[A.I.] 四つの撚り糸に織り込まれて休憩しよう - 人工知能のための哲学 10

ドイッチュ先生の万物理論は「四つの撚り糸」からなる。撚り糸は多宇宙の量子物理学、ポパー的認識論、ダーウィン-ドーキンスの進化論、そしてテューリングの普遍的計算理論の強化版の四本である。ここでは、取り敢えず、物理学だけを話題にしていかなくてよさそうだと安心しておこう。ポパーとドーキンスを少し調べていく必要がありそうだというぐらいのところで、一旦休憩。ようやく、じっくりと本と向き合う時間ができた。少しは理解した。

「無限の始まり」は「進化に終わりはない」というまえがきに始まる。したがって解決できないことはないという理屈になるので、コンピュータで人工知能はできるはずなんだが、計算はできるはずだが、「理解できていないことはプログラムできない」ので、人工知能を作ることはいまのところむずかしいという理由としてあげられている。

たとえば、クオリアとは何かわかっていないという話題があった。計算理論だけで人工知能ができないことは明白だ。知識などの記憶から意識が生じる必要がある。深層学習のようなもので意識を生み出すことができるだろうか。

記憶と世界との相互作用が記述できれば、可能になるかもしれない。まずは記憶だろうね。感覚器官から取り入れた情報を如何に処理して記憶していくのか。如何に記憶から必要な情報を取り出すのか。なぜコンピュータは必要な情報だと思い至るのか。記憶にある情報を使ってどのように思考するのか。なぜ思考するのか。次第に哲学になる。

必然的に哲学はプログラムできるかという話題になってくる。

三宅陽一郎先生の「人工知能のための哲学塾」の関連で、『「人工」知能と知能を考えるための61冊』という書籍リストがある。「人工」知能と知能を考えるための61冊 「ゲームの国」 解説 - TogetterまとめなどからPDFを入手できる。

この中に『「エクリ」を読む : 文字に添って 著:ブルース・フィンク』が取り上げられている。「エクリ」はラカンの主著と言われていると思うが、高田明典先生の「難解な本を読む技術」(2009年)の付録のラカンの項では入門的解説書として、向井雅明著「ラカン対ラカン」(1988年)が特に取り上げられていて、入門書というよりは専門書であり、高く評価されていた。一度購入しようと立ち読みした記憶があるが、いずれも高価で取り敢えず読んでみたいというレベルではとても購入できなかった。今回調べていると、ちくま学芸文庫に「ラカン入門」(2016年)というタイトルで内容的にもアップデートされている。しかも大幅に購入しやすい価格設定。Kindle版はもっと安い。早速購入。フィンクの翻訳はまだ高価でとても手が出ない。

ラカン入門のまえがきは、生物学的モデルで構成されたフロイトの全体像がラカンの言語モデルを通して捉えなおすとわかるという殺し文句で始まり、前期・中期・後期を通じてラカンを理解するためにはやはり「もう一人のラカン」を通じて理解するしかないという説明になっている。ドイッチュ先生もこの翻訳を読めば、構造主義を退けることはないのかもしれない。もちろん、これは僕の想像に過ぎない。これから読む予定・・・

さて、上記のリストには河合隼雄先生の「無意識の構造」(1977年)も取り上げられている。人工知能の無意識をプログラミングするとはどういうことになるのだろう。レイ・カーツワイルの「シンギュラリティは近い 人類が生命を超越するとき」(THE SINGURALITY IS NEAR WHEN HUMAN TRANSCEND BIOLOGY; NHK出版、2012年;原著: 2005年、以下「シンギュラリティ」)をもう少し確認しておこう。僕はこれもKindleで持っているが、原注はリンクを含めた詳細なリストになっている。追い掛けるのも大変かもしれない。

TRANSCENDENCE (2014/07/21)で映像化された世界は、ドイッチュ先生の「世界の究極理論は存在するか 多宇宙論から見た生命、進化、時間」(朝日新聞社、1999年;原著: 1997年)の「14 宇宙の終わり」によれば、フランク・ティプラーのオメガ点理論(「不死の物理学」、1994年)のようにも思える。人工知能を考えるなら、レイ・カーツワイル(Ray Kurzweil)を出発点とするだけでなく、ドイッチュ先生らの本も頭に入れておいた方がよいだろう。

しかしながら、シンギュラリティの原注を調べると、Kurzweil先生も当然のことながら、多世界の物理学や人間原理はご存じで、Frank J. Tipler先生が著者の一人のThe Anthropic Cosmological Principle by John D. Barrow - Reviews, Discussion, Bookclubs, Lists(この本はWheeler先生がまえがきを書かれている)やA Designer Universe?を読むように勧めている。

ちなみにシンギュラリティの原注には648の項目がある。半端ではない。その中にDeutschの引用はない。理論だけではなく、工学的なアプローチがあるのだろう。良くも悪くもアメリカ的だが、「第七章 わたしは特異点論者だ」には「人間の思考とコンピューティング技術の関係を」ティーンエイジャーだった1960年代から数十年にわたって考え続けていることが記されている。

更新: 2016-09-25T11:46:26+09:00

[Apple] 7thの予測

iPhone7発表目前?これまでの観測・リーク情報を総まとめ! - iPhone Maniaネタ。なかなか詳細なまとめになっている。

最後の価格を見て、少なくとも半額ぐらいでないと僕は手が出ない。それが最大の問題。MVNOで使えれば、選択の余地はあるかもだが・・・

更新: 2016-09-08T20:23:32+09:00

[Apple] イベント 7th

7thは9/7とiPhone 7を掛けている。昨日は五時半起だったので、早く寝て、うまくいけば午前二時に起き出して、イベントをライブで見ようと思ったのだが、あっさり朝まで目が覚めなかった。結局、今、Apple TVで見始めた。

イベントの内容は「日本」の存在が目立った? Appleのスペシャルイベントを振り返る - 注目すべきはiPhone 7よりも…… (1) あの超人気者がiPhoneに | マイナビニュースなどを読めば十分だろう。iPhone 7/7 PlusにApple Pay、Apple Watch Series 2、ポケモンにマリオ、Appleスペシャルイベントは「事件簿」だった (1) 事件ファイルその一、iPhone 7/7PlusにApple Pay | マイナビニュースのような違う観点からのレビューも参考になるだろう。

ワイヤレス・イヤフォンのAirPodsが特に新しい要素で、Bluetoothを拡張したW1という独自の無線通信チップを使う。これは別売、16,800円だ。キャリングケース兼充電ボックス付き。ここから取り出すと自動的に接続するという。

最も驚いたのは、最後のシーアのライブ・パフォーマンス。シーア - Wikipediaを参照。Sia Furler - Wikipedia, the free encyclopediaには、9/7のApple Fall Eventに関する記載も既にある。大きなリボンを頭に付けて、顔を前髪で隠して歌っているのがシーア。驚異的で独創的なダンスを見せたのは、Maddie Ziegler - Wikipedia, the free encyclopediaだ。初めて見たので、これは何なんだと思った。

調べていくと、13-Year-Old Dancer Maddie Ziegler Totally Stole The Show At The Apple iPhone 7 Launch | Huffington Postの記事が出ている。13歳の天才的少女ダンサー。曲はChandelier。

AppleやiPhoneも喰われちゃったかも。強烈な印象を残した。

もっとも、僕は昨晩(9/9)はApple MusicのFor YouでAリスト:ジャズのノラ・ジョーンズ、「Carry On」(Day Breaks)を聴いて、スティーブ・ジョブズのプレゼンを思い出していたけど。現実歪曲空間・・・

更新: 2016-09-10T08:56:22+09:00

[Apple] アップルの未来 - AirPods

What AirPods can tell us about Apple's future | Macworldネタ。

まずは、AirPodsに組み込まれている技術を正確に把握する必要がある。不思議なデバイスだ。

Appleが目指す完全ワイヤレスの未来への第一歩となるイヤホン「AirPods」 - GIGAZINEなら、日本語で未来感を確かめることができるかも。

[Apple] AirPodsというデバイス

Review: Apple's AirPods Provide Vision Of Siri Futureネタ。リンクをコピーするタイトルと表示されているタイトルが違う。表示されているのは「Apple's AI if by Air」。

AirPodsを高く評価する記事がいろいろと出始めた。これが、あれなのだ。って・・・答えがわかる人は手を上げて^^;)明日回答を書こうともったいを付ける・・・

答えは想像もつかない新機能 (05/06/2016)など参照。音声認識・制御の流れが定着するかどうか。ティム・クックCEOの「以前はこれなしにどうやって生活してたんだ? と振り返られる機能」はこれ。

Windows 10上のCortanaは何でも聞いてくださいと言っているけど・・・マイクはどう設定するのだろう。デスクトップではまずいらないとは思うけど。ディスプレイがある場合には。

