記事の中で気になることを見直していると、それは何を根拠に書いたのか、すぐあやふやになってしまう。勘違い、間違いもいろいろとあるので、書き直して修正することも多い。おかしいと思ったら、注意されたし^^;)そのうち、修正していることもあるかもしれない。
Timelineの記事のマークは記事が最初に書かれた時点を示しているが、マークからタイトルの上に伸びる薄青の帯は更新された時点に達している。時間はGMT表示になっている。
昨日は、車の外気温は日中38℃を示した。今日は帰宅時に33℃を示した。空には遠くに垂直に発達した積乱雲と近くには秋を予感させるすじ雲が混在している。ここ数週間は夏バテ気味で、夜は気力に欠けている。
YN夫妻が残していったビールを飲みながら夕食。夏の恒例行事が終わり、日常に戻っていく。
加速度的に増えた本をどのように関連付けて読み解くのか、読書の秋の課題だろう。最近の記事内の本日記記事へのリンクは単なる記事検索結果のリストではなく、文脈に基づくリンクが増えてきた。今後どのように日記が展開していくのか、場当たり読書に依存しているので、自分でも予測がつかないが、少し前に考えていた通り、シュールレアリスムからヌーヴォーロマンを通って現在に至る道筋は辿ってみる価値はあるかもしれない。そして、フーコーの「言葉と物」の前後をもう少し追いかけていこう。他の本を合わせて読んでいくと、フーコーの奥は深いと感じてくる。
元ネタのタイトルはなかなかいけてる^^;)・・・タイトルと記事の中身は必ずしも一致していない。
構造主義関係の検索から、構造構成主義 - Wikipediaをたまたま見つけて、ほーっと思っていて、前に購入していた竹田青嗣著「現象学は<思考の原理>である」(ちくま新書、2004年)を見直し始め(言葉と物 ]]]]T] - 現象学)、今日は、池田清彦著「構造主義科学論の冒険」(講談社学術文庫、1998年、原著: 1990年)を開いている。ついでに、「科学とオカルト」(講談社学術文庫、2007年、原著: 1999年)もジュンク堂にて購入。こちらには養老先生の解説が付いている。虫取り仲間なのである(ビットとアトム、仮想と現実、脳と身体 - 「虫をめぐるデジタルな冒険」 2005/11/20)。
池田先生は、学術文庫版まえがきで、チョムスキーをソシュールと一緒に構造主義としていて、チョムスキーを構造主義者とした書に初めて出会った。言葉と物 ]]]][ - 構造主義とは何か Uで、「言語の無意識的・人類固有の生得的な深層構造から変形規則によって、多様な言語の表層構造を生み出すことができるはずだと考える変形生成文法は構造主義の極地と言えるものだろう。」と書いたばかりなので、そうだよねと相槌を打った。
フーコーやデリダらを構造主義と呼ぶのは、もう少しピンとこないのだが、文学的構造主義とでも名付けておくべきであろうか。
科学的方法を用いる思考を構造主義と呼ぶのであれば、分析哲学(科学哲学)も構造主義であってよいのだろう。いずれも同じ科学的思考の潮流の中に位置づけられてもおかしくない。
ようやく、西欧の16-17世紀から現代の日本の最先端にまで到達したらしい。だいたいの物事の配置はわかった。
【レポート】SIGGRAPH 2007 - EMERGING TECHNOLOGIES展示セクションレポート(前編)、【レポート】SIGGRAPH 2007 - Khronosグループ、OpenGLの最新事情、SIGGRAPH 2007 - EMERGING TECHNOLOGIES展示セクションレポート(後編)、SIGGRAPH 2007 - 一般展示セクションレポート(後編)ネタ。
OpenGL関連の本日記の記事をまず拾ってみよう。
本日記の記事は、PS2、PS3関連が主である。OpenGL ES 2.0はPS3用ではない。さて、PS3 LinuxのOpen GLのサポート、すなわちRSXの本格使用はいつになるのか。SIGGRAPH 2007 - 一般展示セクションレポート(後編)には、Cellを使った様々なシステムが紹介されていて、興味深い。
PS3ネタでおなじみのほげめもの八重樫氏のJLA Install Festa 中継案内ネタ+。
ハードウェアネタには興味があるので視聴してみた。外部に公開するサーバーが必要なので、簡単には応用できないが、ローカルで遊ぶことは可能だ。
VLC Media PlayerでJLA Install Festaを受信なぜか、Video FilterでImage cloneをチェックして、クローンを出さないと画像表示ができなかった。
フォント表示がデフォルトでは文字化けするみたい。
次のように下のコマンドラインに1行ずつ入力して接続する。
/server irc.linux.or.jp 6667 /join #dcastkit-live
元ネタとは関係ないが、WindowsでUSBカメラを接続するとデフォルトで起動されるのが、スキャナとカメラウィザードである。これはカメラからの入力を表示し、静止画として切り出すことができる。動画を取り出すことをできるようにしたい。USBカメラからの入力を表示させるアプリケーションを調べていて見つけたのが、LiveCapture2である。
LiveCapture2でケータイのデジカメをUSBカメラとして使ってみるlivecapture2、このソフトウェアのレベルは高い。
ネタはLinuxだが、テストしたのはすべてWindows環境である。昔はUnixでないと動かないものが多かったのだが、最近はWindowsで動かないものはほとんどない。Linuxでしか動かないキラーアプリとは何だろう。
ほとんど人が来ないSecond Lifeに企業が参入する理由経由、Second Life「企業が続々参入」の舞台裏ネタ。
先月のSecond Life記事は、ネットの未来 - VWC2007、3Diとは3次元インターネット、言葉と物 ]]]Z - Second Life は空っぽか?の三つだが、景気のいい話はない。
僕が思うのは、3D空間にアバターで入り込むというモデルは、一つのイベントを見せるにも空間的な制約が生ずることが目に見えているということだ。人気イベントを企画しても一度に何万人もの人が見ることができない。今はあまり人気がないという話題が先行しているが、人気が出すぎると実は問題が生ずるはずである。
そこで、Second Lifeからイベントを外部世界へ実況中継をするというモデルが考えられる。実況中継をWebブラウザで見えるようにする。Webブラウザでカメラをリモートコントロールできれば、わざわざアバターで入り込む必要はない。外の世界から覗き見ることができるようになる。そうするとアバターのプライバシーの侵害だという話が出てくるのだろうか^^;)
・・・と、ここまで書いて、ロイターがSecond Lifeに支局を開設していたことを思い出した(10/16/2006: 脳内世界をマッピングする - My World Project)。その出店がWebにもあるはず、・・・、Reuters / Second Life、これだね。SECOND LIFE LINKSには、YouTubeにあるSecond Life世界の映像へのリンクなどがある。
Reuters Second Life 支局Reuters / Second LifeのページのSLURL Buttonを押すと、Second LifeのReuters支局へテレポートするSLurl(Second Life URL)を設定してあるページが出てくる。テレポートすると、Second Life Viewerが起動されて、その場所が表示される。Mapが大きく表示されるので、Mapボタンを押して消す必要がある。
空間的な制約といってもイベントのコピーはたくさん作れるわけだし、仮想空間ならではの混雑の回避策は、いろいろと考えることができるだろう。やはり、コンテンツかということになる。仮想SIGGRAPHをSecond Lifeで開催するとかね。
