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9/30/2007 (Sun.)

まつもとゆきひろのハッカーズライフ:第7回 言語の重要性その2ネタ。Googleアラートにセットしている「Perl」がいくつかのリンクをメールで伝えてくれた。そのうちの一つ。

最近は、プログラミング言語を人間の言語の拡張の一部として考えるようになった。そのように考えると新しい言語の発生も一種の自然(社会?)現象だ。なにがそのような言語をもたらすのか、その現場に立ち会ってみたいとも思う。

僕自身はプログラミングそのものよりもフーコーの言う集蔵体のようなものを作り出すことのほうに興味があるのかもしれない。わけのわからないへんな日記を書いているのもそのせいだろう。何しろ最初に書いたPerlスクリプトはテキストデータベースだった。そのころに比べると何もかもが大きく変化したが、本質は変わらないようにも思う。

何か変わった新しいプログラミング言語が出て欲しいと思う。新しい言語を見るとワクワクするんだけど、馴染んだPerlを捨ててまで変えようということにはなかなかならない。ある意味どれも同じじゃないという気がするからだ。想定するハードウェアが同じだから、同じような機能しか持たせられない。当然といえば当然である。

今なら、HTMLやRDF/XMLをデータベース的に取り扱うのが得意な言語のようなものができると便利かもしれないと思ったりはする。ネットワーク関係の得意な言語。Prologのような言語で、Perlみたいなのとか。それから、GUI関係もあるけど、仮想空間記述言語みたいなのも欲しいね。

ここで、作品の読解についての思考をさらに深めるために、「知の考古学」の目次を眺めておこう。

  1. 序論
  2. 言説の規則性
    1. 言説の統一性
    2. 言説の編制
    3. 対象の編制
    4. 言表の諸態様の編制
    5. 概念の編制
    6. 戦術の編制
    7. 注意事項と帰結
  3. 言表と集蔵体
    1. 言表の定義
    2. 言表の機能
    3. 言表の記述
    4. 稀少性、外在性、累合
    5. 歴史的<先験性>と集蔵体
  4. 考古学的記述
    1. 考古学と思想史
    2. 原のものと規則的なもの
    3. 矛盾
    4. 比較に基づく事実
    5. 変化と変形
    6. 科学と識知
  5. 結論

「言説」は、ミシェル・フーコー著、中村雄二郎訳「知の考古学」(河出書房新社、1970年初版、1978年六版、原著: 1969年)ではディスクール(discours、英語ならdiscourse)のルビが振られていて、括弧書きで「論述」とも訳されている。

「言表」は、エノンセ(énoncé)のルビが振られている。言表とは個々の言語表現を指し、その集合が言説を成す。言表のレベルは、単文、複文から段落、項、節、章、篇、個々の作品・論文等までが考えられる。言表の集合体、集蔵体はアルシーヴ(archive)とルビが振られている。英語で言えばアーカイヴで、それなら聞いたことがあると言うかもしれない。集蔵体を分析することが言説分析ということになる。

以上の要約は、本書を詳細に読んで書いているわけではない。断片的な読みから適当に付加・構成した解釈である。まあ、この程度の話なら当たらずとも遠からずだと思うが、それだけのことなら、わざわざこれだけの本を書く必要もない。

それというのも、言表は、言語体系(ラング)が存在するのと同じ意味では、存在しないこと、また、言語体系とともに、その対立的な諸特徴およびその使用の規則によって規定された記号の総体、が存在するのと同じ意味でもないことは明らかだからである。事実、言語体系は、決してそれ自身において、またその全体性においては、与えられない。それが言表になりうるのは、第二次的な仕方においてであり、言語体系(ラング)を対象とする記述を間接手段としてなされるにすぎない。その諸要素を構成する記号とは、諸言表に課され、諸言表を内側から支配する諸形式である。・・・

(128-129ページ)

諸言表が出現する構造・場、逆に言えば言表の持つ機能・作用のようなものを読み取るのが言説分析であるということができそうだ。Discourse analysisの日本語の対応をWikipediaでみると、談話分析ということになる。これはフーコー的な文脈とは異なるだろうとは思うが、フーコーも構造主義から機械的な分析への到達も意識していたはずである。しかし、フーコーの企ては機械からもっとも遠いものであろう。「知の考古学」を書いた後、この領分にフーコーが戻ってくることはなかったのかもしれない。「言葉と物」や「知の考古学」の元となった著作と考えられる「狂気の歴史」をまず調べてみるのがよいだろう。昨日とうとう注文した^^;)

更新: 2007-10-07T16:59:53+09:00
9/28/2007 (Fri.)

「爆笑問題のニッポンの教養」(TOP)ネタ。ほー、NHKか。慶應大学篇。慶應8人の諭吉チルドレン。聞き取り断片メモ。

登場人物と発言、村井純(情報工学)「驚異のデジタル世界がやってくる」「人間の創造性を刺激していく」「慶應生が未来を作ると思っている」、中村伊知哉(メディア学)、石川幹子(環境デザイン)、柳川弘志、国分良成(現代中国論)「中国人は恋人同士が英語でしゃべっている」、清家篤(労働経済学)「高齢化、2030年には65才以上が1/3になる」「高齢化社会のモデルを日本が作れるか」、岡野栄之(脳科学・再生医療)「高齢化においては、体が元気なのに心や脳がついていけていない」、末松誠(代謝生化学)「腸はsecond brain」「体の中はデジタル化できない」、山岸俊男(北大)、田沼誠一(東京理科大、生化学)、遠藤秀紀(京都大学、遺体科学)、浅島(東京大学、再生医療)、安西祐一郎(慶應塾長)「ラグビーでもう倒れるかどうかというところになると涙が出てくるが、このような感動を味わえる社会はよい社会ではないか」。

30年で世界は変わる。ユービキタス、バーチャル、ロボット。デジタルの網の目から零れ落ちるものもある。デジタル化、それって幸せ? 筋肉を支えるテクノロジーから脳を支えるテクノロジー。デジタル化で考える。どう生きてどう死ぬか。グローバル化によって、ローカルで孤立して生きることができなくなる。競争することは幸せではないが、競争するように作られている。そういう心の仕組みをもった動物なのである。・・・えーっ、ほんとうにそうなのと疑問に思ったり、証明できているんだろうか、どんなふうにして証明するんだろうとか・・・

「教養」とは何か。教養 - Wikipediaによれば、知識を有し、知識を活用する能力と定義できるかもしれない。「モオツァルト」を読んで理解するためには、かなりの知識が必要になる。無論、何を目的に読むのかという問題はあるのだが、作者、登場人物、引用される書物、楽曲や楽譜、時代背景などに関する知識が読解を助けるだろう。通常の書物では理解を助けるために文脈に載りにくい付加的情報などを脚注などで示す場合もあるわけだが、「モオツァルト」には注はない。作者としては、作品の中ですべてを表現し尽くすことを目的として書いているので、作者の注があるのは例外的であることが普通かもしれない。

Webページでは、関連用語等へのリンクを記述できるようになった。作品の背景に拡がる世界へつながる道を指し示すことが容易にできる。適切なリンクの張り方のような教養が求められる時代になったのかもしれない。

更新: 2007-09-30T09:04:21+09:00
9/27/2007 (Thu.)

