デザインという古い枠は死んだ!:日経ビジネスオンラインネタ。MITメディアラボ副所長・石井裕氏のアーキテクチャー・デザイン論。
単一の製品のデザインは無意味ではないが、差異には到達できない。アップル生態系のようなトータル・アーキテクチャーを設計する必要がある。そういう話。最早、アプリを作っているだけでは足りない。デバイスのOSからハードウェア、生態系まで設計する必要がある。
グーグル、モトローラ売却&Nexus廃止で、スマホ端末から順次退却? : ギズモード・ジャパン、マジ? Nexusシリーズの端末は2015年で終了し、Google Play Editionに一本化されるらしい… : ギズモード・ジャパンネタ。
グーグルはアップルと同じようなビジネスモデルを取るつもりはないらしい。さてね、Google Glassのようなハードウェアはどうなるのかな。Google Play Editionが日本で出てきていないという問題はあるようだが・・・
ハードウェアより、グーグル「世界を覆う人工知能ネットワーク」構想 ≪ WIRED.jpかな。
クローズアップ現代。大学の執行部側の資料が出てきた。
学生の「高度経済成長がなぜ必要なのか、大学でなぜ勉強する必要があるのか」という問いに対して、ロクな答えを持っていなかったという反省。これらの問いにはいつの時代にも答えていく必要があるとのテロップが出た。
根源的な問いだ。答えることができる人はなかなかいないだろう。
連想に従って本を探しているとすぐ時間が経ってしまう。片付けた場所は、引っ張り出してきた本の山で混沌に戻る。元通りだ。そのプロセスの中で、新しい本をつい購入してしまう。これでもう終わりにしようといつも思うが性懲りもない。本の連鎖は怖い・・・
64bitのCygwinをインストールしたが、PerlのCPANライブラリをインストールしようとして、また、日本語ディレクトリ名の問題にぶつかる。etc/profileのUSERを書き直すだけでは駄目みたいなので、ググるとetc/passwdの日本語ディレクトリ名を書き直せばよいらしい。うまくCPANからのExtUtils::MakeMakerなどのライブラリ・インストールができるようになってよろこんだのだが、Gimpのライブラリがインストールできない。もう少し調べないと・・・
日本語はどこへ行くか?1 | ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日ネタ。日本語のためのノート(1)がreviseされたようだ。
この論旨でいくと、一応、堀川正美は読んでみる必要があるということで、アマゾンを覗いたが、中古しかない。状態の良いものは高過ぎる。図書館で著者検索すると、一冊見つかったので予約した。読むべき「祝婚歌」が掲載されているかどうかは見てみるまでわからないが・・・
エズラ・パウンドは名前は知っているし、昔少しは読んだかもしれない。エリオットの「荒地」に献辞がある。「わたしにまさる言葉の匠 エズラ・パウンドのために」と。ディラン・トマスは知らない。僕らの時代はフランスかぶれなので、英国系は西脇順三郎と大江健三郎から学んでいる。おそらくその影響で、筑摩世界文学大系71巻「イェーツ・エリオット・オーデン」(1975年)を持っているが、「荒地」のところにポストイットが挟んであるだけ。これは深瀬基寛の「エリオット」にある試訳と同じだと思う。
夏目漱石を西洋語に訳すのはむずかしいという話は、水村美苗の「日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で」(筑摩書房、2008年、264ページ)にも出てくる。日本語を解する外国人には漱石の人気が高いところがおもしろい。
大江健三郎と古井由吉の対談について以前書いた。偶然と必然 II (2009/12/27)の「詩を読む、時を眺める」のこと。古井由吉の「詩への小路」(書肆山田、2006年)の話があり、外国語の詩を日本語に翻訳することで自らの日本語が失われる危険性についても話し合われている。アマゾンのカスタマーレビューには「吉本隆明さんは、古井由吉さんの小説について、読者ゼロを目指しているのではないかと書いていたと思う」とある。僕が古井由吉を知ったのは「杳子」(1971年)が芥川賞を受賞した時だ。大江健三郎の小説も初期の頃とは大きな変貌を遂げたが、同じテーマについて書きながらも、新しいバージョンを書き続けることになる。「さようなら、私の本よ!」(講談社、2005年)はコミカルな感じで、「晩年様式集」のスタイルに近い。「読む人間」によると「おかしな二人組」三部作の最後の作品なのだそうだ。おもしろくなってきた。
「漱石の漢詩を読む」(岩波書店、2008年)という古井由吉の著作に、漱石の漢詩は中国人が褒めると書いてある。漱石の時代は去った。21世紀の僕は中国語を読みたいと思っている。古井由吉は漢文漢詩は少し習熟すると読めると書いている。ここでは日本語として読む話を古井由吉はしているのだが・・・僕は中国語に応用できないかと考えている。日本語はどこへ行くのか。期待して待っていよう。
少しずつしか進化しないが、ノートページのフォルダにUTF-8文字コードのテキストファイルmemo.txtが存在すると、20文字ずつの行に整形して表示する機能を付け加えた。まだ、enchantMOONの進化の方向性が定まらないので、取り敢えずモデル的にメモを表示するcanvasレイヤーを付け加えてみた。