一般的に普及するには、日本語版のダウンロードページやインストーラの表示もあわせて日本語化することぐらいは考える必要がある。今回、起動時にアップグレードする必要があるというメッセージが出たので、日本語版ベータを日本サイトからダウンロードしてみたが、英語ページにインストーラーは一つしかなく、インストール時にlanguageを選択するタイプだった。Japaneseを選択してインストールしても、僕の場合はアルファベット名のせいか、すべて英語表示のまま。
Second Lifeでプレスカンファランスを行うとどのようになるのか、トランスフォーマーの「Transformers Second Life Virtual Press Conference」を見つけたので貼り付けておこう。テレビカメラのようにズームしたり、何台かカメラを入れたりして、視点を移動したりという工夫が必要だろう。
虫を走査型電子顕微鏡で観察するの続編。虫の世界は、音に満ちている その2ネタ。
仮説を証明する方法はどうするんだろうと・・・
いったり戻ったり、ぐるぐる回ったり・・・竹田青嗣著「現象学は<思考の原理>である シリーズ・人間学3」(筑摩書房、ちくま新書、2004年)を読みつつ、「知の考古学」を読み直している。
竹田先生の本は、現象学の単なる紹介本ではない。現象学に新たな息を吹き込み、21世紀の日本に<思考の原理>として蘇らせようという試みである。
コンピュータ中心の世界はまもなく終わる--米VCが描く未来ネタ。
記事の前半と後半が分離しているようにも思えるが、コンピュータ中心の世界はまもなく終わるという前半の考え方はへーっと思うのだが、よく考えると当たり前のことなのかもしれない。PUC(Pervasive Ubiquitous Communication)という用語は初めて読んだが、Pervasive ComputingやUbiquitous Computingは一般的な用語だ。Communicationというところが違う。
現時点では、Computingは到底、究極には到達していないというのが普通の認識だろう。しかし、究極までいくと、コンピュータの存在を人間に意識させないような高度なレベルに到達する可能性は高い。その時、コンピュータ中心の世界は終わるということになる。もう、Computingではなく、Communicationになってしまうわけだ。
Index Fabric Theoryを使ったIFXというExtended indexing engineがあるらしい。おそらく、Object Relational Mappingのようなリレーショナル・データベースにXMLのツリー状データをマッピングする話だろう。2001年に既に発表されていた技術なのか・・・歴史的に見るとどうなんだろう。Object - relational mapping - Wikipedia, the free encyclopediaが参考になるかもしれない。
PS3のCellプロセッサを活用するリアルタイム音響測定ソフトが発売ネタ。
少しずつPS3も動きが出てきたね。
「2ちゃんに育ててもらった」管理人が語る"2NN"運営への情熱ネタ。
おもしろいね。アイデアがよい。
言葉と物 ]]]\ - やっぱり構造主義、言葉と物 ]]]]X - 分析哲学と言葉と物 ]]]]Y - 構造主義とは何かで見てきたフーコーの「構造主義」についての記述からみると、フーコーにとって「構造主義」とは、レヴィ=ストロースに見たように(言葉と物 ]]]] - レヴィ=ストロースとフーコー、言葉と物 ]]]]U - フーコーとレヴィ=ストロースあるいは構造主義 U)、無意識に存在する構造を読み取ることを意味している。フーコーは、ラッセルが創始した分析哲学のような思考の形式主義とフロイトによる無意識の発見が交わって構造主義(や現象学)を生み出したというように見ている。(註 ラッセルが創始した分析哲学のような、ではなく、フッサールの「論理学研究」のような、かもしれない。→ 言葉と物 ]]]]X - 分析哲学)
しかし、ある構造を無意識の中に発見したとしても、そのこと自体はおそらく一種類の素粒子を発見したような意味しかないのである。それも、構造主義 - Wikipediaを見る限り、具体的な発見例は、「構造について」の項目にレヴィ=ストロースのただ一つしか報告されていないように見える。この例は、橋爪大三郎先生の「はじめての構造主義」(1988年)で丁寧に紹介されているもので、構造主義のルーツは数学にありとされている。
内田先生の「寝ながら学べる構造主義」(2002年)では、構造主義の始祖としてソシュールを置き、四銃士として、ミシェル・フーコー、ロラン・バルト、クロード・レヴィ=ストロース、ジャック・ラカンを紹介されている。
言語哲学 - Wikipediaの「70年代以降の分析哲学の展開」の項目にチョムスキーを位置させているのは、抜かりのない見方である。言語の無意識的・人類固有の生得的な深層構造から変形規則によって、多様な言語の表層構造を生み出すことができるはずだと考える変形生成文法は構造主義の極地と言えるものだろう。このような数学的なものの見方は適用範囲が限られており、チョムスキーは言葉と物 ]]]X - 言語的創造力にあるように、「人間性についての多くの問題に関して、我々の言語的創造力のほうが科学的手法よりも多くの成果を示すかもしれない」と述べている。
無意識の構造がある特定の群に示されたものと同じだからといって、それ自体に意味を見出せるかどうかはまだなにもわかっていない。レヴィ=ストロースは言語的創造力によって人間的に意味のある構造を見出したのであり、そこに数学的な構造、すなわち数学的な意味を見出したのは、数学者のアンドレ・ヴェイユである。
【レポート】SIGGRAPH 2007 - 一般展示セクションレポート(前編)ネタ。
SIGGRAPH2007 - 3Dモデリングは始まる前の話で発表論文へのリンクを示しただけ。マイコミでも画面ハード系に強い西川善司氏のレポートが始まったが、安藤日記の前段のレポートに続く本番のレポートへのリンクをリストアップしておこう。
安藤日記でいつも感嘆するのは、素晴らしいイメージをWebから抽出する能力である。安藤幸央氏はSoftwareDesign誌のDigital Gadgetでお馴染みなのだが、8月号の#104では、「見たことのない新しい言語の世界」という特集になっている。ちょっと古いけど(2002年)どのような方なのか参考になりそうな記事。
19(日) 07:00-07:30 TSS「脳の鍛え方・川島隆太」ネタ。
最後のほうしか見れなかったけど、印象に残ったのは、アルコールが脳に悪いことと大学を魅力的なものにしたいということ。教育問題はまさに大学を含めて学校を魅力的な場所にすることにつきると思う。最近は、アルコールが脳に悪そうな気がすることが多いと思いながらもつい飲んでしまう^^;・・・コストよりも利益が多いという秦羅先生の言い訳に向かいがちなのだが、さてさて・・・
「言葉と物」から少し引用しておく。
・・・古典主義時代の思考の本質的問題は、《名》と《秩序》との関係のうちに宿っていた。すなわち、同時に《分類法》であるような《名称体系》を発見すること、あるいは、存在の連続性に対して透明であるような
(第六章 交換すること、七 全体的な記号 体系を設定することが問題であった。ところが、近代的思考が基本的に問題とするのは、真であるものがもつ形式および存在がもつ形式にたいして、意味というものがいかなる関係にあるかである。われわれの反省の天空には、ひとつの---おそらくは到達不能の---言説 が君臨している。それは存在論であると同時に意味論でもあるような言説 なのだ。構造主義は新たな方法ではない。それは近代の知の目ざめた不安な意識にほかならない。表 、229ページ)
言葉と物 ]]]]Y - 分析哲学の記事に引用した以外に、「構造主義」という言葉が登場するのはこの部分だけ。「存在論であると同時に意味論でもあるような言説」は「おそらく到達不能の」とされているのが気になる。
「言葉と物」の281-282ページの「本質的なものは・・・いずれにせよ、われわれのために、まさしくわれわれの誕生以前に、弁証法と人間学のもつれあう約束を燃えあがらせたのは、ニーチェその人だったのである。」の部分にある人間学と