「モオツァルト」の読解をスタートさせたが、少し寝かせて熟成させる必要もある。再開する前にフーコーの方法を見てみよう。「J=P・リシャールのマラルメ」(1964年: 「フーコー・コレクション2 文学・侵犯」、ちくま学芸文庫、2006年)の次の部分。

文学作品を語るためには、現在いくつかの分析モデルが存在している。論理学的モデル(メタランガージュ)、言語学的モデル(意味の諸要素の定義と機能)、神話学的モデル(神話物語の諸セグメントとそれらセグメントとそれらセグメント間の相関関係)、フロイト的モデル。かつては他にも多くのモデルが存在したし(修辞学的モデル、解釈学的モデル)、これからあらわれてくるモデルもあるだろう(おそらくいつかは情報科学的モデル)。しかしどんな折衷主義でも、これらをかわるがわる使うといったことを受け入れることはできない。そして文学研究が、すべてを包括するモデルをまもなく発見することができるかどうか---あるいはひとつとしてモデルを使わない可能性を発見することができるかどうか---はまだ誰にもわからない。

279-280ページ

1964年当時に、情報科学的モデルのようなアイデアを想定できたというのはすごいなと思う。しかし、それは未だに見果てぬ夢なのかもしれない。

更新: 2007-09-27T21:27:48+09:00
9/25/2007 (Tue.)

宮島上空の月を眺めながら、帰宅の途に。今朝は外気温が24℃で、車のエアコンも静かなままだったが、帰宅時は27℃で26℃設定のエアコンは冷たい風を送り出してくる。今日も夏日にはなったはずだが。4-5℃は気温が下がってきた。

明け方は彼岸の日から少し過ごし易くなってきていた。暑さ、寒さも彼岸までというのはなるほど本当だなあと、夏日の深刻な寝苦しさをすぐ忘れる。咽喉元過ぎれば熱さを忘るもなるほど本当だなあと思う。

北海道の山々は初冠雪の報。もう二月で冬が訪れるはずだが。暑さの中でも季節は巡っていく。

グーグル、「Second Life」ライクな仮想世界を構築か?--米報道ネタ。

一応、フォローすべきだろうからピックアップしておこう。ただ、Second LifeとGoogle Earthではずいぶん違いがあるのではと思う。単なる3次元マップならWebページとそれほど変わらないが、複数のアクセスをリアルタイムに合成してそれぞれの視点から見せるのは難易度がだいぶ違うのではと思う。

久しぶりにGoogle Earthを動かしてみるとだいぶ様相が違ってきている。写真がかなりロードされていて、クリックするとポップアップで表示される。ただ、写真が大量に集中してロードされている場所はもはやどれを見てよいかわからない。地理的に制限された表現と他の情報を結びつけることはそう簡単ではない。情報が多すぎると存在しないのと同じなのはどのような場合でも同じことだが、情報の存在を示すマークが重なって大丈夫かと思うが十分拡大すれば分離可能だ。

9/24/2007 (Mon.)

Perl 6 to machine code via Common Lisp and sbclネタ。

movitzというx86で動作するCommon Lispによる開発プラットフォームが紹介されている。x86で動作するというのは、MS-DOSやWindowsやLinuxで動作するという意味ではない。Common Lisp環境だけで、x86上で動作するのである。言ってみれば、Common Lisp-DOSみたいなものである。

jpg/movitz.JPGMovitzを動作させてみる。

floppy.imgをrawwriteでFDに書き込んだだけ。デュアルディスプレイではうまく動かないというか、グラフィックスカードを認識しないのだろう。別の標準的x86マシンでフロッピーから起動させてみた。計算出力が16進数になるんだねえ。

Perl 6/ParrotでOSを作ればもっとおもしろいことになるかもだが。ケータイなどに載せるのかな。Smart Phoneならx86マシンだ。

更新: 2007-09-25T21:27:12+09:00

アマゾンから柄谷行人著「反文学論」(講談社学術文庫、1991年、原著: 冬樹社、1979年)が届いた。前に「反文学論」を話題にした時の箇所を引用しておこう。「日本近代文学の起源」に関連した記事である。

まだ、ざっと眺めただけだが、大江健三郎が自作をレヴィ=ストロースを援用していろいろと語っているらしいこととか、1970年代に近代文学の終焉が訪れた理由として、戦後生まれの新しい小説家の輩出を上げられているらしいこととかが印象に残った。確かに1970年代になると戦後生まれは小説を書く年代になっていると簡単に納得^^;)したり、そんなことで時代は変わるものかなあとも思ったり・・・そうすると新しい世代が現れるたびに時代が変わる。それも部分的には真なり。

・・・つまり、小林秀雄は窮極的に「人間」を守ろうとしたのだ。

(「反文学論」11 言葉について、講談社学術文庫、113ページ)

小林秀雄や本居宣長についてもいろいろと書いてある。小林秀雄を解読する時のキーになる言葉かもしれない。本居宣長についてもまた取り上げたいとは思っている。

もう一点、日本語の書き言葉の形態は西欧の構造主義の原点である音韻論とは相容れないというような話は一考に価するだろうというか、僕自身、それについて考えてみるべきだと思っていた。日本語、日本語文法についてはまた取り上げよう。

・・・構造主義は音声言語を対象とする言語学からきている。アルファベットになれた彼らにとって、文字あるいは書き言葉は二次的なものでしかない。それを音声的なものに還元してしまう暴力性が、彼らにはごく自然なことなのである。それに対して、構造主義を批判し、いわば言葉を言葉として回復しようと苦闘しているデリダやドゥルーズのような反西欧的な思想家もまた、結局はその重圧の下にいることを忘れてはならない。それは、根本的にわれわれと"異質"な出来事であって、それを見ないと、いずれにしろ奇妙な錯覚が生じるのである。彼らが懸命(けんめい)に闘っている構造主義的なものを、日本の一作家は無邪気に「進歩」と受けとっているのである。つまり、それは日本をますます西欧化しなければならないという発想にほかならない。だが、皮肉なのは、ドゥルーズやデリダがのぞきみようとするヴィジョンが、われわれとってむしろ自然だということであろう。日本の書き言葉の一種異様な姿は、そのなかにいるあいだはみえないのだ。

(「反文学論」3 歴史的感覚について、講談社学術文庫、28-29ページ)

「反文学論」と一緒に「意味という病」(講談社文芸文庫、1989年、原著: 河出書房新社、1975年)も入手した。


更新: 2007-09-24T18:33:04+09:00
9/23/2007 (Sun.)

リアルタイムの読解なので、話は前後することも多くなるが、思いついたことはまず記録する手順で進める。

「モオツァルト」の構成(「モオツァルト・無常という事」新潮文庫、昭和52年24刷、7-59ページ)を簡単にまとめておこう。タイトルに続いて「母上の霊に捧ぐ」という短い献辞のあとに、11の節が並んでいる。簡潔に数字が打たれているだけだ。

第1節は9つの段落に分かれている。以下、第1節第1段落を[1-1]のように表示する。

[1-1] 最初の段落に、エッカーマンの「ゲーテとの対話」からゲーテがモーツァルトについてどのように考えていたかが書かれている。1829年12月6日、日曜日に「・・・デーモンというものは、人間をからかったり馬鹿にしたりするために、誰もが努力目標にするほど魅力に富んでいてしかも誰にも到達できないほど偉大な人物を時たま作ってみせるのだ、・・・音楽における到達不能なものとして、モーツァルトをつくりあげた。・・・」(エッカーマン著、山下肇訳「ゲーテとの対話(中)」、岩波文庫、赤409-2、1968年、140ページ)とあるのがその部分である。

[1-2] エッカーマンとの対話当時、80才のゲーテがファウストの第二部を苦吟していたことが記されている。ファウストの第二部はゲーテの死の翌年、1833年に発表される。ここで、小林秀雄はゲーテがモーツァルトの美しい音楽を聴いてどのような悩みをいだいていたか想像してみることを誰にでもなく提案している。

[1-3] ベートーヴェンの話に転換する。トルストイの『クロイツェル・ソナタ』とゲーテの逸話となったベートーヴェンに対する沈黙が対比される。

[1-4] ゲーテのベートーヴェンに対する沈黙の解釈について、ロマン・ロランの「ゲーテとベートーヴェン」が紹介される。小林秀雄は、神童モーツァルトの演奏に酔ったゲーテの耳を理由とするロマン・ロランの結論は必ずしも必要ではなく、書の内容から様々な想像ができることを示唆する。