メモの表示久しぶりにUTF-8の文字列をPerlで処理しているとsplit関数が思うように働かない。404 Blog Not Found:perl - 文字列ばらしはsplit //, $strでのようにできると思ったのだが、何か勘違いかな。結局、正規表現のパターンマッチで一定の文字数の行に整形する方法に切り替えて解決した。
enchantMOONの生成するデータとデスクトップの情報のハイブリッド化を目指している。これもenchantMOONの生成するデータがオープンであればこそできることだ。まだまだ、データ活用において様々な可能性を秘めていると言えるだろう。
次のステップでは、JavaScriptですべて書くという方向性を目指すかもしれない。現在はPerlでデータに応じたJavaScriptのコードを生成しているわけだが、すべてJavaScriptで書けないわけではないだろうと思う。クライアントサイドだけで書けるのかどうかという問題はあるわけで、じっくり考えてみようか。
GIMPはパスデータで生成する図形の場合、SVGの入出力が可能だということがわかった。GIMPはPerlでも制御できるので、Inkscape以外の候補として浮上してきた。ただ、GIMP関連のPerlライブラリがWindowsではCygwinを必要とすることが検討課題。
車の外気温センサーが0℃を示す日が三日続いたと思うと昨日から少し暖かくなった。「晩年様式集」(講談社、2013年)と「大江健三郎 作家自身を語る」(新潮文庫、2013年)に促されて、紀伊國屋で大江健三郎の文庫本をいろいろと調べた。「みずから我が涙をぬぐいたまう日」(講談社、1972年)以来読めていない小説群が、頭の中で響きあいそうな予感が湧いてきている。なぜ詩ではなく小説を書くかという問題意識の中で書かれた「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」(新潮文庫、1975年;原著: 新潮社、1967年)は既に手元で読まれるのを待っている。どの作品がどの文庫に収録されているのかと、書棚を回っていて見つけたのが、本書「読む人間」(集英社文庫、2011年)。『「話して考える」と「書いて考える」』(集英社文庫、2007年)と同様に講演集である。
取り上げたのは、「本を読むこと」が「生きること」の大半を占める大江健三郎の本の深い読み方に感動するからだが、もう一つは本のネットワークに関する考えが最初の方に示されていたのが興味深かったからである。僕の趣味にも関わるので、引用しておこう。
・・・私は自分の書庫の本と自分が血管でつながっているという感じを持って生きてきたけれど、自分の書店の棚にそれを改めて新しく見ている感じで満足しました。
ただ、ひとりの読み手と本のつながり方は、もっと構造的であるほうがいいと思います。分子モデルみたいな立体をなして並んで本の一群がある。・・・やがてはホログラフィーの大画面が照射されるコンピューターの仕組みが出てくるかもしれません。自分が大きい本の森の、本の木立の中に囲まれている感じを味わいながら、本を選ぶことができるようになるかもしれないと思います。
自分にとっての本のネットワークがある。こういう人たちの本を読んで影響を受けて生きてきたんだ、という見取り図が生きてゆくうちに次第にできていく。それが持続的に本を読むことですが、もう私の年齢になると、自分が生きてきたのは、なによりこれらの本と一緒に生きてきたんだということがはっきりしてきます。・・・
(第一部 生きること・本を読むこと、1 さようなら、私の本よ!、1、11-12ページ)
以前、話題になったような気がするが、著名な作家などが本を選ぶ書店という展示が企画された。「大江健三郎書店」がジュンク堂書店池袋本店で半年、期間限定で開かれたそうだ。自分の書店を見た時の感想から話題が展開されている。自分が読んだ本との別れの儀式を次の世代の人に手渡すというかたちでやってみるということであることが「さようなら、私の本よ!」の章の最初に書いてある。
Webの時代においては読むものは本や新聞だけではなくなっていて、読む情報としてはブログ、オープンになった学術文献や大学の講義、ニュースサイトの記事なども重要な位置づけになりつつある。「読む人間」としては、そのような拡張された見取り図や情報の森や木立を必要とするようになっているかもしれない。個人が一次情報にアクセスできるようなってきているからだ。小説は一次情報ということもできるが、本のネットワークという観点からは二次情報的な性質も持っている。「小説のたくらみ、知の楽しみ」(新潮文庫、1988年;原著: 新潮社、1985年)には新たに書こうとするものが引用ですべて埋め尽くされるようになると沈黙するしかないという意味のことが書かれている(21 自作の引用にはじまり、引用がすべてを覆うと思われる日に向けて、196ページ)。情報のネットワークを如何にわかりやすく表現するか。大変おもしろい課題ではある。ホログラムになった情報を外側から眺めるのか、本や情報の木立に囲まれ、木洩れ日が射す仮想空間の中で本を探し回るようになるのか、想像は広がるばかりである。
電子書棚を大画面テレビの中に実現するという発想では足りないと、大江健三郎先生の豊かな予想を読みつつ、少し恥ずかしくなった。ただ、少しずつ進むしか方法はないのだけど・・・
日本語のためのノート(1) | ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日ネタ。
日本語は詩的表現において最もすぐれている。
