tsnetworkc3.png更新日記 - 日曜プログラマのひとりごと
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| 2008年7月 | Monthly Index(2008年8月) | Timeline
8/31/2008 (Sun.)

TSfree会議室で、sedの正規表現やパターンスペースでの入力行の取り扱いをお勉強。対比させたPerlへの理解が深まったことのほうが、僕にとっては収穫だったのだが・・・今や、Perl、Python、Ruby全盛の時代、sedやAWKについて語れる場所がなくなりつつある。とはいえ、15年の熟成を経て「GNU ed」がv1.0にのような記事もまだ出てくる。誰もが自分の好きなツールで穏やかにテキスト処理ができる日が来ればよいと願うばかりである。

知識というものは忘れられていくものである。自分で書いたことさえ忘れている。記憶は儚い。本日記を読み返すたびにそう思うぐらいだから、確かなことだろう。歴史を経て受け継がれていくものは何だろう。何を媒介として受け継がれるのか。社会生活の中で最初から経験したものこそが受け継がれるのか。本を読むことだけによって受け継がれるものは実際あるのだろうか。

最近、購入した本は未消化のままだという想いが深い。しかし、本を読むことだけで理解できることが本当にあるのだろうかと何かもどかしい思いでページを捲っている。本と本をつなぐ連環は本当の理解をもたらすのだろうか。

焦らずに進むしかないのだが・・・

8/30/2008 (Sat.)

今日、散髪の後、夢タウンの紀伊国屋に向かう。Makeか何か、フィジカルコンピューティング関係の本か雑誌を獲得するためだ。どこから齧り付くべきか・・・まだ、昨年ぐらいからの動きなので、本屋まで充分に届いていない。仕方がない。焦ることもないので、他の本を見に廻る。

平凡社ライブラリーの棚で、J.=M.ドムナック編、伊藤守男・谷亀利一訳「構造主義とは何か そのイデオロギーと方法」(平凡社、2004年)を手に取る。この元の本は、1968年にサイマル出版会から刊行されたものだ。さらにそのもとは、エスプリ誌の『「野生の思考」と構造主義』(1963)と『構造主義: イデオロギーと方法』(1967)である。もう40年前の本になる。

平凡社ライブラリー版には訳者の一人、谷亀利一氏のあとがきと内田樹先生の「解説---死者が許さない」が付いている。

構造主義がなぜ第二次大戦後に登場したのか。構造主義は何によっているのか。その一つの思いがけない手掛かりは内田先生のラカンの言葉を引いた「死者が許さない」にあるかもしれない。この解説には非常にまじめな内田樹先生がいる。


更新: 2008-08-31T01:22:34+09:00

【特集】MIDIと電子工作で制御を学べ!! - MIDIフィジカルコントローラ「奏(かなで)」ネタ。誰もがコンピュータを絡めて電子工作を楽しめる環境が登場したのかなと思った。調べてみよう。


更新: 2008-08-31T18:55:30+09:00
8/26/2008 (Tue.)

最近、毎日二冊ずつ本が増えていっている。サイフの中味は大丈夫かいと思う。

今日は家内が欲しいと言っていた、姜尚中著「悩む力」(集英社新書、2008年)を新大阪で購入。夏目漱石とマックス・ヴェーバーは同時代人で似ているという話が最初の方に出てきて惹きつけられた。

もう一冊は帰りの新大阪のキオスクで、池田信夫著「ハイエク 知識社会の自由主義」(PHP新書、2008年、サポートページ)。ハイエクという名はどこかで聞いたことがあるような気はするが、初めてといってもよい。まだ予定していないパズルのピースが見つかった感覚に捉われている。この思想は、ゲーム理論に対置されるリアルな物の見方である。


更新: 2008-08-27T23:38:58+09:00
8/25/2008 (Mon.)

大塚英志+東浩紀著「リアルのゆくえ おたく/オタクはどう生きるか」(講談社現代新書、2008年)ネタから6年前の文章を再録してみたへ。

まだ、未消化のまま。東浩紀著「動物化するポストモダン オタクから見た日本社会」(講談社現代新書、2001年)が出発点、さらに東浩紀著「ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2」(講談社現代新書、2007年)から続く話なのだが。そして、東浩紀著「郵便的不安たち#」(朝日文庫、2002年)と「存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて」(新潮社、1998年)を参照する。

「リアルのゆくえ」の中で、自らをポストモダニストと規定しているのにやや意外な感じを受けながら、へーそうなんだ、もう一度「存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて」に帰って読む必要がありそうだし、ジャック・デリダ自体ももう少しチェックが必要なのかもと思う。やれやれ・・・

現実の中に埋没していた僕の、よく知らない1980年代を解読するために。物語のデータベースへの解体について、柄谷氏は1970年代の後半に物語が戻ってきたと「日本近代文学の起源」(定本柄谷行人集1、岩波書店、2004年)で述べていることとは一致しない。時代は領域によって複線的に前後しつつ進行するだけのことなのか。そして、「リアルのゆくえ」の中の「実存」という用語が僕の脳髄の奥底を刺激する。後に唯一つ取り残されている領域「サルトル」を。「思索」は事物を若返らせ、そして自己との関係を熟成させるものだ。


更新: 2008-08-26T00:12:11+09:00
8/24/2008 (Sun.)