[1-5] メンデルスゾーンが、ゲーテにベートーヴェンのハ短調シンフォニイをピアノで弾いて聞かせたときのゲーテの興奮・困惑ぶりを述べる。おそらく、「ゲーテとベートーヴェン」に書かれていることに基づくと思われる。

[1-6] ゲーテがメンデルスゾーンの演奏から何を聴き取ったかということについて、ワグナーの「無限旋律」を聴いたニーチェとのアナロジーにおいて捉えている。「・・・二人とも鑑賞家の限度を超えて聞いた。もはや音楽なぞ鳴ってはいなかった。めいめいがわれとわが心に問い、苛立(いらだ)ったのであった。」(9-10ページ)

[1-7] ニーチェがワグナーをなぜ嫌ったか、ゲーテがベートーヴェンをなぜ嫌ったかが、同様な天才の独断として語られる。最後に「・・・(もっと)も、浪漫主義を嫌った古典主義者ゲエテという周知の命題を、僕は、ここで応用する気にはなれぬ。この応用問題は、うまく解かれた(ため)しがない。」(10ページ)と述べる。ベートーヴェンはWikipediaに見られるように、古典派の作曲家だが、古典派とロマン派の橋渡しをしたとされている。時代的にも古典主義時代から近代の狭間に生きているのが興味深い。フーコーには絵画への言及はあっても音楽へはない。

[1-8] 哲学者ニーチェと芸術家ゲーテとの対比。ゲーテの冒頭のモーツァルトについての考えに戻る。

[1-9] 元のエッカーマンとの対話の話に戻る。モーツァルト亡き後、ゲーテのファウスト第二部の音楽化の夢についての小林秀雄の空想が語られて、第1節が終わる。

970夜『ヴィルヘルム・マイスター』ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ|松岡正剛の千夜千冊によれば、「ゲーテとの対話」はニーチェにとっても重要な書だったようである。ぼくがこの書を持っているのは、齋藤孝著「座右のゲーテ」(光文社新書、2004年)にあるゲーテの技法に興味を持ったからである。ゲーテなんて古すぎると思うのは考えが浅すぎるというべきだろう。第1節はモオツァルトというよりはゲーテを中心に、そしてニーチェを脇役として展開されている。解くべき謎は、ゲーテがなぜベートーヴェンに対して沈黙し、モーツァルトを好んだかということである。

一つの言語作品には、編章節項のような複数の段落の括りの構造がある。「モオツァルト」の場合は一重の構造しかなく、比較的短いので節とした。段落単位で筋を追うことで、まず全体の大まかな構造と同時に細部の要点を捉えていく。フーコー流に考える場合には、「言説」と「言表」という用語がまず頭に浮かぶのだが、その応用についても追々考えていこう。

更新: 2007-09-23T18:59:58+09:00
9/22/2007 (Sat.)

具体的なテキストを解読するという作業を試してみようと思い立った。人の書いたものを単に流し読むだけで一生を終えるわけにもいかないからだ^^;) 構造主義的に、あるいはフーコーの「知の考古学」(ポスト構造主義)的に読むということはどのようにするものだろう。最近は修練のせいか、「知の考古学」のテキストが脳に滲みてくるようになった。実際のテキストについて様々な方法を試せば、理解も深まるだろう。テキストに選んだのは、小林秀雄(1902-1983)の「モオツァルト」(昭和二十一年七月『創元』、1946年)である。小林秀雄著「モオツァルト・無常という事」(新潮文庫、昭和36年)の最初に収録されている。この本は昭和42年に7刷で改版され、僕が持っているのは昭和52年の第24刷だ。表紙の裏カバーには「小林批評美学の集大成であり、批評という形式にひそむあらゆる可能性を提示する『モオツァルト』、・・・」と書かれている。180円也。

小林秀雄の批評・評論には、自分の感覚的経験に立脚して書かれた場面が出てくる。そこが少し独特の印象を与え、泥臭くもあるが、身近に感じる。

早速始めよう。「モオツァルト」は登場人物が多彩である。ゲーテ、ベートーヴェン、ニーチェ、ワグナー、スタンダールなどが主要人物となる。まず、SIMILEのTimelineで年表を作ってみた。今のところ作者を含めた登場人物の生没年をWikipediaへのリンクとともに示したに過ぎない。年表の青い帯をクリックして、ポップアップしたボックスの人物名のリンクをクリックするとWikipediaにつながる。 → 年表: 「小林秀雄: モオツァルト」篇

モーツァルト(1756-1791)が生きた時代はカント(1724-1804)の時代と重なり、フーコー流に言えば、18世紀末の古典主義時代から近代へ移り変わる直前の時代である。年表: 「言葉と物」篇の登場人物と重なるのはニーチェ(1844-1900)ただ一人である。

次に、本文に示されるモーツァルトの楽曲をリストアップしておこう。楽譜の一部が掲載されているものには(楽譜)と表示している。[nn-mm]は節と段落番号を示す。

  1. ドン・ジョヴァンニ: [1-9];[6-2];[10-13];[11-1];[11-12]
  2. ト短調シンフォニイ(楽譜) ← 第40番、K.550: [2-1];[2-2]
  3. 一七七二年の一群のシンフォニー: [6-1];[6-2]
  4. 六つのクワルテット(その最初のもの、K.387) ← 「ハイドン四重奏曲」: [6-4];[6-5]
  5. フィガロの結婚: [6-5];[10-12];[11-1]
  6. ト短調クインテット、K.516(楽譜): [9-4]
  7. ピアノ曲(特にどの楽曲とは指定されない): [10-1]
  8. 三十九番シンフォニイ(楽譜): [10-6]
  9. divertimento(特にどの楽曲とは指定されない): [10-6]
  10. 四十一番シンフォニイ(楽譜): [10-7]
  11. ハ調クワルテット(K.465) ← ハ長調「不協和音」、「ハイドン四重奏曲 第6」: [10-9]
  12. コジ・ファン・トゥッテ: [10-16]
  13. 最後の三つのシンフォニイ: [11-1]
  14. アヴェ・ヴェルム: [11-10]
  15. 魔笛: [11-10]
  16. 鎮魂曲: [11-14];[11-15]

楽しみは、これをネタにオーディオ・音楽鑑賞の習慣を復活させようということにある。人間は習慣の動物である。それもちょっとしたきっかけが習慣を形作るのである。最後の三つのシンフォニーは、ベームとウィーン・フィル(1976)で40番と41番、スウィトナーとスターツカペレ・ドレスデン(1974-1975)の組み合わせで39番と40番が見つかった。ハ調クワルテットは、アルバン・ベルク・クァルテット(1977)の演奏を持っていた。いずれもLP。最近思うのはコンピュータからコントロールできるオーディオシステムがないかなということ。レコードプレーヤがある以上、全自動ということはあり得ないのだが。全部、MP3ファイルに変換してiTunesで聴くというのも元オーディオマニアにとっては味気ない感じがして気が進まない。

もう一つの展開の可能性は、音楽も記号で表されるがゆえに、一種の言語であることにある。楽譜はラングであり、演奏はパロールということができるかもしれない。止め処なく広がる人間世界を再把握するという無謀ではあるが永遠不断の営みを止めることはできない。


更新: 2007-12-02T18:34:29+09:00

言葉と物 LXIV - 「モオツァルト」読解 第1節

言葉と物 LXII - 小脳はパーセプトロン

インテル、高度なプロセッサ性能を要求する仮想世界に期待などネタ。なんだか、月並みなタイトルと内容が続いてしまうが、時にはいいかと思う。

当然、CPUやGPUの性能はより高性能が期待される。3D表現や動画の再生は重要である。既に安いグラフィックスカードでも挿せばかなりの効果が期待できるようになっている。最近、動画再生で不満なことはないから、進歩したものだと思う。後はリソースの問題はあるが、画質と大画面出力(HDTV)だろう。

それはよいとして、PCを起動すると、デスクトップ画面は出てきてもアプリケーションの起動は遅いし、キーボードの入力を受け付けるようになるまでに時間が掛かる。実用的な起動時間の短縮が必要で、【特別企画】 SSD ×2台のRAID 0レビュー 〜今手に入る未来?〜あたりが鍵を握っているようだ。昔と比べれば信じられないぐらいの大量の仕事をこなしているだけにこれも進歩しているのは確かだが、現時点での必要な環境を満たしていない。

(ぼくにとって)最大の課題かもしれない、もう一つの問題。冷却排気ファンの騒音。水冷も出てきているが、早くこれならというものを出して欲しい。最近の話題としては、スラッシュドット ジャパン | PCの 静音化 に冷却ファンへの植毛がおもしろかった。

更新: 2007-09-22T11:55:48+09:00
9/21/2007 (Fri.)

