tsnetworkc3.png更新日記 - 日曜プログラマのひとりごと
更新日記インデックス | 更新日記URLインデックス | 更新日記画像インデックス
Subscribe to RSS1.0 | Subscribe to Atom1.0

日記: Text World | 脳髄の日記 | 第四の日記 | jscripter's Twitter | Facebook | Myspace(記事抄録や関連メモ: コメントはこちらにどうぞ)

| 2009年4月 | Monthly Index(2009年5月) | Timeline
5/30/2009 (Sat.)

Feedburnerの消えていたRSSの古いカウンタのアイコンが復活し、カウント数も次第に以前と同じ値を示すように回復してきた。新しいアカウントに移行させるつもりじゃなかったの。どうするんだろうねえ。とにかくこのまま走るしかない^^;)それはともかく、話を本題に変えよう。多読術では、速読は勧めなかった。速く読もうという意識は読書にとって好ましいものではない。本を好きになれというのが多読の奥義なのである。

そこで、十夜一冊を創めた。千夜百冊である。十夜で一冊じっくり読もうという遅読術の勧めである。それでも速すぎるって、それもまた正しい^^;)十夜以内で一冊を完了するように書く。十夜単位で読書は進捗する。十一夜の次が新しい本の二十夜ということも有り得るのである。そうすると百冊で千夜に到達できるのである^^)v

「反オブジェクト」を完読。ソフトウェア・アーキテクトという言葉がある。プログラミングも建築の対象なのだろうか。隈研吾は大変刺激的だ。

主体と世界の接続には二つの形式が存在する。ひとつはフレーム(額縁)を媒介とする接続であり、もうひとつはフロア(床)を媒介とする接続である。典型的なフレームは、パンチド・ウィンドー(壁面にうがたれた比較的小規模の開口部。一般に日本語においてはポツ窓と呼ばれる)である。パンチド・ウィンドーは世界を切り取るための装置である。この装置が有効に機能するためには、主体と世界の間に、一定以上の距離が存在しなければならない。距離があるからこそ、その間にフレームが介在する余地があるのである。さらにフレームの介在によって世界と主体とは、一層隔てられ、決定的に切断されるのである。その切断を前提とした上で、フレームは乱雑な環境の中から、特定のひとつのものを意図的に呼び出し、それ以外の夾雑物を排除(フレーム・アウト)する。窓枠が乱雑な世界の中からオブジェクトを選び出しているのである。夾雑物の排除を通して、フレームはオブジェクトを生ずるのである。すなわちフレーム形式とは、オブジェクト形式の別称である。そしてフレーム形式によって規定された世界、あるいはフレーム形式を媒介として、眺められ知覚される世界は、オブジェクトの集合体としての世界なのである。

(82-83ページ)

これを読んで、オブジェクト指向プログラミングとMVCフレームワークの関係を思い浮かべてしまった。MVCの中核はControllerである。Controllerのメソッド(アクション)はオブジェクトである。メソッド・オブジェクトは、Modelで世界を切り取り、Viewで切り取ったデータを見せるのである。MVCフレームワークはパンチド・ウィンドーなのである。

このアナロジーを敷衍すると、フロア(床)指向プログラミングというものが存在してもよいことになる。日本的な方法はそういう方向にある可能性がある。ブルーノ・タウトは日向邸において、「床と天井だけを黙々と操作していた」(64ページ)。

更新: 2009-05-30T11:47:36+09:00
5/27/2009 (Wed.)

ぼくらの時代のおわり: つらつらぐさネタ。

今日、帰宅すると栗本薫って知ってると女房が聞く。もちろん知っている。すい臓がんで亡くなられたのだそうだ。56歳。実は最近思い出していた。最近、女性の活躍を見るにつけ、よく考えると最近見ないなあと思っていたのだ。実はほとんど読んだことはない。僕はSFやスペキュレーション・ファンタジーは翻訳物専門だったから。でも、すごい人気もあったし、創作力の凄まじさは感じていた。ご冥福をお祈りします。「ぼくらの時代」を読んでみようか・・・中島梓、評論家というほうが、馴染みが深かったのだが・・・

ぼくらの時代を形作っていた人たちが次第に亡くなっていく、寂しい感じもするが、残っている人にはがんばってほしいねと思う。

更新: 2009-05-28T22:44:00+09:00
5/26/2009 (Tue.)

Riding Rails: Community feedback for the future of Rails経由、Issue #2: RailsConf 2009ネタ。

最近、Ruby関係を検索するとRails関連の情報ばかりが引っ掛かる。いまさらRailsを取り上げるのも・・・。しかし、手持ちの材料、在り合せの身の回りの材料を使って何かを作リあげねばならない。

RailsConf 2009のレポートを読んだり、Ruby on Railsの模様を眺めると、Rails 3でmerbが統合される話題やJRuby on Rails、そして、Overview ― Phusion Passenger^(TM) (a.k.a. mod_rails / mod_rack)が目に付く。Rails本の第3版ではサーバーとしてPassenger/Apacheが推奨されている。残念ながら、Windowsではサポートされていない。Linuxに入れてみるかな。

Rails本にセキュリティやサーバーについて詳しく説明してあるのには驚いた。急速に環境や状況は変化していく。付いていくのは次第に難しくなる。

次から次へと積み重なる本になかばあきれつつ、多読術の術中にはまってしまったかもしれないと思いつつ・・・

隈研吾著「反オブジェクト」(ちくま学芸文庫、2009年;原著: 筑摩書房、2000年)の文庫版には自著解説が付いている。ここでは1954年生まれの著者の20世紀後半の体験が明快に語られる。ここまで意識的に体験できていたかなあと振り返るが、少し自信がない。最近、日経で磯崎新氏の私の履歴書を読んでいて同様の感じを持った。建築家は大変明晰なものだなと。

「反オブジェクト」は哲学書である。哲学も大変明快に解釈されるので気持ちがよいぐらいだ。なるほど、でもそれでいいのみたいな感じもあるが、わかりやすいことは確かである。

そしてわれわれは今、彼と同じ設問に向きあっている。オブジェクトが支配する世界の限界と衰弱に、われわれは向かいあっている。個人とは自立した孤独なオブジェクトなどではない。個人とは、境界の曖昧な不確かな拡がりである。物質もまた、境界の曖昧な不確かな拡がりである。オブジェクトへと切り分けた途端に、物質はその魅力の大半を喪失する。その粘性、圧力、密度のすべてが抹殺される。主体もそして物質も、ともにオブジェクトに切り分けられる事を強く拒絶しているのである。すべては接続され、からみあっているのである。

(67ページ)

彼とはブルーノ・タウトである。僕等の記憶では桂離宮とともにある。その話がここに再現される。そして、このあと、ブルーノ・タウトの生きた時代の大恐慌の話が出てくるのだが、この本が書かれたのは2000年だった。

しかしオブジェクトの破綻は、今になって露呈されたわけではない。オブジェクトを媒介として駆動される社会は、すでに大恐慌によってその限界を露呈していた。オブジェクトのシステムが無効である事が経済的破綻という形で露呈したのである。オブジェクト=商品という自由で小さな粒子を媒介として、主体と物質とをスムースに、柔軟に接続することは不可能であるというのが、大恐慌の結論であった。物質サイドを商品というオブジェクトに分割し、人間のサイドを自立した個人というオブジェクトに分割する二十世紀システムはすでにこの時点で破綻していたのである。商品と個人という粒子は、市場の中ですべての拘束を失って浮遊し、その結果、需要と供給との間に生じる不均衡は一層増幅され、最終的に、恐慌という形で破綻せざるを得なかったのである。

(67-68ページ)
更新: 2009-05-26T20:03:54+09:00
5/23/2009 (Sat.)