更新: 2016-09-14T21:21:39+09:00

[Apple] macOS Sierra

昨日、英国のどこかのサイトで9/20からmacOS Sierraがインストール可能と書いてあったので、夜中にインストールをしようとAppStoreを調べ始めたが、Xcodeの最新版とその他いくつかのアップデートが置いてあるだけだった。取り敢えず、できるものだけ、アップデート。さらに調べると日本は今日だった。

帰宅して、調べるとmacOS Sierraのダウンロードが見つかった。ダウンロードして、インストールを始めることができたのは、午後9時半前だった。何時まで経っても、残り約33分と表示される。30分程度経過後にようやく残り約32分に、それ以降は少しずつ進み始める。残り時間の計算の仕方が悪いんじゃないかな。50分経過で、残り約17分。

まあ、僕のMacBookはmacOS Sierraがインストールできる最も古いMacBook、Late 2009だ。正規の4GBメモリ上限(購入時2GB実装)を8GBまで増量している。Mac Trackerによれば、8GB搭載できることになっている。

インストールできてもあまりmacOS Sierraの新機能はほとんどが使えない。マイクさえあれば、使えるのはSiriぐらいかな。

1時間30分経過、間もなくインストール完了:残り約6分。1時間40分程度で完了。ただいま23時15分。

../images/2016/09/CIMG4901m.JPGmacOS Sierra on MacBook Late 2009

Siriを起動するとマイクを搭載していることがわかった。ただ、テレビの音が大きいせいか、うまく認識しない。インターフェースは格好いいのだが・・・あまり使っていないマシンなので、ユーザーに関する知識がマシンに蓄積されいないということかも。

iTunesはApple TV経由でオーディオ再生ができる。ブラッド・メルドーのHighway Riderが流れている。AirPlay、前もできたっけ。Radio 01だけできないのだっけ。音声の出力装置でApple TVを選べば済む。前と同じだね。


時は過ぎ去る。MacBookがたまたま安くて、8万円台、購入してもう丸7年経った。メモリを増設したのでなんとか動いている。macOS Sierraをインストールしても重くなった気配はないみたいだ。起動が早くなったとも言えないが。まだ購入して5年のiPad 2は既に最新iOS 10の対応はない。さてさて、どの方向に進むか・・・

今朝、排気音が大きくなったような気がした。朝の静けさの中ではPCを含めて排気音がよく聞こえる。しかし、筐体の左側が熱い。電源のコネクタがある側。排気ファンの存在は知っていたので、どこが排気口になっているのだろうと、底面は机にほとんどくっついているしなあと、熱い部分を指先で探りながら調べていくと、ディプレイと本体の折り曲げ部の本体側面が排気口になっている。中央あたりがかなり熱い。メモリをフル増設するときに心配したのは排熱の問題だ。これまでは気にならなかったが。

../images/2016/09/CIMG4904m.JPGMacBook Late 2009の排気口

OS X El Capitanのコンピューティング (2015/08/30)には裏蓋を開けた裏側から見た写真がある。排気ファンが見える。

昼近くなって、冷めてきた。今はApple Musicでグリゴリー・ソコロフのDie Kunst Der Füge(フーガの技法)を延々と聴いているが、まったく熱くない。平熱になった。なぜあんなに熱くなったのだろう。



Siriに「更新日記」をWEBで検索して表示させようとしたのだが、「更新日記」という言葉を聴き取らせることが難しい。まず「更新」が認識されるが「日記」が認識されず、意味のない言葉になる。辞書にないということだね。次に「日記」を聴き取らせて、再度「更新日記」を聞かせるとようやく認識するが、知らないという。「それを検索して」というと、本当に「それ」を検索する。「更新日記を検索して」というとようやく検索結果を表示した。今のところあまり賢くない。そのうち学習するだろう。なにしろ「開く」という言葉はAppに紐づけられていて、直接、「更新日記をウェブで開く」ことができない。キーワードの意味を学習で変えることはできないかもしれない。

更新: 2016-09-22T12:38:36+09:00

[本] 次から次へ、「サピエンス全史」にマーク

うむ、また読むべきだろうという本を見つけてしまった。毎日見つかるのだ。

先日、とうとう書斎の混沌が片付けられ、床に積み重なった本は消えた。可動式の四段のワゴンが本棚の前に設置されて、整理された。それでも足りなくて、書棚の本の上にも積み重ねられている。が、新しい本、未読の本、読みたい本を管理するのにはよいアイデアだ。

今日見つけたのは、「認知革命(虚構の言語が出現する7万年前)以降、サピエンスには単一の自然な生活様式などというものは、ついぞなかったのだ。そこには途方に暮れるほど多様な可能性が並んだパレットからどれを選ぶかという、文化的選択肢があるだけだったーY.N.ハラリ『サピエンス全史』」という奥村ペレ氏のツイート。サピエンス全史(上) :ユヴァル・ノア・ハラリ,柴田 裕之|河出書房新社

[Computing] Windows 10 Anniversary UpdateからCortana、Bing/Edgeへ

現在のスマホは電話本来の機能を拡張したコミュニケーション・ツールにはなるだろうけど、コンピューティング・ツールとは言えない。無論、キーボードと大画面ディスプレイにつないでPCとしても十分に使える性能を持ちつつある。しかし、当面、PCが便利。PCは進化しているのか。Cortana とはネタ。

タスクバーで何の役にも立たないのに大きく場所を取って邪魔と思われていたCortanaだが、録音デバイスの設定をしていて、右クリックメニューに「音声認識の構成」を見つけて、試し始めた。たまたまLogicoolのカメラの組み込みマイクが使えるからだが。

意外と認識は良い。オーディオのスピーカーが鳴っていても、正確に認識する。おそらくA.I.的な認識をしているのだろう。「ピーター・バラカン」、「更新日記」、「チョムスキー」を間違いなく認識して、Edge上でBingの検索結果を示した。取りあえず検索ぐらいはキーボードは不要になるかもしれない。

Cortana for Androidもインストールしてみたが、まだ日本語認識はできないようだ。選択肢は英語と中国語だけ。いずれにせよ、システム的な機能なので、単なるアプリとしてAndroidで使うのはあまり意味がないだろう。

もっと、状況認識ができるように人工知能が進化しないと実用的で便利な音声認識はあり得ないような気もする。キーボード入力のほうが早いよという人も当然いるだろうし。やはり、車の走行騒音の中で、キーワードをどの瞬間でも聞き分け、検索結果のなかの必要な内容を読み上げるような技ができるようになるとおもしろい。車と対話しながら、通勤するようになるかもしれない。

更新: 2016-09-17T10:14:03+09:00

[日記] 明日はもう金曜日

時間は過ぎ去る。それは幻想だという話もある。

ニュース・ステーションで岩手県・岩泉町の被害を報じる一方、世界各地の異変、洪水・熱波・干ばつについても報道している。自然災害から逃れるすべは・・・

無人攻撃機の開発でイスラエルと協力するという話題。無人機とロボット工学なくして、国防を語れないとか。現時点では具体的な計画はないそうだが・・・

いい話はどこにもない。時間が過ぎ去れば、すべての問題が解消すればよいのだけど。繰り返される自然災害、地域紛争。シーシュポスの神話。

更新: 2016-09-01T22:36:38+09:00

[日記] 台風が過ぎ去って

台風12号が、熱帯低気圧に変り、広島はそれほどの影響もなく過ぎ去った。今朝は観音高架付近が交通事故だらけだったらしく、旧市内の二号線下りが大渋滞。ラジオが高架下で事故と報じたが、高架上の間違いだったのかもしれない。上にあがってしばらく走るとトラックとパトカーが停まっていた。宮島口を過ぎるとまたトラックとパトカーが停まっている。帰宅時も観音高架上の下りのほぼ同じ場所で三台の乗用車と倒れたバイクとパトカーが何台か停まっている。バイクに乗っていた人は大丈夫だったろうか。外気温30℃。ラジオでは、まだ、台風10号の被害を報じている。台風13号の影響は・・・果てしない日々・・・

今日の優勝のなくなったカープと中日とのゲームを見ているが、試合の真っ最中なのに広告だらけだ。地上波の民放の放送の終わり。エルドレッドの押し出しで7点目が入ったと報告有り。ケーブルのJsportsでは広告は入らない。

もう優勝のビールかけはないので、Appleのイベントを見にいこうかな。

[日記] やるせなき日々

昨日は、カープ優勝の翌日、記念のユニフォームを求めてスタジアムのカープ・グッズ売り場も駅前福屋の8階専用売り場も人で溢れかえっていた。市内は大渋滞。しかし、実は9.11でもあった。米国は今日の時間。追悼記念式典が報じられている。

北朝鮮の核実験などに対する韓国、米国の動きが報道されている。韓国の先制攻撃論、米国の超音速戦略爆撃機の韓国配備。中国の報道官は米朝間の問題であり、米国が解決すべきだと言うしかないのだが、目が途惑っている。韓国で不気味にM5.8の地震が起きた。記録上最大の規模という。日本では・・・