本日夕方よりネット中継ネタ。

最後の1時間ぐらいを少し途切れ途切れに見ただけだが・・・。IT時代が閉塞しているというのはどういう意味なのだろうか。ITが現実を加速化しているのは間違いない。その加速化に人間がついていけないから閉塞しているという意味なのか。あるいはIT業界が閉塞しているという意味なのだろうか。

セカンドライフのような仮想世界を芝居小屋として覗き見るニーズはあるだろうが、中に入り込んで動き回るのは面倒だ。テレビを受動的に見ることに慣れている人間に取って、能動的であることにはそれなりにパワーが必要だ。一般ユーザーが仮想世界で何をするのか。イベント見物、チャット?!当面はデザイナー、プログラマーなどのクリエーター主導にならざるを得ないだろう。そのうち旅行会社でセカンドライフ観光旅行が企画されるかもしれない^^;)


更新: 2007-09-22T00:00:24+09:00

Macの市場シェア3%は「負け」か?ネタ。

一言書きたくなった。もう何か差別化できるかということは、ほとんど幻想の時代になりつつある。加速化した社会ではすぐ追いつかれる。予想通り、Cellも1年ぐらいのリードタイムしかない。インテルのロードマップを見ると来年は危ない。ゲームコンソールのPC化という観点からはPS3はPS2の歴史を繰り返しているように見える。メインメモリが小さいためにCPUのリードを活かせない。

PC、MacとLinux、どれもこれも大局的に見れば似たり寄ったりだ。その時点で必要なもの、欲しいもの、好きなものを買う。それが正解だ。したがって、デザインや付属のソフトウェアに魅力を感じて、Macを欲しければ買いである^^;)Windows環境に慣れてしまっていて、他の環境に移るのが面倒であればそのまま。最も低コストでPCを使いたくて、環境構築に苦労を厭わないのであれば、Linuxということになるだろう。

Linuxはデバイスドライバ関連で苦労しそうなので、サブで使うところから始めるのだろうと思う。MacはMacの世界に浸るつもりでなんだろうね。Windowsはなんでもありになっているから、やはりはずせないだろう。しだいにLinuxがWindows並みの環境を享受できるようになっていって、いつのまにか、みんながLinuxを使う時代が来るのかもしれない。

更新: 2007-09-22T12:52:45+09:00
9/19/2007 (Wed.)

【レポート】IDF Fall 2007 - 45nmへの移行間近、革新をメインストリームに - CEO基調講演ネタ。IDF San Francisco, USA September 18-20, 2007 Moscone Center記事第一弾。

フル回転の冷却ファンのうるささにいつ三行半を突きつけるかを考慮中だが、寒い冬が来れば我慢するかもしれない^^;)しかし、今日も帰宅時のはつかいち大橋上の外気温は32℃だった。1/10の低消費電力版CPUが搭載されたマシンが欲しい。

アイ・オー・データ機器、GPSレシーバー「 NAVI CLIP 」はUSBタイプで ...経由、高感度USB接続GPSレシーバー NAVI CLIP (ナビ クリップ): USBGPS2 ...ネタ。

少し高いし、ノートPCも必要だが、測位更新時間の性能は高い。総合的に考えるとなかなかの優れものだ。


更新: 2007-09-19T22:39:56+09:00

IBM、無償のオフィススイート「IBM Lotus Symphony」を発表ネタ。今日はさすがに混んでいる。ダウンロードには時間を要する。下手にDownload Directorは使わないほうがよさそうだ。うまく動かない。

Officeアプリケーションも選択肢は増えるが、どれを使えばいいのってことになりそうだ。贅沢な悩みだ。僕が欲しいのは、エディタ並みの編集が可能なtextareaだけど・・・タブをペーストで貼り付ける必要があるのは困る。

jpg/ibm_lotus_symphony.jpgIBM Lotus Symphony

OpenOffice.orgのCalcで作成したodsファイルを読み込ませてみた。問題なく読み込んで編集できるし、日本語の入力も可能である。Eclipseベースのアプリケーションである。

9/18/2007 (Tue.)

我がサイトを訪れるユーザーの57%はインターネットエクスプローラ(以下、IE)を使用し、33%がFirefoxユーザーである。毎月のユニークユーザー数は2700人あまり。リピーターの比率は40%弱。

それで問題なのは、My 年表がIEで「Caught exception: [object Error]」のエラーになること。TimelineはFirefoxでもIEでも問題なく表示される。このエラーメッセージで検索するとsimileのメーリングリストが引っ掛かる。データ数を120ぐらいから40程度まで減らすと正常に表示できるようになるという話だ。ただ、TimelineではイベントデータをXML形式で読み込む場合とJSONを使う場合がある。本サイトではXML形式で80件程度読み込ませても問題ない。今回はJSON形式で読み込ませた場合の問題。確かにデータ量が増えるとIE7は問題が出るようだ。困ったものだ。

SIMILEのTimelineアプリケーションを見る場合、うまく見れない時は、とりあえずFirefoxを試して欲しい。

9/17/2007 (Mon.)

千夜千冊のアーカイブへのリンクを確認していて、つい『バベッジのコンピュータ』を読み耽ってしまって、小さな文字のあとがきにディヴィッド・マーの本を全部読むべきだと書いてあるのに気付いた。何者とWikipediaで調べる。

「情報処理」誌の2005年2月号(Vol.46,No.2)の「20世紀の名著名論」(194ページ)に「David Marr: Vision: A Computational Investigation into the Human Representation and Processing of Visual Information」(W.H.Freeman and Company、1982年)が安藤広志氏によって紹介されている。紹介者自身が翻訳されているので日本語で読める。

「ビジョン」をAmazonで調べていると、川人光男著「脳の計算理論」が引っ掛かってきたので、さらに「川人光男」を調べると、第69回 押井守監督、川人光男所長らとサイボーグ革命最前線を語るが出てきた。再発掘していると思うが・・・


更新: 2007-09-18T00:13:13+09:00

言葉と物 LXIII - モオツァルト

さて、深遠な神秘に留まっていては先に進めない。数学的言語も自然言語も言語であることは変わらないとすると、Closed world machineか、Opened world machineかということもほとんど恣意的なものである。齋藤先生の見方によれば、構造主義を数学に持ち込んだのが、数学者のグループからなる仮想の人物(1935年登場)、ニコラ・ブルバキ(Wikipedia)である。

構造の概念を前面に押し出して全数学を再構成しようとしたのは1930年代のブルバキ(フランスの数学者のグループ)だった。できあがった数学は、すべてある数学的構造ないしいくつかの構造の間の関係についての学である。具体的内容から自由である、というより、表面的には何の内容もない。この見方を一応構造主義的数学観と呼んでおこう。

ブルバキがソシュールの影響を受けたかどうかは知らない。ともかく、1930年代の数学が、構造主義的数学観を顕在化させてもおかしくない状態にすでにあったことは確かである。

