Apple Making Internal Use of 'iCloud' Name With Beta Software Builds? - Mac Rumors。昨日に続くアップルネタ。いよいよ、MobileMe後継サービスの登場か。
このネタには昨年から何度も言及しているので、読者諸賢からはまたかという感じではなかろうか。さて、あの巨大データセンターはどうなるのか、どう使われるのかというわけだ。この春稼働と言いながらももうすぐ夏も近づく八十八夜・・・
実はパーソナル・クラウドとしてはフリービットのServersMan@VPSをServersMan@iPhoneなどと一緒に使いこなしも考えてみたいなとは思っている。しかしながら、アップルのサービスの完成度は半端じゃないし、iTunesとの連動を考えると、やはりアップルのサービスかなと思ったり。
後で、iPad2を手に入れたらまずDropbox系アプリ - W&R : Jazzと読書の日々に関連して書く。これから娘たちと散歩。
フリーウェアの数はiOS用より、Androidのほうが多いという記事。Distimoレポート:Android用無料アプリケーションの本数、iPhone用の本数を上回るネタ。
ふーんと言うしかないわけだけど、iPod touchのような安くていいマシンはないかな。
Comparison of Android devices - Wikipedia, the free encyclopediaに詳細なリストがあるので、大変参考になる。
iPad に母艦は必要か ? maclalala2ネタ。ツィッターにも少し書いたが、久しぶりのアップルネタ。
iPadに母艦が必要かという観点は、iPadは十分にPCやMacに置き換えうるものであるという認識から来ていると思う。最早、統計的にもPCの一種としてカウントされる場合もあるぐらいだからだ。
iPadに母艦が必要な理由は記憶容量にある。これはPCやMacにおいても同様の問題があることは明白だ。そして、クラウドにしても同じことで、どのデータをどこに保持するのかという問題についての解はまだ存在していない。特に記憶容量の小さいiPad(16-64GB)において母艦の必要性は当面の問題である。
しかしながら、今やあらゆるコンピュータがネットワークに接続して使われることから、iPadに母艦が必要かどうかという観点などほとんど無意味なように思える。あらゆるコンピュータはシームレスにつながり、必要なデータを交換し、利用し、加工し、保存できる必要があるのだ。いずれデータストレージはバックアップのための集中型のストレージとコンピュータに保持される分散型のストレージに分化していく。集中型のパーソナル・データストレージはネットワークに存在し、あらゆるパーソナル・デバイスからアクセスして利用できるようになる。PCやスマートフォンなどのデバイスは多様な分散型のストレージを持ち、パブリック・クラウドなども利用しながら統合的なストレージ管理を行うようになるだろう。これは真にパーソナル・クラウドを構成することと同じことになるだろう。
そこで、アップル、WWDC2011を6月6日に開幕へ--iOSとMac OSの未来を披露 - CNET Japanに注目することになる。Mac OS XとiOSの融合がiPadにとっての未来だろう。現段階では、iPhoneの大型版に過ぎないが、いずれMacBook Air並のスペックを搭載して、アップルのタブレットMacの役割を担うかもしれない。
もちろん、タブレットコンピュータでなくても、マジック・トラックパッドを使えばiOS用のアプリを、あるいは未来のMacのアプリを同様の操作方法で扱うことになるかもしれない。既に役者は揃っているのだ。
予約していたRadioheadの新作、「The King of Limbs」のLP(12インチ)が、2回の発送日の変更通知の後、ようやく先日(4/15)届いた。開けてみて、LPを取り出して驚いたのが、レコードが部厚いこと。剛性が高く、昔のLPのようにふにゃふにゃしていない。なるほど最近ではデジタルに対抗してアナログLPも音質にこだわっているのかと。
今日、ツイートを眺めていると、180g重量盤LPという言葉に気がついた。The King of LimbsのLPの重さを調理用の秤で測ってみると200g程度ある。昔のLPは120-130gぐらいだ。なるほど、これがそうなのか。