こういったことを毎日記録して何になるのだろうとは思うが・・・

[日記] 極端なタイトル

Google創業者が「アイデアに価値はない」と言い切るワケ - Be inspired![FT]「創造性至上主義」の病はもういらない  :日本経済新聞の二つの記事をたまたま見つけた。さあ、どうかねと思った。

人に何とか読ませようと、記事のタイトルを工夫するのはわかるけど。前者の記事は特にそう。意味的に無理がある。アイデアに価値がないわけはないからだ。アイデアがなければ、アクションも有り得ない。

後者の記事は半分は正しいかもしれないが、半分は間違っていると思う。創造性は重要だし、そして、創造性は普通にあるものだ。極端なものだけを創造性と呼ぶのはおかしい。

と、どうでもいい話をしている・・・当たり前の話。

[日記] 広島-中日戦、「路上のジャズ」、コルトレーンとドルフィーのフリージャズ、「The BFG」と「SPECTRE」

世の中、台風やなんやらで大変な時に、金曜日の夜は野球観戦、広島-中日戦、余裕で勝利、こんなに強いのは見たことがないと思っていたら、土日は二連敗。物事はそんなに甘くはない。本は例によって山ほどあるけど、ジャズ絡みで「路上のジャズ」を読んだ。Apple Musicでエッセイに関係するジャズを聴きながら。今日はスティーブン・スピルバーグの「The BFG」(Big Friendly Giant)を見に行った。雨のせいか、8階の駐車場は一杯だった。

「The BFG」のストーリーや表現を生み出す想像力は素晴らしい。Roald Dahlの原作があることも強みだろう。最近は、字幕版がないのが少し不満なのだが、まあ、吹替え版も悪くはない。子供向けだし仕方がないか。

今日の夜、「連休はAmazonプライムビデオで」というアナウンスを見ていると、「SPECTRE」がプライムになっていたので早速見た。007シリーズ、日本では昨年末公開。これも素晴らしい。脚本は、「スカイフォール」に続いてジョン・ローガン。どこかで見たことがあるような映画だとも感じてしまったが。物語は似てくる。

最近では、「The Night Manager」の6回シリーズが、やはり英国のスパイものだけど、重厚感、英国的ハードリアリズムにヒューマニズムを加えて見応えがあった。ジョン・ル・カレ原作。脚本はDavid Farr (theatre director) - Wikipedia, the free encyclopedia。最近、レイ・ブラッドベリが「白鯨」の脚本を書いたということを知ったとき、screenplayの訳が「脚本」だとわかった。言葉から受けるイメージはむしろカメラワークなので、これまで意味を調べたことさえなかった。脚本ならシナリオ(scenario)だろうと考えていたわけだ。

中上健次の「路上のジャズ」(中公文庫オリジナル、2016年)は、アルバート・アイラーとコルトレーンのフリージャズが話題の中心になるが、特にThe Complete 1961 Village Vanguard Recordingsのアルバムが興味深い。コルトレーンとエリック・ドルフィーの共演。1961年の録音だが、1997年まで全容が公開されていなかった。270分ある。WEBを調べると、特にドルフィーの演奏として貴重らしい。『一回限りの楽天的なコルトレーン - 「ビレッジ・バンガードのコルトレーンとドルフィー」』(247ページ)の章に対応しているはずだ。が、中上健次が聴いたものかどうかは定かでない。中上健次は1992年に没している。さらに調べると、前記アルバムが過去発売されてきた1961年のセッションのアルバムの集大成になっているらしい。

Apple Musicでは演奏データをまったく見ることができないが、有名なセッションはWikipediaにページがある。どの曲のどの楽器を誰が演奏しているかまでわかる。助かるね。

Eric DorphyのLAST DATEを聴きながら日記を書いている。鳥の囀りのようなドルフィーのフルートが流れている。Last Date (Eric Dolphy album) - Wikipedia, the free encyclopediaがある。"You don't know what love is" (Raye/De Paul)。思わず、みんなが拍手をしてしまう。

更新: 2016-09-19T10:08:31+09:00

[日記] 秋分が遠くに過ぎて

さて、まだエアコンが点いている。連休に庭の蔦を取り除いたら、両腕がかぶれてしまった。ニ三日すると酷くなる。蔦の種類を確認しておけばよかったと思った時は後の祭り。ツイッターのJazz ReviewにEric DolphyのLast Dateが現れた。

「死の直前にオランダで録音されたドルフィー最後の公式アルバムです。まるで、自らの死の近さを知っているかのような疾走感。素晴らしい演奏のアルバムです」と書いてあったので、もう一度聴きなおした。前も思ったけど、確かに悪くない。

編成を調べようと検索すると、Last Date (Eric Dolphy album) - Wikipedia, the free encyclopediaには、「Last Date」というタイトルにも関わらず、最後のコンサートではないと出てきた。しかし、最後は何のアルバムかは書いていない。リンクにあるEric Dolphy Catalogを調べると、「Unrealized Tapes」が「Last Date」の9日後の最後のコンサートらしい。タイトルが「実在しないテープ」ということだから、非公式ということなのだろう。ちなみに「Last Date」の編成は、Eric Dolphy (alto sax, bass clarinet, flute) Misja Mengelberg (piano) Jacques Schols (bass) Han Bennink (drums)。「Unrealized Tapes」は日本にはないみたい。

Amazonのプレミア・ビデオの案内でMENTALISTのシーズン4が配信されるという。まずはシーズン1を見てみる。おもしろい。シーズン2に入ってしまった。実を言うとその間に「FRINGE」も同じように案内があって、ちょっと怖そうだが、シーズン1のエピソード1を見た。すごい。怖い。これも行けるね。調べてみると、MENTALISTのシーズン4は有料だ。前の「24(Twenty-four)」と同じで最後に稼ぐパターン。ということで、暇潰しのネタにはまったく困らない。Perl6の勉強の邪魔^^;)まあ、勉強には必然性も必要だ・・・なにごとにもかな・・・

それはともかく、日曜の午後、ダイソーで写真送付用の角5封筒を購入した後、紀伊國屋で久しぶりに新潮を買った。10月号。古井由吉の「その日暮らし」が完結。多和田葉子の「マヤコフスキーリング」は連作完結とある。久しぶりと思って、前に買ったのを調べると、2015年4月号。ここで、多和田葉子は「レネー・シンテニス広場」を書いている。これが連作4。特に関心があるのはこの二作品。後、長谷川郁夫の「編集者 漱石」の新連載、吉増剛造の柳瀬尚紀氏追悼-夜の言語、加藤典洋のシン・ゴジラ論、大澤信亮の小林秀雄第37回ぐらいをチェック。

../images/2016/09/CIMG4907m.JPG古井由吉「鐘の渡り」と「詩の小路」

「その日暮らし」の冒頭「猛暑が訪れた日の正午に、見舞いの手紙が外国の知人から届いた。・・・」を読んで、どこかで似たような話を読んだような気がして、ここ数年で購入していた古井由吉の著作に当たった。当然ながらないねえ。大江健三郎との対談の中に出てきたのかな。チェックしているうちに創刊110周年記念号(2014.6)に多和田葉子の「カント通り」が新連作として出ていた。もう一つ気づいたのは、水村美苗が「長寿社会と日本語の小説家」を書いていたこと。これはどこかに書き付けているかもしれない。



古井由吉の文章を読みながら、こんな具合に書けるとうれしいかもと思う。

ジャッキー・マクリーンの「Let Freedom Ring」を聴いている。「ミクロ以下の尺度では、量子効果は時空の織物をふたたび曲げたり引き裂いたりするし、その尺度では閉じた時間のループ---事実上の微小なタイムマシン---が存在すると考えられている。・・・時間の系列のこの種の破れは、大きな尺度でも物理的に可能であり、回転するブラックホールのような物体の近くでそれが起こるかどうかは未解決の問題として残っている。」(デイヴィッド・ドイッチュ「世界の究極の理論は存在するか」、量子的な時間、251ページ)

更新: 2016-09-27T00:06:27+09:00

[日記] 適当に - 人間関係を壊す人工知能

今日は変な軽い頭痛がして、頭がこわばったみたいな感じがしたので、帰宅して血圧を測った。まったく問題なし。夕飯を食べたら直った。血糖値が低かったのかも。ちゃんと昼飯は全部食べたしねえ。風邪かな。気を付けないと。かぶれの影響とか・・・単なる想像でしかないが。エアコンを点けっ放しで、風邪を引いたというのが最も可能性が高いか。まだ、暑い。もう夜の方が長くなったというのに。人間関係を壊す人工知能…ドワンゴ(前編) : YOL-ON : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) 1/2ネタ。

この記事をツイッターに流すと、2件反応あり。やはり、良い記事には反応がある。わかる人はわかる。ツイッターは自由な雰囲気。おもしろいと思えば反応する。でも衰退気味という感じはする。Facebookもお疲れ気味かな。Twitterと同様に次第に個人が見えなくなる。何ごとも永遠には続かない。人工知能とお遊びする時代になるかもね。