ブルバキに具現される構造主義的数学観は(私の理解する)ソシュールの思想に非常によく似ている。さらに、プラーグ派の音韻論の思想にそっくりと言ってよい。

齋藤正彦著「数のコスモロジー」(ちくま学芸文庫、2007年)、60ページ

クロード・レヴィ=ストロースの「親族の基本構造」(1949年)に数学的な意味をもたらしたのが、ブルバキの主要メンバーであるアンドレ・ヴェイユである。言語学から数学へ、そして文化人類学へと構造主義が伝播したのかどうかは知らぬが、第一次大戦後の西欧にそのようなものの見方が熟成したのは間違いないだろう。

Wikipediaのブルバキのページにあるカテゴリー理論に引っ掛かって調べた。この道はプログラミングやプログラミング言語に通じる。関数型プログラミングラムダ計算などの用語が見えてくる。Perlとlambdaとでググってみた。Perl Contains the Lambda -Calculusが見つかる。今日はこれぐらいにしておこう。新しい道筋も見えてきた。知らぬ間に数学も進化している。


更新: 2007-09-17T19:03:34+09:00

言葉と物 LXI - ブルバキ

言葉と物 LX - ゲーデルの証明

【後藤弘茂のWeekly海外ニュース】いよいよベールを脱ぐIntelの次期CPU「Nehalem」ネタ。

来年後半には45nmプロセスで量産されることが目を惹いた。IDF San Francisco, USA September 18-20, 2007 Moscone Centerはチェック。様子はWebcastやPodcastで配信される。

9/16/2007 (Sun.)

【ハウツー】GPSレシーバ&デジカメでルートMAPを作る! - Google Earth活用術ネタ。

ソニーのGPS-CS1Kはまずまずの価格だし、実用性がありそうだ。試してみたい。15秒間隔のデータ取得のため、高速で移動する場合には問題が出る。時速36kmで移動すれば、36000m/(60x60)sec=10m/secだから、150m間隔のデータになる。

更新: 2007-09-17T10:20:06+09:00

/.jpのソニー、Cell生産から撤退へネタの元ネタのソニー、PS3の「セル」生産撤退 東芝に売却へから「ソニー、Cell生産設備を東芝に売却」と一部報道 両社「決定した事実はない」ネタ。

ちょっとびっくりしたが、否定報道も出て、一件落着?! 無線LANやメディアサーバーの接続は安定してきたようだし、ゲーム以外にも新しい使い方の提案をしてほしい。

齋藤正彦著「数のコスモロジー」(ちくま学芸文庫、2007年増補、原著: 1983年)。本著は「現代思想」や「数学セミナー」などに書かれた記事の集成である。

ゲーデルの証明については、大昔に、E.ナーゲル、J.R.ニューマン著、はやしはじめ訳「数学から超数学へ ゲーデルの証明」(白揚社、1968年、1973年第7刷)を読んでいる。数列を使った証明で流れを追っていった覚えがある。なるほど確かにそうなるねみたいな感想しか残らなかったと記憶しているが、公理系には公理から導かれない真なる命題が存在することを証明するものである。

「現代数学の特徴」には、公理主義の上に構造主義を重ねあわせて説明されると明快に書かれている。また、「数学は言語か」には、ゲーデルの証明によってチョムスキーの立場は奇妙なものだと言及されている。なぜなら文法は公理であり、変形生成文法によってあらゆる文が生成されるはずという考え方は、ゲーデルの証明からは矛盾していることになるからである。公理から導かれない真なる命題が存在するということは、生成文法から導かれない正しい文が存在するということと同義だからである。このことをチョムスキーが知らぬはずはないとは思うのだが。そのような観点からの読書が必要だということ。

2005年に反チョムスキー派の言語学者(Daniel Everett - Wikipedia, the free encyclopedia)がPirahãという言語において、生成文法からの例外を見つけたことを報告したのだが、最近、チョムスキー派の言語学者の解釈では例外ではないという反論がなされた(Linguists doubt exception to universal grammar - MIT News OfficePiraha Exceptionality: a Reassessment)。ゲーデルの証明からは、例外があっても全然問題にはならない。例外があることこそ、喜ばなくてはならないのである。それがなくては理論が死んでしまう。

物理学の発展も、より包括的な理論を求める歴史のなかにあり、その発展は永遠に続くことをゲーデルの証明は保証しているのかなと思ったり、それをもたらすものは言語的創造力であるということだろうとも考える。齋藤先生は「数学は言語である」と、そして不完全性定理こそが数学の新しい発展をもたらす創造性の源にあるとしている。ここには深遠な神秘がある。

更新: 2007-09-16T18:32:04+09:00

言葉と物 LXI - ブルバキ

「言葉と物」シリーズ記事が50回を越え、回数のローマ数字の表示が横に次第に長くなるのが気になっていた。「S/Z」の断章の番号がローマ数字で示されていて、見知らぬ表示になっているのに気が付いた。ローマ数字の書き方を確認するために、ローマ数字 - Wikipediaで調べた。Lが50、Cが100を表す。かな漢字変換システムの「記号」には対応する表示はない。僕並みの知識しかないわけだ。ということで、ちょっと前から表示を変更している。遡ってまで換える気はない。

矢代梓著「年表で読む二十世紀思想史」(講談社学術文庫、2006年)。SMILEのTimelineによる年表プロジェクトを重い腰を上げて始動したのは、この本を読んだからだ。ワグナー、マルクスが死んだ1883年からドゥルーズ、レヴィナスの死んだ1995年まで、1年単位での思想史が展開される。1961年にバシュラールがフーコーに「狂気の歴史」についての好意的な手紙を書いたこととか、1990年に刊行されたジュリア・クリステヴァの「サムライたち」にはバルトの「S/Z」のタイトルがどのようにして決まったかが書かれていることとか、「言葉と物」シリーズ記事に関連があり、人間くさく、親しみを感じる内容も多い。それはともかく、歴史の舞台にある個別の要素のつながりの比較・対立・協調などが見えてくるので大変参考になる。問題はさらに本を読む必要性に気付かされることである^^;)著者は2万冊以上の書籍を集積し、53歳でこの本を残して亡くなったそうだが、稀に見る読書家であり、思索家であったのだろうと思う。


言葉と物 LX - ゲーデルの証明

言葉と物 LVIII - ソシュール

9/15/2007 (Sat.)

本日記では、SIMILEのTimelineを使わせてもらって(BSD License)、二ヶ月間の記事のTimelineを作成している。SIMILEとは「Semantic Interoperability of Metadata and Information in unLike Environments」の略であり、「異環境のメタデータ・情報の意味的相互運用」とでも訳すべきだろうか。MITのHaystackに続いて出てきた実用的なプロジェクトの集合体である。

Timelineの利用の範囲を、日記記事に登場している人物や出来事についての年表にまで拡大した。

jpg/nenpyo.jpg「日曜プログラマのひとりごと」年表: 「言葉と物」篇

時系列的な事象の年表による系統的把握は、歴史的な知識の理解に役立つ。思い込みで間違った認識をしている場合も多いので、少しずつ収録範囲を拡大していく。年表のデータはJSON(JavaScript Object Notation - Wikipedia)で記述される。

{
'dateTimeFormat': 'iso8601',

'events' : [
.....
        {'start': '1857',
        'end': '1913',
        'title': 'フェルディナン・ド・ソシュール',
        'description': '比較言語学に革新をもたらし、シニフィアン-シニフィエ等の現代言語学の基本的な概念を生み出した。',
        'image': 'jpg/180px-Ferdinand_de_Saussure.jpg',
        'link': 'http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB'
        },
......
]
}

microformatについても人物、歴史的事件に拡大していく必要がある。近々、My Book(Structurally-Based Citation Formatting [2006/03/26])もMy Referenceとして拡大フォーマット化の予定。

更新: 2007-09-16T08:05:58+09:00

町田健著「コトバの謎解き ソシュール入門」(光文社新書、2003年)。ソシュール自身は構造という言葉はほとんど使わず、体系(システム)という言葉を使っていたそうだ。本書の帯には「構造主義を創始した言語学の巨人を21世紀の文脈で読み解く」と書かれている。