みんなで覚えて歌おう!Like a Turing Machine(ライク ア チューリングマシン)全歌詞掲載!ネタ。前半はするどい批判だねえと思っていたら、最後はハッピーエンド。

確かに、Webをテープと見立てれば、Webを検索しながら読み続け、その情報を元に新しい情報を発信し続ける人間は、Webとセットでチューリングマシンと考えられないこともない。


更新: 2008-08-24T17:04:03+09:00

Photobucket、スクラップブック作成ツールのScrapblogと提携ネタ。

Scrapblogのサイトのサンプルを見ると、パッチワークのような感じ。機能満載のスライドショーScrapblog、ついに公開(2007年3月30)の記事によれば、編集用エディタはFlashでできているそうだ。

テンプレートに写真などのオリジナルデータを載せていくというニーズがほとんどだと思う。一から作る人はクリエータだ。それができる人はほんの一握りだろう。しかも、クリエータはこのようなサービスは使わないだろうねと思う。

ただ、スクラップブログという概念はおもしろい。本日記もそのようなものだ。しかし、単なるスクラップブックで終わるのであれば、紙媒体のスクラップブックと変わらない。デジタルデータは検索・抽出・複製・加工・変形・統合・並び替え等が可能なことが大きな強み。HTMLデータなら、データとデータの間にリンクを張ることができる。もう少しデジタルデータの強みを活かす特徴が欲しい。具体的には・・・・・そこが問題^^;)

知的生産に関わる人間が生み出した紙媒体ツールを列挙してみよう。


更新: 2008-09-06T17:52:55+09:00
8/23/2008 (Sat.)

さっき、NHKアーカイブスで、■ターシャからの贈りもの 魔法の時間のつくり方を見ていて、ターシャの絵にも輪郭はあると思った。放送は2006年。

宮崎駿が「東洋はエッジに敏感だが、西欧人はグラデーションをつけたがる」というようなことを書かれていたことを思い出したからだ。これは東洋、西洋の違いではなくて、手書きとコンピュータの違いなんだろう。物を何で捉えるかの違い。現実のモデル化の仕方の違いなのじゃないかな。つらつらぐさ: アニメーションの色職人を読んでみるのもおもしろいかもしれない。東洋的なコンピューティングというものがあるのかどうかは知らない。それも本サイトにおける一つの思索の課題ではあるわけだけど。

ターシャは今年亡くなったんだね。

更新: 2008-08-23T15:04:32+09:00
8/22/2008 (Fri.)

つらつらぐさ - TSNETスクリプト通信第2号ネタ。的確な感想をいただいた。海鳥さんのマンガも喜んでもらったし、よかった。

TSNETでは、AWKやSedは人気言語である。YささんのAWKスクリプトは参考になるだろう。vvf2.awkも奥が深い。勝敗判定結果を見てコンピュータがどのようなじゃんけんパターンを出しているのか予想して戦うとおもしろい。また、スクリプトを読んで、勝つ方法を考えることもスクリプトの読解に役立つことだろう^^;)

jpg/vvf2.jpgvvf2.awk実行画面とヘルプ

継続こそ力なりだが、一人ではなかなかできないことだ。季刊は厳しいかなと思っていたが、やはりそれぐらいは少し無理してでもやりたいなと思っている。ドライビングフォースとして、TSNETスクリプト通信を使うというぐらいのつもり。できる範囲でやる。

なぜ、電子雑誌作りを始めたのか。日記を書くのとほとんど同じ理由だが、おもしろいからだろう。創造的な場を求めている。何かを生み出すための・・・日記とは異なる形態の・・・

日記はリアルタイムに生成されるから情報としては短く断片に近い。もう少し統合的な形態にして表現したい。まとまった記録として残したい。みんなで作りたい。

自由な発表の場を求めている参加希望者は歓迎だ。TSNETメーリングリスト参加者以外で投稿したい場合は、TSNETスクリプト通信の最後のページにあるTSC編集委員会のjscripter宛にメールをいただきたい。TSとはテキスト&スクリプトの略である。マンガでも写真でも、一言のテキストが添えられていればよい。スクリプトに関係があればなおよいが・・・難しいことは言わない。スクリプトに興味さえあれば・・・スクリプトにはいろいろある。コンピュータに読ませるスクリプトもあれば、人が読んだり、演じたりするスクリプトもある^^;)v

ムムリクさんの言われている「るびま」とは、Rubyist Magazineのことなのだが、久しぶりに眺めてみると、前書きは「巻頭言」、後書きは「編集後記」と「TSNETスクリプト通信」と表記が一緒になっている。用語的には僕と同じ感覚の人が編集長なのかな。印刷は前提としていないWebマガジンだが、特にRubyist Hotlinksがおもしろい。第3号にはRuby系の記事も載せられればいいなあと思う。

更新: 2008-08-24T09:34:53+09:00
8/21/2008 (Thu.)

帰宅時の気温は28℃、最近対比4℃程度下がった。空気は乾燥していて過ごしやすい。高画質化とマイク搭載--新型PSP、10月発売ネタ。

マイナーチェンジといってもいいんだろう。さらなる高画質化を実現し、マイクを標準搭載したPSP「プレイステーション・ポータブル」(PSP-3000)2008年10月に日米欧で新発売に詳しい。高画質化といっても解像度が高くなるわけではない。反射低減技術が採用され、屋外で使いやすくなるらしい。確かにこれまでは屋外で見にくいと思っていた。TFT液晶と書いてあるが、従来のASV液晶もTFT液晶の一種とされているし、液晶の種類は変わらないのではと思われる。他には、Skype for PSPのためにマイクが内蔵され、ゲームのビデオ出力機能(PSP on TV)が拡張され、アナログテレビをフルに使えるようになるようだ。

残念ながら、メインメモリは増えないし、キーボードの話もない^^;)PSPで楽しむ【メモリースティック・ドットコム】を調べると、ワンセグの録画機能はテレビ番組の録画データベース化に役立ちそうだ。8件予約できて、電源オフでも録画可能。そのために購入してもよいかもしれない。

高画質化についての情報が出てきた。PSP-3000国内発表、液晶は色域・応答速度2倍、コントラスト比5倍を参照のこと。

PSP-3000への要望のPSP-2000/iPhone 3G仕様対比表を更新した。

更新: 2008-08-21T23:28:38+09:00
8/20/2008 (Wed.)