さっきテレビで、えーっと(iGoogleで調べると)「ウェークアップ!ぷらす」か、歴史?の教科書から「聖徳太子」が消えたという話をしていた。音楽では「津軽海峡冬景色」などの演歌も教材になるらしい。教科書問題については以前も書いたが・・・
もう5年前の話なんだね。その流れは変わっていないということらしいが、教育こそが次世代の日本人の知識・教養(脳内データベース)の基礎を形作ることを是非意識して欲しい。良質の知識をたっぷりと供給して欲しい(フィルターは子供自身が掛ければよい)。子供にとって教科書は最初に与えられる知識の宝庫なのである。教科書は昔と比べてむしろ厚くなるべきではないか。コンピュータ科学、分子生物学、複雑性の科学、脳科学、現代史(近代史を含めて)など、教えるべき新しい知識の量は増大している。
「1945/2007 あの戦争を、知る。村尾×オカザキ監督 日米原爆への想い」という番組が始まっている。「NEWS ZERO特別版あの戦争を、知る 」だ。映画の冒頭で、東京のどこかで、若い日本人(高校生ぐらい)に1945年8月6日に何が起こったか知っているかというインタビューをしている。誰も答えられない。日本の社会の深刻な大きな問題であり、第二次大戦についてよく考えないままにきてしまっているのではないか、日本に対する警告であるというのが、オカザキ監督の意見である。広島に住んでいて、8月6日から原爆を連想しないものはいないと思うが。
内田先生のワガママに対する見解はもっとおもしろい。茂木氏-養老先生-内田先生とつながる円環リンクが現出した。
谷徹著「これが現象学だ」(講談社現代新書、2002年)の最初のコーヒーブレイクは「現象学と分析哲学」というタイトルで、「20世紀を通覧すれば、現象学と分析哲学の二大潮流を形成している」と書かれている。フーコーが分析哲学をどのように位置付けているか。フレーゲもウィトゲンシュタインも「言葉と物」(新潮社、1974年、原著: 1966年)には登場しない。ただ一度、ラッセルが登場する。(註 ただし、ここのラッセルはフッサールの間違いではないかと思ってみたりする。フッサールはフッセルと読むというのを昔読んだ記憶があるが、ラッセルとフッセルは良く似ている^^;「これが現象学だ」によると、フッサールの「論理学研究」(1900/1901年)は現象学を形成する上で突破口となって著作で、フロイトの「夢判断」(1900年)とともに20世紀の思想全体に大きな衝撃を与えたのだそうだ。現象学という言葉が出ている以上、フッサールが相応しく、文脈上も「ラッセル」は孤立しているように感じられる。[added: 2007-08-25] 最初は、ラッセル=構造主義、フロイト=現象学という図式かと考えたのだが・・・分析哲学=構造主義という見方で書いている本は他に見たことはないが、科学主義という観点からみれば、それもおかしくはないかもしれないからだ。)
・・・
(第八章 労働、生命、言語、 五 客体となった言語 を認識の諸形式にたいして透明にするか、無意識の内容のなかに深く食い込ませるか、そのいずれかをはたさねばならなかった。それこそ、思考の形式主義 と無意識の発見とを目指す---つまり、ラッセルとフロイトにむかう---十九世紀の二重の歩みを説明するであろう。そしてまた、一方を他方へと屈折させ、二つの方向を交叉させようという誘惑も説明してくれるわけだ。それこそ、たとえば、あらゆる内容以前にわれわれの無意識に課せられている諸形式をあきらかにしようとするこころみであり、さらにまた、経験の地盤、存在感覚、われわれのあらゆる認識の体験された地平、そうしたものをわれわれの言説 のところまでこさせようとする努力にほかならない。それぞれ固有の配置をもつ構造主義と現象学が、ここに、両者に《共通の場所》を規定する一般的空間を見いだすのである。言語 、320ページ)
「フーコー・コレクション3 言説・表象」(ちくま学芸文庫、2006年)にラッセルとヴィトゲンシュタインが出てくる部分がある。
・・・とくに論理学者たちの側、ラッセルやヴィトゲンシュタインの弟子たちの側では、言語活動はその具体的な働きを考慮に入れるのでなければ、形式的性質において分析することはできないということが気づかれ始めています。
(3 歴史の書き方について、99ページ;レットル・フランセーズ誌、1967年)言語体系 は諸々の構造の総体です。しかし、言説の方は働きの単位であり、言語活動を全体として分析しようとするなら、そのような本質的な要求に必ず直面せざるをえない。・・・
Wikipediaの言語哲学の項目は分析哲学を中心とした過去と現在を俯瞰する上で有用と思われる。
フーコーのいうラッセルやウィトゲンシュタインの弟子たちが誰かというのを探し出す必要がある。年代的、主要な論文・著書の発行年を考慮すると、クワインかなと思われるが。参考になりそうな本をウラゲツブログから見つけた。
ハイデガーの「存在と時間」を速習するために、適当な参考書がないかと探し始めた。熊野純彦著「西洋哲学史 近代から現代へ」(岩波新書、2006年)の最終章の第15章「語りえぬもの」にハイデガー、ウィトゲンシュタイン、レヴィナスの3人が配置されている。
第四の日記ネタ。とうとうHatena::Diaryを使ってしまった。ある記事の誤植を編集しようとすると、市民でないと編集できないというメッセージが出たので、なるほど、Wikipedia並みにまずは登録は必要だよねと、登録すると日記でも書くしかない。30日分の日記を書いてはじめて市民として認められるのだそうだ。
最近、オンライン快適仕事術など、おもしろい日記があるなあとか思うし、登録するきっかけとなったヘルダーリンの記事はなかなかの優れもの。
【特集】PS3で自作ゲームを配布する - 独自LinuxブータブルCDの制作ネタ。
これはPS3を独自利用するための枠組みとして大きく発展する可能性を秘めた試みだと思う。素晴らしい。
PS3 Linux のネットワークブート、PS3 Linux のネットワークブート Uで他のOSを起動できるようにしていたので、配布ISOイメージを焼くだけで準備完了。一応、専用にと1GBのUSBメモリをコジマ電機で買ってきたが、これもサンプルを動かすだけなら必要ない。ゲームの途中で最初の起動画面に戻るには、ESCキーでメニューを出してリセットすればよい。ただ、アプリケーションの終了の仕方がよくわからないのが問題だった。終了するには、PS3の終了ボタンでLinuxを終了して、PS3本体のスイッチを入れなおして、Linuxを再起動し、kboot:にboot-game-osを入力して、Game OSに戻る。
CodeZine番外編 - デスクトップCGIでトラックバックで、デスクトップからトラックバックできるようになったので、前の記事をCNET Japanの記事にトラックバックしてみようとすると、はじかれているみたいだ。調べると、トラックバックするURLのサーバーとpingするサーバーが同一であることがトラックバックを受け付ける条件になっている。
仕方ないので、Text Worldのblosxomから試してみることに。どんなものだったか、思い出すためというのも理由の一つだが、ついでに山ほど付いているトラックバックスパムを探し出して一掃した^^)v blosxomのインストールされているディレクトリの/plugins/states/writebacks/diaryにあるwb拡張子のテキストがトラックバックのデータである。
前の記事をblosxom用に編集して、といってもタイトルだけを最初の行において、残りの記事部分はそのままにして、ファイル名を付けてFTPで送り込む。この日記と操作性はほとんど変わらない。考えてみると、Web上で新規記事の作成ができないなあ^^;)ブラウザ上で記事を表示し、編集モードにして、ping URLをセットしてセーブする。でもだめみたいだ。うーむ。
Hatena::Diaryの「第四の日記」記事からトラックバックを試してみた。あっさり成功。さすが、Hatena::Diaryの信頼性か^^)