エディタのはなし: つらつらぐさネタ。

ちょっとエディタ違いかもしれないが、編集工学の研究の対象である「コミュニケーションの充実と拡張に関する方法」の入口の特徴は次の三つである(松岡正剛著「知の編集術」、講談社現代新書、2000年、17ページ)。

  1. 編集は「文化」と「文脈」をたいせつにする。
  2. 編集はつねに「情報の様子」に目をつける。
  3. 編集は日々の会話のように「相互共振」をする。

エディタはユーザーをこのような観点から支援する必要がある。それではどのような具体的な機能が必要かということになるのだが・・・

これ以上のことはユーザーの頭の中の現象であって、それを即座に記録できることというのも必要な機能かもしれない。

ここで考えているエディタを、PCというデバイスに縛り付けられた単一のアプリケーションと考えるのは既に古くなったイメージかもしれない。ユービキタス・エディタという概念が今後出てきてもおかしくはない。ユービキタス・エディタとして必要な機能を追加してみよう。

  1. Webやデスクトップにある情報を編集できる。
  2. 編集した結果をデータベース化できる。
  3. 分類機能がある。
  4. ハイパーテキストである。
  5. 部分的にタグ付け(microformatなど)ができる。
  6. 検索できる。

それって更新日記じゃないってことになる。それをどこでも使えるようにしたいということかな。最近は3x5インチ^2(7.5x12.5mm^2)のカードがモバイル・エディタになっている。ポータビリティ抜群^^)v PCにあるZedは母艦エディタみたいな感じ。

更新: 2009-05-24T10:25:30+09:00
5/19/2009 (Tue.)

『出版状況クロニクル』小田光雄 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇ネタ。うーん、RSSのHTMLファイル名は1300夜になっているのでリンクはつながらない。もともとRSSはページの更新から何日も遅れて配信されるし、HTMLページのタイトルの表示はおかしいし、セイゴオちゃんねるのテキストの整形もおかしいまま。すべて手作業になっているんだろうね。

RSSの記事へのリンクが訂正された。千夜千冊記事のHTMLソースを調べてみると、手作業ではないね。TABLEタグのインデントが規則的になっているからね。タイトルに「松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇」が繰り返し並んでいるのは、へんだと思っていたんだが、意図的なものかもしれない^^;)1298夜からなんだが・・・セイゴオちゃんねるは引用部分がおかしくなっている。行頭を全角空白で調整して行末を改行タグで区切るのは止めて、一つ前の記事と同様にblockquoteを使えばよいのに。おそらく書いている人が違うのだろうね。

(2009-05-20)

それはともかく、深刻な事態だなあ。僕は昨年から今年にかけて買いまくったんだけどねえ。それでも足りないか^^;)

小さな本屋でも昔はいい本屋があったけど、小さな本屋は次第にマンガと雑誌に占領されるようになった。2008年のデータを見ると、書籍より雑誌の落ち幅のほうが大きい。2007年は逆だった。広告の影響があるのかな。休刊が相次いできたし。

以前も少し書いたが、Webの影響によって書籍の購入量が増えたというようになるのではと思っているのだが、どうもマンガやゲームの影響は半端でない。インターネットの使い方も人によってだいぶ違うのかもしれない。みんな動画ばかり見ているのかな。トータルのメディア消費は増えていると思うのだが・・・

更新: 2009-05-21T20:46:28+09:00
5/17/2009 (Sun.)

今日は雨が降り続いていたが、午後3時を過ぎると止んだ。低く垂れ込めた暗い雲はまだ微細な水滴を凝縮させ続け、今にも雨が落ちてきそうに見えた。小さな折り畳み傘を持って夢タウンに出掛けた。

リオタールの「こどもたちに語るポストモダン」も手に取っていたが、隈研吾著「反オブジェクト」(ちくま学芸文庫、2009年;原著: 筑摩書房、2000年)だけを購入して、帰宅。雨は完全に上がっていた。

隈研吾で日記を検索する。

大きな物語と小さな物語に前述のリオタールの著作が含まれ、「負ける建築」には「反オブジェクト」も引用されていることに驚いた。ここでも連環が閉じたのだ。

「反オブジェクト」の自著解説を読むと、「エフェメラル(現象的)」という言葉が出てくる。松岡正剛の千夜千冊『こどもたちに語るポストモダン』ジャン=フランソワ・リオタールで意味がよくわからなかった「エフェメラル」だと思った。フランス語ではなくて英語かもしれないねと思って、もうひとつのスペルの可能性を調べた。当たり。「ephemeral」。意味は「短命な、つかの間の、はかない。」などとやはりfragileな語。efféminé(めめしい、弱々しい)と語源は近いのでは。

更新: 2009-05-25T23:56:36+09:00
5/16/2009 (Sat.)

Rubyにはシンボルがある。ダビンチ・コードの最初で、ラングトン教授のシンボルの解釈の話が出てくる・・・まったく関係がないかな^^;)出てくるのは階乗計算ではなくてフィボナッチ数列だが・・・

Rubyのシンボルは「インタプリタが識別子または演算子に1対1に対応して割り当てた整数値。比較などの高速化のために用いる。」とRuby用語集(オブジェクト指向スクリプト言語Ruby、1999年)にある。他には、2.12制御構造の中に、「シンボルについて」というコラム(65-66ページ)がある。

injectメソッドの話が、シンボルの話につながった。&シンボル形式という用語が出てきたのだが、Webで検索してもほとんど引っ掛からない。シンボルの話はRuby on Railsの話につながっていった。そして、ふーむ、scaffoldはだいぶRails 2.0では変化したらしい。それも2007年の話だなあ。今回はModelを使っていないから、影響がないのか^^;)涙目にならずに済んだのは、単にサボったから、やれやれ。Rails本は第3版が出たばかり(3/27)だったので、仕方なく英語版を一月前に注文済。Amazonからメールが飛んできたから、今週中に届くかな。第1版の原著は2005年だから、2年に一回のペース。変化は早い。


更新: 2009-05-17T14:31:01+09:00

ジブリから、熱風5月号が届いた。特集は「新聞」。新聞を販売店に配達するのであろうバイクの後姿が表紙になっている。3月号から届けてもらっているのだが、特集は「戦争」、「親鸞」に続く二文字ネタ。

特集記事のリスト。

河内孝氏は毎日新聞社の出身で、「新聞社 破綻したビジネスモデル」(新潮新書、2007年)を書かれ、「電子瓦版」からの再出発を提案されていたが、本記事でも「・・・記事を取材してPaperlessで配信する、現在の通信社とよく似た組織に変えて、そのコンテンツをあらゆる媒体に売るビジネスに転換するべき」と主張されている。

文芸春秋「諸君!」5月号の「新聞崩壊は、メディア複合で食い止められるのか」で、河内孝氏は佐々木俊尚氏と対談されていて、「全国紙」は通信社化し、地方紙は地域に密着してローカルな広告媒体として生き残るというような議論をされている。最近の中国新聞は昔と比べると内容的にも全国紙レベルに上がってきているし、写真はほとんどが色刷りになっている。紙面に明るさ、充実感がある。なるほどと思う。

新聞とインターネットについては既にいろいろと考えてきたので、パスしよう。

情報処理に関連してもっともおもしろかったのが、橋本治氏の論考。

・・・わたしは新聞をロクに読みません。

・・・本屋にも行かない。・・・新刊書のコーナーには目を向けない。・・・年に一度か二度。・・・雑誌というものをまず見ない。・・・

人は「データ」とか「情報」とかいうが、そういうものをいくら収集したって、それの解析するデータベースがぼろくそだったら、なんの役にも立ちませんですよ。(二十代は情報の収集・解析・再構築の訓練をしたが三十代の半ばで「もうそれをする意味はないんじゃないの?」状態になった。)

・・・三十代の間に検討していたことは、「情報というものは、もう上滑りしているんじゃないのか?」ということで、だからその後私のやることは、「あの不合理はかくして崩れた」の検証だけになる。

ひねくれているのか、人の先を行っているのかは知らないが、「情報は重要だ」というような言われ方が一般化する頃に、私は「そんなのいらない」になっている。・・・こっちはこっちで「考えなきゃいけないこと」があるので、そうそうよそ見ばかりはしていられない。

新聞は起き抜けに読むもので、オートロックのマンションで集合ポストに入るようになって読まれなくなったのではという話もなるほどと思わせた。朝のテレビが起き抜けの新聞代わりになっているのは紛れもないし、朝のワイドショーで各社の朝刊の紹介をしているのも、読まなくなる一因となっているかもしれない。

それはともかく、橋本氏はパソコンも持たれていないという話なのだが、もっとも「時代とは無関係な仕事をしよう」ということだから、どのようにして情報を摂取しているのか、どのような種類の情報のみを取り扱っているのか、大変興味がある。「パソコンを使わないということ」=「インターネットを使わないということ」の意味である。しかし、インターネットを使うことが、時代と無関係な仕事をすることに役立たないとは言えないのである。インターネットには過去が集積されつつある。そのような時代なのである。


更新: 2009-05-16T11:55:34+09:00
5/15/2009 (Fri.)