それがあまり評価されていないのは単純に日本語は習得するのに難しい言語で、日本語自体の美は数が少ない例外を除いて日本語を母語とする人間にしか判らない、という事実によっている。
堀川正美、吉増剛造、岡田隆彦、岩田宏、というような本来、世界じゅうの人間の言語的魂を昂揚させるべき詩人達の言葉は、むなしく日本語のドブに落ちて、誰にも見返られないまま、暗渠のなかを流れてゆくだけだが、市場的価値のなさが言語的価値のなさをあらわしているわけではない。
日本語現代詩人たちの成し遂げた仕事は例えばベルレーヌやランボーの達成した詩的建造物よりも優れたものだった。
吉増剛造の名は知っているが、他の名前は記憶の中に定かでない。調べてみると、岩田宏氏は小笠原豊樹が本名で、翻訳家としてよく知っている。SFやハードボイルドで。そうか、ベルレーヌやランボーを超えているか、日本の詩人の言語は・・・
上田敏や堀口大學のヴェルレーヌと小林秀雄のランボオで読む訳詩では、堀川正美、吉増剛造、岡田隆彦、岩田宏らの書く詩がそれらを超えているかどうかはよくわからない。大江健三郎は外国語の詩を原書で読むことを小説を書く駆動力としていて、しかも深瀬基寛のオーデンやエリオットの翻訳を導き手としていることを「私という小説家の作り方」に詳細に書いている。外国語の詩をそのまま味わうようになるためには年を取り過ぎたと思うが、日本語の詩をもう少し読んでみることはできるだろう。
Macworld:30周年を迎えたMacについて、Appleのエグセクティブらが「Macは永遠に続く」と語る | Macintosh | Macお宝鑑定団 blog(羅針盤)ネタ。
Macはタッチスクリーンを搭載する予定はなさそうだ。ただ、マウスとキーボードには適さない作業がある。お絵描きの様なものだ。
Macとデジタイザについて調べると、WindowsにはMicrosoft Surface Pro のペン | デジタル ペン | Surface Pro に手書きで入力があり、デジタイザ内蔵のフルHD液晶を検証:「dynabook V713」実力診断(中編)――ペンで“紙のような書き心地”を味わえるか? (1/2) - ITmedia PC USERのような動きもあることがわかった。
Wacomなどのタブレット製品は、Macに対応しているので、Macでそのような使い方ができないわけではない。
僕がMacユーザーになったのは2010年2月のこと。MacBook 13-inch Late 2009。もう4年が経ったのだが、まだ、本格的に使いこなしているとは言い難い。Macユーザーとして30周年を祝えるのが少しだけ誇らしい。
紙の書籍の存在感いまだ強し、米調査結果 写真1枚 国際ニュース:AFPBB Newsネタ。元ネタは、Overall book readership stable, but e-books becoming more popular | Pew Research Centerじゃなくて、Who’s reading?and how: A demographic portrait | Pew Internet & American Life Projectかな。なんだか数字が少し違う感じだけど。
一冊でも本を読んだ人が76%、紙の本を読んだ人69%、電子本を読んだ人28%、オーディオブックを聴いた人14%。紙の本だけ読んだ人が52%、電子本だけが4%、オーディオブックだけ聴いた人が2%。三種類の本を読んだ人は9%。
まだまだ紙の本が優勢。電子本は発展期、当然だと思う。
「iPhone 6」、6月に発表?--画面が大型化した2モデル登場か - CNET Japanネタ。
毎日新しいバージョンの記事が出て、それをしつこく追いかけて記録する。「Android」 VS. 「Windows」--本当のデスクトップ戦争が始まる - ZDNet Japanの記事の最初にはWindows RTが主流となったパラレルワールドについて書いてあるので笑ってしまったが、ぼんやり読んでいると別の世界に入り込んでしまうかもしれない。
iPhone 6は大型化するということなんだが。現在のiPhone 5シリーズは、4インチ、画面比率16:9、1136 x 640px(326ppi)。iPhone 6は、4.7インチ、1280 x 720px、720pと5.7インチ、1920 x 1080px、1080pのFull HDが計画されているらしい。なんだか、規則性がない画素密度だねえ。
「Android」 VS. 「Windows」--本当のデスクトップ戦争が始まる - ZDNet Japanネタ。Androidがなぜデスクトップなのか、違和感を持ったのだが・・・
調べると「Android desktop」という言葉が既に存在していた。後者の記事はネタ記事にも言及されている。01/07/2014: [Computing] Chromebookと混沌で感じた違和感は、Windows 8とAndroidとでは必要とするリソースに違いが大き過ぎるのではないかというものだった。
さて、もう一つ、タッチスクリーンはPCには必要ないだろうという考えもあったのだが、それはenchantMOONの経験によって後退した。タッチインターフェース、デジタルペンや大画面タブレットがデスクトップを変える可能性があると思い始めた。