比較言語学から出発して、言葉のもつ構造を明確に定義したところにソシュールの業績があるのだろうと思われる。本書には、ラング、パロール、音素、聴覚映像、能記-シニフィアン-記号表現-音素列、所記-シニフィエ-記号内容-意味、言語記号の恣意性、不易性、可易性、線状性、記号学、共時態、通時態、実質、形相、差異、体系のような用語がソシュールのもたらした概念として示される。ソシュールは単語の意味(所記)を概念とし、思想から切り取られたものとしているそうだ。ただ、思想についての説明はない。

言葉の意味はどこにあるのかということについては、言葉を発した、聴いた、書いた、あるいは読んだ人間の言語創造/認知器官(身体-脳)に生ずる現象として存在すると言わざるを得ない。人間の記憶との相互作用なくして、言葉の意味は生じないだろう。このようなことは当たり前すぎてどこにも書いていないようにも思う。意味が差異にあるとかいっても、単に記号の足し算・引き算で意味が生じるわけではない。脳の中では一種の連想が起こっているのは間違いない。思い出すために、思い出したい事柄に近いはずのいろいろな言葉を思い浮かべたりして粘っていると、ふっと浮かび上がってくる。意味は記憶と結びついている。そして、記憶は身体-脳というシステムと結びついている。

更新: 2007-09-15T15:49:28+09:00

言葉と物 LIX - 年表

町田健氏のフォーサイト連載「言語世界地図」が50回をもって最終回を迎えた。最終回は「規則性の高い日本語の覚えやすさ」というタイトルで、日本語ブームの持続への言及からはじまり、「高い威信をもつ文化を背景とし、経済的にも世界をリードする国家である日本の言語としての日本語は、世界語として機能する資格を十分に備えているだろう」という言葉で終わる。日本語の規則性の高さについて言及し、前向きに捉えた文章を初めて読んだ気がする。

もちろん、古代からの文化を誇るギリシア語や中国語にはかなわないものの、現代世界で高い威信を誇る英語やフランス語などの、西欧先進諸国の言語よりずっと早い時代に、日本語が誇るべき作品を世に送り出していたことは事実である。さらには、八世紀以降現代に至るまで、「源氏物語」や三島由紀夫の著作を代表とする、世界的レベルの作品が日本語によって書かれてきている。

Foresight 2007年10月号、59ページ

引用の前のほうには、万葉集や古事記は文献として登場した最古の時点(八世紀)で、すでに偉大な作品を生み出す力を持っていたと書かれている。日本人なら、日本語に興味を持つのは当たり前だが、昨今の日本語ブームは日本人が社会の現状に不安を覚え、自らの精神の来歴・由来を捉えなおし、みずからの寄って立つところを確認して再出発したいという願望の反映だろう。実は僕のデスクトップにも日本語ブームに由来する最近の本が山積みになっている。


更新: 2007-09-15T15:12:27+09:00

残暑厳しい折ご自愛くださいという括りが相応しい9月。昨日の帰宅時の外気温は31℃、ここ数日は26℃を示し、朝は冷気を感じたりしていたのだが、台風が日本列島に熱い空気を吹き寄せたのかもしれない。今日もlivedoor天気予報は最低気温が25℃と報じている。さっき、王様のブランチ(09:30-11:45 RCC)の「包帯クラブ公開記念!天童荒太の小説の作り方」で著者本人が創作ノート?をもとにした小説の書き方を説明するのを興味深く見た。

創作ノートの構成は登場人物の詳細な年表で、小さな字で細かく埋め尽くされている。生まれはいつで何グラムだったとか、いつ両親が離婚したとか、等々、年表を埋めていくことによって時代背景や状況の設定がなされ、そこから物語が生み出されることになる。小説という表層(プロット)に現れるのは物語の一部分であり、深層(仮想年表)でははるかに多くのことが考えられている。作者によればプロットを追って考えていくより、生き生きとした場面を書くことができるのだそうである。

市立図書館から、破れた背表紙を透明なテープで補修したロラン・バルト著、沢崎浩平訳、「S/Z」(みすず書房、1973年、原著: 1970年)を家内が取ってきてくれたのだが、バルザック「サラジーヌ」の構造分析という副題が付いている。バルザック著「サラジーヌ」(1830年)も一緒に収録されている。一冊の本を対象として、構造分析は、はて、何を基準にして構造を想定するのだろうかと思ったりしながらぱらぱら捲る。当然自らの持つ知識を基準にするのだろうと思うのだが、そうすると自らの知識の持つ無意識の構造が既にあって、それを本を媒介にして読み取ることになる。サラジーヌをネタに自らの無意識にある構造を引き出すというか、思考を媒介する役目を本は担う。その作業は自らの持つ知識の体系と相互作用し、体系に変形と増殖をもたらす。仮想年表をもとに小説を書く作業は、おそらく年表の変形と増殖をもたらすはずだと思う。

一冊の本の構造を読み解くという方法は、そんな構造は普遍的なものなのかどうかという疑念を生じさせる。科学的な方法とは言いがたい。もともとそんなものは最初から放棄しているのかもしれないが、個人的な連想ゲームをやるようなものではないのかとも思われる。中身を詳細に見たわけではないが、断片的な解釈の部分は、それほど読みたいと思うほど意味のあるようなものにも思われない。20世紀にS/Zが書かれた時点で140年も前の小説を読み解くわけだし、小説は少なくとも事実ではないと思われるからだ。

そのような読者の最初の疑念に答えるべく、最初に次のように書いてある。

T 価値判断

ある種の仏教徒たちは、苦行を重ねることによって、空豆の中に風景全体をみるに至るという。これこそまさに物語の最初の分析者たちが果そうと望んだことなのだ。すなわち、世界のすべての物語(あり余るほどあったが)をただ一つの構造の中にみることだ。・・・

5ページ
更新: 2007-09-15T12:09:53+09:00

言葉と物 ]]]]]X - 言葉と無意識

9/10/2007 (Mon.)

Web開発者は要注目!! JSONでAjaxアプリ開発 - Protoscript登場ネタ。

何か気になって、何か試したいなと思ったら、ToggleShowHideがあった。javascriptで書いたものが、IEで動かなかったのがずーっと気になっていた。動くね^^)v → 言葉と物 ]]]]]X - 言葉と無意識の書棚をクリック!?

結局、ToggleOpenCloseのほうが欲しかったので、変更した。[2007-09-11]

以前、検討していたtoggleVisibility関連の記事のリスト。

最初は閉じていて、開きたい時に開くというようにしたいのだが、ProtoscriptのToggleOpenCloseでは難しいみたいだ・・・


更新: 2007-09-13T23:05:54+09:00

グーグルのリサーチ担当ディレクター、AIを語るネタ。Peter Norvig氏について調べた。

Teach Yourself Programming in 10 Yearsを読んで好きになった。下記のリンクに日本語訳もあるので参考に。


9/9/2007 (Sun.)