TSNETスクリプト通信第2号を刊行して、ほっとしている。僕自身も蝸牛のごとくだが、少しずつ進歩している。

preタグで作ったメモカレンダーがPSPのインターネットブラウザ上ではカレンダーに見えないほど崩れてしまうので、ようやく4年越しの重い腰を上げて、tableタグに置き換えた。デスクトップCGIの「メモる」システムをjperlからPerl5.8に少しずつ移植しつつある。しかし、中心はSJISで書かれた本日記なので、どうもUTF-8表示と相性が悪い。SJISのページを開いたページでUTF-8で書いたメモページを開くと文字化けしてしまう。これを避けるためには、メモページHTMLをCGIでヘッダにcharset=UTF-8を指定して出力するしかない。そのようにして、SJIS/UTF-8混在環境を制御するほとんど無駄かもしれない過渡的な努力を続けている^^;)

そして、Webで動かすことを前提としたWemoもある。こちらはデータモデルを変更して、HTMLではなくてwemo言語で出力するし、一つの記事を一つのファイルにする予定。表示は、PSP®のインターネットブラウザでの表示を想定して設計する。もちろん、そのような経験を通じて、Viewについて考えていくためだ。

しかし、考え方はとめどなく変化していく。これも何か偶然のきっかけが後押しして、その時の思いで何かを生み出していく・・・

更新: 2008-08-21T21:34:22+09:00
8/19/2008 (Tue.)

TSNETスクリプト通信第2号刊行ネタ。

関係者の皆様、お疲れ様でした。

既に2回の予告編で告知しているので、内容は省略。実際の刊行物を見てください。例によって、関係スクリプト等は上記TSNETWikiページに添付しているのでご利用ください。


jpg/tsc_1.2.004.jpgTSNETスクリプト通信第2号

jpg/tsc_1.1.003.jpgTSNETスクリプト通信創刊号

更新: 2008-08-22T21:55:47+09:00
8/17/2008 (Sun.)

先月のニュース(2008年07月23日)だが、ソニー、PSPの新型「PSP-3000」を発売かネタ。

Wemo for PSP®の開発を始めたので、インターネットブラウザや文字入力の性能により敏感になってきた。ブラウザの使い方や文字入力にはだいぶ慣れてきたが、さすがに文字入力はキーボードにはかなわないだろう。僕のPSP-1000のメインメモリは32MBで、PSP-2000でそれは倍増したのだが、iPhoneの128MBに比べると劣勢は否めない。ソニーがiPhoneに対抗できるもっと強力なモバイルマシンを出したいと考えても不思議ではないような気がする。

要望としては、ミニキーボード、更新日記表示(PSP-1000ではメモリ不足で表示できない^^;)程度なんだが、PSP-2000なら充分なのかも。USBキーボードは是非出して欲しい。

PSP-2000とiPhone 3Gの比較
機種PSP-2000iPhone 3G
出典プレーステーション・ポータブル -WikipediaiPhone - Wikipedia
CPUPSP CPU(1〜333 MHz)339S0030 ARM(412MHz)
メインメモリ64MBMobile DDR SDRAM 128MB
ディスプレイ4.3インチ ワイドスクリーンASV液晶3.5インチ カラー液晶ディスプレイ
解像度480×272 ピクセル(16:9)320x480ドット(160ppi)
音楽・ビデオ再生ステレオスピーカー内蔵/メディアプレーヤー内蔵iPod機能搭載
データ通信IEEE 802.11b準拠(Wi-Fi)3G:HSDPA; 2G:EDGE、GPRS; Wi-Fi (b/g)
USB接続等USB2.0 High Speed対応 mini-B Type30ピンDockコネクタ(USB、UARTシリアルポート)
ストレージメモリースティック PRO Duoスロット (別売 MSX-M8GS(8GB) \7,500、MS-MT16G(16GB) \15,980)8GBまたは16GBフラッシュメモリ内蔵
ビデオ出力アナログ ビデオアウトなし
オーディオ入出力ヘッドホン/マイク端子ステレオフォーンプラグ
ステレオヘッドフォンリモコン付きヘッドホン、PSP-S140、2,800円ステレオヘッドセット(マイク内蔵)付属
内蔵ドライブ再生専用UMDドライブなし
カメラなし (カメラユニット+音声入力: PSP-300 +ちょっとショットEdit: PSPJ-15003、\5,000をUSB接続で可能)約200万画素
GPSなし (GPSユニット: PSP-290、\6,000をUSB接続で可能)搭載
内蔵電源内蔵リチウムイオンバッテリー(3.6V/1,200mAh)内蔵
外部電源PSP専用ACアダプター(100〜240V対応)なし
サイズ幅169.4×高さ18.6×奥71.4mm115.5 × 62.1 × 12.3 mm
重量約189g(バッテリーを含む)、従来のPSP-1000よりも約91g軽い。133 g
価格19,800円8GBモデル:69,120円; 16GBモデル:80,640円(24回払い端末購入代金計だが、新スーパーボーナス特別割引24回分、46,080円有り。その他、パケット通信料は1,695〜5,985円/月、S!ベーシックパックが315円/月、通話料基本料金ホワイトプラン980円/月が必要)
クレードルあるいはドッククレードル、PSP-S360、4,800円Apple iPhone 3G Dock、3,400円
ワンセグワンセグチューナー、PSP-S310、6,980円なし
ビデオケーブルSビデオケーブル、PSP-S160、2,200円; D端子ケーブル、PSP-S170、2,800円なし