まあ、僕は続けるのは得意だけど。最近、Twitterはフォローの中からフォロワーでないものは差別なくすべてフォローを一旦解除し、フォロワーであってもツイートが適切と思えないと気付いた場合はフォローを解除することを徹底している。フォロー数は半減して、フォロワー数を初めて下回った。新たにフォローが必要と思うものを加えていく。フォローを解除したものも必要だと思えば、復活させていく。フォロー数が多いと特に見たいと思わないものが目についてしまう。タイムラインを充実させるために必要な処置。

Facebookも「いいね!」をし過ぎると次第にTwitterライクになっていく。やれやれ。

次は、日記を駆動して意識を浮かび上がらせるプログラムを書くかな。知識表現としての日記を追求するのはやめたわけではない。Facebookのグループも情報源として役立つものもあるが、ブログやコラムにも有用なものは多い。そういったものと相互作用するものとしての日記という見方もある。ゆるやかにつながった連邦型WEBというのが本質的なWEBとも思うのだが・・・SNSはメールやメーリングリストのビジュアル即席版という感じで便利ではあるけど。

宇宙はセルオートマトンだという。しかし、セルとは素領域なのだろうか、一様なサイズ、プランク長、プランク時間・・・湯川先生の素領域と素粒子の話を読みながら、セルオートマトンも簡単ではないと思った。

日記もセルからなっている。日記の素領域とは何だろう。知識表現という言葉は静的過ぎる。もっとダイナミックな概念が必要だ。

更新: 2016-09-28T23:15:25+09:00

[Facebook] メッセージの使い方を調べよう

今年になって、Facebookを本来のSNSとして使うことが多くなったのだが、その中で予想できていなかったのはメッセージの使い方。1対1の単なるショート・メール的なものと思っていたのだが、おそらくLINEもほぼ同じようなことができるのだと思うが、グループで共有できるメッセージがある。また、リクエストをメッセージに込めて送ることができる

グループは別の仕組みもあり、公開・非公開の設定ができるので、それを使えば済む話と考えていたので、最初は面食らった。ただ、メッセージ・アプリで処理できるのは便利かもしれない。逆にFacebookアプリでは処理できない。無論、WEBブラウザではなんとでもなる。

後者の方は今日気付いた。こちらは1対1のメッセージだった。別にグループの側でコメントしていたはずなので、受けた時にはリクエストが付いているのにおそらく気が付いていたはずだが、こちらには応答していなかったのだと思う。が、もう記憶が定かでない。記憶はあやふや、現時点で適当に作られてしまう危険性もある。一旦見てしまうと見たことがあるような気がしてくるから。とにかく、失礼してしまったことは間違いない。今日、iPadに未読・未対応のメッセージとして表示されたので気が付いた。ごめんなさいね。調べてみると、「その他」で表示されないメッセージが有り得るらしい。

メッセージを送る | Facebookヘルプセンターによれば、「アクション→チャットに友達を追加」でスレッドに招待できる。150人までメッセージを送れるそうだ。

更新: 2016-09-17T21:11:44+09:00

[Jazz] 十夜一冊 第千百十夜 中上健次著『路上のジャズ』

凄い雨が降ってきた。音を立てて降り出した。これまで聴いたことのない脈動を伴って。カーポートの屋根の面を雨水が層となって流れ落ちている。テレビでは広島県全域に竜巻注意情報、広島市などには大雨洪水警報が出ている。NHKスペシャル「自動運転革命」のほぼ終わりの画面を囲って大雨情報が表示されている。広島市付近の雨域は赤く着色されている。しばらく続きそうだ。ドイッチュ先生を知って以来、もう一度、「言葉と物」シリーズを見直す必要があると考えている。それはポストモダンの問題をさらに掘り下げられる可能性があるのかどうかという問題意識である。科学理論と哲学はどう違うのかを少し探究してみたい。雨の音が聞こえなくなった。最南部は雨域からはずれたかもしれない。

科学理論は現象を説明できるかもしれないが、例えば、小説を書けるかというと少し違う性質のものだと言えるかもしれない。ポストモダンの哲学が悪い哲学だという考え方は、科学理論にとってはそうかもしれないが、人間の総体を考えた場合に無意味かどうかという観点があってもよさそうだ。こんなことを考え始めたのも、中上健次の「路上のジャズ」(中公文庫オリジナル編集、2016年)にある中上健次・小野好恵の対談(ロングインタビュー)「ジャズから文学へ、文学からジャズへ」を読んだからだ。

../images/2016/09/CIMG4897r1m.JPG路上のジャズ

話は変わるが、大昔の安部公房と渡邊格の対談では、国家・忠誠・なわばり・セクトをモラルで考えるのではなく、遺伝子レベルで解明する必要があるという話をしていた。創造力というものは言語によって初めて可能になると安部公房は言う。チョムスキーと同じ話だ。テヘランの戦火の瓦礫の中に落ちていたドストエフスキーの顔が表紙にある本に衝撃を受けたという。ドストエフスキーの小説には国家はない、人間しかいない。文学は、そのような言語が凝縮された未体験の世界を体験できる。ここに意味がある。他世界で同じ本を読んだ人が瓦礫の中で死んでしまったかもしれないことに、ドストエフスキーに思い入れがある安部公房は感情を強く刺激されたのだ。

言語を通じて人間に浸透してくるものがある。これこそがミーム(meme)かもしれないが・・・ポストモダンにも言語を通じて人間に伝わるものがあったのだ。

中上健次のロングインタビューには「シャワーとしてジャズを浴びながら、そのとき、自分のものの考え方が壊れていくというのがとても嬉しかった。紀州のド田舎から出てきた人間にとって、シャワーとしてジャズを浴びることは、自分がものすごく自由になっていくという感じと、ぶっ壊れていく感じが入り混じっているんだな。」という身体的意識的感覚が描写されている。こういう表現を科学で取り扱えるかというとほとんど不可能だろう。そういうことにたまたま思い至ったということが切っ掛け。

緊急速報がスマホを鳴らした。避難勧告が発令された。最南部には雨域は掛かっていないが、強い雨域が広島県全体に広がっている。下流も危険ではある。要注意かもしれない。また、雨が音を立てて降り出した。雨はずっと降り続いている。

更新: 2016-09-18T10:22:57+09:00

[Jazz] 十夜一冊 第千百十一夜 ナット・ヘントフ「ジャズ・イズ」

コルトレーンのフリージャズへの変化を聴き取ろうと、Timeless(March 13, 1958 - June 24, 1958)、My Favorite Things(October 24, 1960 - October 26, 1960)、Expression(February 15, 1967)、Kulu Sé Mama(June 16, 1965 - October 14, 1965)と続けて聴きながら、個人的な体験の「路上のジャズ」だけでは、とてもジャズやコルトレーンを語れないと気づいて、ナット・ヘントフ著「ジャズ・イズ」(白水社、1982年;原著: 1976年)を引っ張り出して読み始めた。コルトレーンには「エクスプレス・トレーン」(193-209ページ)という章が与えられている。チャーリー・パーカーを述べた「偉大なる斑らの鳥(バード)」の次にある。このあとが、セシル・テーラー。

../images/2016/09/CIMG4898r1m.JPGジャズ・イズ

その中の一節にコルトレーンと共演したベーシストのアート・デイビスの言葉がある。

・・・ジョン・コルトレーンは1セットに何時間も演奏したものだ。一つの曲が一時間にも二時間にもなり、「しかも彼は繰り返しをやらないから、退屈にならない。……聴衆は叫び声をあげる。ホーリー・ローラーの教会か何かへ行ったみたいなのだ。この音楽は彼らの脳髄に入って行くのだ。ジョンにはそういう霊力があった。---彼は霊的なものを求めていた。みんなが金切り声をあげるのが聞こえる……批評家たちは彼を貶めようとしたけれど。黒人たちが彼をつくったのだ。なぜなら彼らは結集して、見て取った---見ろ、何が起こっているか---おれたちもこれを少し受け取ろう、というわけだった。・・・

(195ページ)

インディアナ大学のデイヴィッド・ベーカーは、コルトレーンの音楽面での貢献について次のように書いているそうだ。

彼が挙げるコルトレーンの業績は---「マルティフォニック使用、つまり、いくつかの音もしくはトーンを同時に演奏。基本的拍子に依存しない非対称的配置の創造。和音置換えの途方もなく洗練されたシステムの開発。いくつかのモードを同時に演奏する全モード型演奏の創始。私はインディアナ大学の私の学生に教えるために彼のソロのいくつかを譜面化した。今私たちがバッハやブラームスのエチュードを研究するように、あらゆる音楽家がコルトレーンのソロを研究すべきである。」

(206ページ)

しかしながら、トレーンが知りたがったのは、そして、問題なのは、聴き手がどのように聴いているか、聴き取っているかということであり、それは最早、自分の音楽に取り込まれている自分にはわからない世界だということである。