何か直感が働いて、μ1060を持って、昼休みの散歩。

空を見上げて、息を呑む。

images/2009/05/kumomoyo_P5150019s.JPG雲模様(1)

images/2009/05/kumomoyo_P5150020s.JPG雲模様(2)

よく見ると飛行機の航跡がV字形に交わっているのがわかる。きのうは、飛行機雲が同じように走っていた。航空機の通り道なのだ。



images/2009/05/kumomoyo_P5150022s.JPG雲模様(3)

日経の磯崎新先生の「私の履歴書」が目に留まった。第14回。

イタリアの聖堂の暗がりに高窓から一筋の光が差し込む。光と闇。深い闇の中の恍惚。

・・・建築が内部を抱え込む「空間」を初めて体験したのである。外側の輪郭や構成など問題ではない、と思った。それ以降、わたしは形がみえない「空間」や「場」というものを考え始めるようになる。


5/14/2009 (Thu.)

ちょっと前の日経でMITメディア研副所長石井裕氏のタンジブル・コンピューティングの紹介を見た。今日は、電子情報通信学会誌に「米国MITの独創・協創・競創の風土」という記事を見かけた。MIT Tangible Media Group | Projectsネタ。

我サイトで最初にTangible bitsに触れたのは、実世界指向インターフェース関連リンク集 (2004/06/06)の記事。大元は増井先生のインターフェイスの街角の記事(UNIX MAGAZINE、1998年8月号)。最近は、フィジカル・コンピューティングのような方向性が現われてきたので、パーソナル・コンピューティングの幅が拡がりそうだと楽しみにしている。なかなか手を出す余裕がないけど、もう少し様子を見ながらと思っている。実際のところ、具体的に何をするのかが問題なわけで、自分が何をしたいのかを考え続けている。

石井氏がMITにヘッドハントされたとき、ビーイング・デジタルのMITメディアラボ所長のネグロポンテ教授から「・・・全く新しいことをやれ。人生は短く、新しいことに挑戦するのは最高のぜいたくだ。全く新しい流れをゼロから作れ。」と言われて搾り出したのが、GUIに代わるTUI(Tangible User Interface)の概念である。

情報の表現とその操作手段を一体化させる。そのために情報に物理的実体を与えて、手で触れて操作できるようにするのが、Tangible User Interfaceである。

ちょっと前にどこかのIT系ニュースサイトで見たのだが・・・、メモしておこう。Touch-DS.jp - うごくメモ帳 Version2ネタ。

うごくメモ帳うごメモはてな - メモからはじまる新しいコミュニケーション!を見ればすべてがわかる。

これは欲しいかな^^;)

帰りの空に飛行機雲が目に付く。宮島上空でV字形に交差したりしていたので、珍しいなあと思いながら帰宅。走っていくと空は飛行機雲だらけだった。停車して車内から撮影。

images/2009/05/hikokigumo_SA370001-1s.JPG飛行機雲(1)

images/2009/05/hikokigumo_SA370002-1s.JPG飛行機雲(2)

5/12/2009 (Tue.)

日本全国8時ですネタ。火曜日は荒川洋治先生。関心のあるものを身近に引き寄せておくと、スモール・ワールドが思いがけず現われる。今朝、楽しみにしている「日本全国8時です」が始まると、「評論」について話すという。おーっと思った。森本氏は荒川氏が「文芸時評という感想」で小林秀雄賞を取られたことを忘れられていたようだが・・・、詩人であり、かつ評論のプロなのである。

メモ程度に記録を残しておこう。小林秀雄と中村光夫の対比。小林秀雄は格調高く深遠だが何を言っているかよくわからない。中村光夫は格調は高いとは言えないし深遠でもないが、何を言っているかはよくわかる。江藤淳は論敵をたくさん作った評論家。吉田健一は晦渋、句読点がない長い文章を書いた。中村光夫と誰かの論争の話が出て、「歳は取りたくないものです」と締めくくったのが有名なのだそうだ。サマセット・モームとチェーホフの名が出たが・・・。評論家として優れていると思うのは誰という森本毅郎氏の質問に、磯田光一氏を上げ、「思想としての東京」が例示された。凄く切れる人だったそうだ。

昨日、「本の本」の対比にと、荒川洋治著「文芸時評という感想」(四月社、2005年)を取り出して再読を始めていた。1992-2004年の間、産経新聞朝刊の文芸時評を集めたもので、「本の本」と対比できる時間が詰まっている。第5回小林秀雄賞を受賞している作品である。装丁や目次の配置・配列には詩人らしい感性が感じられ、章やセクションのタイトルを見ても詩の題名のようだ。それゆえに、索引としては使えない。索引を作る価値はあるかもしれない。最初は摘み食いをしただけだったので、今回初めてじっくり読んでいる。

更新: 2009-05-13T22:38:11+09:00
5/10/2009 (Sun.)

窓を開けておいても、室温が28℃近い。爆熱CPUの排熱の威力なのかも。CPUの冷却フィンの掃除は済んでいるので、それほどうるさくはない。ただ、Google Desktopはとうとうはずした。しかし、五月からこの調子では夏が思いやられる。昨年の夏も酷かった。それはともかく、『本の本』斎藤美奈子 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇ネタ。放埓篇、遊蕩篇の次について予告された記念すべき1297夜である。もっともまだ、遊蕩篇がいつ終わるのかはわからないのだが。放埓篇は1144夜まで、今は遊蕩篇、新153夜である。

多読術には方法として「松岡正剛に従ってみる」があったからというわけではないが、取り上げてみた。なにしろ、最近本屋に行くとリバイバル物を除いてほとんど知らないものばかりなので、これほど世の中とすれ違っていていいもんだろうかと自省していたこともある。「本の本」は斎藤美奈子氏の1994-2007年の間の書評を集めて内容別にまとめたものだ。書名索引からざっと計算すると、650-700冊程度の本が収録されている。そのうち読んだことがある本は10冊をやっと超える程度でしかなく、それも水村美苗以外はほとんどが古い本ばかりだから、「本の本」によって、20世紀末から21世紀の初めにかけて出版され、かつ書評に掛かった本を追いかけることができる。いわば現在の辞書として使えるだろうと思った。

まず、松岡先生がピックアップされた本をポストイットでマークしながら読んでいく。30冊強がなんらかの形で取り上げられた。内容については前記リンク参照。一冊だけ近藤真著「コンピュータ綴り方教室」という本だけが見当たらなかった。書名索引、著者索引にもない。本文にはあるのかもしれないが、ざっと調べたかぎりでは見つからなかった。

次に自分の読んだことのある本を違う色のポストイットでマークしていく。誤植が一つ、「エクリチュールの零度」は450ページではなく、451ページにある。それに応じて、著者索引のバルト、ロランの450ページも451ページになる。

おもしろかったのは「本格小説」(水村美苗著、182ページ)の正しい読み方。まず、上下二冊を揃えて買う。最初の三分の一、文庫本の場合は233ページまでを飛ばす。後は下巻を含め読んで、最初に戻る。という寸法。上巻の233ページまでは、序と「本格小説の始まる前の長い長い話」があるのだ。しかし、失礼なことにこの方法は「知性と教養がなくても」絶対に楽しめる正しい読み方なのである。最初の部分には知性と教養のイガイガがあって最初に読むのは苦痛であろうというわけだ。ちなみに僕は最初の部分だけがおもしろかった^^;)

なぜ、人間は小説を読むのか。最近は小説を読むモードになかなか入れない。精神分析が必要なのかもね^^;)「本格小説」の最初の部分は小説らしくないのである。

最近、読んで感心した小説はジョー・ホールドマンの「ヘミングウェイごっこ」(The Hemingway Hoax)だが、他には「終わりなき戦い」が有名だ。このほうには日本語版への序文があるのだが、その見事さはヘミングウェイの「武器よさらば」の序文に似ている。ホールドマンはヘミングウェイの研究者であり、ベトナム戦争への従軍の経験を持っている。小説にリアリティを持たせるのは経験と経験から得られた知識である。奇想天外でもリアリティがなくては読書モードに入れない。「本格小説」の最初に置かれた長い長い話は著者の経験談でもあり、これは「日本語が亡びるとき」を読んでいるとわかるのだが、リアリティがあって胸に響くのである。

更新: 2009-05-16T00:45:30+09:00
5/9/2009 (Sat.)