更新: 2008-08-21T23:16:23+09:00

TS Networkingのリストを調べると、既につながらなくなったリンクも多い。一般社会と同様に変遷がある。最近、新たなリンクも二つできた。でびさんのでびろぐムムリクさんの「つらつらぐさ」である。Kobe Phoenix Laboratoryのページを久しぶりに覗いて、語用論を調べ始めた。TSNETには人文科学系の研究者も多い。自然科学系の方は計算から入る方もいると思うが、人文科学系の方はもちろんテキスト処理への関心からだろう。

語用論という言葉は聞いたことがなかったのだが、同じ文でも状況によって多様な意味を持ちうるのはなぜかを解明する学問なのかな。Wikipediaの「意味論と語用論の境界はそれほど明確でない」との記載になるほどと思った。

昨夜、夢タウンの紀伊国屋で50刷(2005年)の中尾佐助著「栽培植物と農耕の起源」(岩波新書、1966年)と三浦俊彦著「ラッセルのパラドクス - 世界を読み換える哲学 -」(岩波新書、2005年)を購入。語用論についてのWikipediaの記載を読みながら、「ラッセルのパラドクス」の取り扱う問題との共通性に惹かれた。

第4章で、論理学の語彙はすべて体系的に曖昧であり、曖昧でなければならないというラッセルの主張を見た。体系的曖昧さとは、論理言語がタイプの異なる同音異義語を一挙に表わすということだった。しかし、経験的事実の表現を底で支える私的言語は、「体系的曖昧さ」よりももっと根本的な曖昧さ、つまり同音の論理的固有名が視点ごとに別々のものを指示するという、きわめて根深い多義性を示すことになる。

(145ページ)

更新: 2008-08-17T16:40:38+09:00
8/16/2008 (Sat.)

スクリプト実行環境Copalの作者の海鳥さん(海鳥黙示録)の「よしおさんとロボ太」という4コママンガシリーズをTSNETスクリプト通信に転載させていただくことにした。ほのぼのとした楽しいマンガである。スクリプティングに疲れた頭をからっぽにしてほっとする一時を楽しんでいただければと思う。8/19刊行予定。

更新: 2008-08-17T08:58:54+09:00

ムムリクさんちの猫(Maukie)が鳴くのに今日気づいた。かわいいねえ。ムムリクさんちのネタで、コメントし損ねたのをピックアップ。

つらつらぐさ: 岩波の新赤ネタ。大野晋先生が7月14日に88歳で亡くなられた。昨日、最後の著書、「日本語の源流を求めて」(岩波新書、2007年)を購入してきた。過去購入していたのは岩波新書黄53の「日本語の文法を考える」(1978年)。講演の記録に手を入れたものだそうだが、内容が豊富ですごく深い感じ。ただ、こういう読み物は具体的な問題意識がないと入りにくいということはある。まあ、なんでもそうだが・・・

jpg/SA360002-5s_os.JPG毎日新聞の「悼む」

最近の新聞だったが、日付をメモするのを忘れた。


つらつらぐさ: 作文もまた技術であるネタ。本多勝一著「日本語の作文技術」(朝日文庫、1984年)と本多勝一著「実践・日本語の作文技術」(朝日文庫、1994年)。最初のほうを読んだ時は、何かうまく文を書けるようになったような気がしたから、いい本だなあと思った。メモの取り方とか、そのような具体的な技術も実践に基づいて大変詳しく書かれていて参考になった(付録 メモから原稿まで)。結局、メモは大学ノートで取るのが便利。Wemoにどう活かすか・・・しかし、メモとノートの間もあるなあ。ノートは単なる断片ではない。本日記もノートレベルには達しているかな。手書きのノートに匹敵するコンピューティング手法はどうあるべきか・・・

ムムリクさんをMaukieさんと間違えてしまった。TSNETスクリプト通信に書評が出る^^)/~では間違えていないのだが、つらつらぐさを読むたびに次第に勘違いが進んでいった。ボケているね。「ムーミン」に登場するスナフキンのスウェーデン名が「Snus mumrik スヌス ムムリク」ということ。宮崎駿作品だけでなく、アニメには詳しいんだ。

更新: 2008-08-17T09:55:42+09:00
8/15/2008 (Fri.)

つらつらぐさ: ハートボイルドネタ。「出発点 1979〜1996」と「宮崎駿の雑想ノート」(08/14/2008: [宮崎駿])への返信への返信^^;)

心が茹でられると何になるのかな。心が煮えたぎる熱血漢を意味する、いや逆にやさしく茹でるのかも^^:)

「紅の豚」にしても、今回の「崖の上のポニョ」にしても主人公が豚だったり、人面魚だったり、最初誰もが多少違和感を感じてしまうはずだ。しかし、実際に作品を見るとおもしろいんだから、おもしろい。ポニョは、宮崎駿のブランドで見に出掛けているということも確かだ。

「紅の豚メモ - 演出覚書」より「マンガ映画の復活」と題して。

国際便の疲れきったビジネスマンたちの、酸欠で一段と鈍くなった頭でも楽しめる作品、それが「紅の豚」である。少年少女たちや、おばさまたちにも楽しめる作品でなければならないが、まずもって、この作品が「疲れて脳細胞が豆腐になった中年男のための、マンガ映画」であることを忘れてはならない。