そして、トレーンは自分の音楽をジャズとは呼びたがらなかったということだ。真に現代音楽として聴ける音楽でもある。

それで、トレーンのフリージャズへの変遷を聴き取れたかということだが、ExpressionとKulu Sé Mamaは明らかにジャズとは異質なものを含んでいる。Expressionはトレーンの最後のレコーディングでもあり、霊的という言葉が相応しいかもしれない。コルトレーンのジャズの変転を単にフリージャズへの移行と捉えない方がよいとも思えた。

なお、John Coltrane | Album Discography | AllMusicのようなAllMusic | Record Reviews, Streaming Songs, Genres & BandsのDiscography Browserは大変有用である。アルバム名後の括弧内日付はAllMusicのデータの「Recording Date」を引用している。

「Kulu Sé Mama」については「路上のジャズ」の「III 破壊せよ、とアイラーは言った」の中に『コードとの闘い --- ジョン・コルトレーン「クル・セ・ママ」』(202ページ)がある。

インディアナ大学のDavid Baker先生は、今年の3月26日に84歳で亡くなられている。Indiana University mourns David Baker, distinguished professor and jazz legend : IU Bloomington Newsroom: Indiana University BloomingtonRemembering David Nathaniel Baker | Remembering David Nathaniel Baker

更新: 2016-09-19T14:53:47+09:00

[言語] 十夜一冊 第千百.一二夜 - 言語的創造力

十夜一冊 第千百.一一夜 「無限の始まり」 - 科学理論の行方 (09/04/2016)を書いて、この本には「言語理論」についての言及がないことに気が付いていた。ただ、ミームの獲得の方法について、第16章「創造力の進化」に書いている。実際のところ、科学的な方法と同じということになる。

ポパーはこう書いてもよかったはずだ。「われわれはミームを模倣することによって、あるいは観察から帰納的に推論することによって、またはそれ以外でも環境の模倣や環境からの指示によって、新しいミームを獲得することはない」。人間型のミーム---受け手の内部でその意味がほとんどあらかじめ定義されていないミーム---の伝達は、受け手の側における創造的活動にほかならない。

科学理論と同様、ミームも何かから派生的に生じるのではない。受け手が新しく創造するのだ。ミームは推量的な説明であり、暫定的に取り入れられる前に批判とテストを受ける。

この同じ創造的な推量、批判、テストのパターンから、明示的なアイデアだけでなく暗示的なアイデアも生み出される。なぜなら、いかなるアイデアも完全に明示的に表現することはできないからだ。われわれが明示的な推測をする場合、認識されているかどうかは別として、いずれにしてもその推測には暗示的な要素が含まれる。あらゆる批判も同様だ。

(「無限の始まり」、第16章「創造力の進化」、547ページ)

科学論文による「説明」は、数学も使うが、その主体となるものは言語である。その言語についての理論こそが必要なものと思う。ミームの実体は何か、他者の頭にあるアイデアなのだが、それをどう獲得するか、どのように獲得されるのかというと、他者の言動や記録、文章などからしか得られないとすれば、かなりの部分を言語に依存せざるを得ないと思う。どのように意味を複製するかという話になるので、それは言語そのものではないことも確かで、言語は指し示すことしかできないが、アイデアの意味の構造に対応しているものだということができる。意味を支えるものとしての言語が脳内でどのような役割を果たしているのかに関する理論が必要だろう。

「言語的創造力」という言葉は、一般的な言葉でもあり得ると思うが、ここではノーム・チョムスキーの用法の意味で使っている。このように言葉の持つ意味は多次元的なベクトルを持つものであり、非常に複雑なものだ。単純な辞書では表すことができない。これは僕自身のプログラミングというか、知識表現フレームワークの作り方の主要な課題である。今のところ、「更新日記」は知識表現のフレームワークとしての日記というテーマで思索を続けているという物語になっている。

[Perl 6] Perl6のコマンドライン - Ctrl-Zが効かない

Schneier on Security: The Solitaire Encryption Algorithmで取り上げられているニール・スティーヴンスンのクリプトノミコンには、Solitaireという暗号アルゴリズムがPerlスクリプトで書かれている。これをPerl6の練習台にして移植しようとしている。ところが・・・

../images/2016/09/CIMG4830m.JPGNeil Stephenson's CRYPTONOMICON(1999)

Avon Books paperback版 (12/04/2002)



../images/2016/09/command_prompt_perl6_STDIN.pngWindows 10 Proのコマンドプロンプト

say文デバッグでいろいろと本来は出ない出力行もある。



../images/2016/09/Cygwin64_terminal_perl6_STDIN.pngCygwin64のターミナル

ところが、コマンドラインの入力の終わりを告げるCtrl-Zが効かない。Windows 10のコマンドラインでは文字列として取り扱われる。Cygwin64のターミナルでは、Stoppedと表示されて、スクリプトが終了してしまう。

調べてみると、Ctrl-Z is ignored on OS X v10.11 ・ Issue #12 ・ hoelzro/p6-linenoise ・ GitHubということのようだが・・・

クリプトノミコンに載っているのは、短くまとめられたPerlスクリプト、https://www.schneier.com/code/sol.plにIan Goldberg氏のverbose versionがある。一巻目「チューリング」の5ページ、謝辞の最初の段落に「イアン・ゴールドバーグは、イノック・ルートのランディ宛Eメールに出てくるパールスクリプトを書いてくれた。」とある。

../images/2016/09/CIMG4831m.JPG「クリプトノミコン 3 アレトゥサ」(ハヤカワ文庫、2002年)、41ページ

随分昔の話、早川書房編集部からいただいた連絡によれば、「ハードカバー版の原書をスキャニングして縮小したうえで掲載してあります」とのことだが、Neal Stephenson : Cryptonomicon cypher-FAQの項目13にあるような誤植がある。どのように動作すればよいかは、GitHub - joeheyming/pontifex: Refactored the Crypto-nomicon Pontifex perl scriptを参照のこと。



更新: 2016-09-12T00:37:47+09:00

[Perl 6] eofの話

V7不連続クレームは巨人ファンからではなく、表現のあるべき姿を追求していたというお話。それはともかく、DOSの^ZはEOF(end of file)だが、UNIXでは^Zはsusp(suspend)、eofは^Dとの指摘。DOSは問題ないので、Cygwinのbashターミナルを調べた。

../images/2016/09/cygwin64_stty-a_crnop6.pngstty -a on bash terminal

CygwinはWindows上のUNIXだが、stty -aの出力では、^Dがeof、^Zはswtch(switch?)あるいはsuspとなっている。^Dを試してみたが、eofが効かないことはWindowsのコマンドプロンプトと同じ。入力を完了することができない。止まらない。

[人物] デイヴィッド・ドイッチュ David Deutsch

偶然の紆余曲折を経て、David Deutschを追求することになった。「無限のはじまり」(インターシフト、2013年;原著: 2011年)は論文を含めて最も新しい部類の著作なので、この人の最新に近いアイデアを読むことができる。ただ、Papers, Articles, Audioによれば、著作以降、特に[1210.7439] Constructor Theoryなどは別に読んでおく必要がありそうだ。コンストラクタという用語を見ると、オブジェクト指向を思い出してしまうわけだけど、関係が出てくるのだろうか。

ということで、十夜一冊、第千百夜「無限のはじまり」と「Constructor Theory」をしばらく追いかけてみることになるだろう。第千百.一夜は書き掛けのまま、月が替わったので、小数点百分の一夜が必要になるかもしれない。と、くだらないことだけを書きつけている。

これまで何度か取り上げたペッケンシュタイン(Bekenstein)の究極の物理理論は情報理論になるかもしれないという話は、ドイッチュのことを念頭に置いているのだろうか。もっとも、ドイッチュの「Quantum theory, the Church-Turing principle and the universal quantum computer」のReferences[2]、[3]の著者はBekensteinなのだ。さて、どのような世界が待ち受けているのか楽しみだ。おそらく「人間原理」の話なども出てきそうな予感がしているのだけど。

少しBekenstein先生の論文を調べたけど、Deutsch先生の論文を引用したことはなさそうだ。

ホログラフィック宇宙 (2003/10/09)によれば、日経サイエンスの2003年11月号に「ホログラフィック宇宙」の記事があったはずだが、雑誌自体が見つからない。サイエンテイッフィック・アメリカンの英文記事のほうを調べると、2003年8月号の記事は購入する必要があり、同じタイトルのInformation in the Holographic Universe - Scientific American(By Jacob D. Bekenstein on April 1, 2007)が読める。この記事の最初のほうに次のようにある。

... Likewise, a century of developments in physics has taught us that information is a crucial player in physical systems and processes. Indeed, a current trend, initiated by John A. Wheeler of Princeton University, is to regard the physical world as made of information, with energy and matter as incidentals.