[夏休み特集:2007] iPhone発売に偽ジョブズ登場--上半期の注目記事(後編)、[夏休み特集:2007]読者ブロガーが注目した2007年上半期ホットトピックネタ。印象に残ったのは、DoCoMo 2.0とPS3にMacOSXを載せるという話。
DoCoMo 2.0のプレミアムムービーは見世物としてはよくできているが、製品がどのようなものかはよくわからない。わかることと言えば、デザインとデジカメが使えること^^;)、アドレス帳の交換がワイヤレスでできるらしいことぐらいかな。ケータイの何を選ぶかというと、まず見るのは通信費用(どうもファミ割★MAX50、ひとりでも割★MAX50が売りのようだが)、そして必ず使うデジカメ(これはいいのが欲しい)、そしてGPS(もう当たり前か)、最後にデザイン。この選び方は一昔前のもの。赤外線通信によるアドレス帳の交換は一昔前の機種でもできそうだ。iPod的音楽プレーヤー内蔵、ケータイにイヤフォンを付けて音楽を聴きたいとはあまり思わない(これは僕だけ)。ICレコーダー、USBメモリ、FM受信などは当然。いまや、コンピューティング機能はどうかなどというところが問題だと思うが、そんなところはパンピー(「脳がほぐれる言語学」によれば一般ピープルを指すらしいが、何かこのような略語ばかりになるのもどうかと思う)は気にしないか。
以前から(PS3 で Mac OS が動く?--ソニー、CellプロセッサによるTigerサポートを ...)、PS3にMacOS Xを載せるという話はある。インテルマシンにMacOS Xを載せた今、アップルがゲームマシンという限られたマーケットのマシンに力を配分するかどうか。実際のところ、どれだけ売れるだろう。売れた場合に、ハードウェアを安く販売しているソニーがメリットがあると考えるかどうか。さらに言えば、新しいiMacのスペックを見ると、CPUはIntel Core 2 Duo 2.0-2.4GHz、グラフィックスカードはATI Radeon HD系でGDDR3メモリ128MB(2400XT)-256MB(2600PRO)搭載、メインメモリは1GB(4GBまで拡張可)、HDDも250-320GBとなっている。HDDは1TBまで拡張可能だ。20-24インチのディスプレイとiLife'08などのソフトウェア込みで、1199-1799ドル。PS3はBlue-ray Discプレーヤがついて500-600ドルだが、さてどちらに価値があるだろうじゃなかった^^;)PS3でMacOS Xが十分に動作するだろうか。動作させるメリットがあるだろうか。
Second Lifeなどの動きを見ていると、そのうち、ゲーム開発プラットフォームもオープンソース化、フリー化していくのではとも考えられる。Vistaをきっかけに、PCのグラフィックス性能が高性能化すると、ゲームの主戦場はPCに移っていくかもしれない。ゲームがサービス化していく。そうすると、不正コピー問題もなくなる。専用のハードウェアを使う必要もなくなっていく。
我がサイトは、Google Analyticsのキーワード項目が教えるところによれば、すなわち検索からは、当然、Ruby関連、Perl6、PS3 Linux、jperlについての興味から来ていただくことが多いようだ。ミシェル・フーコーというキーワードもないわけではない^^;)台風の後 - 鎖情あるいはバベルの塔記事のように、もうみなさんお好きにがんばってという気がしないでもないのだが・・・
Rubyネタ。John Lam氏のIronRuby Update (or what have you been doing since OSCON?)の記事は新しい(RubyCLR)。IronPythonのパフォーマンスの良さから考えると選択肢としてはおもしろいかもしれない(Dynamic Languages on .NET - IronPython and Beyond)。
Perl6については待ちの一手が正解で^^;)、今のところ、Perl5系列の最後のバージョンと言われるPerl5.10の最初のバージョンが、ランチの後か今年のクリスマス前にはリリースされる予定である。今年のクリスマスの前かどうかはPerl6については不明^^;)だが、最後のDevelopment Release Perl 5.9.5は既に出ているので、試してみることもできる。Perl5.10の紹介スライドを載せておく。
このスライドをダウンロードすると、OpenOffice.orgのImpressのデータとなっていて、PowerPoint的に使える。このサンプルではフルスクリーンでディスプレイから少しはみでるのが難点ではあるが、Flash製のスライドビュアーとともに、新しい時代を予感させるには十分だ(ja: Japanese Native language Project/ OpenOffice . org 日本ユーザー会)。
スライドをアップロードした著者のacme(Léon Brocard)氏のPerl Modulesを調べてみると、GraphVizのモジュールがある。自分が知っていたことかどうか、もう忘れている。日記を検索してみよう。
GraphVizも表現する対象がなければ宝の持ち腐れだ。なにごとも何をするのかが大切。GraphViz 2.02のモジュール自体は、2005-01-07リリースなので、既に体験済みという結論^^;)Brocard氏は最近どこかで見たことがある名前だと思ったら、Perl5.005のPumpkinだからだ。Perl5.005についての最近の話題は、perl5.005_05-MAINT20070701を参照すること。
ワープから戻って、最近話題の言語、Erlang - Wikipediaの話を少し。twitterブームの陰で注目を集める“ Erlang ” − @ITあたりで知ったと思うのだが、Rubyist Magazine - Rubyist のための他言語探訪 【第 10 回】 Erlangのお陰で日本では注目されたようだ。結局パフォーマンスを考えると並列処理が必要になる。PS3あたりのMany Coresプロセッサに適しているのではと思うが、ErlangなWebサーバyawsを速くする方法あたりに詳しい情報がある。みかログ 新・天然みかげ120%は、名前と色彩の好みから見て、Unicode::Japaneseモジュールの作者の方のようだ(tech.ymirlink.co.jp)。
[夏休み特集:2007] Photoshopウェブアプリ化の行方は?--上半期の注目記事(前編)、[夏休み特集:2007]名前は一流、結果は…というテクノロジプロダクト トップ10、ついでに、ネット利用はケータイが中心になる--モバイルに賭ける起業家たちの未来予想とモバイルブロードバンド加入者、2012年までに12億人規模に--英調査ネタ。
夏休み特集は、過去の記事の再利用ネタだが、復習としてはよいだろう。今年は、コンピューティングに関して言えば、PS3、Vista、Second Lifeぐらいが大きな話題だったのだと思うけど、残念ながらこれはというものがない感じがする。
Vistaは次にPCを購入する時に入っているだろうなというぐらいだが、次に購入する時にWindowsインストールマシンを購入するかどうか。今のところ、一台ぐらいはもっておく必要があるだろうというのが結論かもしれない。
PS3はHomeとPS3 Linuxの展開がどうなるかが今年後半の注目点になるだろう。PS3とPSPのWebブラウザについて一言。もっと改良して欲しい。特にPSPの場合、すぐメモリ不足で表示できないということになる。PS3はスピードがまだ遅いような気がするが、気のせいかな。
Second Lifeは、Webブラウザとの連動が必要と思う。移動履歴を残したり、地点に関するマークができるようになると便利だろう。HTMLで記述されたSecond Lifeのリンクからログインできるようにしてほしい。(言葉と物 ]]]Z - Second Life は空っぽか?)