(「出発点 1979〜1996」、413ページ)

「出発点 1979〜1996」の先に引用した「本」の章(262ページ)に、「風の谷のナウシカ」が撚りあわされている原糸として、中尾佐助著「栽培植物と農耕の起源」と藤森栄一著「縄文の世界」でかきたてられたものが挙げられている。今日、夢タウンで上山春平編「照葉樹林文化 日本文化の深層」(中公新書、1969年)を購入した。「照葉樹林文化」仮説を最初に提出したのが中尾佐助であることを述べていて、中尾佐助氏を含めたシンポジウムの議論を収録してある。日本の歴史を調べるには中尾佐助も重要な一人なのだろう。もう一人、「植物と人間」を書いた宮脇昭(心に木を植える - 新春対談 地球環境を考える - 宮脇昭さんと 2007/01/03)も好きなのだそうだ。そして、司馬遼太郎と堀田善衛。ハートボイルドな世界は拡がる・・・^^;)

「出発点 1979〜1996」の「僕の宿題」(294ページ、1993年)に堀田善衛の「方丈記私記」のアニメーション化について書かれており、宿題が完成すればと思う。


更新: 2008-08-16T09:36:19+09:00
8/14/2008 (Thu.)

つらつらぐさ: アニメーションの色職人ネタ。崖の上のポニョ II(08/05/2008: [宮崎駿])にコメントをいただいたので事後報告。

「折り返し点 1997〜2008」を読んだので、「出発点 1979〜1996」はまずチェックかなと思った。出発点の期間が1979〜1996とあるのに、帯に「宮崎アニメの33年間!」とあるのは計算が合わない。東映動画時代のはじまりが1963年なので、そこから数えて33年間のつもりだろう。これでも計算は合わないが、誤差としておこう。宮崎駿の原点を知るためには欠かせない本だろう。

マンガとアニメの違うところは、「マンガは時間・空間を大きくデフォルメした表現が可能で、言葉による説明を読者は読む。アニメは通常の時間・空間の中で事物を動かすことが前提となり、言葉による解説はない」ことだ。なるほどと思った。マンガを簡単にはアニメに移植できないのである。

次に宮崎駿の著作を調べながら、映画以外の部分を知るために「雑想ノート」を選んでみた。養老先生の虫について書いてある本のような印象である。このような背景知識がないと、奇妙な飛行機や戦車などを生み出せないだろうと思う。

映画にしろ漫画にしろ、何かをつくるために本を読むということは、ほとんどないですね。

それまでに気がむくままに読み散らかしたものの断片が、何かをつくろうとジタバタしているうちに、うまくいく場合は一本の糸だか縄だかに撚りあう。そういう感じです。・・・

(「出発点 1979〜1996」、262ページ)

僕はどの作品もおもしろい。物語の展開の必然性のようなものは、作者のこれしかないというようなギリギリの思いの中で生まれてくる。しかし、作者が作りたい作品をどのようにして構想するのか、思いつくのか、舞台裏を知りたいと思う。どのように作品を作るのかはある程度見て取れるのだが・・・なぜそのような作品を作りたいと考えるのか、それを知りたい。

なぜ、いずれもおもしろいと考えるのか。類似した作品がないからであり。期待を裏切り続けているからだろう。構成要素やイメージ、世界観には当然類似性はあるのだが、世界はすべて異なる。常に新しい世界が生み出される。そこがおもしろいのだろう。ポニョは前半のダイナミックな展開に比べて後半は短すぎて盛り上がりに欠けたように感じたけど。物語は終わり方が一番むずかしい。もう一回見ると印象は変わるかもしれない。

「折り返し点 1997〜2008」の書名は、もうこれで終わるということはないというメッセージのようにも受け取れる。是非、新しい作品を作って、驚かせて欲しい。

jpg/SA360003-2smh.JPG宮崎駿「出発点 1979〜1996」(徳間書店、1996年)

jpg/SA360001-7smh.JPG宮崎駿「宮崎駿の雑想ノート」(大日本絵画、増補改訂版、1997年)

更新: 2008-08-15T14:07:32+09:00
8/13/2008 (Wed.)

連日の熱帯夜。疲れがピークに達したせいか、先週中日ぐらいから体調は最悪だが、休養のお陰で、少しずつ回復しつつある。充血した右目の白目もかなり元に戻ってきた。盆明けが投稿期限のTSNETスクリプト通信第2号の編集はほぼ完了。予定通りに刊行できそうだ。

機械伯爵氏のプログラミング入門本の書き方に従えば、オバケにもわかる入門書が書けるので、入門書の著者には参考になるだろう。もっとも自分自身がPython3000の入門書を書くため、事前の自己確認の書とも言われる。Yさ氏の記事は、例によって、人気のAWKゲームスクリプトである。コマンドラインの優雅なひとときを楽しみたい。

僕の記事は、「Wemoをつくる」。最近、Webで動くメモツールが欲しくなって、デスクトップCGIの「メモる」システムの改造を始めた。デスクトップCGIでUTF-8の文字コードでテキストを編集したいというニーズもあった。RSS/AtomリーダーのCGI出力は、フィードの記事の文字コードがUTF-8に統一されるので、フィード記事へのメモの文字コードはUTF-8に統一するのが便利だからである。移植作業は思った以上に簡単にできた。結局、TSNETスクリプト通信第2号への投稿のためのスクリプトの改造と記事の執筆は、合わせて三日間程度で済んだ。三日といってもスクリプトは夜少し触る程度のことだが、原稿だけはそれなりに集中する必要があるし、時間が掛かったけど。

Wemoについては、Webアプリケーションとして、Webに公開する予定である。デスクトップCGIはユーザーが自分でインストールする必要があるので、試すのも大変だが、Webアプリケーションであれば、誰もが簡単に試すことができる。苦労する価値があるのかなど、必要性の判断も容易になる。今回は話題づくりも兼ねて、Wemo for PSPとし、デザイン(View)としてはPSPのアプリケーションとして使うことを想定している。PCからでも動作するのは当然のことだが・・・

更新: 2008-08-14T15:46:58+09:00
8/10/2008 (Sun.)