Wheeler先生は、Deutsch先生の先生でもある。Bekenstein先生自身が物理的世界は情報(with energy and matter as incidentals)から成っていると考えていたということだ。Bekenstein先生は2015年に亡くなられている。それを最初に考えたのは、John Archibald Wheeler - Wikipedia, the free encyclopediaということ。ホイーラー先生の人と成りについては、日経サイエンス別冊「不思議な量子をあやつる 量子情報科学への招待」(日経サイエンス社、2008年)の吉田彩氏の記事、「多世界から生まれた計算機」に詳しい。

ホイーラーは、自分と正反対にのめり込んだ、この優秀で思い込みの強い教え子を、決して止めようとはしなかった。それどころか、かつてエヴェレットにしたように、ドイチュの論文が出版され、評価されるように心を砕いた。ドイチュがオックスフォードに戻った後も、「君の論文はとても重要で、この分野の人が知らないでいるのはもったいない」と書き送り、関心を持ちそうな研究者に紹介している。論文は後に、International Journal of Theoretical Physics誌の編集長に見いだされ、1985年に出版された。

この論文は、CiteSeerX - Quantum theory as a universal physical theoryで読める。1995年の発行年は1985年のはず。

更新: 2016-09-03T13:48:47+09:00

[物理学] 十夜一冊 第千百.一一夜 「無限の始まり」 - 科学理論の行方

最近の喧しい人工知能に関する話題から、「無限の始まり」を手に入れて、少しパラパラと捲っていたが、著者のデイヴィッド・ドイッチュについてまったく知らないこともあったせいで、読み込むところに到達していなかった。光を凍結させるHau教授の話から、Bose-Einstein Condensateコンピュータに注目することになり、結果として、量子力学的チューリングマシンからドイッチュ先生に辿り着いた。

最初は少しずつ読み解いて、小数点の夜に少しずつ感想でも書き付けようと考えていたのだが、600ページを超える著書には様々な世界の要素が詰め込まれていて、最初から詳細に読み解くには読みたいところまで読み進めるのに時間が掛かり過ぎる。結論をすぐ求める現代人の性に従って、気になるところから取り上げていこう。

最初の千百.一夜のタイトル、「科学理論と経験論・道具主義」は経験論や道具主義は悪い哲学で科学理論の進歩に有害であると述べていることについて、少し書こうと思ったのだが、その程度の話では結論からは程遠いと考えているうちに月が替わってしまった。

この本はあらゆる世界の問題について、書かれている哲学書と言えるだろう。『「宇宙船地球号」は誤りだ』(70ページ)という項が「第3章 我々は口火(スパーク)だ」にある。簡単に短く言うと、地球に人間が住めるのは人間の創造的・継続的な努力の結果なので、単に贈り物として与えられたようなものに乗っているだけではないから、誤りだということになる。

次の項のタイトルは「人々の宇宙的重要性(ユニバーサル・コストラクター)」である。コンストラクター理論の萌芽だろう。この訳は別の部分では、人間の脳を含む身体は「普遍的建造者」となっている。もう言葉の端々から「人間原理」につながる新しい思考の存在を告げられる。

ちなみに「第12章 悪い哲学、悪い科学」の中に「実証主義から言語哲学、ポストモダンまで」という項があり、経験論、実証主義、論理実証主義、ヴィトゲンシュタイン、言語哲学、ポストモダニズム、脱構築主義、構造主義を簡単に退けている。道具主義を心理学に当てはめた行動主義もそれに加えられる。本章では、科学哲学においてポパーだけが、重要な例外として単に名前だけが上げられている。

続いて、「第13章 選択と意志決定」、「第14章 花はなぜ美しいのか」、「第15章 文化の進化」、「第16章 創造力の進化」、「第17章 持続不可能性」を経て、「第18章 始まり」が終章となる。政治、美学、文化まで含めて、科学理論(創造力と批判によって良い説明を探求するという方法)は言及しつつある。過去の人文科学も自然科学的な方法に現象学などを媒介として近づこうとしていたが、奇妙な変種を生み出してしまったということかもしれない。それは広く受け止めれば、創造力と批判の試行錯誤の過程であったということもできるだろう。

それはともかく、もう少し肩の力を抜かないとおもしろくないかもしれないが、現状の世界を眺めれば、そんな悠長なことを言っている暇はないとも言えるだろう。創造力を進化させることができなければ、人間の存続も危うい。

最初のほうの章の構成を記載しておこう。「無限の始まり」の副題は「ひとはなぜ限りない可能性を持つのか」である。ポジティブなタイトル。ネガティブなことを言う準備でもある。「はじめに 進歩に終わりはない」もそうかな。「第1章 説明のリーチ」、「第2章 実在に近づく」、既に言及した「第3章 我々は口火(スパーク)だ」、「第4章 進化と創造」、「第5章 抽象概念とは何か」、「第6章 普遍性への飛躍」、「第7章 人工創造力」、「第8章 無限を望む窓」、「第9章 楽観主義(悲観主義の終焉)」、「第10章 ソクラテスの見た夢」、「第11章 多宇宙」となっている。

第7章の「人工創造力」が人工知能に関係する章なのだが、「人工(汎用)知能の分野で進歩が見られないのは、その核心に未解決の哲学的問題があるからだ。その問題とは、創造力が働く仕組みが理解されていないことである。」というのが結論である。進化的アルゴリズムを使う人工進化が一つの突破口として想像されているが、まだよくわかっていないと考えている。実用的には、創造力を持つ人間は山ほどいるし、創造力を持った人工知能は必要ないとも考えられるわけだ。

更新: 2016-09-04T12:18:54+09:00

[物理学] 十夜一冊 第千百一夜 実在の織物、The Fabric of Reality

デイヴィッド・ドイッチュ先生の「無限の始まり」の前の著書「世界の究極理論は存在するか 多宇宙論から見た生命、進化、時間」(朝日新聞社、1999年)が既に手元にある。古書で手に入れた。Tさんのお蔭で、ドイッチュ先生を詳しく知ることになり、興味を持っている。過去も今後の活動も追い掛ける。

キーワードが、おそらく、章のタイトルになるのたろうけど、視力検査に使うほどのとても見えないサイズの文字で表紙に並んでいる。リストを作っておこう。

../images/2016/09/CIMG4899r1m.JPG世界の究極理論は存在するか

この微小文字のタイトルの中で、最も気を引くのは、「時間:最初の量子概念」、翻訳では「11 量子的時間」となっている。もう一つは「13 四本の撚り糸」。

距離を不思議がる人は少ないが、時間は不思議だとだれもが考えている。時間の謎はすべて基礎的な、常識的な属性にある。つまりわれわれが「いま」と呼んでいる現在の瞬間は、固定されておらず、たえず未来の方向に動いていることである。この運動は時間の流れと呼ばれている。

時間の流れといったようなものはないことを、われわれはまもなく見る。にもかかわらず、そうした考えはまぎれもなく常識である。われわれはそれをあまりにも当然のことと見なしているので、われわれの言語の構造そのものの中にも取り入れられている。・・・

(226ページ)

to be continued...

[物理学] 十夜一冊 第千百二十夜 湯川秀樹他著「素粒子 第二版」

今朝、6時前に目覚めて、Facebookをチェックすると、丸山不二夫先生が、John C. Baez氏の「Struggles with the Continuum」の論文に次のように言及されていた。

時空を連続なものと捉える一般的な通念が、物理学において様々な矛盾や計算不能な「無限」を引き起こし、そうした困難に対する挑戦という切り口で、量子論・相対論の歴史を概観している。

「連続体というのは、時空のより深い性質の、単なる近似なのではないか?」

ただ、まだ探求の旅は続いているという。

arXivの[1609.01421] Struggles with the Continuumを参照。

ドイッチュ先生は既に理論が告げているとしている話だけど。世界のコンセンサスにはまだなっていない?

丸山先生の記事に村上憲郎氏が古くは湯川先生の素領域があるとコメントされているのを見て、「素粒子」の第二版を探した。「素領域」について記載があるからだ。それは「III 素粒子の背後にあるもの」という湯川先生が執筆された章の最後、「3 素粒子と素領域」という節にある。この最後に置かれているのが、「時空と量子化」だ。ここには「四次元量子化」という考え方が提示されている。一般相対性理論で素粒子論を考えると素粒子を点粒子として取り扱うのではなく、時空のなかの素領域を考える必要が出てくる。

・・・素粒子の場の新しい量子化を行えば、四次元量子化になる。ここではまず、時空連続体の中の各点において点粒子をつくりだしたり、消したりする演算子を設定し、ちがった時空点の演算子は、すべて独立だと考える。ということは、現実に存在しうる素粒子の背後に、生まれたと思ったら、すぐ消え、したがってその質量もきまっていない、粒子とさえいえないようなものが、うごめいている、混沌たる世界を想定することである。

(湯川秀樹他著「素粒子 第二版」、岩波新書、1969年、223ページ)

「局所場で無限に成分をもつ方程式を検討してみると、それにしたがう場の相互作用は時空的にひろがってくる。」(前掲、198ページ)とあり、「非局所場の理論と局所場の無限成分の方程式から出発する理論は非常に似ている」。既に湯川先生の時代から、本質を見通したと思われる考え方は存在していたわけだ。素領域理論は非局所場理論の一種。素領域のサイズを決めるとパラメータの数が13になる(前掲、219-220ページ)。13次元ということになるから、持つ意味はともかく、現存の万物理論、11次元のM理論よりも広い理論だったわけだ。最後に次のように述べられている。是非、本書を一読されることをお勧めする。