最近は、ケータイでググったり、JRの時刻検索をしたりすることが多くなったが、ググるのは単純な少量のテキスト表示結果で済むものはよいが、検索結果も見づらく、いらいらしてしまう。ディスプレイが小さいから仕方ないと言えばそれまでだが・・・。動画表示等、PCと同等にならなければ、これはすごいということにならない。文字入力は繰り返し再入力場面ではインテリジェントで、なるほどやるじゃないと思うのだが、結局最初から入力する時は使いにくい。まだまだ改良の余地があるのかもしれない。現状では、ノートPCのモバイル用無線LAN環境が充実してくれる方がありがたいと思う。モバイル時に便利なのはケータイであることは間違いないのだが。
最近、便利だなあと思っているのは、iGoogleで、Gmailも統合できるし、TV Japanのガジェットは秀逸である。タブを追加すれば機能別にガジェットを整理できる。まさにWebブラウザ上にデスクトップが出現した感じだ。
iGoogle茂木氏のおおきな愛は経由、梅田氏の取り返しはつかないの記事で、養老先生の新潮9月号に掲載された「追悼河合隼雄 取り返しはつかない」の追悼文のことを知った。
河合先生の本については今まで取り上げる機会を得なかったが、「無意識の構造」(中公新書、1977年)、「影の現象学」(講談社学術文庫、1987年)、「人の心はどこまでわかるか」(講談社+α新書、2000年)を書棚から取り出した。明日、新潮を探しにいこう。
翌日の話。「新潮」は連休最終日のRe-membering Jacques Derrida (2005/02/13)で取り上げたときも茂木氏経由の情報だったが、書店巡りをしても手に入らなかった。今日も3書店をまわったがやはりない。最後のTSUTAYAで「こころの処方箋」(新潮文庫、1998年)を手にとって帰宅の途に。「新潮」は前と同じで図書館に行くしかない。検索すると9月号は既に入っている。
昨日、街に出たので、「新潮」が手に入った。2ページ見開きの追悼文。何も付け加えることはない。
虫の世界は、音に満ちている その1ネタ。NBonlineに登録していないと読めないはず。
とうとう電子顕微鏡が登場。養老孟司著「養老孟司のデジタル昆虫図鑑」(日経BP社、2006年)は、山根一眞氏から500万円近くする日立の卓上型電子顕微鏡の購入をそそのかされる場面で終わる。
関節が出す音の話なんだけど、これをどんな具合におもしろい話に仕立てていかれるのか、楽しみに第二弾を待とう。
今朝も涼しい。寝苦しい夜が続いていたのが嘘のようだ。日中は晴れているので当然気温は上昇するが、広島付近の天気図の等圧線は高気圧と低気圧の境界に当たっている。テレビのニュースは盆休みの帰省ラッシュの報道から一転、早くもUターンラッシュを告げ始めた。一歩進んで二歩下がり、脇道に逸れてはリンクを辿って戻る思索の旅、目的の地に辿り着けるのか、いつのまにか、他の道に迷い込むのか、今後どのような道筋を辿っていくのか、予想してみよう。
手元には、先週の水曜日に買ったマルティン・ハイデッガー著、細谷貞雄訳「存在と時間 上・下」(筑摩書房、ちくま学芸文庫、1994年)がある。ハイデッガーの「存在と時間」はまさに存在論、Ontologyの書であり、人間の存在(現存在)は時間を超越した絶対的なものではなく、時間との関わりがあるところに特徴があることを述べているらしい。それがいかほどの意味を持つのかはまだピンとこないのだが、それがわかるほど深く読めるのかどうか。意外と「言葉と物」などのほうから見えてくるのかもしれない。計1000ページ程度の大著だが、序論と前半部が書かれ、そのまま後半が書かれないままに終わった未完の書である(2007-08-28: 訳者後記に基づき修正)。献辞はフッサールに宛てられている。
エドムント・フッサールに 尊敬と友情をこめて贈る バーデン・シュヴァルツヴァルトの トートナウベルクにて 一九二六年四月八日
ポストモダンから、構造主義、そして、ハイデッガー、さらにはフッサールへと遡る。現象学の創始者であるフッサールがハイデッガーと同時代か、少し古い時代の哲学者であることは頭に入っていなかったので、へーっそうなのかと驚きつつ、フッサールを無視するわけにはいかないと思った。フッサールは「現代思想」誌で1970年代に「現象学」とともに親しんだ名前だが、何を読んだかもう記憶にはない。谷徹著「これが現象学だ」(講談社現代新書、2002年)は現象学の誕生から説き起こして、詳しく説明してくれる。フッサールは哲学を数学や物理学のような厳密な学とすることを目指した。その影響は、構造主義やポストモダンに及んだはずだが、フーコーは文学的であるだけに、数学を人文諸科学にどこまで適用しえるものか疑問に感じていたはずだと思う。「言葉と物」の展開に沿えば、デカルト以降の近代合理主義と人文諸科学が遭遇したところで、18世紀末に生じた観念学と批判哲学(カント)の共存から、19世紀の批判哲学=実証主義=客体の形而上学という三角形を経て、20世紀初頭のフッサールの現象学へと至る道筋が見えてくるのかもしれない(第七章 表象の限界)。これらの変化は100年以上に渡り、20世紀に引き継がれたものであるが、何かが解明され、一段落した物語をそこに見いだすことは誰にとっても難しいと思われる。
ところで、言葉と物 ]]]]W - 人間は進歩してきたのかから、ハイデッガーへと探索の旅を続けているのだが、哲学においてはニーチェ、フッサールまではもう少し足を延ばすことになりそうだ。「言葉と物」を媒介とする西欧近代の探索は、20世紀あるいは文学関連は除いて、これぐらいで一旦幕を引いてもよいかもしれない。最終的な目的は、西欧近代と対比させつつ、日本近代を探ることにある。また、一石二鳥、言語学、チョムスキーの生成文法への興味から、特に日本語に着目するので、日本語関係の書籍にあたることになる。さて、「言葉と物」という枠組みの中で展開することになるのかどうか、いささか、書きながら疑問を感じてきた・・・しかし、フーコーが20世紀の中葉、「言葉と物」を書いていた頃に感じていたのは、短く引用すれば次のようなところであろう。
・・・今日、哲学がいまなお終焉にむかいつつあるという事実と、おそらくは哲学のなかで、だがさらにそれ以上に哲学のそとでそれに対抗して、文学においても、形式的反省においても、
(408ページ)言語 の問題が提起されているという事実は、たぶん、人間が消滅しつつあるということを証明しているのにほかならない。
過去の記事を遡って読んでみると、すでに書いたことを忘れている。同じようなことを繰り返して書いている。それは無意識の反芻のようなもので、記憶を固定するためにも必要なことなのだろう。さて、フーコーが「言葉と物」を書いて以来、フーコーが何を考え続けたか、それも知らねばならない。「言葉と物」に現れたもの以外、書く以前に何を考えていたのかも遡って知らねばならない。特に以後については、文学の問題が大きいのかもしれない。アルトー、ルーセル、シュールレアリスムからブランショまでは「言葉と物」に書かれており、ヌーヴォーロマンについては直接的な記載はない。結局、何も変わらなかったのか。元に戻ったのか。単なる一時的な混沌、気紛れ、遊びに過ぎなかったのか。そして、日本の「言葉と物」はどうだったのか。日本の近代史を日本語の歴史とともに辿る。
一石三鳥的には、これまで書いてきた内容をまとめていくことを支援する仕組みのようなことを泥縄式で、リアルタイムに考えていく。発想定着型日記式データベースシステムとなるだろう。
金川欣二著「脳がほぐれる言語学 --- 発想の極意」(ちくま新書、2007年)の著者を検索してみると、金川 欣二 言語学のお散歩(マックde記号論) Rideo, ergo sum.が見つかったネタ。
どこかで見たことがある。チョムスキーとフーコー (2006/07/22)で見つけていたサイトだね。言語学で漫才をやろうという志向のようなので、貴重な存在ということができるだろう。
コンピューターのプログラムのように誤解が排除された世界はつまらない。一つしか正解のない世界におそらく進歩はない。人間は一人一人が違う答えをもっている。