PS3上でWindows Vistaを起動、所要時間は約25分ネタ。

最近のPS3では、僕がやるわけではないがPS2用の信長の野望や、ためしに買ってみたシューティングゲームが動いている。HOMEのクローズドベータテストには一応応募した。が、それほどやってみたいとも思っているわけではない。Second Lifeもご無沙汰だ。閉じた世界での活動には興味が湧きにくい。その世界で何か継続して行いたいことがあるかどうかである。そして、それは現実世界では得られないような・・・

PS3 LinuxのGPU使用制限解除の話は未だにないので、Linuxのインストールは動機付けが弱い。Linuxはどこでも動かせるからだ。わざわざPS3 Linuxである理由が必要なのだ。HDDの拡張とか、PCとしての自由度の確保も見通しが欲しい。実は、PS2 Linuxのインストールを試みてみたが、ディスクから起動できなかった。メインメモリ512MBあればすごいじゃないと思ったんだけど^^;)是非、ゲームOS上でCBE/RSXバリバリのLinuxを動くようにしてほしい。OSの切り替えなんて、面倒だよね。

更新: 2008-12-31T11:50:00+09:00

第二次世界大戦後63年が経過し、戦争経験者が高齢化、体験を語り継ぐ人が次第に少なくなっている。戦後・戦無世代の我々も親から漏れ伝え聞いた程度の知識しかない。耳の下端に満州戦線で弾丸が掠った後が残っていた親父は既にいない。今から思うと、人生に対する態度には何かニヒリズムのようなものがあった気がしている。ドイツの狙撃兵と米兵が戦う戦争映画を見ながら、あのような感じになってしまうんだよなと思わず零れた言葉を覚えている。耳に被弾した時の全滅の機会に遭遇した話を少ししたぐらいで、多くは語らなかった。

テレビで、年寄りは戦争が忘れ去られることに危機感を覚えているが、若者は昔の知らない話として退けることが報じられた。若者のすべてがそうではないだろうが、やはり自分の知らないことは関係ないことと考えてしまいがちだ。僕等でさえ、物事を考えるのに戦前のことは考慮しないという習慣が出来上がっている。それは戦前のことがあまり戦後語られなかったことにも起因している。よくわからないからである。また、戦後の発展が目覚しく、戦前のことに興味を持つことはほとんどなかったからでもある。

しかし、男という種族は年を取ると歴史に回帰する特性を持つらしい(女性もそうかもしれないけど^^;)。僕も例外ではなかったわけだが、自分の歴史を遡るだけでは不十分で、とうとう日本どころか、世界の歴史、地球の歴史まで遡ることになる。

若い人へ。戦争なんて、自分の知らないことだし、関係ないという思考停止だけはなんとか回避してほしいものだと思う。いずれは君も歴史が重要だと考えるようになるはずだ。

そして、年寄りの役目。自分の経験を後世に伝えてほしい。

8/9/2008 (Sat.)

言語の「起源と進化」を探る研究:「人間は言語の宿主にすぎない」ネタ。

後付の「人間は言語の宿主にすぎない」は、いただけないキャッチフレーズだとは思う。言語の進化というのは、いささか実存主義的だが、人間の選択で生じているのが実際だろう。言語が選択させているのだという見方も可能だとは思うが^^;)、こちらがポストモダニズム・・・それにしても、何を進化と呼ぶのか。文法の変化、語彙数の増大・・・

やはり、丸谷才一、山崎正和著「日本語の21世紀のために」(文春新書、2002年)ネタだが、第二章、現代日本人の日本語への関心、「明治国家の言語的革新」の項(54ページ)に、加賀野井秀一著「日本語は進化する 情意表現から論理表現へ」(NHKブックス、2002年)が紹介されている。褒めているのは「が」や「を」の格助詞が日本語に論理表現をもたらしたという見方である。「日本語は進化する」188ページの「精密化する日本語」の項は、その白眉であり、英語よりも精密な日本語が実証される。テニヲハの格助詞とそれに加える後置詞によって明晰な日本語が可能となる。

言語に自然な変化があったとすれば、すなわち、日本人が自然発生的にそのような用法を生み出したという現象を、このような変化を文献学的・統計学的に誰かが示したとすれば、なんらかの言語の「進化」を証明できるかもしれない。

jpg/SA360002s0810.JPG日本語の21世紀のために

jpg/SA360003s0810.JPG日本語は進化する 情意表現から論理表現へ

更新: 2008-08-10T16:10:36+09:00

空を這う(08/02/2008: [アニメ] )の記憶の外部化、神経接続、サイボーグ (2007/02/11)経由、8 身体との直結、世界的格差の肥大化ネタ。一度読んだものだが・・・

押井 ネットワーク化して、我々人間が端末化して、ネットにぶら下がりの存在になる一方で、地球上の片隅に、あるいは半分が依然として中世を生きているという、僕はそういう可能性のほうがありそうな気がする。実は恐れることはそのことだというかね、巨大な技術格差が、技術によってさらに広がっていくという気がするのですけれどもね。