素領域の理論の背後には、つねに時空の四次元連続体が想定されていることは、くりかえし述べてきた通りである。しかし、それは時空自身をも不連続的と見なす立場に、大分近くなっている。そういう意味で、将来は時空自身の量子化ということを、もう一度、考えねばならなくなるかもしれないが、今それを論じるのは時期尚早であろう。

(前掲、224ページ)
更新: 2016-09-23T11:08:49+09:00

[季節] 腐った秋、秋の夜長

生温い空気の中を傘を差して、ロッカーに向かった。今朝、日本全国8時です!で森本毅郎氏が本番前に「腐った秋」みたいだと言われたらしい。今日は水曜日、天気のお話の日。とにかく日照時間が例年の20%ぐらいで、スカッとした秋空がない。気温が高い日が続いているのは間違いない。台風17号が来週やってくるとの予告があった。

今九州北部は大雨。明日は西日本を中心に大雨との天気予報。夜は涼しくなるらしい。

血圧降下剤の量を大幅に減らす実験を7月ぐらいからしている。組合せを含めて最適化を狙う。コストダウンもあるし、副作用もミニマムにできるはず。データはたくさん取っている。噂の悪い種類の効き方も次第にはっきりしてきた。それは完全に外した。その状態で低く安定している。早く眠くなることが少なくなって秋の夜長を愉しめる。川上量生氏の「人間関係を壊す人工知能」を取り上げた昨日の記事に書き加える。

さて、ネットワーク・グラフ表現に日記の記事の関係を載せることを考えようかと思ったりしている。それにどのような利用価値があるかだけど。結局、記事の中に検索結果を載せることとどれだけ意味的な差があるかということ。もちろん、自動化すれば、アルゴリズムがそれなりに思わぬ関係を見つけだすかもしれないし、WEBの他の記事とのリンクとの関係をどう表現するかという問題もある。いろいろと考えていると、新しい記事を書く方を優先してしまいがち。

早く風呂に入るように指示が出た・・・今日のところはここらへんで、おやすみなさい。

と思ったが、日を跨いでも、まだ取り敢えず眠くない。もう少し書こうか。「路上のジャズ」に、ジェームズ・ジョイスの「ダブリン市民」とマイルスと組んだコルトレーン、「ユリシーズ」・「フィネガンズ・ウェイク」のジョイスと「至上の愛」・「クル・セ・ママ」のコルトレーンを対応させる記述があるのだが、どうも違和感が残ってしまってね。「ダブリン市民」は普通の小説だと思うし、「ユリシーズ」と「フィネガンズ・ウェイク」は昔おそらく「ユリシーズ」を立ち読みした経験ではもう憶えているわけではないけど、相当異質な小説だと思っていたからだ。「至上の愛」や「クル・セ・ママ」はフリー・ジャズと言っても、まだ伝統的なジャズに近い。「アセンション」(Ascention)までいけば、本格的なフリージャズと言えるだろうけど。「フィネガンズ・ウェイク」に大江健三郎先生が序文を書いているという柳瀬尚紀先生こ本人のコメントをAmazonで読んで、購入。

届いたのは2004年の河出文庫初版だった。第1刷だろう。中味を点検したら単純には売れないだろうなあと思う。おそらく、原書とセットでないと意味を持ちにくいだろうと思う。英語をどう訳したか。大江健三郎先生は30年間掛けて、英文を読んできている本格的な読者だけど、英文を僅かな範囲しか読めていないことを告白している。柳瀬尚紀先生には「フィネガン辛航記」という、どのように訳すのに苦労したか、書いた著作があるのだが、それの新版に「フィネガンズ・ウェイク」が外国語世界でどのように引用されてきたかのリストを載せてほしいと要望されている。残念ながら、その新版は出版されていないようだが・・・これが主著と河出書房新社のサイトには書いてある。

柳瀬尚紀訳「フィネガンズ・ウェイク」にはIII・IVがあるのに今日気が付いた。というよりもFinnegan's WakeにはI・II・III・IVがある。僕が手に入れたのは、IとIIでしかなかった。III・IVはもう古書でしか、存在しない。英文を探すと、Kindleで99円で読めることがわかったので、早速入手。英文でセットで読んでということかな。Kindleの英文辞書を使うのでは、単語がほとんどマッチしないので訳すことは不可能。柳瀬尚紀訳で読むことになる。しかしながら、大江先生によれば、英語圏でも本当に読んだかどうかは疑われるらしい。

WEBには、Outline of Chapter Contents - FinnegansWikiがあるので、英文で読むならここで読むこともできる。

更新: 2016-09-29T22:57:10+09:00

[SF] 十夜一冊 第千百一.一夜 実在の織物 2 - 走り去る日々、時間の波

昨晩、見たのは、「A Sound of Thunder」、2055年 人類絶滅。英語名のタイトルの意味がよくわからないSF 映画だった。タイムトラベルもの。訳すと雷鳴だろうけど。映画では音が強調されることはなかっような気がする。時間の波がやってきても雷鳴が轟くことはなかったような気がするけど。今日調べると、レイ・ブラッドベリの「太陽の黄金の林檎」に収録されている「雷のような音」が原作だった。

「雷のような音」を読み直した。なぜ「雷のような」と訳しているのか、意図はわかった。いろいろな意味がある。ストーリーは映画のほうが(科学的ではなく、ある前提を置けば)論理的に厳密で、そういう意味での納得感はある。ただ、時間の波は映画の創作だ。ネタバレは止めておくけど、6000万2055年前の白亜期に恐竜を狩りに、タイム・サファリ社のTAMIというタイムマシンで出掛けるという物語。そこで過去を変えると何が起こるかを描いている。ブラッドベリの短編も過去を変える原因は一緒の設定だが、ストーリーはだいぶ違うし、異質なものになっている。

過去の狩猟の現場で起こることはブラッドベリのほうが劇的、おおごとで、むしろ科学的とも言えるが、それで大丈夫かとも思ってしまう。それが娯楽小説SFのいいところではあるのだけど。

SFはともかくとして、実在の織物がどうなっているのか、量子的な時間のどこかを引用しようと辿っているのだが、一応安心できるところを引用しておこう。

現在手に入る実験結果はすべて、時間が瞬間の系列であるという近似と両立する。この近似があまり遠くない将来に実験で破られるとは期待できないが、ある型の物理過程では破れるはずだ。と理論は告げている。最初の破れは、宇宙のはじまり、ビッグバンである。古典物理学によれば、空間が無限大の密度をもち、たったひとつの点しか占めていないときに時間ははじまり、そしてそれ以前にはどんな時間もなかった。量子物理学によれば(われわれの言える限りでは)、ビッグバンにごく近かったスナップショットどうしは、いかなる特定の順序をもっていない。時間の系列的な性質がはじまったのはビッグバンではなく、その少し後なのだ。ことの本質上、どれだけ後かを尋ねることには意味がない。しかし、大雑把に言えば、良い近似で系列的だと言える最初の瞬間が現れたのは、古典物理学が外挿して、ビッグバンがその10のマイナス43乗秒(プランク時間)前に起きたとしている時点である。

(デイヴィッド・ドイッチュ著、林一訳「世界の究極理論は存在するか 多宇宙論から見た生命、進化、時間」、朝日新聞社、1999年、250ページ)

やはり、「11 量子的な時間」の最後の部分を引用しておく誘惑に負けてしまった。

・・・われわれは「瞬間」と呼ばれる宇宙のなかに、多数のバージョンとして存在している。われわれの各バージョンは、直接的には気づいていないが、物理法則が異なる宇宙の内容を関連させているために、それらの存在の証拠をもっている。われわれは、自分の気づいている瞬間が唯一の実在するものであり、少なくとも、他のものよりはいくらか実在的だと見なしたくなる。だが、それは独我論にほかならない。すべての瞬間は物理的に実在的であり、多宇宙の全体は物理的に実在的である。それ以外の何ものも実在的ではないのだ。

(前掲、253ページ)

ただ、多宇宙論を知らずして、ここだけ読んで納得できる人はいないかもしれない。何が書いてあるのかさえ、想像できないかもしれない。

おすすめはやはり、ブライアン・グリーンの「隠れていた宇宙」(早川書房、2013年)だろう。「多宇宙論を多面的に掘り下げながら、現代物理学のめくるめく世界を紹介する野心作」と大栗博司先生は紹介されている。

更新: 2016-09-22T13:23:26+09:00

[スマートフォン] スマホ市場の行方

シリコンバレー101 (676) 持続か、破壊か、スマホ市場の先行き占うiPhone 7シリーズの販売台数 | マイナビニュースネタ。

日本では悪い話は取り敢えずなし。iPhone7日本で発売開始、各地で大行列:Cubeニュースという話題が出ている。9月7日のApple Special Eventの日本重視作戦が当たったかもしれない。SuicaとポケモンGOが購買意欲をそそったのかどうか。

