到来するだろう。それは数学と緊密に結びついている。

保型形式 - Wikipediaを最後に残しておこう。「automorphic form」。いやはや、勉強しなければならない領域が大幅に拡大してしまったな・・・物事を認識する基盤にニューラルネットワークや機械学習・ディープラーニング、対称性・群理論が置かれつつある。「Deep Learning」は単なる実用的な方法として捉えればよいという感じだったが、その本質が見出されるのかもしれない。

更新: 2019-12-29T09:41:00+09:00

[Music] 第2回 古澤巌バイオリンの午後 - 比治山多聞院本堂にて

音楽尽くし。映画音楽からポピュラーまで。法事に、生のバイオリンを目の前で聴けると、ご住職から案内されていたので、聴きに行った。

比治山多聞院本堂へ、いよいよ入場!

../比治山多聞院本堂へ、いよいよ入場!

半月より太った月に照らされて。


本堂に張られたポスター

../本堂に張られたポスター

| 古澤巌オフィシャルブログ。今は古澤巌×ベルリン・フィルハーモニー ヴィルトゥオージのクリスマスを売り出し中。略歴は、古澤巌 - Wikipedia


エンニオ・モリコーネの曲は映画音楽なので、完全な曲としての構成を持っていないが、なんとか、曲として形を作って演奏しているのは自分たちだとの自負を暗に披露したり、ロベルト・ディ・マリーノに曲を書いてもらっているとの話は、ヤマハ | ラテンにタンゴ、アラビック……気鋭の若手と組んだカルテットで、複雑なビートにも挑戦!/古澤巌インタビュー | Web音遊人(みゅーじん)にある。最後のアンコール、「竜神伝説」は作曲は得意ではないと謙遜されていたが、自信作なのではと思った。最後を飾った。

現代の音楽は多様化している。クラシック、ジャズ、ロックからポピュラーまで、音楽がどのように進化してきたのか、興味深い。中沢新一は「ミクロコスモス II - 耳のための、小さな革命 -」の文庫版まえがきに次のよう書いている。

いまの人類が使っている特別なタイプの言葉は、意味を重ねて象徴表現できる「喩」の能力をもっており、それは音楽と一緒に出現していたものである。・・・

バルトークは中・東欧の民族音楽を研究している。そんなところから紐解いてみるのもおもしろいかもしれない。ミクロコスモスはバルトークの152曲から成る練習曲集の名前でもある。それは「ミクロコスモス I - 夜の知恵 -」の「短い序曲」に書かれている。

更新: 2019-12-08T23:01:41+09:00

[哲学] 哲学な日々- 考える技術

野矢茂樹著「哲学な日々 - 考えさせない時代に抗して」(講談社、2015年)のなかに、「考える技術」という文がある。

考えることは雨乞いのようなものである。こうすれば必ず答えが降りてくるなんてマニュアルがありはしない。答えが閃くのをひたすら待つ。・・・

(上掲書 44 考える技術、100ページ)

「雨乞いのようなもの」というのが気に入ったけど、そこでは終わらない。最終的には、考える技術とは、問いの立て方の技術、問う技術だと言われている。

問題を答えが出るように解きほぐして、問う。そして、答えを組み上げる。

解きほぐすというのは私流の説明。問題を考えやすく答えやすいように小さく分け、論理では簡単に説明できないところまで考えていく。残ったものを書き出して、メモ帳と鉛筆を持って散歩に出る。最後は理屈ではなく、飛躍がある。飛躍を起こすためには「雨乞い」が必要というわけ。

更新: 2019-12-25T21:34:41+09:00

[Raku] 年末の楽な話

さて、年末が押し迫った。音楽尽くし、数学尽くし、哲学尽くしだけで終わったのでは、肝心な部分が足りない。Raku/Perl6の状況が気になる。Rakuへのリネーム後の状況。6gutsは昨年の1月から停止したままだし、jnthnを十分に捕捉する必要がある。まあ、個人の意思が現れるツイッターからだよね。

今は年越しに忙しいので、ここらへんからを来年の出発点にすることにしようか。CommaとCroを使いこなすこと。インストールは既に済んでいる。ここにRaku/Perl6の新しさが集約されているはずだ。

[将棋] 藤井聡太七段、C級1組順位戦、第7回戦

真っ黒な宮島を横目で見ながら帰ってきた。今日は藤井聡太七段の順位戦、相手は船江恒平六段。もう夕食休憩は過ぎている。

将棋を生放送で見る機会が増えた。もちろんAbema TV。将棋の難しさを感じる。羽生九段でも負ける。どうしようもなく。

藤井七段、読みに読んでいる。読めるとどこまでも読んでしまう。さて、そろそろナイト・ウォーキングに出掛けるか・・・

SPYRO GYRAのベースやギターが刻む軽快なリズムに乗って歩く。ペースがいつもより少し速い。30分弱で一周。3489歩。116歩/分。「The Rhienbeck Sessions」(ジャズ、2013年)の「Not Unlike That」、Sorbet、「I Know What you Mingus」の途中で帰ってきた。まだ藤井七段は指していない。と思ったら指した。