さて、どうなるのだろう。WindowsはiOSデバイスと比較され、AndroidやChromebookと比較され、立場がないねえ。使い慣れたWindowsが僕にとっては重要な選択肢であるが、A Better ARM ChromeBook LAMP Stack based on Crouton and Debian | Solvitorのような記事もあるから、手ごろなChromebookがあれば試してみてもよいかもしれない。デジタルペンのタブレットやデスクトップにおける活用という観点から調べるだろう。
小寒が過ぎ、大寒が過ぎ、否応なく時は過ぎゆく。山々が粉雪で化粧をして、寒くなるかと思えば、雨が降る。最低気温は零下を示す直前で止まっている。夜中、ただいま外気温3℃。
或る書物を読むと、そこで出会う単語の多さに驚嘆し、ぼくもそれらを使ってみようなどと夢みることがある。それらの単語をノートしておくのだが、一度仕事にかかってみると、もう駄目だ。ぼくは、自分をぼくの語彙内に制限してしまう。そこからうまく抜け出せない、そしてぼくの語彙ときたら、これは余りに乏しいので、自然ぼくの仕事は骨の折れるものとなってしまうわけだ。
(ジャン・コクトオ著、秋山和夫訳「ぼく自身、あるいは困難な存在」、出帆社、1976年)
佐久間さんが亡くなられたという報がツイッターを流れてしばらくするとクラウディオ・アバドの訃報が流れた。残念と思いながらも時の流れには誰も抗えないのだと諦観する。
HP、7インチタブレット「HP Slate7 Extreme」--NVIDIA Tegra 4を搭載 - CNET Japanネタ。過去にNVIDIA、専用ハード不要でスタイラスの筆圧を感知できる”DirectStylus”技術をTegra 4チップに搭載 | juggly.cn(NVIDIA Showing Off New “DirectStylus” Capabilities for Tegra 4 Tablets)の記事がある。
パームリジェクションにも対応できるらしい。ペンで触っているのか、指なのか、消しゴムなのか、手のひらなのかをタッチセンサーが認識する。もちろん、筆圧も感知する。Tegra 4 GPUのイメージ処理の威力なのだそうだ。
確認する必要があるのは、Tegra DrawとWrite Appのデータ構造だ。どのような形式で取り出せるかが問題。SVGであれば、試してみる価値はあるかもしれない。
しかしながら、お絵描きだけでは、enchantMOONの所有者にとっては魅力があるとも言い難い。7インチだし、入力関係のインターフェースも存在しているので、描ける範囲は物理的に狭いと思われる。入力画面のピクセルサイズはenchantMOONと同じ、1024×768ぐらいかな。もっと発展的に使えるデバイスが欲しい気もする。
“お絵描きタブレット”になる?:動画で見る「Tegra Note 7」実機体験会 - ITmedia PC USERの記事も参考になりそうだ。ZOTACの16GBモデルは25,800円也。
Acer C720 Chromebookの“近日発売”表記消える - PC Watchネタ。せっかく記事を書いたのに取り下げか。
理由がなんなのかだね。儲からないから^^;)
ご冥福をお祈りします。
Chromebookがついに日本上陸か 〜Acer C720 Chromebookが“近日発売” - PC Watchネタ。Windows と肩を並べたアップル | maclalala2のような記事もあるのだが、Androidも一緒に並べないと他になにもないように見えてしまうなと思った。いまのところ、それほどの実体がないと言われるChrome OSについても、実際にはChromeブラウザ上に存在しているようなものということを忘れてはいけない。
Chromeアプリ on Windows Chromeこのレベルのアプリで満足できるんだったら、もう終わりなんだけど・・・
さて、本題だが、このスペックで199ドルとはね。もっと薄く軽くしてくれると絶対買いだと思うけどね。ちょっと引用しておこう。
主な仕様は、新Celeronプロセッサ、メモリ2GB、16GB SSD、1,366×768ドット表示対応11.6型ワイド液晶ディスプレイなどとなっている。なお海外版ではCeleron 2955U(1.4GHz)とされており、Haswellアーキテクチャとなっていることが分かる。
インターフェイスは、USB 3.0、USB 2.0、HDMI、IEEE 802.11a/b/g/n対応無線LAN、Bluetooth 4.0、HD対応Webカメラ、音声入出力などを備える。
本体サイズは288×204×19.05mm(幅×奥行き×高さ)、重量は1.25kg。
(Chromebookがついに日本上陸か 〜Acer C720 Chromebookが“近日発売” - PC Watch)
明らかにMacBook Airを意識しているスペックなんだけど。さて、今何がお買い得なんだろう。まずは必要性だけど。ネタで話題にはするんだけど、さいふの紐は堅い。最早、価格も決定的なものではないんだね。作る方も大変だ。
Acer、タッチ対応Chromebook「C720P」発表──300ドルで12月発売 - ITmedia ニュースの記事もあるねえ。Google、オリジナルChromebook「Pixel」発売 タッチ対応のハイエンドPC - ITmedia ニュースも価格/スペック比で参考になるかな。デジタルペンのサポートもあるのだろうか。
iMac や Mac Pro は今年中に Retina 化する | maclalala2ネタ。enchantMOONの高解像度大画面化について考えていたら、飛び込んできた。