立花 我々の1940年代の日本社会というのは、頭の中の世界は中世以前のそういう思想に凝り固まっていたわけだから、まさに生きていた中世の世界が作った人間ミサイルみたいなものですよね。

押井 というか、違う見方をすれば、人間がすべて端末化して、言葉を共有するという関係になったときに、ああいった形でのイデオロギーの外部注入は不可能になるかもしれないというメリットもあると思うのですよね。

立花 なるほどね。

押井 地球上のすべての地域が近代化するということが、民主化以前の話として、はたしてあり得るのだろうかと、というふうな気がするんですけれどもね。だから人間の存在それ自体は、特に地球規模で言えば、どんどん両極に引っ張られていくという気がするのですよね。あくまで、もはや選択の余地はない世界としてね。

立花 こう横に引っ張られると同時に、僕は縦にも引っ張られるというか、つまり、時間的に古代の思想から中世の思想、近代の思想、現代の思想までが精神世界の時間軸上に伸びて、それが全部一緒になってぐじゃぐじゃになったまま走っていくような状態にあるのが現代社会じゃないかという気がしますよね。

押井 そうですね。

メモだけと思ったが、メモのきっかけが、丸谷才一、山崎正和著「日本語の21世紀のために」(文春新書、2002年)との連想であることも記録しておこう。言葉と物 CXXXVII - 夏のおわりに(07/31/2008: [日記])に少し書いたが、国家の成立と国語の成立は連動していることとか、国家の成立そのものが、早くて17世紀(フランス)であったこととか、日本語だけでなく、意外と言語の変化は大きく、現在多用されている言語は新しいものだということを再認識する。

インターネットの存在が、言語にどのように影響を与え、地理的、物理的に隔絶している地域との情報の共有化によって世界がどのように変貌しうるのか、世界規模の前代未聞の大実験が始まったことを痛感している。

現実からの帰還(2006/01/21)で、僕が自らの過去を掘り起こして、もう一度考えてみようと思った理由は、既に忘却の彼方で動機付けを失っているかもしれない。純粋に言えば、人間とは何だろうとの疑問に答えることであるかもしれぬ。人間を考える上で、言語の問題は欠かすことはできないどころか、過去も現在も主要な課題でありつづけている。その思索の中心に据えてみたのが、ミシェル・フーコーの「知の考古学」であり、「言葉と物」である。ミシェル・フーコーには、文学の領域においても様々な著作があるが、その後の探索の結果、ガッティングの「1冊でわかるフーコー」によれば、その出発点は「レーモン・ルーセル」と考えてよいらしい。精神疾患や狂気についての論考が「哲学者」としての出発点であったフーコーが精神病者であるルーセルが生み出した奇妙な文学に興味を持ったと考えると、その内容はどのようなものか、興味を覚える。「らしい」としているのは、まだ自分で読んでいないからである。何かを言明するためには、必要なものすべてを読みつくす必要がある。

僕は特にアラン・ロブ=グリエとフィリップ・ソレルスの一種知的でクールな具体性を排除した外観の文学に興味を抱いたが、結局無意味と判断して離れてしまった。僕自身、当時、文章を書こうとしてしていたが、具体性を排除した中では文が書けないことに愕然としていたので、非常な興味を持っていた。

その後、フィリップ・ソレルスは饒舌な通俗小説に向かい、アラン・ロブ=グリエはその方法論を生涯貫き通して見せた。

同時代、一種のオートマティスムも含む、少し、雰囲気の違う小説を書いていたJ・M・G・ル・クレジオは「調書」(新潮社、1966年;原著: 1963年)以降、新しい可能性を感じさせていたが、文化人類学に向かった。その後、普通の(^^;)小説を書き始めたらしい。

いずれの場合も外側から見ているだけで、中味のチェックはできていないのだが、そのような要約が意味を持つのかどうか、いずれ確認してみたいと考えている。

20世紀が言語の世紀であったことを、ル・クレジオは次のように端的に表している。

何ものも、ぼくにとっては言語以外の何ものもない。それが唯一の問題であり、あるいはむしろ、唯一の現実である。すべてがその中に再会し、すべてがその中で調和している。ぼくはぼくの国語の中に生き、その国語こそぼくを構築するものである。・・・

(豊崎光一訳、「物質的恍惚」、新潮社、1970年;原著: 1967年、「無限に中ぐらいのもの」冒頭)

jpg/SA360001-2s0809.JPG悪魔祓い

高山鉄男訳、新潮社、創造の小径、1975年;原著: 1971年。ル・クレジオが文化人類学に向かったと僕が思った本だが、学者になったわけではなかったようだ。



都市、機械化された社会、人間の集合、建築物の集合、科学の図式と辞書、これらのものはそれと反対のことをわたしたちに言おうとしている。それらのものが言っていることを聞いて見たまえ。進歩、歴史、宇宙の征服、と言っているのだ。人間の目的は人間のうちにあり、言語の根拠は言語それ自体であると言っているのだ。都市は、わたしたちに知る暇を与えてくれない。都市は、その罠をはりめぐらせ、原因と結果の組み合わせ模様を織り成している。

都市は永遠のものだとわたしたちに信じさせるのは、都市の策略の一つである。都市は自然な文明の到達点であり、都市が文明を説明するのだと、都市はわたしたちに思いこませようとしている。しかし現実はそれとは大変異なっている。知恵を秘めているのは、インディオの本源的な文明であり、説明を心得ているのはそれらの文明のほうなのだ。ただそれらの文明には、壁も錠前もないので、人間を罠にかけたり、閉じこめたりしないだけである。

・・・いや、たぶん新しい都市の時代が到来したのだ。生命の力が再び言語を支配し、人間が大地の経験をふたたび見いだし、思想と模様と言葉が、乾燥した汚らしい糞のように孤立したものではなくて、インディオが記すしるしのようなものとなる時代が到来したのだ、すなわち、呪文であり、音楽であり、舞踏である。各人はそれらのものに服従し、それらのものを創り出す。

(「悪魔祓い」、18-19ページ)

更新: 2008-08-10T08:55:50+09:00
8/7/2008 (Thu.)