松岡正剛著「情報は、ひとりでいられない。 EDITORIAL ENGINEERING 知の編集工学」(朝日文庫、2001年)再読ネタ。

物語を構成する要素(257ページ)をModel-View-Controllerフレームワークに対比させてみた。

物語とMVCフレームワーク
物語の五大構成要素Model-View-Controller
ワールド・モデル(世界構造)Model
シーン(場面)、キャラクター(登場人物)View
ストーリー(スクリプト、プロット)、ナレーター(語り手)Controller

ナレーターによって物語の見え方は大きく変化する。視点が変化するからである。MVCフレームワークにおいてもControllerを中心に組み立てる。ナレーターはスクリプトをワールド・モデルに従って解釈し、キャラクターやシーンをコントロールする。

ワールド・モデルにはシーンやキャラクターの可変性を支配する属性データが構造的に格納されている。ナレーターはストーリーとワールド・モデルに従って、シーンやキャラクターの属性値を変化させるのである。

前に、「多読術」のところで出てきた「単語の目録」と「イメージの辞書」についての説明があるので引用しておこう。

言葉の記号性がイメージを喚起する力をもっていることはわかった。では、そのような力をもった言葉をたくさんおぼえると、どうしてその言葉をつなげてつかえるようになるのか。

これはたいへん難解な問題で、ここで安易に説明するには気がひける。けれども、このあとの議論を進めるには、すこしだけでも説明しておいたほうがよさそうなのでここで言っておくのだが、私たちのアタマの中には、結局のところ<単語の目録>と、単語目録に対応する<イメージの辞書>とができあがってくるのだ。この<単語の目録>と<イメージの辞書>がそろうこと、これが言葉が実用的になるための第一段階である。

(27ページ)

もうひとつの要素、「ルールの群」と合わせて人間は言葉で連想ゲームができるようになる。すなわち、言葉を使えるようになる。

<ルールの群>はおおむねは「文法」とよばれているものにあたっている。が、じつはそれだけではない。ここでいう<ルールの群>とは、文法書に書いてある文法だけではなく、いわばテニス・ラケットの「使い勝手」のようにしてだんだん習得されたか、ないしは、もともと生まれたときから潜在していた「使い勝手」が浮上してきてつかうようになった文法なのである。

(28ページ)

.....

・・・しかも、この<ルールの群>には、言葉の順序だけでなく、相手の言葉を聞き終わるタイミングとか、ポーズ(間)のあけかたとか、イントネーションのつかいかたとか、状況に応じた言葉のつかいかたなども入ってくる。

(29ページ)

この際、「知の編集術 発想・思考を生み出す技法」(講談社現代新書、2000年)にある説明も引用しておこう。この本は僕が松岡正剛に最初に出会った本だ。

未知の情報というものはブラックボックスのようなものだから、その形、それがおかれている位置、その模様、ともかくいろいろなことを手がかりに推理をはたらかせるしかないものなのだ。ようするにさまざまな手がかりに総動員がかかっていく。

(229ページ)

.....

まず自分がもちあわせている「単語の目録」を持ち出している。これは自分がもっている単語集のことで、いわゆるボキャブラリーであるが、そのボキャブラリーのレベルにあわせて目録をすばやく点検することになる。ついで、その未知の情報がわずかに提供してくれる情報の様子をとらえて自分のアタマの中の「イメージの辞書」を繰り、そのイメージにあうものを検索しているということがおこる。それでも未知の情報の正体が見えてこないときは、その情報が記述されている構造に入りこみ、そこになんらかの約束事を見出して、これをヒントにしようとしている。これは「ルールの群」にあたって推理をしていることになる。

(230ページ)

本サイトの更新日記インデックスはいわば単語の目録である。それに対応した記事がイメージの辞書のようなものだろう。記事はルールの群によって記述されているということになろうか。

ルールの群というのは、ミンスキー流に言えば、commonsense/resourcefulnessかもしれない。問題は、チョムスキーのいう言語的想像力がコンピュータで取り扱えるかどうかなんだけど。

今後、言葉と物の関係の物語がどのように進化していくのかに大変興味があるのだが、現在、僕がその動向を注目しているのは、もちろんノーム・チョムスキーとマービン・ミンスキーのお二人と日本では松岡正剛、「論理と不確定性の統合はまだ先が見えない」と言われた佐藤泰介先生、そして、John H. Holland、確率的関係モデルのDaphne Kollerかな。プログラミング言語関係では、Larry WallとStevan Little、まつもとゆきひろさん・・・、オブジェクト指向プログラミングの新しい展開に期待している。

更新: 2009-05-10T00:04:01+09:00

つい先日の話、松岡先生が安部公房、大江健三郎、中上健次と並べて、聞きなれない名前を上げておられたのが気になって本屋で探し始めたのだが、名前は覚えてなかった。名前を見れば思い出すだろうとずーっと文庫本の著者名を追いかけた。「多読術」で見たのかなと思ったのだが、ちくまプリマー文庫は生憎置かれていなかった。

とにかく最近の作家のはずだし、前記の作家と並べるほどの技量・内容の持ち主である必要があった。ただし、それほどの人がいるとは僕は聞いたことがないし、覚えていられないほど、あまりよくは知らない名前であることがヒントだ。ほとんどあきらめかけた時、ピンときた。阿部和重の「ABC 阿部和重初期作品集」(講談社文庫、2009年)。本屋にあった阿部和重作品はこの一冊だけ。まだ、最初の方を読んだだけなんだが、奇妙な小説だ。阿部和重ゲーム化会議というあとがきが掲載されており、名前を明確に憶えているわけではないが、違和感がなく、これでおかしくはなさそうだ。

しかし、帰宅して「多読術」を何度もチェックしたが、どこにも記載がない。最近見た可能性のある机に残っている著作などをすべてチェックしたが、やはりない。うーむ、先日覗いたセイゴオちゃんねるかな。やはりない。夢か幻か・・・^^;)

後は検索しかない。「松岡正剛 阿部和重」で検索してチェックしていく。あるとすれば千夜千冊。Googleの検索結果の2ページ目に見つかった。松岡正剛の千夜千冊『サンクチュアリ』ウィリアム・フォークナーの最後。

その後、日本は日本なりに“強いロスト”を描くことになる。その大半は、戦後の、しかも高度成長に向かってからの、平均的な日本社会から外れてしまった“日本のヨクナパトーファ”を描いたものだった。それが安部公房・大江健三郎から始まって、中上健次からいま阿部和重に及ぼうとしているものである。

しかし、このページをなぜ見たのかも記憶の彼方に儚く消えている。数日前の話なのに・・・^^;)それはともかく、覚えていない阿部和重を判別できたのだから、すごい直観力・類推力だよなあ^^)v

記憶というものは、記録されたものがそのまま再生されるのではなくて、微小な断片というか、微かなイメージの形骸と現在との相互作用から推論で合成されるみたいなところがあると思う。

松岡先生がどこかで書かれていたのは、本を読んで理解するということは要約が作れることであって、そのような作業が重要なんだということ。サンクチュアリの要約などもまことに見事で圧倒されてしまう。要約までいかなくても何かネタの断片は少しでも残しておかないとクロニクルノートとしての意味がないかな・・・記憶だけでは頼りない。記憶は現実世界へのリンクのようなもの。過去を再現できるのは外部記憶のお陰なのである。

更新: 2009-05-10T16:38:14+09:00
5/6/2009 (Wed.)