手で触るほど近くで見るタブレット、全体を見るために多少は離れてみるデスクトップと複数の人数で見ることが前提であるがゆえにある程度は離れてみるテレビとでは解像度(ppi)の持つ意味が違う。近くで見るものほど、解像度が高い必要がある。
どんな具合になっているか、ちょっと計算してみよう。iPad Airの9.7インチ、2048×1536、264 ppiに対して、パナソニックの「4K Tablet」は20インチ、3840×2560、230ppi。計算は合っている。27インチ、5120×2880の解像度は、218ppiになる。この数値の関係をプロットしてみよう。
ディスプレイサイズと解像度基本的には、目からディスプレイまでの距離と分解能との関係で決めるべきだろうと思うが・・・良品率などの経済性が解像度を決めている可能性も高い。
ちなみにiPad mini Retinaは7.9インチのディスプレイサイズでiPad Airと同じ画面解像度なので、解像度は326ppiである。
ディスプレイサイズを無視して、ピクセル数を解像度の意味に使うのはおかしいといつも思う。縦横のピクセル数をそれぞれディスプレイの縦横の長さで割ったものが解像度である。ディスプレイサイズは対角線の長さである。計算があっているというのは、解像度から計算できる縦横の長さから求めた対角線の長さがディスプレイサイズと一致するという意味。
データの転送速度がネックになっているという話はそういうこともあるのかと認識を改めた。ハードウェアが律速になるなら、ソフトウェア側をいくら弄っても解決にはならないのではと思ったが・・・5120×2880の画面解像度に対応するディスプレイ規格もないようだし、また、何かわかったら取り上げよう。
アラン・ケイ先生にenchantMOONを手渡してきました。そしてAppleにおけるiOSの開発者の一人、増井俊之氏をCXOとして招聘しました。 - UEI shi3zの日記ネタ。
アラン・ケイは1960〜1970年代にパーソナル・コンピュータやオブジェクト指向プログラミングの概念を生み出し、コンピューティングの発展に多大な影響を与えている。ゼロックス社のパロアルト研究所で開発した、パーソナルコンピュータの原型となるAltoが、Macに大きな影響を与えたことは有名な話だ。
増井先生については、僕は「Perl書法」(アスキー出版局、1993年)やユニマガの「インターフェースの街角」の著者として、最近では電脳空間カウボーイズのPodcastのゲストとして、シャープ時代の大昔から知っていることになる。「Perl書法」は、著者略歴によれば、カーネギーメロン大学機械翻訳センタ客員研究員から帰られてからの執筆だと思う。Larry WallとRandal L. Schwartzの「Perlプログラミング」(ソフトバンク、1993年;原著: Programming perl, O'Reilly and Associates,1990)がようやく出版されて、Perlがスクリプティング言語として日本でも知られる存在になり始めたころだった。まだ、MS-DOSの時代。
Perl書法とPerlプログラミング初版アラン・ケイが、enchantMOONをどう見たか。
助言することなど、何もないよ。私はこの端末が好きだ。あなた達のアイデアだ。私が気に入っている部分もあれば、そうでない部分もある。しかしそれはあなた達のものだよ。とりあえずピクシーダストに代表される、"魔法のような紙"というコンセプト。これは我々の発想にはなかったものだよ。
(2014-01-17 アラン・ケイ先生にenchantMOONを手渡してきました。そしてAppleにおけるiOSの開発者の一人、増井俊之氏をCXOとして招聘しました。 - UEI shi3zの日記)
詳しい話は別に公開されるようだが、我々の発想にはないコンセプトであり、助言することは何もないということだ。オリジナルなアイデアなのだから、自ら大切に発展させたほうがよいということだろう。「ピクシーダスト」という言葉は、これまでenchantMOONでは使われてなかったと思うのだが、iPadとは違うもうひとつのタブレットの可能性。紙を再発明した「enchantMOON」発表会レポート(動画・ギャラリー・追記あり) : ギズモード・ジャパンには、「ティンカーベルみたいなエフェクト」という言葉がある。いやいや、enchantMOONとAND検索すると、MWCでenchantMOONを展示。それとイデアと線のこと - UEI shi3zの日記で、「ピクシーダスト」という言葉が既に使われている。Tinker Bell - Wikipedia, the free encyclopediaによると、妖精のまきちらす鱗粉は「fairy dust」というが、ディズニーによって「pixie dust」という言葉が使われるようになったらしい。
enchantMOONへ、白画面をデフォルトとしたいという要望もあるようだ。設定でどちらをデフォルトとするか、決めることができるようにするのも一案だと思うが、黒画面のほうが電力消費が少ない省エネであることは明白だし、目に優しいと思う。ふと、思い出したのは、黒板に白粉の飛び散る白チョーク。魔法にふさわしい設定かもしれない。白画面では「ピクシーダスト」も迫力がなくなる。
No UIという概念は、タッチインターフェースのタブレットが実用にならなければ考え付かなかったかもしれない。画面に触リ、書き込むからこそのインターフェースなのだと思う。アラン・ケイ先生の発想になかったのはそのためかもしれない。今後、僕が興味があるのは、8インチ、1024x768のNo UIのキャンバスをどのように拡張していくのかである。