(38ページ)
コンピュータのプログラムも自然言語を含んでいるし、正規表現という多様なパターンにマッチすることができる仕組みを内蔵することも可能だから、一概に誤解が排除されたつまらない世界とも言えない。バグはなくならないという人間的な側面を持つ^^;)もっとも人間と同様、誤解することを目的としているわけではない^^)また何よりもプログラミング言語も人間が書き記す言語なのである。Machine-understandableということに過ぎない。
チョムスキーなんか怖くない(はず)は文科系の言語学者からチョムスキーを見るとどう見えているかということがよくわかっておもしろい。
今朝は、なぜか涼しい朝だった。昨日の夕方は前線の雲が出ていたけど、寒気団側に一時的に入ったのかもしれない。盆休みに突入したが、仕事のメールに追いかけられている。みんながお盆に休むわけではないから仕方がない。夏休み工作は実現しそうにもないが、合計100冊ぐらいになる10個ぐらいの書籍の山を交互に積み替え操作しながら、読書を続けている。チョムスキーも数冊は埋もれている。生成文法を深く理解するためには、実践的人間にとっては、それを使って何をするのか、何ができるのかという見通しが必要だ。いまのところ、何かできそうもないので衛星軌道から降下して作戦開始というわけにもいかない。単に文を生成するとしても、文の生成を駆動するものは、文を構成する単語だけではないことは明白だ。文法の範囲には単一の文を生成するだけでなく、文脈や文章、さらには作品にまで拡張できる原理が必要である。
文法の対象とする範囲を、単一の文から文章や作品の範囲にまで拡げようという考え方がある。文章にまで拡大したのは、時枝誠記(Wikipedia)だそうであり、さらに作品にまで拡大しようと考えているのは、「現代日本語文法入門」(ちくま学芸文庫、1997年)の著者の小池清治氏である。文生成、文章の生成、作品の生成には時間の経過があり、ハイデッガーの「存在と時間」(言葉と物 ]]]]X - 思索の透視図)という言葉への連想につながっていく。存在には時間が必要・・・時間を遡って、メモしておこう。
立花氏のサイトはいろいろと変転しているので、最近見失っていたが、ようやく捕捉、整理した。といっても過去に取り上げたものを記憶の表面に蘇らせているだけ。Web上での活動には他に次のようなものがある。
地球の凹凸データ、ネットで公開へ、全地球の3次元地形データを無償で公開ネタ。
asahi.comの記事では、8/10からという話になっているが、ASTER GDS Web siteには動きはない。Asterの可視・近赤外像の水平解像度は15m程度だから、利用の仕方は限られそうだ。
Google Mapsが使っているDigitalGlobeのQuickBird(2001年打ち上げ)は0.6mの解像度がある。同様に航空写真のDigital Earth Technologyの場合は、25-50cm/pixelの解像度を有する。Google Mapsには航空写真と表示されているが、衛星写真と併用しているのだろう。画像のコピーライトには両社の名が記されている。
広島県広島市で検索したデータの一つ怪異ゴミ屋敷、内田樹の研究室ネタ。先週から、「武田鉄矢・今朝の三枚おろし」のネタが例の養老先生と内田先生の「逆立ち日本論」となっている。僕はこの番組で、「先生はえらい」(2005年)だったか、内田先生を教えてもらって、ブログを読むようになった。いつも記事の文章が長い。めちゃくちゃ長くて、Atomフィードのcontent要素がMySQLにも収納できないケースの(27KB、400字詰め原稿用紙30枚を越えている)見本ができたぐらいだ。
引越しされるらしくて、蔵書数の話が出ている。4000冊も本があるのに同業者は非難の目で見るらしい。まあ、立花隆はその10倍ぐらいあるらしいが。それで、そのうち8割は実際に読んでなくて、1000冊ぐらいをレファレンスとして勝負している。そして、そのうち、半分はマンガなのだそうだ。
実際のところ、蔵書しているからといってどこまで読んでいるかは疑わしい。人間にはそんなに時間はないはずなので、限界は当然ある。立花流速読術を会得しない限りは万の本を読めるとは思えない。僕は何十年も蔵書していたものを最近読んでいるぐらいだ。学問の世界で、1000冊も読んでいれば勝負できるというのはなかなか興味深い。
簡単な計算をしてみよう。話の筋をキチンと追いながら本を読むのに1分/ページ程度を要する。一冊平均300ページと考えると、1万冊の本を読むためには、1日で起きている時間、16時間すべてを当てたとして、300ページ/冊×1分/ページ×1万冊/(60分/時間×16時間/日×365日/年)=8.6年を要する。毎日1時間当てたとして、137年、2時間を当てたとして、68.5年を要することになる。4000冊の読んだ蔵書があれば凄いと思うべきではと思う。最早、人の書いた本を読んでいるだけで人生が終わる時代なのである。
この話は、もう何度も繰り返しているので、視点を変える。立花隆著「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術」(文藝春秋、2001年)から少し引用する(立花 隆のttbooks.com [2001/06/09])。
人間を情報新陳代謝体と見た場合、豊かな人間存在であるために最も必要な条件は、情報のスループットをふやすことである。情報のインプットを高めて、体内(脳内)にできる限りの情報を貯めこむ(旧来の情報人間の定義)ことではない。入っては出ていく情報の流れ(スループット)をふやし、それをどんどんスクリーニングして、役に立つ情報を片端から拾い上げて利用しながら、自己を情報体として高め、情報新陳代謝量、情報利用量が大きな高度情報人間になっていくことである。
そのような生き方をしていく上で絶対に欠かせない情報社会サバイバル技術が、素早い情報スクリーニング術であり、素早い情報摂取術なのである。そしてその基本が先に述べたような速読術、「絵画的読み」の技術なのである。
(34-35ページ)
人間を情報新陳代謝体と見るのは慧眼であると思う。情報は血液のように循環して利用されなければ意味がない。単に蓄積するという発想は意味がなくて、常に新たな意味を付加しつつ蓄積し、さらに利用するためにレファレンスとして蓄える。生物学的代謝と大きく異なるのはシステムを維持するためだけではなく、情報は新しい意味を生み出すために代謝される。
ワーナーマイカルシネマズ広島に予約を入れた。15:50-18:30の部。テレビのコマーシャルに惹かれたのとやはりスピルバーグ作品ということが大きい。さて、暑そうだが出掛けよう。
最初の1時間はコメディーっぽいサスペンス的展開でなかなかよかったが、ロボットが登場してからは完全にマンガチックになってしまった。悪くはないけど、ロボット同士の絡みは動きがはやすぎ、詳細が見て取れないので、表現の凄さが伝わりにくい感じがした。しかし、全体的にはこのようなものをよく作るものだと感心した。コメディーとしても大変楽しめる。
Googleサイドバーのニュースガジェットが見覚えのある名前を表示した。小阪修平氏死去 評論家 (8月11日 11:19)。
哲学的日記を書き始めた最初の頃に出会ったのが、小坂氏の「そうだったのか現代思想 ニーチェからフーコーまで」であった。2年半も前のことになる。今、読み返せばもっと深い読みができそうな気がしている。ご冥福をお祈りいたします。
あなたは電子書籍を読みますか?--活況を呈す電子書籍市場ネタ。
電子書籍は紙媒体の本に取って代わる物ではないのではないか。紙媒体を補完するものである。本をよりよく読むためのものである。例えば、検索できる。目障りでなく、落ちる心配もなく、何を指し示すのかも明確化可能であり、批評や感想を付け加えることができ、リストアップなど整理可能な栞が挟める。そのような電子書籍があるのかどうかは知らぬが^^;)、そのような電子書籍を提供してこそ、意味がある。