アップルの新モバイルカテゴリ--「iPhoneとMacBookの中間」は実現するか:スペシャルレポート - CNET Japan経由New Gear from Apple and Verizon Wireless? - BusinessWeekネタ。

iPadは、640 x 480のディスプレイサイズ、重さは300g程度なんて、おもしろくもない予測話をしてもおもしろくないね。単にMacBook Airを四分の一にしただけなんだが^^;)

名無し犬

実は、この動きはソニーのPSP2と関連がある。PSP2 = iPadなのだ。極秘情報によれば、PSP2はGPUに現在のiPhoneと同じPowerVRを使い、CPUはP.A.Semi設計のマルチコアPowerPCだ。OSはMac OS X for PSP2なんだよね。

主人

ひょえー。それって本当なの^^;)/~ なんだか、これまでの話と少しズレが生じているようだが・・・PSP2はPS3のエミュレーションで動くんではなかったっけ・・・

名無し犬

それは今でもそうだろう。Mac OS X for PS3と言い換えるのも可である。我輩は無名犬ではない。名無し犬だ。細かなことは気にしないでよろしい。信ずるものは救われるではないか。もちろん、これも極秘情報だが、PSPのアプリはiTunes Storeに開設されるPSP Go Storeで販売されるのだ。これでアップルとソニーの提携は完結する。それはともかく、そう言えば誰かがアップルはソニーを買収してもおかしくないって言ってたなあ。確かにソニーのハードウェア技術を生かせるのはアップルかもしれない。

うーむ、エイプリル・フールは終わらない。あーいや、メイ・フールと言うべきか・・・

iPhone 3GとiPod touch、いま買うならどっち?:CNETどっち? - CNET Japanなんて、設問は無意味だよね。iPod touchにはiPhoneにあるGPSも各種センサー類、カメラもない。比較にならないというか。だから安いわけ。スペック的にはiPhoneしか選択のしようがないのだが、ケータイは別に持っているからいらないという結果に陥ってしまう。やはり、iPad=PSP2に期待かな^^)


更新: 2009-05-06T21:58:25+09:00

少し、TSNETでエディタを話題にした(Zedに組み込まれたLuaに関連して)ので、連想の元になった話を書いておこう。Ideas for Padre pluginsネタ。

PadreというIDE(Integrated Development Environment: 統合開発環境)のことに最近言及したが、完成度が高まってきたので、プラグイン・コンテストをしようということになっているらしい。その一つのアイデアリストがネタ記事である。

当然とは言え、既に単にテキストを編集するという話ではなくなっているわけだ。僕のZedへの関心もツリー窓やサブ窓の新しいインターフェースが実装されていることにある。もっともC/C++やJavaやFlashやHTML/PHPなどは既に統合開発環境を使ってプログラミングすることは普通らしい^^;)PerlでもActiveStateが出しているKomodoも有名だし、Eclipseを使う方法もどこかにあるはずだ。したがって、僕が言う「革新的なエディタ」とは、単なるテキストエディタどころか、高機能な、例えばWYSIWYGのIDEでさえ超えたものを指している。

それは何を編集するのか、世界を編集する。ここらへんで連想的には松岡先生ネタに転ずる^^;)

図書街ネタの続きだが、単なる書斎や図書館のアナロジーをディスプレイ上に再現することにはまったく興味がない。それはインターフェースの一部分にしか過ぎない。例えば、更新日記を編集する場合、ネタに関連して、これまでどんなことを書いてきただろうと検索することはよくある。その検索結果のリストは自動的にエディタ上に生成することができる。また、デスクトップCGIを使えば、ブラウザ上で結果のリストと文字列がマッチしたパラグラフを読むこともできるし、元記事を表示させることも簡単だ。その画面から記事へのリンクをコピーして日記に貼り付ける方法も常用している。しかし、記事を並列して表示させて比較することがまだできていない。ディスプレイが小さすぎるねという話題につながるわけ。もちろんデュアルディスプレイやマトリックス風に4画面、8画面ということも考えられる。・・・こういった問題意識が前の図書街のインターフェースのアイデアと関連しているわけだ。単なる夢を語っているわけではなくて、既に実現可能なことなのである。それをどのようにスマートに実現するかというところは夢だし、コストも場所も省エネルギーの問題も付随するわけだ。

それはともかく、元に戻ろう。本はノートである。辞書類、地図と年表が重要なツールとなる。本自体をディスプレイで読みたいかと問われると僕はNoなんだけど、ノートとして使うなら、松岡先生も考えておられるようにYesだろう。引用とメモだけでも十分という気はするけどね。それなら著作権の問題は生じないから現実的だ。すぐ実施できる。それが千夜千冊でもあるわけだけど。他の有用なツール、辞書的な機能、地図・年表を作成する機能も本サイトには組み込まれつつある。システム化にはまだ程遠いが・・・

そういった読書とWeb Reading、思索とデータ作成・管理、執筆・出版に必要な機能を実装したエディタが答えである。もちろん、Padreで言われているWebGUIという概念も重要だろうね。ここらの機能はGoogle、Yahoo、Amazon、Remember The MilkやTwitterなどのWebサービスがインターフェースであったりするのかもしれない。

Semantic Webという概念はComputer understandableということが基本にあるのだが、コンピュータを使うのは人間である。RSS/Atomが普及して、ブログなどのデータが構造化された。しかし、RSS/Atomが賢いところは、content::encodedを使って、xhtmlをそのまま載せることができるようにしたことだ。構造化しにくい部分はそのまま載せてしまうという柔軟性こそが、有用性・実用性を高めている。Webの基本はHTML/xhtmlにあり、単純に特定してカテゴリー化できるデータだけでは不十分であり、データ表現はデザインを伴うからである。

カテゴリー化の手法として、だいぶ前から注目している概念にMicroformatがある。HTMLの中に不定期に現われる特定のパターンをタグ付けしようという考え方である。本サイトでは、viewpointを地点写真については付与するように試みたことはあったが、手動でやるにしては面倒なので、中止している。写真にGPSによる地点データが付与されるようになれば、自動化が可能である。写真の取り扱いもCoolirisで使えるようにMediaRSS化することも課題の一つではある。このようにして、日記に含まれるすべての情報を組織化していくことができると、自然にすべての要素がネットワークで多様に結び合わされ、他の視点から編集することが容易になるだろう。

そんなことが頭の中で渦巻いている。

 僕が考えているのはもうテキストエディタではないかなとも思うのですけど、OSのようなものですね。結局、Windowsかもしれないのですが・・・統合環境ですね。統合させる糊がスクリプティング言語になっていくみたいな。

更新: 2009-05-07T09:49:59+09:00
5/5/2009 (Tue.)