それはともかく、ネタ記事は、GoogleのProject Araの中止の話題にも触れている。スマホの各機能のモジュールを組み合わせて使う仕組み。モジュール毎の最適化はできたとしても、組み合わせた時の最適化はおそらく難しい。特にモジュール毎のサイズや形状を組み合わせる自由度は小さくなると思われる。結局、一体化したほうが設計の自由度が高く、効率がよいという話になったのだろう。Googleは結構面白いはずのものでも大胆に止めていく。もちろん、利益が見込めないものを追求するわけにはいかない。

しかしながら、おそらくだが、蓄積された経験は新しいプロジェクトに応用されるはずだ。スマホだけがデバイスではない。元々、オープンソース・ハードウェアと3Dプリンタが結びついた実験的工場を構想する最先端のプロジェクトだったのだ。もっとも3Dプリンタだけで、モノが作れるわけではない。いずれ、CNC工作機械やロボットなどが含まれる自動化工場に行き着くはずだ。オープンソース・インダストリー 4.0ということになるだろう。

Siemensは、既にDigital Factory: Self-Organizing Factories - Industry & Automation - Pictures of the Future - Innovation - Home - Siemens Global Websiteというところまで、思索を廻らせている。

成熟した市場において、その市場をけん引する企業が持続的イノベーションを進め、ローエンドの価格破壊的イノべーションが起こり、やがて破壊的イノベーションが成熟した市場を破壊する。Appleは今日のスマートフォン市場において持続的イノベーションをけん引している。中国などにおいてローエンド型の破壊に直面しているものの、まだまだ改善でユーザーのニーズに応えられる余地が残されている。しかし、もし今年後半のiPhoneの販売台数が一部のアナリストが指摘するような昨年の6~7割程度にとどまるようなことになったら、逆に持続的イノベーションへの期待が薄れ、破壊的イノベーションを受け入れる気運が高まるかもしれない。iPhone10周年にあたる来年にスマートフォン市場が新たなフェーズに突入する可能性もある。

(ネタ記事の最後のまとめ)

持続的イノベーションと破壊的イノベーション・・・今日、iTunesがiOS10デバイス対応になり、デザインが大きく変わった。12.5.1.21。Connectは「For You」に「イチオシ」と一緒に組み込まれた。デザインも何を選択するかという問題がある。一つを選ぶ必要がある。ただ、日本語のフォントの問題がある。美しい形態・サイズのバランスとは言えないと思う。「イチオシ」はわかりやすいが、砕けすぎ。やはり「推薦」かな。「リコメンド」、なんだか、冴えない選択肢だね。それで、仕方がないので、「イチオシ」かもね。

ジャズ:1965年のリストを聴いている。コルトレーンの「至上の愛」(A Love Supreme John Coltrane」が最初に置かれている。コルトレーンがフリージャズに入っていく。

更新: 2016-09-17T14:23:22+09:00

[社会] 厳しい現実 - オバマ大統領の最終国連演説とシリア内戦など

シリア停戦が1週間で崩壊したという話題から始まったサンデーモーニング。オバマ大統領の国連演説への冷たい評価。風をよむのタイトルが「響かない理想」。

サンデーモーニングの評価をまとめると、これまででもっともよい演説だった、希望を見出したいが、当面、暗い時代が続く可能性が高いということになるかな。Address by President Obama to the 71st Session of the United Nations General Assembly | whitehouse.govを参照。

敢えて、最後に暗い時代が続くとコメントしたのは、岡本行夫氏だった。米国の大統領選の行方を念頭に置いたもののように感じたが、心配な時代になったものだ。レバノンの内戦は15年続いた。シリアはまだ5年、関係当事者が疲弊して、続けられなくなるまで続くという。

オバマ大統領演説の内容を関連事項とともに的確にまとめたのは、オバマ大統領が最後の国連総会演説で語った「世界を明確に表すパラドックス」とは?だと思う。少し気になった段落を引用しておこう。

このメッセージは、「持続可能な開発目標(SDGs)ー我々の世界を変えるためのすべての人々による働きかけ」と銘打たれた今年の国連一般討論演説のテーマに沿ったものだ。2015年9月の国連総会で採択された「持続可能な開発目標」は、世界から極度の貧困を排除することを目標とした綿密な15カ年計画を展開している。

国連が具体的に何をやっているのか、一つ見えてきたが、久しぶりにKurzweil Accelerating Intelligenceのサイトを見ているとバラ色?の世界ばかりが見えてくる。人間に解決できないなら、人工知能に解決してもらったらと思わぬでもない。

[スポーツ] カープ 不連続V7

スポーツをカテゴリに記事に取り上げることがあったかどうか記憶にないが、カテゴリだけは作ってあった。Very カープ!

神ってる逆転勝ち。鈴木誠也連発。「神って」が漢字変換の二番目に出てくる。言葉として定着。「Very カープ!」という表現も、veryって副詞じゃないのと思ったが、形容詞もある。「まさしくカープ」。

../images/2016/09/CIMG4815m.JPG「カープ25年ぶりV はるかに高く コイ頂点」、中國新聞、2016年9月11日、スポーツ、20-21面

鈴木誠也 (06/18/2016)



../images/2016/09/CIMG4816m.JPG「緒方7度舞った 優勝 25年分の涙!!夢結実」、デイリースポーツ、2016年9月11日、1,32面

カープが過去に6回も優勝していたなんて記憶から消えていた。3回ぐらいかなという感じだった。25年以上も前のことだったからかな・・・「カープ V7」とタイトルに書いていたら、「連勝したわけでもないのにV7って……。」と、おそらく巨人ファンからクレームが付いた^^;)ので、「不連続V7」に変更。

更新: 2016-09-11T22:35:27+09:00

[天候] 雨がしばらく続く

今朝、スマホに届いた昨晩からの警報を数えると80件以上あるという。先ほどは雨が止んでいたが、また降り始めた。前線が日本列島に停滞している。秋雨前線のように。それに沿って、西から台風16号が近づいてくる。

駐車場への段差を埋めるプレートがだいぶ流されていたので、うちのに重なっている隣家のプレートをまず入口まで引き摺って設置しなおし、我が家のものを引き摺ってきた。プラスチック製だから大雨の時はいつも流される。鋲を打って止めればいいのだろうけど、道路に穴が開くし。台風16号は20日(火)、21日(水)あたりで西日本接近とのこと。既に山間部の道路やJRは止まっているようだ。避難勧告も出ている。被害が拡がらないことを祈る。

安佐北区・安佐南区に避難指示が出始めた。

更新: 2016-09-18T11:42:57+09:00

[Windows] Anniversary Update

Zazelさんが言うので、そう言えば、アップデートが来ていないと、設定からWindows updateを調べ始めた。うちのWindows 10 ProはWindows 8 Proの出始めからアップデートしてきているせいか、なぜか最新のアップデートになっていないことが判明。まず最新にアップデートしてから、Anniversary Updateをダウンロードして開始。

いやはや、2時間ぐらい掛かったと思う。本物のUbuntuのbashが動くらしいのだが・・・どこにメニューがあるのだか・・・

USB FM Radioのセットアップにdevice not foundが例によって出るので、もう一度サイトを調べて、録音デバイスを設定しなおす。ここで、マイクの設定になるのだと気付く。HD Webcam C270のマイクを活かせば、Cortanaも言うことを聞いてくれるはずだ。しかしねえ、こういうデバイスの切り替えが面倒なんだよね。もっと簡単にできないかな。

今日のところはここまでにしておこう。また、明日。

更新: 2016-09-15T00:22:01+09:00

[Windows] Windows 10 Anniversary UpdateのWindows Subsystem for Linux (Beta)と開発者モード

Tech TIPS:Windows 10のLinux/Ubuntu互換環境でbashを使う - @ITを参考にして、Windows Subsystem for Linux (Beta)をインストールし、開発者モードを有効にした。

../images/2016/09/bash_on_ubuntu_on_windows.pngBash on Ubuntu on Windows

Linux (Beta)をインストールすると、Perlは5.18.2が入っている。



../images/2016/09/cryptonomicon_bash_on_ubuntu_on_windows.pngCryptonomicon on Bash on Ubuntu on Windows

オリジナルのCRYPTONOMICONのPerlスクリプトを動かす。bash上、ctrl-Dでeofが機能する。これはCygwin上のbashも当然同じ。

違うところは、Cygwinのbashはパス名の大文字と小文字を区別しないが、Windows Subsystem for Linux (Beta)のbashは区別するところ。



../images/2016/09/command_prompt_perl_STDIN.pngWindows 10 Proのコマンドプロンプト上のCRYPTONOMICONのPerlスクリプト

もちろん、ctrl-Zでeofの効果はあるが、入力後、「^Z」が表示され、さらにEnterキーを押さないと効果がない。