もっとも、読者にとって必要なのはテキストや画像などの生データであり、それさえあれば読者が書籍に自らの情報を付加して自由に編集しなおすことさえできる。今は最早そういう時代なのである。
熱帯夜 - Wikipediaネタというか、毎日暑さで何度も目が覚める。寝苦しい。若い友人に聞いてみると、エアコンが夜も稼動しているとのこと。昨夜はタイマーを2時間に延ばし、明け方エアコンのスイッチを入れた。快適だった。
最近、裏の家が庭の木を剪定した。蝉の鳴き声がぱったりと止んだ。目的は蝉対策。蝉の盛大な鳴き声で、近所迷惑だよねと目が覚めることはなくなったが、うれしいような、悲しいような・・・
都市化した 隣家の庭を 眺めおり 蝉の泣き声 遠く聞きつつ (水芭蕉)
最高気温が35℃以上になると猛暑日と呼ぶようになったのだそうだ。都市化が次第に自然現象を人工現象化していく。
さて、今日も帰宅後、午後9時近くなったが、アクセスしてみるとつながった。ustreamer|良い子は僕。
最近はずーっと週に二日は外に出ているせいか、出る度に二冊ずつぐらい本が増えていく。本屋に入ると買いたくなる本が出てくるのが不思議だ。その昔は、「もう買うべき本なんてない」と嘯いていたのに。
間が悪い^^;)ことに東京出張。ようやく帰宅してパソコンの前に陣取ったのは午後9時35分。午後8時集合とのアナウンスだったので、もう終わっただろうなあとアクセスしてみる。やっていた^^)v、間に合った(^^)/~~ビールを飲みながら最後の20分を楽しんだ。素晴らしい時代だ。
佐伯啓思著、「現代文明論(上) 人間は進歩してきたのか 「西欧近代」再考」(PHP新書、2003年)ネタ。
実は、東浩紀著「動物化するポストモダン」については「データベース消費」とは別に「動物化」という言葉に過剰に反応している。なぜポストモダンが動物化するのだろうと、動物化とはどういう意味を持つのだろうと考えてきた。佐伯啓思氏の「アダム・スミスの誤算 幻想のグローバル資本主義(上)」(PHP新書、1999年)と「ケインズの予言 幻想のグローバル資本主義(下)」(PHP新書、1999年)の2冊は、おもしろそうだが、経済学中心の話であるだけに、時折パラパラと捲ってみるだけで、積読状態に置かれていた。今回、新たに購入した同様に上下二冊の「現代文明論」は大変おもしろそうだし、西欧近代について考えるということだから、「言葉と物」シリーズに最適。上巻は完読。西欧近代を考える場合、歴史のジグソーパズルの様々なピースが、これまで、言葉と物で登場したピース以外にも相当あるということがわかった。読んでいる間は「もっとも、もっとも、納得、納得」と思っているのだが、何かまとめを書こうとすると、その思いは厳密性の網をすり抜け、混沌の曖昧の中に漂うことになる。
かくして、道徳や正義をもっともらしく掲げる近代人は、飼いならされた動物の群れであり、「畜群」であるとまでニーチェは吐き棄てます。平等やら民主主義というものは、近代人の「支配嫌悪症」の表れであって、これは自分で責任をもって支配する強者の論理とはまったく違っている。この近代民主主義の権利の思想や平和愛好は、歴史が目指す理想などというものではなく、自己保身にしか関心をもたない飼いならされた動物の凡庸な現実にすぎない、というわけです。このニーチェの考え方が、前章で述べたフーコーなどの論理を先取りしていることはいうまでもないでしょう。たしかに独房に入れられた囚人の平和、平等、自由といった比喩はきわめてニーチェ的です。ニーチェが近代人は家畜であるといったところを、フーコーは囚人だといったわけですね。
(257-258ページ)
なるほど、ニーチェが近代人は動物だと言った。生物学的にはその通りなので^^;)問題ないのだが、それ以前は人間だったのかというとそれには問題はありそうだが・・・そのような駄洒落的思考はともかく、近代人は既にニーチェの時代に動物化しており、ポストモダンの現代においてもさらに動物化の程度が進んでいるというのが、東氏の議論なのだろうなあとほぼ納得・・・動物化が進展するのはデカルト以来、近代合理主義の必然?
「人間は進歩してきたのか」にはもっと調べるべきピースもあるのだが、先を急ごう。佐伯啓思著「現代文明論(下) 20世紀とは何だったのか 「西欧近代」の帰結」(PHP新書、2004年)。
現代では世界のいっさいの「目的」は失われている。にもかかわらず、それを認めようとせず、手段を目的にしてしまうこと、そのことが今日の深刻なニヒリズムだとハイデガーはいいます。「世界の幸福実現」とは、自由や民主主義の普遍化、物的幸福の世界化を目指すアメリカ流の進歩主義といってよいでしょう。すると、二十世紀の支配的な思潮であった「社会主義」と「アメリカニズム」は、ともにニヒリズムの典型的形態だったということになります。ソ連とアメリカの対立という冷戦も、文明論的に見れば、ニヒリズムの先導争いだったのです。ハイデガーはそのことに気付いていたというわけです。
(232-233ページ)
究極のニヒリズムのもと、20世紀は何だったのかという物語だが、もちろんポストモダンも含んでいる。ニーチェ、ハイデガー、フーコーの思想は現代文明を理解するのに必須ということになる。今日、ウラゲツ☆ブログにドゥルーズの名著『フーコー』が河出文庫にのアナウンスが出ていた。
第百四十五回 2007年夏と北越 後編ネタ。中越沖地震お見舞い申し上げます。
ケイス氏が清水氏とSIGGRAPH2007に行かれたらしいが、清水氏とは論文、スケッチ、ポスターのリストからみると、電気通信大学 知能機械工学科 ヒューマンインタフェース分野 稲見研究室の清水紀芳氏のことらしい。清水という名前は他にはなさそうだし、ケイス氏は電通大の出身だ。ケイス氏が「清水」という名前を出すので、シン氏が面食らっているのがおもしろかった。僕もその意味を考えて調べはじめたのだけど・・・
The Complete List of Posters ・・・ Vision ・・・ I16. Tiny Dancing Robots: Display-Based Computing for Multi-Robot Control Systems Maki Sugimoto Masahiro Tomita Tomohisa Aruga Naohisa Nagaya Noriyoshi Shimizu Masahiko Inami The University of Electro-Communications sugimoto (at) hi.mce.uec.ac.jp
僕がプログを読んでいる中で、SIGGRAPHの話が出ていたのは、他には安藤日記。そろそろ、サンディエゴの情報がプログに上がってきている。
The Multiverseを検討するにしても、少なくとも3Dモデリングについて精通しなければ、先に進めないだろう。少し調べよう。
SIGGRAPHの論文へのリンクは、Tim Rowleyのページにすべて整理されている。今回の論文は、SIGGRAPH 2007 Papers on the webにある。
プログラミング雑誌の価値はまだあるのか?、今こそ問われるプログラミング雑誌の価値ネタ。
最近は、時折、Software Design誌か日経ソフトウェア誌を購入する。季刊のThe Perl Review誌は紙媒体でも届いている。昔なら、Cマガ、ユニマガ、Unixユーザーなど数冊をほとんど毎月購入していたから、それと比べると最近はほとんど買わないといってよい。既にプログラミング関連書籍自体を百冊を軽く越えて所有しているから、もう通常のことは調べるのには困らない。