多読術ではメインの話として展開されなかったのだが・・・松岡先生には、読書における哲学というか確信が三つあって、読書においては第一に思考や表現の流れの整流(アラインメント)が起る、第二に思考や表現の本質は「アナロジー」であり、「連想」であること、これが自分をイノベーティヴにしてくれる、第三に元気が出てくる源泉や領域は、必ずや「曖昧な部分」や「きわどい領域」や「余分なところ」であること。第一、第二については誰もが感じることだろうから、そうだよねと相槌を打てばよいわけだが、この第三の哲学がわかりにくい。様々な要素が多岐にわたって関連しているような感じがして、単純ではない。

ちょっとその最後の部分だけ引用しておこう。

このことを、ちょっと感覚的なことにあてはめて言いますと、「せつない」とか「残念」とか「失望感」とか「気持ちばっかりいっぱい」というものに当たります。つまり、ふつうは「負」の部分とか「際」の状態だと思われているところに、意味が創発してくるのです。ぼくは、そこがセンシティブであるからこそ、それをバネにしていいと判断している。

それが「負の想像力」や「フラジャイルな観察力」というもので、ぼくの読み書き世界の最もきわどいところで、たえず革新的な力を発揮しているところですね。

(167ページ)

松岡先生には『山水思想 ---「負」の想像力』(ちくま学芸文庫、2008年;原著: 五月書房、2003年)と『フラジャイル 弱さからの出発』(ちくま学芸文庫、2005年;原著: 筑摩書房、1995年)がある。

更新: 2009-05-05T23:42:13+09:00

連休の終わり、Uターンで混雑が続いているようだ。国道二号線のバイパスも宮島口への出口で渋滞していた。昼から、南区図書館へ。スーザン・グリーンフィールドというオックスフォード大学の教授が書いた「サイエンス・マスターズ11 脳が心を生みだすとき」(草思社、1999年)の目次がおもしろいので借りてきた。

  1. 脳のなかの脳
  2. システムのなかのシステム
  3. パルスとインパルス
  4. 細胞の上の細胞
  5. 心のなかの心とともに
  6. 結論 これからの期待

図書館の帰りに突然大粒の雨が落ちてきて瞬く間に路上に水溜りができた。仕方なく割れたプラスチック製波板のヒサシの下で雨宿り。雷も鳴っている。日傘ならあるんだけどというので、見てみると晴雨共用と表示されている。北から南へ黒い雨雲が広がっていくので、すぐに雨が止む見込みはない。小さな傘を二人でさして帰った。

images/2009/05/amayadori_P5050011s.JPG雨宿り

ヒサシから落ちる丸い水滴が写っている。



更新: 2009-05-05T21:36:28+09:00

Adobe Marketplace - Offering Detail: Remeber The Taskネタ。

images/2009/05/remember_the_task_2009-05-05.jpgRemember The Task

インストールして起動するだけで、自動的に読み込んだのは気持ちが悪かった。Remember The Milkにログイン状態ではあったわけだが・・・ブラウザのキャッシュでも読んだのかい?! おいおいと^^;) 無料で使える^^)

5/4/2009 (Mon.)

第12回Webさわり会議でFさんから紹介のあったRTM(Remember The Milk)。いろいろとおもしろそうだったので使ってみようとトライ。2007年の9月頃アカウントだけは取っていたらしいのだが、完全に忘れていた^^;)

iGoogle、Gmailやtwitterからも使えるらしいので、少し調べよう。スクリプタとしては、サービスをAPIから使いたいのだが、Perl、Ruby、Pythonの関連は古くなってしまっている。RubyではRoR上で動くアプリケーションもあるが、新しいRoRでは簡単には動作しない。WebService::RTMAgentは古くはないが、インストールが失敗してしまう。CygwinもStrawberry Perlもだめ。CPAN Testers: Reports for WebService-RTMAgentを見るとかなりの比率でFAILになっている。結局、メンテナンスが続いているPowerShellを使ってみることに、その名をIronCow!!! またもや、インストールネタ^^;)

IronCow - HomeからIronCow_0.4.13.0_bin.zipをダウンロードして解凍、IronCow.Poshフォルダ内のReleaseフォルダにあるファイルを一つ上のフォルダにコピーして取り出す。そこで、README.txtに書いてある指示に従って、PowerShell上でインストール作業を行う。下記のようになる。

PS C:\scripts\pshell\IronCow_0.4.13.0_bin\IronCow.Posh> Set-ExecutionPolicy Unrestricted <--セキュリティの解除
PS C:\scripts\pshell\IronCow_0.4.13.0_bin\IronCow.Posh> & Scripts\InstallScript.ps1 <--インストール
Installing IronCow.Posh...
Microsoft(R) .NET Framework Installation utility Version 2.0.50727.3053
Copyright(C) Microsoft Corporation.  All rights reserved.


トランザクションのインストールを実行中です。

インストール段階を開始しています。
C:\scripts\pshell\IronCow_0.4.13.0_bin\IronCow.Posh\IronCow.Posh.dll アセンブリの進行状態については、ログ ファイルの内容
を参照してください。
ファイルは C:\scripts\pshell\IronCow_0.4.13.0_bin\IronCow.Posh\IronCow.Posh.InstallLog にあります。
アセンブリ 'C:\scripts\pshell\IronCow_0.4.13.0_bin\IronCow.Posh\IronCow.Posh.dll' をインストールしています。
該当するパラメータ:
   logtoconsole =
   assemblypath = C:\scripts\pshell\IronCow_0.4.13.0_bin\IronCow.Posh\IronCow.Posh.dll
   logfile = C:\scripts\pshell\IronCow_0.4.13.0_bin\IronCow.Posh\IronCow.Posh.InstallLog

インストール段階が正常に完了しました。コミット段階を開始しています。
C:\scripts\pshell\IronCow_0.4.13.0_bin\IronCow.Posh\IronCow.Posh.dll アセンブリの進行状態については、ログ ファイルの内容
を参照してください。
ファイルは C:\scripts\pshell\IronCow_0.4.13.0_bin\IronCow.Posh\IronCow.Posh.InstallLog にあります。
アセンブリ 'C:\scripts\pshell\IronCow_0.4.13.0_bin\IronCow.Posh\IronCow.Posh.dll' をコミットしています。
該当するパラメータ:
   logtoconsole =
   assemblypath = C:\scripts\pshell\IronCow_0.4.13.0_bin\IronCow.Posh\IronCow.Posh.dll
   logfile = C:\scripts\pshell\IronCow_0.4.13.0_bin\IronCow.Posh\IronCow.Posh.InstallLog

コミット段階が正常に終了しました。

トランザクション インストールが完了しました。
Adding IronCow.Posh add-in to the current console...
Updating format data with IronCow.Posh.format.ps1xml...
IronCow.Posh is now installed in your console.
If you like it, you can add the Add-PSSnapIn statement to your profile so IronCow.Posh is enable everytime you start Po
wershell.
Before getting started, you need to authenticate IronCow.Posh with Remember The Milk, if you haven't done so yet. See A
uthentiationScript.ps1.

PS C:\scripts\pshell\IronCow_0.4.13.0_bin\IronCow.Posh> & Scripts\AuthenticationScript.ps1 <--APIアクセスの承認
Press enter after you've authenticated IronCow.Posh in your browser:

Successfully authenticated IronCow.Posh!
You can now start using the following commands:

Name                                                        Definition
----                                                        ----------
Add-RtmTask                                                 Add-RtmTask [-Name] <String> [-Priority <TaskPriority>] ...
Complete-RtmTask                                            Complete-RtmTask [-InputObject] <Task> [-Verbose] [-Debu...
Get-RtmAuthenticationToken                                  Get-RtmAuthenticationToken [-Frob] <String> [-SaveUserSe...
Get-RtmAuthenticationUrl                                    Get-RtmAuthenticationUrl [-Permissions <AuthenticationPe...
Get-RtmTask                                                 Get-RtmTask [[-Filter] <String>] [-IncompleteOnly] [-Ver...
Get-RtmTaskList                                             Get-RtmTaskList [[-Name] <String>] [-Verbose] [-Debug] [...
Test-RtmAuthenticationToken                                 Test-RtmAuthenticationToken [[-Token] <String>] [-Verbos...
Uncomplete-RtmTask                                          Uncomplete-RtmTask [-InputObject] <Task> [-Verbose] [-De...