タブレットは今のところ、iPad Air、9.7インチ、2048 x 1536、264 ppiぐらいがターゲットである。高価と思われるが、20インチ、4Kのものも既に発表されている(20型4K IPSα液晶パネルを搭載した新コンセプト「4K Tablet」を開発 | プレスリリース | ニュース | パナソニック企業情報 | Panasonic)。A3サイズ、3840×2560、230ppi。enchantMOONのキャンバスがそれぞれ4、9枚入る。単純に入れることに意味があるかどうかは別にして。
“本命”、マンガ家さんと20型4Kタブ「TOUGHPAD 4K」を再び試す―颯田直斗先生編- MSN 最新ニュース|トピックスにマンガ制作のための実用性を試した記事が出ている。コントローラを自作して持ち込むなど、デジタルペン入力の世界も奥が深いものだと感心した。法人向けの製品で45万円ぐらいからの価格が設定されている。メモリは最大16GBだが、32GBぐらいは必要らしい。Anoto Live PenとLivescribeのペンは違うものだね。
メモリ1GBで高精細デジタルお絵描きが楽しめるenchantMOONはお買い得ということにしておこう。
WebブラウザをCGIアプリケーションのインターフェースとして使う場合、今でもフレームを使っていて、アプリケーションごとにフレームの構成を切り替えて使うインターフェースも考え出したのだが、デザインは別にして、まあ、それなりに十分使えるなと思い始めた。自動的にCGIを並列処理的に使うことができる。enchantMOONの複数のデータを考えると、Canvasペースで合成して表示することも可能だろうけど、単純にやってしまうと時間が掛かりそうだ。CGI側の並列処理で高速化するというのもあるのかもしれない。enchantMOONの大画面化が進むと、paperMOON側の高速化も課題になりそうだなあ。それはそれでおもしろいチャレンジになるだろう。
China Mobile の iPhone は思ったほど安くない | maclalala2ネタ。shiroさん絶好調。
予想外の高い設定で中国でiPhoneが売れる。906ドルなら、日本よりも高いのでは・・・どれくらいの台数が出るのか、興味津々。
シリコンバレー101 (548) 同じKindleのライバルでも…売上60%減のNookと、好調だった街の本屋 | マイナビニュースネタ。
街の本屋も好調だったということは、それほど違和感もないし、十分あり得るだろう。僕も本屋で買うことも多い。出掛ければ本屋に入る。Amazonで買うのはもっぱら紙の本だし。Kindleって本当に売れているのかな。確かに大量の本を持ち歩こうと思えば電子書籍は便利だろうけど、そんな必要性はそれほどはないだろうと思うが。分厚い教科書や参考書を大量に学校へ持って行くのをiPadでという話はあった。旅行の荷物を詰める時、二三冊でも本を持って行くのは大変だなと思うこともある。うーむ。
まあ、それはともかく、現段階の電子書籍の欠点は、タブレットを起動するか、電子書籍アプリを開かない限りは、背表紙などが見えないこと。日常生活の中で、存在を忘れてしまうのだ。そういう状況の中で、電子書棚の登場が予測されている(12/13/2013: 鈴木さんにも分かるネットの未来 13 電子書籍の未来)。タブレットのアプリとしての電子書棚ではない。僕がイメージしているのは、タブレットの外で本の存在をアピールして、なんらかの簡単な操作で、所望の本がタブレットに読みだされるような仕組みだ。クラウドやローカルのサーバーからかもしれないし、タブレット自身からかもしれない。
本に限定する必要はないかもしれない。情報は忘れ去られる。必要な情報を引っ張り出す起点となるもの。記憶を刺激するもの。記憶を強化するもの。連想するもの。そういうものをどう身近に配置するか。電子書棚の問題も同じようなものだ。
富田倫生氏の「本の未来」という電子書籍が、BinB(VOYAGER| ボイジャー)からCreative Commons 表示 2.1 日本 Licenseで配布されている。作成は、病没された2013年8月16日の日付。富田倫生 - Wikipediaによれば、主宰されていた青空文庫から8月17日付けで公開されている。底本は1997年のアスキーから出た「本の未来」。この中の第二章「コンピュータで読む本がやってきた」の最初に「銀河ヒッチハイカーズ・ガイド」(1978年)が出てきて、実は僕はまだ読んでいないのだが、4x3インチのディスプレイと100個ほどのキーを持つキーボードが搭載されている電子本ということになっている(「銀河ヒッチハイク・ガイド」というタイトルで河出文庫から2005年に復刊されている)。小説の設定としては、100万ページぐらいの内容があって、調べればなんでもわかるから「Don't panic !」という、検索して読む本である。これは広大な銀河宇宙のガイドブック一冊の話だから、本の使用目的ははっきりしている。困った時に調べる、世界についてなんでも書いてある一冊の本ということもできる。
今なら、Googleかもしれない。Googleの検索結果は編集された一冊の本の内容ではないが、次第にWebに存在する情報は混沌から組織化に向かうだろうか。エントロピーの増大をタグ付けなどのセマンティック化や検索によって減少させることができるかどうか。話がそれそうなので、元に戻していこう。ともかく、膨大な情報を小さな電子本に収めて持ち歩き、検索できるようにするという発想は既に1978年には存在していたのだ。今やそれが現実になった。