「Firefox 3.1」ベータ版リリースは8月19日を目標に--「HTML5」をサポートモジラ、「Firefox」後継製品のアイデアを一般から募集--ブラウザのOS化は進むかネタ。

それほど付け加えることはない。しかし、進化は加速していると思う。どこまで行くだろう。

進化の早いのはうれしいのだが、Firefox 3はまだ不安定だ。下記の問題は、Firefox 2では問題にならなかったし、いずれもIE8では問題にならない。どこで報告してよいのかよくわからないので、ここに書いておこう。


更新: 2008-08-09T11:25:51+09:00
8/5/2008 (Tue.)

NHK プロフェッショナル 仕事の流儀 2008-08-05 22:00-23:28 宮崎駿のすべて〜「ポニョ」密着300日 〜ネタ。ポニョって何(07/20/2008: [アニメ] )、崖の上のポニョ(07/28/2008: [アニメ] )から続く。

見た。やはり、物を生み出すのは大変だ。

どこかで、宮崎駿が「折り返し点 1997〜2008」を出しているのを見てアマゾンに注文、今日届いていた。自然と人間の関わりについての宮崎の見方が具体的に書かれている。根底にあるのはリアリズムだと思う。登場人物たちは実際に生きて動き出すのだ。

jpg/SA360001s2.JPG折り返し点 1997〜2008

現代日本のアニメ」(07/06/2008: [千夜千冊] )で言及したスーザン・J・ネービアの宮崎駿の言葉のうち最も印象深いもの、として引用されている次の部分は、「千と千尋の神隠し」の企画書(1999年)にあるもので、東宝映画のパンフレット(2001年)に引用されたものであることが「折り返し点 1997〜2008」を読んでわかった。というよりは、あるんじゃないかなと意図的に探したのだが。すぐ見つかった。原文は次のようだ。

ボーダーレスの時代、よって立つ場所を持たない人間は、もっとも軽んぜられるだろう。場所は過去であり、歴史である。歴史を持たない人間、過去を忘れた民族はまたかげろうのように消えるか、ニワトリになって喰らわれるまで玉子を産みつづけるしかなくなるのだと思う。

実は、この文章の前の段落は次のようになっている。

伝統的な意匠を、現代に通じる物語に組み込み、色あざやかなモザイクの一片としてはめ込むことで、映画の世界は新鮮な説得力を獲得するのだと思う。それは同時に、私達がこの島国の住人だということを改めて認識することなのである。

そして、先の引用の後、企画書は次の文章で締めくくられている。

観客の十歳の女の子達が、本当の自分の願いに出会う作品に、この映画をしたいと思う。

宮崎駿が子どもたちに伝え、残したいもの、それは作品を通じて伝わるものである。作品を作る中で生み出されていった明確な表現世界がある。「ポニョ」密着300日に登場した秘密の創作ノートは文字で書かれている。一日中文字を書いている場合もあるらしい。「折り返し点 1997〜2008」には対談の収録が主体だが、映画音楽作曲用にイメージを伝える詩やパンフレットもある。あとがきで、本書は自分で意図的に仕上げた作品ではないから、宮崎駿であると保証はできないとしているのがおもしろい。アニメーターが文章でも考えられるのは当たり前かもしれないが、インタビューで発せられる言葉は多様で深い中味があって素晴らしいと思う。

宮崎駿が存在する限り、物語が消滅したとは言えないのではないか。本日記のキーワードに「宮崎駿」を加えることにした。しばらく、書籍購入出費が増えそうだが、同時代人として宮崎駿がいたことを喜んでいる。「もののけ姫」以来のお付き合いではあるのだが・・・

更新: 2008-08-09T11:35:59+09:00
8/3/2008 (Sun.)

データから「構造」を発見する:より人間に近づく人工知能ネタ。

AIを人間の知能に近づけるためには、記憶の蓄積方法とその記憶の使い方を学ぶ必要があるだろう。

8/2/2008 (Sat.)

【レビュー】押井守が送り出す新しい風 - アニメ映画『スカイ・クロラ』経由、スカイ・クロラ経由、・・・・・ネタ。

原作が、森博嗣とは知らなかった。「すべてがFになる」の一冊だけ読んだことがある。取りあえず、メモだけ。


jpg/SA360001-1s2.JPG森博嗣著「スカイ・クロラ」(中公文庫、2004年;原著: C★NOVELS、2002年)

まず、小説から、スタート。パラレル・ワールド、テクノロジー的には前後はあるにしても、世界大戦後50年という設定、時代は現代といってもよいのだろう。第一作は導入部であり、キルドレの秘密は明かされない。世界設定については感情移入できるだろうかと心配したが、スムースに読めた。おもしろい。

ライフクリエイティブサイト <L-Cruise> - 日経トレンディネットに、映画の方の押井守監督のインタビューが出た。

押井守関連の以前の記事へのリンク。


更新: 2008-08-09T19:38:49+09:00
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