PS C:\scripts\pshell\IronCow_0.4.13.0_bin\IronCow.Posh> Add-RtmTask "TSNETスクリプト通信第5号の発行"

PS C:\scripts\pshell\IronCow_0.4.13.0_bin\IronCow.Posh> Get-RtmTask -Filter list:"個人"

Name                                     List      Priority Due        Complete Tags
----                                     ----      -------- ---        -------- ----
TSNETスクリプト通信第5号の発行           個人      None                False

PS C:\scripts\pshell\IronCow_0.4.13.0_bin\IronCow.Posh>

Webサービスなので、APIを使ってアプリケーションを自作するというのもありだが・・・RTMは非常によく考えられている。素晴らしいねえ。

更新: 2009-05-05T09:01:53+09:00

「PSP2」の正式名称は「PSP Go」に?大容量メモリや高画質カメラなどを搭載か - GIGAZINE経由、New PSP Named “PSP Go”, Sony Might Unveil At E3 | Technology Blog新型ゲーム機や超大作ソフト登場か?ソニーが6月にゲーム事業に関する史上最大規模の発表へ - GIGAZINEネタ。

さて、最近PS3/PSPのファームウェアのバージョンアップがないので寂しい感じがしていたが、いよいよ何かが^^;)発表されるらしい。6月のE3(Electronic Entertainment Expo)に注目。

無名犬

ここで新型PSPの新しいスペックを発表しておこう。ワンワン^^)/~

  • キーボード、あるいはタッチスクリーンによるソフトウェアキーボード
  • GPS、加速度センサー、地磁気センサー
  • デジタルカメラ
  • 無線LANでSkype
  • PSP2 Linux(名前がよくないか^^;)
  • メインメモリ512MB

極秘情報によれば、実はPS3とPSPが統合され、かつPS3はパームトップ化される。PSPはパームトップPS3上のエミュレーションで動作することになるわけだ。ワンワン^^;)

主人

ということは、Cellが初めてケータイ機器で動作することになるわけだな・・・大丈夫かい、消費電力は!?

無名犬

これも極秘情報だが、ソニーとアップルが提携して、P.A.SemiのPowerPC互換コア集積技術CONEXIUMを応用した低消費電力Cellを搭載するのだそうだ。ワン^^)v

そういえば、エイプリルフールはもう過ぎたか・・・

更新: 2009-05-04T10:45:30+09:00
5/3/2009 (Sun.)

鈴木敏夫のジブリ汗まみれ - TOKYO FM 80.0 - 鈴木敏夫: 2009/04/12 パナソニックの柏木さんがれんが屋へ!鈴木敏夫のジブリ汗まみれ - TOKYO FM 80.0 - 鈴木敏夫: 2009/04/19 パナソニック柏木さんがれんが屋へ!(2)ネタ。ジブリ汗まみれのDVDが出るらしいんだが。

電脳空間カウボーイズのシンさんのつぶやきで知ったジブリ汗まみれ。30分のポッドキャストのmp3ファイルサイズが20MB程度、SUNTACのUSBラジオでエアチェックすると約3倍ぐらいのサイズになる。それはともかく・・・

戦後、電化製品が登場して、主婦の日常の仕事がなくなり、暇で目的を見失い鬱になる人が出てきたなんて難癖?を付けられて、パナソニックの柏木さんが発した言葉は、「物事が複雑になりすぎて、一人一人が携われることは全体の中のほんの一部でしかなくなっている。」、そんなことを僕に言われてもとは言わなかったが・・・科学技術の発展の結果、何が起るかは誰もわからない。そのようなことを見通して考えている人がいるのかどうかも定かでない。企業は、商品に付加価値を付けてなんとか売れるものを作ろうとしているだけなのである。当然だ^^;)

PadreというPerlのIDEがあるのだが、今、バージョンが0.34。Journal of Alias (5735): Saturday May 02, 2009 04:05 PM Vertical Metre of Beer 3 - The Padre Plugin Contest!を見て、前ちょっと触ったことがあるよな、もう一度試してみようとして四苦八苦。ActivePerlのppmを使ってインストールするとそのままでは動かない。どうもSJIS日本語のユーザーフォルダが問題みたい。アカウントを英文字のアカウントに移動して試しながら、足りないとエラーになるライブラリをさらに追加していくと動き始めた。それにしても、Padre自体のインストールの前提となるライブラリは61存在する。その他、Wx関係のライブラリも必要。以前試した時は、そんなに面倒だったという記憶はない。Perl関係のデイレクトリを調べているとStrawberry perlのportableにあった。パッケージで提供されていたのだ。総合的な理解と細部の理解のバランス、これが真の理解に到達するのにどの程度のレヴェルに達する必要があるのか。パッケージやモジュールを単に使うだけでは理解したことにはならない・・・実際、一つのライブラリで意味のある使い方をしようと思うとかなり調べる必要が出てくる。それでも意図どおりに使えなくてさらに調べているとその方法はパフォーマンスが悪いという情報にぶつかって、そうだよなあ、これまで通りの正規表現を直接使う方法でいいじゃないという結論に到達したりする。正規表現を使えば複雑な問題を柔軟に効率よく処理できる。

更新: 2009-05-04T08:19:29+09:00
5/2/2009 (Sat.)

Appleが独自プロセッサ開発を促進か - スラッシュドット・ジャパン経由、In Major Shift, Apple Builds Its Own Team to Design Chips - WSJ.comネタ。P. A. Semi買収が話題になったのは昨年だったか{林檎の上の意味論 (2008/04/26)}。

さて、久し振りの林檎ネタだが、あまり情報はない。WSJの記事によれば、iPhone、iPodの高性能化、省電力化が目的の話のようだ。モバイル・デバイスは今後のコンピューティングの主戦場になっていくのだろう。

4月末の鎌倉旅行で、東海道新幹線N700系で無線LANが使えるようになったのをPSPで確認した。@nifty契約のBBモバイルポイントは接続できた。@niftyホットスポットは接続できなかったが、@niftyのページにもBBモバイルポイントを使うように記載がある。PSPは今のままではモバイル・デバイスとしては力不足だ。Wemo for PSP®に接続して入力してみたが、実用的な入力装置として使えないなあと思った^^;)カーソルを動かして文字を選択するのは効率が悪すぎる。ばかばかしくなって、すぐにあきらめた。窓際にコンセントがあるのは大変便利なんだけどねえ。カードにメモるほうがはるかに効率的、実用的だ。紙媒体とコンピュータは思考を相互補完する関係にある。コンピュータの役割は通信、コミュニケーション、情報の検索・収集・作成・表現・編集・整理・出版・蓄積かな。思考を助ける働きがある。コンピュータ上に編集・表現されたものを紙に印刷して、書き込んだり、マークしたりして考える。そんなことをしながら、メモや書物なども含めて、コンピュータに編集入力していく。そういったことの繰り返しで、思索は進行し、深まっていく。モバイル・コンピューティングもそのようなプロセスに役立つものになってほしい。そのためにもっとも重要なものは入力編集ツールだろう。エディタだ。もちろんかな漢字変換を伴うことは言うまでもない。そして、httpサーバーとスクリプティング言語が動くことが必要だ^^;)ノートPCやNetbookを使えよと言われそうだが、パームトップでそうありたいと思う。

iPod Shuffleは手放せないモバイル・デバイスとなった。電池の持ちも大変よい。本体も小さいから、電池も小さいだろうが、今まで切れて使えない場面に遭遇したことがない。カタログ上は10時間ぐらいもつことになっている。一日2時間ぐらい使うとして一週間は持つ感じ。妥当。PSPの電池のもちは悪い。ディスプレイも大きいし、仕方がない部分はあるのだろう。Appleの次の一手はそういった基本的な部分ではあるが、大切な部分の地道な改良なのかもしれない。

更新: 2009-05-02T23:42:02+09:00
5/1/2009 (Fri.)