丸山圭三郎著「言葉と無意識」(講談社現代新書、1987年)ネタ。ソシュールと言えば、丸山圭三郎の「ソシュールの思想」(岩波書店、1981年、未入手)が紹介されるなと思いながら、我が本棚を見ると「言葉と無意識」が目に入ってきた。

フランスの文学者・記号論者・R・バルトも、「ソシュールの『一般言語学講義』は大いに役立ったが、ソシュールが自分にとってこの上なく大切な人となったのは、彼が<アナグラム>の意味を聴きとろうとして夢中になったことを知って以来であった」(「彼自身のロラン・バルト」)と言っている。

「言葉と無意識」、講談社現代新書、78ページ

ロラン・バルト著、佐藤信夫訳「彼自身によるロラン・バルト」(みすず書房、1979年、原著: 1975年)の「ドラマ化された科学」という断章(253ページ)にその部分がある。「言葉と無意識」に引用されている訳と佐藤信夫訳では違いがあり、その部分の文章の主語は「彼」なのだが、「彼自身による・・・」なので、ロラン・バルトを指すのかな。その断章の最初のほうと終わりのほうで、人称は変化している・・・

書棚(ここをクリックすると書棚が現れたり消えたりする←Protoscriptデモ[ProtoscriptでToggleShowHide])

彼自身によるロラン・バルト


更新: 2007-09-13T23:14:42+09:00

言葉と物 ]]]]]Y - 包帯クラブ

言葉と物 ]]]]]W - 物語のデータベース的消費の起源

【レポート】まさに夢の図書館!! 京都国際マンガミュージアムに行ってきましたネタ。

館長が養老先生ということで、そのようなアナウンスをどこかで読んだこともあったなと納得。機会があれば、是非訪れたい。


更新: 2007-09-09T10:55:28+09:00
9/8/2007 (Sat.)

日記世界から (2006/06/03)の記事を書いて既に1年以上経過しているとは・・・単に、筒井康隆著「文学部唯野教授のサブ・テキスト」の元テキスト「文学部唯野教授」(文藝春秋、1990年)が見つかったというどうでもいいネタ。ポスト構造主義をネタに「究極のパロディか、抱腹絶倒のメタフィクションか」を展開した、痛快の二冊。もう17年前の話。

「文学部唯野教授」のなかに、ロラン・バルトの「S/Z」に言及しているところがある(292ページ)。

・・・一九七〇年にバルトは『S/Z』という変なタイトルの本を出しました。これは日本でも出版されているけど、これが『サラジーヌ』の構造分析をした本です。ここでバルトは『サラジーヌ』の本をばらばらにしてしまい、その断片のひとつひとつと戯れ、作品にさからい、もはや小説の消費者ではなく生産者になり、ひとつの文に二つ以上の意味を求め、その意味を拡散させ、自分で会苦理治癒流をやっています。・・・

物語のデータベース的消費のような現象は通常の言語活動においても一般的なもののように思える。普通の引用だったり、註を付ける行為自体も一種のデータベース的消費及び/あるいは生産である。これを徹底してみせたのが、デリダやロラン・バルトなのだろう。したがって、タイトルに対する答えは近代にある。現代は今のところ、近代から抜け出ていない。科学の急激な進展のなかで、近代の究極の変形過程が揺動しているのかもしれない。

「S/Z」を図書館に予約しておこう(→ S/Z)。この本はその昔パラパラと本屋で捲ったことはある程度しか知らない。

しかし、これらの試みは何に触発されたのか。ソシュールのアナグラム研究?! ソシュールのアナグラム―語の下に潜む語 (叢書 記号学的実践)は図書館にない(;_;)

過去へのリンクは再発見をする感覚で読み返している。重要な部分のピックアップは少しずつでもできているようだ。そのうちすべてを引用することになれば、デリダやバルト並ということになるかもしれない^^;)

「類似」とか「相似」という用語は、16世紀までの西欧世界の知の構造を性格づけるために「言葉と物」では使われている。ということは、比喩とか、暗喩とか隠喩のような表現はなかったのだろうか。というようなことが頭を過ぎっていく。レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」(Leonardo da Vinci 052.jpg)の細部写実表現の執拗さは類似や相似という知の構造と重なっているのだろうか。

更新: 2007-09-09T18:25:15+09:00

言葉と物 ]]]]]X - 言葉と無意識

秋という言葉が相応しくない9月。猛暑日のある9月。明け方は寝苦しさが続く。家内も風邪を引いたようで、病院へ。お疲れモードの土曜の朝。竹田青嗣著、「現代思想の冒険」(ちくま学芸文庫、1992年、2006年15刷、原著: 毎日新聞社、1987年)を水曜、東京にて購入。

「構造主義」という言葉は、「知の考古学」では方法論を意識した本だけに繰り返し出てくるが、「言葉と物」には2回しか出てこない。最初の部分。

・・・われわれの反省の天空には、ひとつの---おそらくは到達不能の---言説(ディスクール)が君臨している。それは、存在論であると同時に意味論でもあるような言説(ディスクール)なのだ。構造主義は新たな方法ではない。それは、近代の知の目ざめた不安な意識にほかならない。

(新潮社、1974年、229ページ)

フーコーは「構造主義は新たな方法ではない」が「近代の知のめざめた不安な意識」だと言う。構造主義はレヴィ=ストロースを原点とすれば、20世紀の思想であり、フーコーが「言葉と物」で直接取り扱っている16-19世紀ではなく、現代思想への言及である。新たな方法ではなく、近代に既にあったものの延長線にある。

「現代思想の冒険」は1987年時点で、日本の戦後思想の推移を辿りつつ、ポストモダンの思想状況を概観している。この本を読んで気が付いたのは、フーコーやデリダはポスト構造主義に分類されていることだ。ポスト構造主義 - Wikipediaにあるようにポスト構造主義の定義は不明確だが、「知の考古学」に書いてあることをよく考えるとフーコーは構造主義を乗り越えようとしていたのだということである。その場所には到達不能の但し書きが付いているのかもしれないのだが・・・

更新: 2007-09-08T11:37:57+09:00

言葉と物 ]]]]]U - 哲学と科学のあいだ

Silverlight発表:MSのLinuxサポートは何を変える?ネタ。

OSの相対的価値低下の底流が地殻変動を起こす?Moonlight - Monoを参照のこと。

「Ruby 1.9は1.8より平均5倍速い」、YARV笹田氏ネタ。

さて、どの言語が最速になるのか・・・

グーグル、電子書籍の販売を計画か--米報道ネタ。

書籍の直接的な引用ができる時代がくるのかもしれない。

9/6/2007 (Thu.)

Watch the Special Event.ネタ。毎度のことだが、キーノートのビデオがどこにあるのかわかりにくい。

最近は見る前にニュースでネタが割れているので、大体予想できる展開であり、その分おもしろくない。最後のゲストが誰かというのが見もので、今回はKT Tunstallが登場。ただビデオと音声が少しずれているせいか、せっかくの音楽の感動が伝わらないのがもどかしかった。

毎度のことながら、1時間以上の英語のプレゼンテーションを見てしまう。iPhone(8GB)を599ドルから399ドルへ値下げするという発表は、さすがにえーっと思ったが、Jobs氏がiPhone値下げ騒動にコメント - 100ドル相当の返還を検討は当然だろう。WIRED VISIONは「iPhone大幅値下げ」でApple社が犯した4つのミスのように伝えている。

更新: 2007-09-08T07:30:40+09:00
9/5/2007 (Wed.)

もうすぐ? 「iPod」のニューモデル--噂から見えるその実体ネタ。新「iPod」は小型コンピュータ?--Mac OS導入でアップルのモバイル機器戦略は変わるかのような予測がなされているので、何も言うことはない。もう3時間もすれば実体が明らかになる。

9/4/2007 (Tue.)

Voice From DTI 2.0 vol1ネタ。

Becky!のDTIのフォルダに久しぶりにメールが振り分けられている。昔、どこかで、「marsドメインですか」とキャリアの長さに言及されたことがあった。DTIフォルダに残っている最初のメールは1996年11月のものだ。つまりDTIの最も初期のユーザーの一人である。もう10年以上になるんだね。「DREAM TRAIN INTERNET」という透明なシールを貼ったクリアファイルに最初の印象的な広告「DTI、始動。」が挟んである。

NIFTY SERVEユーザーだったから、インターネットもダイアルアップのNIFTYで始めたはずだが、もうあまり覚えていない。メールかなにかの不満で、別のプロバイダを探したのだと思う。DTIは名前と広告で選んだようなものだ。ドメイン毎のユーザー数を制限していたので、接続のパフォーマンスはよかった。プロバイダの顧客満足度第1位をしばらく謳っていたが、ダイアルアップ接続の時代は去り、そのうち、CATVのインターネット常時接続サービスを利用することになった。図体の大きな恐竜で一時は死滅するかと思われた@niftyも次第にパフォーマンスで追いついてきて、独自のCGIを試すことのできる@niftyにホームページを移行した。そのうち、光が普及してくると、CATVのパフォーマンスもさすがに光には勝てないと@nifty+NTTに切り替え、今のところ、その状態が続いている。DTIは従量ダイヤルアッププランに変更して実質的にメールとホームページを残すのみとなっている。

さて、新しい展開に期待するが、どのようなサービスが始まるのだろう。


更新: 2007-09-05T00:21:55+09:00
9/2/2007 (Sun.)