200g盤LP: The King of Limbs昔のオーディオの友人から、「耳の良いFさんが今やCDがLPの音質を超えたと言っていたよ」と昨年聞いたばかりだが、LPも進化を始めたのかもしれない。LPについてWebでいろいろ調べてはいたのだが、ほとんど情報がなく、もうLPは終わりかと残念に思っていたのでうれしい。Webで180gLPで検索してみると、いろいろと出てきている。まだポピュラーな勢力にまでには育っているようには思えないが、メジャーなRadioheadが選択肢を提供すれば普及する可能性はあるだろう。なにしろ税込1243円であることも僕のお買い得感を煽ったのだった。輸入盤のCDは1668円、日本盤が2490円。そして、後で述べるが、MP3データのおまけ付きだったのだからめちゃくちゃなサービスだったということ。MP3データ自体が1200円で販売されているはず。発売日から半月遅れだったからのサービスなのかな。
深みのあるカチッとした音が出ているように思えるが、はて、人間の感覚は環境や気分に依存するので、何度も確かめないとなんともいえない部分がある。
実はLPが届くと、デジタルデータ(MP3)のダウンロード先が記されたカードがジャケットに入っていた。iTunesに読み込むとアルバムのようにジャケットの画像データも自動で入る。Apple TV経由で同じオーディオシステムを通して聴いてみる。少し薄味のような気もしないではないという感じだが、普通に聞いてそう大きな差があるわけではない。実際には音楽そのものがどうかということのほうがはるかに重要だ。
本もそうだと思うが、デジタルと物としてのメディアがセットで供給されることが大切だと思う。それも低価格で。Radioheadはそれを達成している。
昨晩、震災で焼失したお寺の四十九日の法要がテレビで流れていた。亡くなられた方々のご冥福をお祈りしたい。我らは日常に戻って、日本の活性化に勤めなければならぬ。うっかり忘れそうになっていた^^;)数々の仕事も思い出し、この一両日昼休みも食事時間の10分だけにして、なんとかこなしてゴールデンウイーク初日に突入した。「小林秀雄の恵み」を読みかけ。橋本治氏は小林秀雄の著書は「本居宣長」しか読んでいないと言いながらも、その他の著書を上げている。そのうちの一つが「人間の建設」である。
最近、長らく姿が消えて寂しく思っていた古い文庫がようやく装いを替えて本屋に並びはじめた。出版社も古い本が売れることに気が付き始めたのかもしれない。あらゆるメディアにおいて個人の時間をどれだけシェアできるかという問題が顕在化している。人間の処理能力に比して、情報量が多すぎるのだ。本も同じ状況にある。何を読むのかはほとんど偶然に支配されているとも言えるし、芋づる式に必要なものを読んでいるとも言える。が、いずれにせよ、手に届くところに大量の本が存在している。しかしながら一生に読めるあるいは手に取れる本は高々10万冊なのである。実際に読める本は五千冊もあれば多い方ではと思っている。
それだけ、文化的には豊かになったと言えるだろうと思う。読みたい本はいくらでも見つかるし、下手をすると人の書いたものを読むだけで一生を終わることになりかねない。それも一つの人生なのかもしれない。
「人間の建設」は小林秀雄と数学者の岡潔の対談で、1965年(昭和40年)の10月に新潮に掲載された。昨年(2010年)、茂木健一郎氏の『「情緒」を美しく耕すために』という解説を付けて再刊された。
「小林秀雄の恵み」では、ベルグソン論である「感想」の中絶について述べる部分において「人間の建設」が引用される。なぜ、5年も連載した「感想」を中絶したのち、2年後には微妙に類似する「本居宣長」を開始できたのかについて考える行の最初のほうである。次の対談部分の小林の発言が引用されている。
岡 ベルグソンの本はお書きになりましたか。
小林 書きましたが、失敗しました。力尽きて、やめてしまった。無学を乗りきることが出来なかったからです。大体の見当はついたのですが、見当がついただけでは物は書けません。そのときに、またいろいろ読んだのです。そのときに気がついたのですが、解説というものはだめですね。私は発明者本人たちの書いた文章ばかり読むことにしました。
岡 どうして解説書という妙なものが書けるのか不思議なくらいです。
小林 自分でやった人がやさしく書こうとしたのと、人のことをやさしく書こうとするのとでは、こんなにも違うものかということが私にはわかったのです。
岡 それはいいことがおわかりになりましたね。それはだめにきまっていると思います。
(「人間の建設」、65ページ)
「それはだめにきまっていると思います」と言われた小林はいくばくか傷ついたと思われるがこの後話を転じている。「感想」の後半は単なる解説のようになってしまったということだろう。これについては僕は「ベルグソンと小林秀雄」で言及している。[小林秀雄]言葉と物 CII - 感想 (2008/01/12)の記事。