師走だけど、昨日も今日も将棋の順位戦を見ている。昨日はA級順位戦、羽生九段が糸谷八段に負けた。よく見かける女性の観戦記者が、読みに読んでいる羽生九段を食い入る様にじっと見つめながら、ノートに書きつけている。観戦記を書く材料になるのだろう。何を思って書いたのだろう。読んでみたいね。複製とは言え、同じ時空を共有したのだから。いくら読んでも勝てない道筋に迷い込んだのだ。

さて、残り時間は・・・藤井七段の勝利。

更新: 2019-12-04T21:31:50+09:00

[Video] AMAZON PRIME: ミス・マープル

アガサ・クリスティー ミス・マープル - Wikipedia

編み物をしながら、のどかな殺人事件の捜査。哲学的会話。ミス・マープルは村人の会話から世界を知る。

[歩く] 「A Night On The Town」を聴きながら

黒い海上に遠く、船の明かりが鮮やかに見える。対向車線の遠く、廻ってくる車の明かりが連なっている。今日も第13回朝日杯将棋オープン戦二次予選、郷田九段対野月八段戦を終わりごろまで見て、九時過ぎに歩き始めた。ロッド・スチュアートで最も好きなアルバムをiPhoneにダウンロード。

Wireless Stereo Headphones MDR-NWBT10N

../Wireless Stereo Headphones MDR-NWBT10N

8年前に購入して、少し使ったけど、当時はPCのUSB端子からの充電が面倒なのと、歩きながらではコードが衣服に接触する音が伝わって邪魔になるので使わなくなっていた。イヤフォンの耳への挿し方が問題だったかなと試してみると、浅く挿せば問題ない。充電もマイクロUSBケーブルを使ってUSB充電アダプタを使うことができた。


ノイズキャンセル・スイッチ

../ノイズキャンセル・スイッチ

良く調べてなかったのだが、ON-OFFのスイッチがノイズキャンセルのスイッチだとは知らなかった。これ何のスイッチなんだろうと思っていたのだが。ヘッドフォンのスイッチではないし。最近、AirPods Proのノイズキャンセリングが話題になったので調べていて見つけた。スイッチONの表示の上のマークは「NC」のように見える。ノイズキャンセルの頭文字を組み合わせているのだと思う。


歩きながらでは音質もよくわからないような気もするが、こればかりはいろいろと聴き比べてみないとね。出かける前に一聴した限りでは、クリアで高域がはっきりしてメリハリがある。また、明日にでも聴き比べをしてみよう。LPとの比較も、MacBookからのAirPlayもある。

[歩く] Night Walk No.23 - 雨降り中断

1645歩で中断。出発時に道が少し濡れているのが気がかりだった。途中で無視するのは残念ながら無理、雨音がするほど降り出した。帰ってみると帽子とジャンパーがかなり濡れていた。

[歩く] Night Walk No.25 - 風の如く

3427歩、風の如く歩く。30分掛かっていないかもしれない。次は時間を正確に計測しよう。

日記を書くのが少し疎かになっている。日記を書くのが、なぜか遅れてしまう。他のところで、調べたり読んだり書いたり考えたりする量が半端でなく増えてきているからかもしれない。

それはともかく、今日もソニーのMDR-NWBT10NでApple Musicを聴きながら歩いた。充電切れの場合はApple純正のイヤフォンをつなぐのだけど。ソニーのワイヤレス・ヘッドフォンは音の分離とキレが抜群によい。悪く言えば、解析的だ。音の分離の仕方が不自然ともいえる。頭の中に奇妙な音場が出来上がる。ドラムスが左右二人いるみたい。

雰囲気的には純正のイヤフォンも悪くない。音もまろやかで聴きやすい。音が不鮮明というわけでもない。いい感じで聴けるから、問題ない。わざわざ充電して準備しておいて、ソニーで聴くのは音楽がクリアで新鮮な感じがするから。

今晩、聴いたのは、Brad Mehldau Trioの「Seymour Reads the Constitution!」、「シーモアは憲法を読む」っていう意味でよいのかな。Seymour Reads the Constitution! - Brad Mehldau, Brad Mehldau Trio | Credits | AllMusicのクレジットを見るとドラムスはやはり一人だよね。

Brad Mehldauの最近のアルバムは変わっている。特にFinding Gabriel - Wikipediaは・・・「Deep Water」はいいけど・・・

「After Bach」あたりからかな。新しいことにチャレンジし始めたのかも。