9月に突入。さて、池田先生の「構造主義科学論の冒険」(1998年)の「第二章 現象と記述」を読んで(言葉と物 ]]]]] - 構造主義科学論の冒険)、いろいろと考えさせられている。科学者が哲学の根本に立ち返って新たに考え直しているところが素晴らしい。

自然言語で科学することには無理があると思う。数学言語はClosed world machineである。自然言語はOpen world machineであるから、原理的に科学にならない。自然言語で科学するためには、人工的にXMLのようなClosed world machineを作り出す必要がある。この主題も本日記には繰り返して登場しているが、ここから、なかなか進まない。次の話は示唆的だ。

科学というのはこのように、コトバ(単語)の形でしか形式化されてない同一性を、「明示的な関係形式プラス別のコトバ」=「構造」に変換してしまおうとする試みなのです。この試みを通して、異なるコトバ(単語)の形でしかコードすることのできない様々な現象を、なんらかの共通の構造の関係性の中にはめ込むことができたら、現象をコードしている最初のコトバは少し普遍的になったと言えるでしょう。すなわち科学とは、現象を構造によってコードし尽くそうとする営為(えいい)であると言えます。

105-106ページ

シニフィアン(記号表現、能記)とシニフィエ(記号内容{イメージ;概念;意味内容}、所記)という言葉を見るたびに、どちらがどちらだっけと気持ちが悪くなる。池田先生の言葉の定義を少し整理しておこう。シニフィアンを言葉の文字あるいは音声表記、シニフィエを同一性あるいは観念と呼ぶ。シニフィアンとシニフィエの指し示すものは、現象である。[Ontology]意味と実体に出てきた意味の三角形に重ねて考えると、シニフィアンが象徴(symbol)で、シニフィエが概念(concept)、現象が実体(object)に対応するだろう。こうしてみると、symbolは象徴と訳すよりは記号としたほうがわかりやすい。

小島義郎著「日本語の意味 英語の意味」(南雲堂、1988年)に出てくる意味の三角形の説明を読んでいると「文字あるいは音声表記と現象とには直接的な関係はない。常に現象はシニフィエを通して理解され、発語されたり、書き付けられたりする」というようなことが書いてある。こちらの意味の三角形は、記号(symbol) - 思考=概念(thought or reference) - 指示物(referent)で表される。

「構造主義科学論の冒険」ではコトバの意味は共通了解可能性の問題として展開されているのだが、当然のことながら、それは翻訳の問題、辞書の問題にも関係しているわけだ。しかし、「明示的な関係形式プラス別のコトバ」=「構造」の定義は、わかったようなわからないような・・・


更新: 2007-09-02T22:58:01+09:00

言葉と物 ]]]]]T - 夏の終わりの疲れへ戻る

今日も今朝から突然外部に接続できなくなった。昨日と違って、全範囲だ。McAfee Security Centerはウィルスチェックの定義ファイルを更新したように見えたが、・・・

昼前に回復。さて、このような障害の原因はどのように調べればいいのだろう。検索してもインターネット上にはどこにもそのような障害があったという報告は出ていない。

ルータが故障しかかっているのかもしれないが、まだ、導入後3ヶ月しか経っていない(無線LANでメディアサーバーを使う 2007/06/09)。次回問題が起きれば、ONUとPCの直付けを確かめてみて、ルーターの問題を除去できるかどうかの確認をしておく必要はありそうだが、どうやるんだっけ^^;)

更新: 2007-09-02T13:33:59+09:00
9/1/2007 (Sat.)

シャープ、タッチパネル・スキャナ機能内蔵の液晶パネルを開発ネタ。

技術の進化は限りがない。

Ruby on RailsとC#の利用が欧州で増える理由ネタ。

・・・ということらしい。

ニコン、無線LAN機能を中心にしたユニーク発表会カシオ、60枚/秒の超高速連写が可能な次世代デジタルカメラを開発ネタ。

CP-600が壊れて以来、まだケータイのデジカメのお世話になっている。そろそろ単体のデジカメも欲しいとも思ったりはするが、メモ程度の記録写真用途なら間に合っているとも言える。ケータイのデジカメは、写真をメールに添付して転送できる優れた機能を持っている。ニコンのデジカメは無線LAN機能で、ケータイ並みの転送技が使える。ケータイは添付データサイズに制限がある(たとえば、添付ファイルサイズの上限が500KB)が、my Picturetownのフリーアカウントでは、2GBまで無料で転送できる。メモリカードの容量が上がっているので、一杯になった写真を転送して、メモリから削除するほどのニーズはそれほどないだろうから、無線LAN機能が大きな差別化になるとは思えない。ただ、モバイルPCとしてのデジカメというジャンルを生み出すきっかけとなるかもしれない。

やはり、EXIFやGPSのデータを自動的に取り込んで、その時々の感想や時間・場所の記録など日記的な情報を統合する仕組みが欲しいと思う。やろうと思えばいろいろとできるだろうけど、日記の場合は、それほど自動化して得になるほど処理量が多いわけでないので、まあ手動でいいかとそのままになる^^;)

カシオから出る超高速連写とハイスピード動画撮影機能搭載カメラは価格が問題だが、普通のカメラでは得られなかった映像表現が手に入ることになりそうだ。

PCとデジタルカメラとWebによって、写真には革新が起こった。フイルムカメラがほぼ消失し、何億枚ものデジタル写真がWebに掲載されている。画像化(フィルムなら現像焼付け)コストがほぼゼロに下がったのである。映像表現力がさらに進化すると何が起こるだろう。

更新: 2007-09-01T21:30:44+09:00

今朝から、RSSでCNETなどタイムアウトするページがでてきておかしいと思っていたら、@nifty関連ではホームページは表示できているが、Text Worldと脳髄の日記が表示できない。はてなの第四の日記もタイムアウトしてしまう。DTIはホームページもメールも問題ない。Googleはさすがに切れてはいないが検索が極端に遅いし、Feedburnerはバナーのリンクが切れている。BNR スピードテスト(回線速度/通信速度 測定ページ)スピードテスト/ブロードバンド通信速度測定サイト:speed.rbbtoday.comページもタイムアウトするので、接続できたgoo スピードテストブロードバンドスピードテスト(回線速度・通信速度測定診断サイト)で計測してみると30Mbps程度出ている。

こういう障害はめずらしい。ブロードバンドスピードテストのサーバー1[N]はタイムアウトになっている。しかし、いつ解消するのだろう。

ブロードバンドスピードテスト 通信速度測定結果
http://www.bspeedtest.jp/ v3.0.0
測定時刻 2007/09/01 11:26:00
回線種類/線路長/OS:光ファイバ/-/Windows XP/広島県
サービス/ISP:Bフレッツ ファミリー100/-
サーバ1[N] timeout
サーバ2[S] 27.5Mbps
下り受信速度: 27Mbps(27.5Mbps,3.44MByte/s)
上り送信速度: 3.0Mbps(3.09Mbps,380kByte/s)
診断コメント: Bフレッツ ファミリー100の下り平均速度は30Mbpsなので、あなたの速度は標準的な速度です。(下位から50%tile)

今、直った。ただいまの時刻、15時40分。

更新: 2007-09-01T15:43:28+09:00
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