「人間の建設」というタイトルがちょっと何を意味しているのだろうと考えてしまうわけだが、結局、対談の主題は、「理論とか体系という考え方は西欧のもので、日本にはなかった。日本では情緒を通して物を考えることが基本にある」ということになる。そして、人間の自己教育というところに立ち返ってみる必要があるのではないかと。
異なる複数のiTunesを運用している場合、例えば、WindowsとMacの両方を使っている場合に同期を取れると大変便利である。iPod touchとの同期はどちらかに決める必要があるからである。iTunesとiPod touchで同期を取ると、PC/MacのiTunesに合わせてしまうからだ。iTunes間で同期が取れているとどちらでも問題ないのかもしれないが・・・まだ、そこまでは確かめていない。もちろん、iPod touchで購入したものは、PC/Mac側にバックアップされるけれども。
村上龍著「限りなく透明に近いブルー」の電子本をiPod touchで購入しようとすると、データが100MB近くあるせいか、ダウンロードはPC/Macでしかできないというメッセージが出てきた。なんとかなるだろうとPCでダウンロードしてしまって困ってしまった。いつもMacで同期するようにしているからだ。Webで調べてもよくわからない。
ホームシェアリングできるようになったのだから、なんとかならないのかなとホームシェアリングを調べ始めた。共有のライブラリをクリックすると展開されてAppの項目が出てくる。あっ、これはいけそうだと思った。「設定」を調べると新しく購入した項目を自動的に転送というポップアップにAppなどをチェックできるようになっている。チェックして「読み込み」をクリックすると、あっさり転送された。MacにiPod touchを同期させると完了。
政治の混迷が深まっている。原発の問題もクリアではない。しかしながら、そのような認識も妥当かどうかもよくわからない。いろいろな断片的情報を基にそう感じている。
原発や放射能の問題をTwitterでだいぶ取り上げて、フォロワーの数が一日で40名増えたのにはびっくりした。みんな心配されて情報収集を進めておられるのだなあと思った。僕自身も震災・原発問題に関連して相当な数のフォローを増やした。状況・現実をリアルタイムで把握するためにはTwitterほど便利なものはない。
現時点では、追加すべき新しい情報は明確になっていない。閉鎖系冷却循環システムの実現は見えておらず、放水による開放系冷却に伴う放射能汚染水の大量発生と高濃度放射能汚染水の処理の道筋はやはり見えていない。誰も冷却のためにどれくらいの放水が必要で、放水量に応じた汚染水処理をどうすれば可能なのかを示そうとしていないように見える。今のところ、僕の認識を超えるような新たな情報はない。
もう一点、汚染水の問題だけでなく、大気中への放射能の放出についてもasahi.com(朝日新聞社):3月15日にはレベル7相当 放射能放出量、安全委試算 - 社会のような記事や話題が出始めているが、今後にどのような影響を及ぼすのか不透明なままだ。
状況・現実を把握することは簡単ではない。Twitterだけで十分だというわけでもない。フォローの数が多いとリアルタイムのタイムラインを見るだけでは系統的な把握は困難である。フォローの数が少ないと情報収集のツールとしては不十分である。検索が最後には重要になると思われるので、Twitter上での検索を含めて今後は試していくことになる。
最近、tw_read.plというTwitterツイート保存・検索ツールを作っている。ツイートは3200以上の保存は保証されないことになっているようなので、情報として活用しようと思えば、ローカルにダウンロードして保存する仕組みも必要だからだ。さらには他の情報と関連付けたり、まとめたりする仕組みも必要である。Twitter上ではリストの設定は20が上限である。これを拡張するような仕組みもほしいところだ。要望があれば寄せて欲しい。最新の情報は前述のtw_read.plのページで公開する予定である。
なんとかまとめた・・・さて、次号に向けて何を作るかな。
まあ、せっかくディレクトリも年別、月別、ユーザー名に分けたことだし、期間指定検索とか、複数ユーザー横断検索とか。その前に複数ユーザーの巡回スクリプトは必要かな。
検索結果のツイートにさらにメモを付加するとか、新たなツイートをするとか。いくらでも考えられるが・・・