少し前にアマゾンから案内が届いていた松岡先生の「多読術」。気にはなっていたが、何の関係か、多読術/松岡正剛:DESIGN IT! w/LOVEを読んで、引用部分に迫力がないねと感じて、どのような本か確認するために奇異国屋書店に昨日出掛けた。

最初の方を読んで、これは買いだねと思ってすぐ購入。もう読み終えた。編集者のインタビューで構成されているのだが、対談と同様読みやすい。でき立てホヤホヤの筑摩プリマー新書、205ページ、800円也。

松岡先生でさえ、読書モードに入っていくのは大変らしい。読みやすい本ばかりではないからだし、読むべきだが、特に読みたいわけではないような場合も有り得るわけだ。自分を宥め賺しながら読みにいく。無理矢理に読むのではなくて、その本を読む読書モードになるように調子を工夫する。親近感が湧いた。肩肘を張らない読書術の奥義を見る思いがした。書物や本が好きなんだ。この本には自然体の松岡正剛がいる。多読するためには、読もうとする、読むべき、読みたい本があることと、いかに読書モードに入れるかということが重要である。本を読む切っ掛けとして、本をプレゼントされたり、人からリコメンドされたりすることは大切なことなのだそうだ。読む本が次々と連鎖的に生まれることが結果的に多読につながるという。多読することが目的ではない。キーブックにぶつかることを期待しながら読み続ける。時には趣向を変えてみる。読書モードを切替えてみる。新しい世界にぶつかるかもしれない。キーブックの最後にフーコーの「知の考古学」と「言葉と物」が上げられていた。いつか、もう一度戻らねばとは思うが、今は読書モードのギアが他のところに入ってしまったね^^;)

編集工学は「ルールの群」を、「単語の目録」と「イメージの辞書」に対応させているという。ルールの群という言葉からはクラスのメソッドを思い浮かべてしまうのだが、単語の目録とイメージの辞書がオブジェクトになるのだろうか。様々な連想をさせてくれる。「知の編集術 発想・思考を生み出す技法」(講談社現代新書、2000年)と「知の編集工学 情報は、ひとりでいられない。」(朝日文庫、2001年)を再読しようか。

図書街の話も出ているが、書物をPC上で閲覧するというのは松岡先生も言われているように現在のディスプレイでは無理な話なのである。机ぐらい広いディスプレイで何冊か広げて閲覧できるようにする。そして書棚が背景に見える。書棚は簡単に切り替えられるし、配置も好みにしたがって自由自在なシステムである。書棚の本の背表紙にワンタッチすると素早く広げることができる。ワンタッチで元の本棚に戻す。ドラッグで本の表示位置は変えられる。本の立て方も自在の傾きを選べ、3次元的にコントロールできる。書棚も近くに引き寄せたり、遠ざけたりできる。そんなのが欲しいねえ・・・。現在の日記記事もそのように取り扱えると楽しいかも。

更新: 2009-05-05T08:43:51+09:00

4月25日土曜日に月1回の例会があった。毎月1回だから結構なペースだ。今回はParrotの状況について話す予定にしていたのだが、いろいろ触ってみて、まだRakudo Perl 6のパフォーマンスをどう捉えてよいのかよくわからないし、Unicodeの実装についても正確な情報がなかったので、それならと「Ruby入門」を話すことに転換した。Parrotはおまけになった。時間は45分だし、終わりはきっちり区切られているので、細かな話はできない。雰囲気を感じてもらえばよいというスタンス。

もっとも、僕にRubyについて話せるかということになるわけだが、NokogiriとRuby on Railsのインストール話ならできるかなということで、そのような話の構成にして、RoRの簡単なデモを加えた。「RailsによるアジャイルWebアプリケーション開発」(オーム社、2006年)の第4章までの第一部に相当する内容をWindows上で実現するというお話。デモではNokogiriをRoR上で動かした。

話終えて席に付くと、休憩の間にIさんが4点ばかり聞きたいと挨拶に来られた。後でカフェ・ベローチェ(袋町店)で話をしたのだが、技術にも詳しい方だ。四つのうち、一つは「Closureって何なんだろう。ものの本で説明を読んでも今ひとつピンと来ない。」、もうひとつは「正規表現」、そして、「RoRのappディレクトリにあるmodels、views、controllersに加えてhelpersというディレクトリがあるがどういう役割を果すのか。」、もうひとつは「スクレーピング」についてだったかな。

Closureについては僕の話からなぜそのような話が出てくるのか、最初ピンと来なかったのだが、後で考えるとRubyのイテレータについて言われたのだなと思った。イテレータがClosureを使っているとわかるのだから、僕よりよくわかっているじゃない^^;)まつもと・石塚共著の「オブジェクト指向スクリプト言語Ruby」(アスキー出版局、1999年)にはクロージャという用語は出てこない(索引には少なくともない)。代わりにブロックという用語が使われている。同義語なのである。Iさんはオブジェクト指向モジュールのMooseをご存知だったので、Perlユーザーであることは間違いない。それでClosureという表現を使われたのだろう。

オブジェクト指向スクリプト言語Ruby(アスキー、1999年)のRuby用語集を調べているとクロージャが記載されていた。

クロージャ

手続きオブジェクトの別名。閉包。一連の手続き(文のまとまり)とその文脈でのローカル変数などの状態を閉じ込めているのでこのように呼ばれる。

手続きオブジェクト

メソッドに渡されたブロックをオブジェクト化したもの。クロージャとも呼ぶ。

(2009-05-17)

PerlにもClosureがある。Simon Cozensさんがperl.comにAchieving Closure(2002年)という記事を書いている{プログラミングPerl第3版の第8章リファレンスにクロージャに関する詳しい説明がある(8.3.7クロージャ)}。Perlスクリプトの開発用デイレクトリに、以前、記事のサンプルを試したスクリプトが残っていた。Closureを理解したいならこの記事を読むとよい。簡単な例から書かれていてわかりやすい。Closureは、Perlで言えば、サブルーチンのレキシカル変数の状態を同封して(enclosure)してサブルーチンのブロックのスコープから外に持ち出せるという意味を持っている。Cozensさんは、Barrie Slaymaker氏がClosureをInside-out objectと呼んでいることにも言及している。インサイド-アウト・オブジェクトはデータに結びついたサブルーチン(メソッド)を持つデータだからであり、クロージャはサブルーチンに結び付けられたデータを持っているからである。

RoRについて触っていて、押さえる必要があると思ったことは二つある。一つは、RoRがコントローラのアクション(クラス)とメソッドと引数をURLでアプリケーションに伝える仕組みになっていること。僕はこれがどのように実現されているのかということを知らなかった。当日たまたまRoRと同様のMVCフレームワークを持つCakePHPについても説明があったので話題にした。すると、Iさんがリライトツールというものがあって、それがインストールされているかどうかが問題になる場合があると教えてくれた。サーバー側の機能になるはずだと思った。

RoRは、サーバーをMongrelがインストールされていれば優先して使い、なければ標準配布に含まれるWEBrickを使う。Apacheなどの他のサーバーも指定できる。RailsはRackという抽象化されたWebサーバーインターフェースを使用しているので、MongrelやWEBrickなどのRuby系Webサーバーを使う場合には、URLのrewriteは自前で処理しているようだ。Apacheなどを使う場合は、サーバー側でrewriteに対応する必要がある。Apacheの場合は、httpd.confのrewrite_moduleのLoadModuleの行のコメントを外しておく必要があるし、URLの変換ルールを記述した.htaccessの設定などが必要だ。設定の詳細はRailsのライブラリがインストールされているディレクトリにあるREADMEを参照すること。CakePHPのインストールは配布物を展開してコピーするだけだ。CakePHPをインストールしたディレクトリを調べていくと、予想通り.htaccessが配置されていた(ディレクトリによって表現が変えてある)。

RoRのもう一つの謎、コントローラのアクションスクリプトはクラスが記述されているだけでアプリケーションとしてなぜ動くのか。これはRailsのgeneratorsがコードを生成しているかららしい。アプリケーションの記述をシンプルにするために背後では複雑な仕組みが動いている。

今回の会議は大変勉強になった。コミュニケーションがいかに大切かということだ。話しかけてもらうとうれしいし、どのようなことにみんなが関心を持っているのかがよくわかる。クロージャについて再度調べる機会になったし、サーバーにURLのリライトツールが存在するという情報をもらえるだけで、疑問が氷解した。僕自身のデスクトップCGIはまだフレームワークというレヴェルに達していないかもしれないが、MVCのモデルからかけ離れている。Wemoを含めてどのような方向性を目指すべきなのだろう。モノまねしたっておもしろくもなんともないし^^;)Perlのフレームワークも調べてみようという気持ちになってきた。比較してみないとよさもわからないからね。

更新: 2009-05-17T09:38:19+09:00
| 2009年4月 | Monthly Index(2009年5月) | Timeline
2001年版 | INDEX | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2002年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2003年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2004年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2005年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2006年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2007年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2008年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2009年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4

(C)jscripter