銀河帝国興亡史(ファウンデーションシリーズ - Wikipedia)の初期の三巻は小学校か中学校の時に読んだのだが(もちろん、1984年のハヤカワ文庫版ではなく、創元推理文庫版)、いずれも1950年代にアイザック・アシモフによって書かれた最初のシリーズだ。1980年代にさらに書き足され、1993年の「ファウンデーションの誕生」が最終巻となる。富田氏は最初の「ファウンデーション」(1951年)では、銀河百科事典を発行する銀河図書館には植字部があり(他に編集部、出版部、フィルム部がある)、印刷本として発行される設定であったことを確認されている。1970年代にAppleが実用化したパーソナルコンピュータの発展によって、デスクトップパブリッシングが登場する1980年代まで電子本の可能性を想像することはむずかしかったかもしれない。第二次世界大戦後まもない1951年は、まだIBMでさえもようやくデジタル・コンピュータ・メーカーとして産声を上げたに過ぎなかったろう。日本では、コンピュータというよりは、キーパンチャーという職業でさえ、世の中一般に知られ始める前のことである。1977年にApple IIが発表され、1978年には実質的なコンピュータであるポケット電卓がポピュラーになっていたので「銀河ヒッチハイカーズ・ガイド」の著者、ダグラス・アダムスがその影響下にあったことは想像に難くない。
ファウンデーションシリーズの1993年の最終巻では、銀河図書館はコンピュータ・ネットワークから成り立っているのは明らかだ。我らの時代にいかに大きな変化が生じているのかを思わざるを得ない。
アイザック・アシモフ著、岡部宏之訳「銀河帝国興亡史7 ファウンデーションの誕生」(早川書房、1995年)ハリが図書館長のオフィスに入っていくと、トライマ・マカーニオが立ち上がった。かれはすでにその場所を自分流に改装していた。ゼノウはその部屋の隅から隅まで、トランターのさまざまな地区からのホロディスクや立体ニュースをくまなく詰め込み、空中には、帝国のさまざまな世界を表す目も眩むようなヴィジグローブを整然と並べて回転させていたものだが、アカーニオはゼノウが手元に置くことを好んだ資料やイメージの山を、すっかり取り除いてしまっていた。今では一つのホロスクリーンが一方の壁に君臨していた。それで、アカーニオはどんな出版物でも放送でも思うがままに見聞することができるのだろうと、セルダンは想像した。
(アイザック・アシモフ著、岡部宏之訳「銀河帝国興亡史7 ファウンデーションの誕生」、早川書房、1995年、350-351ページ)
最近のSF映画の一場面を表しているかのようだ。このように想像を展開していくと、現時点、ホロスクリーンの壁に一番近いものは大画面の高解像度テレビということになるだろう。Apple TVやPSVita TVの画面に電子書棚を出現させるのが現実的な当面の解だろう。今年はiBooksが第四世代Apple TVに登場するかもしれない。あるいはPCのスクリーンセーバーとして電子書棚を設定するというのもよいアイデアかな。時々刻々と表示する棚が変化して記憶を刺激し、新しい発想を生み出すかもしれない。
もっと具体的に考えると、大画面高解像度テレビに映し出されているものはフルスクリーンモードのWebブラウザの画面である。そこに映し出されるものはローカルサーバーに置いた、時々刻々と変化する自作のWeb情報収集ページでもよい。それと連動した関連書籍情報も合わせて表示される。今や自分で何でも作れる。そういう時代になった。記事を書いているうちにそういう結論になった。試してみるか・・・
EnchantMoon Handwriting Tablet for Creatives Arrives in the US This Fallネタ。米国でも販売にチャレンジするそうだが・・・
「Rugged tablet computer」の「rugged」を調べると「無骨な」という意味。いい表現だね。動いているのかいないのかわからない外観で、まったく愛想が悪いし、不便なのだけど、MS-DOSの時代を思い起こさせる、実に魅力的なコンピュータだ。
何ができるのかというと、本質的には、小さなキャンバスに手書きのメモや線画を描くことができるぐらいしかない。他のことはほとんどおまけのようなものだ。手で書く感触を味わえる。それで充分さ。そんなことができるコンピュータは他にない。記録されたデータのフォーマットや構造は公開されていて、USBケーブルを通して取り出して、PC上で描画させることもできる。データが自由なので、それだけでうれしくなる。
手書き文字認識の機能があるのだが、手書き文字をどのように認識しているのかというデータがその中にないというのが最大の不満。この問題が解消するとさらにおもしろくなる。データの活用性が高まるのだ。
まあ、それはともかく、Canvasをベースにページを作るという方法の実用性について考えてみたい。汎用性がどこまであるかだけど・・・レイヤーを使った新しい表現につながるかもしれない。
Qualcomm の最新チップにより、激安 LTE/64-bit 対応スマホの時代に突入する! | Agile Cat --- in the cloudネタ。iPhone 5sが先鞭をつけた64bit化。150ドル以下の激安スマホで実現!?