プログラミングのおもしろさは、21世紀に入り、PCの高性能化とともに本格的なWebプログラミングが登場することによって新しい段階に移行した。本サイトはAwakening Project{2001年: AWKING (Automated Web Knowledge, Information and News Gathering) Projectとしてスタート}と称して、最初はインターネット上の情報を自動的に収集・加工して、統合的な表示を実現しようということを提案した。次にWebとデスクトップを融合させようということを「実践実用Perl」(2004年)とCodeZine連載「デスクトップCGIでWebとデスクトップを融合する」(2006-2007年)で提案している。今や、そういった提案は、最近のマッシュアップやデスクトップにWebの情報を取り込もうという話で、一般的な話になった。それはそれほど難しくはないし(10年程度の様々な関連分野でのプログラミング修業は必要だが^^;)、なによりも取り組むためのコストが驚異的に下がったことが大きい。ほとんどすべてのプログラミングのためのリソースはフリーである。PCが1セットとインターネット接続環境があればよい。誰もがやる気と努力さえあれば、プログラミング、あるいはスクリプティングの世界の果実を食べることができるようになったのである。
The Multiverse開発用のツールをダウンロードしながら(仮想世界を作る - The Multiverse)、さて、次のステップは仮想世界の構築なんだが、単なるプログラミング能力だけでは無理だよねと思う。スクリプティングと3Dモデリングは密接な関係がありそうだ。BlenderはPythonが必要だし、MetasequoiaもPythonを使ったりするようだ。スクリプティングから攻略するのが独自性が出せそうだから、PerlとOpenGLあたりを調べると、POGL: Perl OpenGLが見つかった。実は、The Perl Review 3.3(Summer 2007)のPerl NewsにPerl OpenGL Developer's Siteとして紹介されていたのである。
POGL Benchmarks - Windows vs Linuxのtest.pl表示雑誌の問題は夾雑物が多すぎること、必要な部分だけが欲しいということはあるだろう。ただ、そういったノイズの部分も有効な場合があるからやっかいだが、Webで自分の欲しいあるいは必要な記事を集め、編集してPOD(Print on Demand)で印刷・配達するというのはありかなと思う。閲覧性が高く、持ち運びが自由な紙媒体の必要性・優位性は確かなことだからである。PDF形体の配布もありだが、これは検索性の低い紙媒体に付加することで付加価値が上がるのである。Webと比べて雑誌には速報性は期待できない部分もあるが、情報の伝達速度は一定ではない。知らずにいるままのことも多いのである。定期的に現在のトレンド・レベルのまとめは誰もが求めるだろう。雑誌には、加工された大きな付加価値のついた情報を集積しよう。
だいぶ前にトラックバックを話題にしたことがあった。脳髄の日記に本日記の記事からトラックバックをしようと試してみた。
trackback.plはトラックバック用入力フォームを出力し、trackbackping.plがフォーム入力に基づいてトラックバックのpingを送る。入力フォームをわざわざCGIで生成しているのは、ShiftJISのページメニューから、UTF-8のページを生成するためなので、UTF-8で保存する必要がある。
trackback.plは、Ping先URL以外の記事データを自動取得の仕組みにすれば完成だろう。
trackback.pl
#!/Perl5.8/bin/perl.exe use strict; use warnings; print <<"HTML"; Content-type: text/html; charset=UTF-8 <HTML> <BODY> <FORM action="/cgi-bin/awakening/trackbackping.pl">トラックバック出力<br /> ブログ: <INPUT type="text" name="source" value="日曜プログラマのひとりごと" size="50"><br /> タイトル: <INPUT type="text" name="title" size="50"><br /> 記事URL: <INPUT type="text" name="url" size="100"><br /> Ping先: <INPUT type="text" name="ping_url" size="100"><br /> <INPUT type="submit"> </FORM> </BODY> </HTML> HTML
trackbackping.pl
#!/Perl5.8/bin/perl.exe use strict; use warnings; use CGI qw(:cgi); use Net::Trackback::Client; use Net::Trackback::Ping; my $ping = Net::Trackback::Ping->new(); my $source = param('source'); my $title = param('title'); my $url = param('url'); my $ping_url = param('ping_url'); $ping->blog_name($source); $ping->title($title); $ping->url($url); $ping->ping_url($ping_url); my $client = Net::Trackback::Client->new(); $client->send_ping($ping); print "Content-type: text/html; charset=UTF-8\n\n<html><body><p>$ping_urlへトラックバックしました。</p></body></html>\n";
Multiverse Network、仮想世界構築用プラットフォームのバージョン1.0を発表ネタ。
MultiverseのDark Horizons Universeにログインしてみたが、他のユーザーは一人だけ。どのような世界なのかはビデオを参照のこと。The Multiverseの全人口が、まだ12284人なので、これからというところなのだろう。世界自体が作れるので、Second Lifeと比べてはるかに自由度は高い。Second Lifeがデザイナーの世界なら、The Multiverseはプログラマの世界により近いかもしれない。
Multiverse Patcherまずアカウントを取る。アカウント取得画面で、メールアドレスとUsernameとPasswordを入力するとメールが届く。メールの認証用リンクをクリックして、ログインすればアカウント取得完了。そして、Multiverse Clientをダウンロード、インストール、起動してログインすると最初に出てくるのが、Multiverse Patcher。Dark Horizons Universeの場合、250MB程度のデータをまずダウンロードすることになる。システム要件はSecond Life並み。
一般ユーザーはインストールしないようにということなので、Firefox3の開発版の壁紙だけもらってきている。
素晴らしいデザイン。なかなか夏らしくてよい。ついでにデスクトップの何たらウィザードでショートカットを掃除して、実際使いそうにないものは同じフォルダに放り込んだ。画面の半分を占めていたショートカット群は消滅して、スッキリ。結局、実質的に使うものは、Firefox、Becky!とTeraPadということ・・・その他にデスクトップに起動するのは、FFFTPとGIMPぐらいかな。
蝉の鳴き声で朝目覚める。6時ぐらいから鳴き始める。夏だと思ったら、もう8月に突入。台風がやってくる。5号はコンパクトで暴風域に入ると激しいというのが特徴らしい。
阿久悠氏が亡くなった。「日記力」(講談社+α新書、2003年)を読み返していると、最後の項のタイトルが「時代の記憶を書き留める」となっている。
そして、その日記こそが遺言であったり、自分史になり得るとも考えられます。もし、のちのち改めて自分史を書きたいと思ったときには、貴重な資料になるはずです。人任せの時代考証ではなく、自分の目で見て、耳で聴いて、皮膚で感じた時代を一冊、一冊の中に残していってほしいと思います。
(176ページ)