ツイッターは最新情報収集の方法として大変有用だ。検索する必要もない。ホーム・タイムラインを見るだけで世の中で何が起こっているか(すなわち、みんなが何を見つけたか、そして何に関心を持っているか)が大体わかる。ある意味、公開された興味なのである。
疲れている。けど、いろいろと一杯考えている。しかし、それを詳細に記すことができないもどかしさを解消しようとするよりも眠気にあっさりと負けて寝ている。それの繰り返し。「TSNETスクリプト通信」第12号の記事も機械伯爵氏とysa氏の原稿は集まったので、後は僕が記事を書けば刊行できる^^;)なんとか来週日曜ぐらいに刊行したい。表紙写真も一応考えた。「よしおさんとロボ太」は最終回になるかな。自分の記事は続編になるので、前の記事を読み直すために、第11号をフルカラーで両面印刷して読んでいる。まあ、そんなところで過ごしている。本は山のように買っているが、話題にする前に下積みの本は存在さえ忘れ去られている。
底の本は今井むつみ著『ことばと思考』(岩波新書、2010年)。第五章に「ことばは認識にどのように影響するか」がある。言語情報は記憶を変えるらしい。著者は認知科学、言語心理学、発達心理学の専門家である。序章が「ことばから見る世界」となっていて興味深い。まだ、目次やページを捲って触っていただけ。
最も上の本が、橋本治著『小林秀雄の恵み』(新潮文庫、2011年; 新潮社、2007年)である。橋本治という作家は初めて読む。これまでは関心の領域が重ならなかったが、興味のある作家だった。「窯変源氏物語」という奇妙な(らしい)本(橋本治愛読エンサイクロペディア 窯変源氏物語12巻)を書いているので興味があるのだが、この本もなかなか変わっている。何度も「本居宣長」を読み返していて、これだけ詳細に読み続けた人は橋本治をおいて他にいないだろう。
小林秀雄といえば、「モオツァルトを読む」を書いて以来、「ベルグソンと小林秀雄」を書き、そして「本居宣長」に取り掛かって、だいぶ以前に最初のほうで中断している。モオツアルトとベルグソンはそれぞれ1000件以上のダウンロードがある。ベルグソンの最後の方には本居宣長も出てきている。更新日記で本居宣長を検索するとかなりあるのでリストアップしておこう。
この記事は長くなりそうなので、ここで一休み。しばらく自分の思索の跡を辿ろう。
地震と原発、そして日常を揺れ動く。帰宅時、12℃。少し肌寒い。もう選挙結果のことなど忘れている。ツイッターで気がついてTVタックルにチャネルを回したが、わけのわからないみんながほとんど白けた最後の部分だけを見て、何をやってるのと思う。
計画的避難区域が設定され、飯舘村などが含まれた。村長のやるせなくももう一度気力を奮い起こさねば責任が果たせないとの言葉・・・
ryugo hayano - 4月5日-7日に福島県内で大規模に行われた校庭などでの線量率測定結果を国立天文台(水沢)の@Ishihara_Y さんが可視化なさったもの http://bit.ly/hqALXz の画像を貼らせていただきます → - Original Photo | Plixiが区域設定の根拠!? Full Sizeで見ること。
無常にも続く余震。福島第一原発の外部電源が50分間遮断。さて、先が見えるはいつのことになるのやら・・・お母さんは、毎日、祈っていますと。
地道に進んでいくしかないけど・・・
今日は昼から選挙投票経由で黄金山の花見に出掛けた。気温20℃。頂上に至る坂道を混雑を辛抱して車で登っていく。ときたま歩いて登れよという登山者の冷たい視線もあるが、車列は続く。道路巾の広いところには途中に車が止めてある。あきらめてUターンする車もあり。頂上に辿り着けば、待って止めることは可能なのだ。時間と根気があれば登っていくこと。
頂上近くの駐車場の周りにある桜の巨木の幹に二匹のかわいい子猫が寝ていた。デジカメのビデオ録画機能を使って撮影。もう少し高画質で撮影すればよかったと悔やんだが後の祭り。Picasaで編集して、初めて、YouTubeに投稿してみた。
広島の桜は例年より一週間ぐらい遅れて四月に入って咲いた。桜も自粛モードに入ったのだろう。被災地は三十日目に入った。テレビでは東松島市長が明瞭な語り口で当面のビジョンを語っておられた。地元行政の現場の疲労は高まっているが、まだまだ苦労が続く。自衛隊や米軍も含め、ご苦労様と言うしかない。
震度6強の余震が起こり、東北各地の原発の外部電源が一時的に遮断されるなど、福島第一原発の心配が増幅され、テレビにおける原発の危険性についての言説も次第に制約が弱くなっているようだ。福島第一原発では「低濃度」放射能汚染水の放出がやむ終えない措置として実施され、緊急事態が継続している。飛散・漏水のないなんらかの閉鎖系循環による安定した冷却ができるような状況に持ち込めるのかはまだ見えていないように思える。今日はテレビで現場からの直接の報告がないことについての指摘があった。現場は大変だろうと誰もが心配をしているよ。
既に廃炉までのプランを原子炉製造各社グループは提出したと聞く。現在の状況を乗り越えるプランを含むなら早く公表して欲しいものだ。
高濃度の汚染水をタービン建屋から取り除くことと原子炉への真水の注入による冷却とは追いかけっこになっているような気がするけどね。
炉心溶融してしまった福島原発の現状と今後| nikkei BPnet 〈日経BPネット〉。もう起こることは既に起きてしまったということなのかな。もう少し確認は必要な気もするが・・・
しかしながら、いずれにせよ、簡単ではないなあと素人ながら思ってしまう。
FNNニュース: 福島第1原発事故 2号機取水口付近の海に流れる水から国の排出基準の1億倍のヨウ素131を見るとねえ。閉鎖系の循環冷却が難しいとなると・・・
ソフトバンク孫さんのUST中継対談を見ていた。その間にソフトバンクのプレスリリースがツイッターでも報じられた。孫さんが個人で100億円を寄付し、今後ソフトバンクで引退までに受け取る報酬も全額寄付するという。
後藤氏、田中氏の原発の圧力容器・格納容器の説明は理解していた内容にほぼ合致していた。大気中の放射線の量が次第に低下しつつあることは、水の注入によって、ある程度原子炉の冷却に成功しつつあることを意味していると思われるが、高濃度の放射能に汚染された水が海に流れ出ていることが今後の問題になるだろう。したがって、冷却水の閉鎖系循環で冷却できるようになることがあらゆる問題の根本的な解決につながると思われ、実際上、現場の努力や関係者の協力に期待するしかないだろう。
短期的には放射能汚染水を貯留できる体制を構築できるかどうかが問題になり、中長期的には貯留した水を冷却のために再注入するなり、放射能レベルを下げるために浄化するようなことを目指さざるを得なくなるかもしれないわけだ。
まだまだ予断を許さない状況が続くだろう。
東日本大震災と政府が命名したようだが、東北地方太平洋沖地震による被害は誰にも大きな衝撃を与えた。松岡先生も例外ではなかった。僕はようやく今日気がついた。千夜千冊をしばらく覗くのも忘れていたわけだ。1405夜から1408夜まで四夜連続の番外録。
さきほど、漂流していた犬が救助されたことが報道されていたが、復興に向けた動きの中で新たな障害も浮上している。汚泥やアスベストを含む粉塵などの存在。災害の現地はまだまだ苦闘が続く。
ジャニーズ事務所の災害支援プロジェクトのイベントでは今日は12万人が募金に並んだそうだ。僕も今日はささやかながら、iTunes Storeで「Songs for Japan」を購入して、ビートルズのイマジン他の38曲を聴きふけった。アップル、レーベル各社、アーティストの受け取るすべての収益金は日本赤十字社に寄付されるそうだ。
東北地方太平洋沖地震が起きて、更新日記十周年のこともすっかり忘れていた。2001年3月24日に更新履歴の分類で「更新日記」というタイトルの記事を書いたのが、本日記の出発点である。分類は後付であったような気もするが・・・まだ、インデックスはなく、従って記事への直接のリンクもない時代である。
最初は日記を書く習慣もなく、更新履歴に加え、思いつきでWebで調べたことなどを少しずつ書き始めた。元々「TS Networkのために」というテキスト処理とスクリプティング言語に関する話題を取り上げるサイトとして1998年ぐらいにスタートしていたものの更新履歴を残すのが日記を書くきっかけであった。途中で、サイト自体を日記主体に転換し、日記をベースにして、時系列的な情報の収集を図ることにした。最新の情報・話題を日記のトップページに常に表示できるからである。現在のブログの走りである。
さらに2002年の7月から、更新日記に「日曜プログラマのひとりごと」というタイトルを付けることにした。なぜなら、話題自体がテキスト処理やスクリプティング言語から離れることが多くなったからである。
長々と書いているわけにもいかないので、結論に到達しよう。今や、更新日記は現在を記録するだけでなく、過去を更新する日記になり、過去を変えれば未来を変えうるという理論を実践する場となりつつある。過去は観念的には存在しているのだが、記憶の中にある過去は探ってみると極めて曖昧なものだ。過去を発掘し再定義することが必要だ。それは自らの過去だけではないかもしれない。さらに言えば、それは過去だけではなく、現在も厳然として存在していると考えるかもしれないが、過去と同様に曖昧なものである。