ほんとかな、13Mカメラとかも。ユーザーは喜ぶけどね^^;)コンピューティングが新しい時代に入ったことは間違いない。post-PC時代とはよく言ったものだ。プログラミング・デバイスとしてのスマホやタブレットが実現するとうれしい。
556ページの分厚い文藝春秋二月特大号(2014.2)に書下ろしの短編小説が三か月連続掲載された。タイトルは「木野」。えーっ、「木野」っ。書下ろしの前二作には連続してビートルズ関連のタイトルが付いているという主張はここで潰えるのだろうか。
本作の主人公「木野」はトーレンスのプレーヤーとラックスマンのアンプ、2wayの小型のJBLのスピーカーでジャズを聴かせるバー「木野」のマスターで、村上春樹が小説家になる前の職業が取り上げられていている。小説に古いジャズの曲名などは出てきてもビートルズの曲は出てこない。
Hamburg Beatle Sitesには、ハンブルグにあるThe Bambi Kinoという映画館が紹介されていて、ビートルズがデビュー当時の1960年の8月から11月まで、スクリーン裏の狭苦しい宿舎に住んでいたという。John Lennon at the Bambi Kino, Hamburg, 1960のような写真が残っている。主人公の木野は小説の最後のほうで熊本の狭苦しいビジネス・ホテルに閉じこもっている。ということで、この「Kino」が「木野」の連想を生んだということにしておこう。
そして、ビートルズの1960年頃の歴史的な写真を掲載しているThe Beatles Bible: songs, albums, history, profiles, places, photos and more.の最新ポストはThe Beatles Bootleg Recordings 1963 is released on iTunes | The Beatles Bibleに関するものである。
この小説はかなり無気味なストーリーだ。文藝春秋の連作書下ろしは新しい村上春樹像を生み出すかもしれない。特にこの第三作は続きを書いてほしいなあと思った。なぜか。主人公の木野は何かに憑りつかれる。最後に自らの深いところに降りていく。小説家の深いところとはどこなのだろう。取り纏いつく暗い気配を振り払う、「悪魔祓い」のために村上は30年間走ってきたという(後出:「魂のいちばん深いところ ...」)。これは村上春樹自身の問題そのものなのだ。主人公も体育大学在学中はそこそこ優秀な中距離ランナーだったという設定だ。
村上は昨年、新潮社の「考える人」2013年夏号に河合隼雄物語賞・学芸賞創設記念として「魂のいちばん深いところ 河合隼雄先生の思い出」を特別寄稿している。その中で、これまで自分の物語を総体として理解したのは河合隼雄だけだと告白したことに少し驚いた。その後、「木野」が書かれたことに注目している。小説の中に「魂のいちばん深いところ」が直接的な表現として現れ始めたように思えた。傍点の箇所に注目して読めば、わかりすい心理的・精神分析的な解釈もできるようにも書かれているし、従来のファンタジー的なものとして読むこともできるが、おどろおどろしい日本的で湿った感じの雰囲気になっている。
女のいない男たち 3 「木野」 村上春樹冒頭の挿絵には道具立ての柳の木と猫が描かれている。
396〜422ページの27ページ。前二作とほぼ同じ長さである。
Jot Pro (Dampening)が届いたのでiPad 2上でいろいろと試した。残念ながら、enchantMOONで書く体験を上回るものではなかった。
BAMBOO Stylus、Jot Pro (Dampening)、enchantMOONのデジタルペン試したiPadアプリは、PenultimateとBAMBOO Paperの二つ。iDrawの使い方は今一つわからない。iPadの設定でパームリジェクションの機能を有効(マルチタスク用ジェスチャをOFF)にした。
Penultimateのパームリジェクションは不十分な感じで、誤動作になることが多い。ペン先ではない方(画面に付いている手のひら)に入力が突然切り替わる。これでは実用的ではない。Jot Proのペン先の位置の認識が、見た感じよりも左側にずれる。縦方向は問題ない。でも、慣れれば問題がなくなりそうな気もする。使いこなしの問題は大きい。比較評価としては、まだ、BAMBOO Stylusのほうが使える。
BAMBOO Paperでは、パームリジェクションがある程度有効で、Jot Proも使える感じだが、BAMBOO Stylusと大差ない感触だ。しかしながら、手のひら側に入力が瞬間的に移る時があり、ペン側の入力に欠損が出る。手のひらが接触している部分に点や短い線が出てしまう。Penultimateはその度合いが強い。総じて、文字を書くために使いたいとは思わない。
PCローカルサーバー上のenchantMOONデータをenchantMOONのWebブラウザで描画するenchantMOONは、紙に鉛筆で書くよりもスムースにペンが進む、滑り過ぎるぐらいの感触がある。紙の再発明と言ってもおかしくはない。ただ、鉛筆の先端を尖らせて細密に書くというようなペン先の位置精度は出しにくい。細かく書くには限界がある。ここらへんが今後の改良のターゲットになるかもしれない。
デジタイザは静電容量方式のマルチタッチで動くわけではないので、2Dデータ入力そのものには本質的にパームリジェクションの問題はない。enchantMOONは、指先で入力するユーザーインターフェース(No UI)操作用の静電容量方式と電磁誘導方式のデジタルペンによるデータ入力の二通りの入力を使うので、パームリジェクションの調整も容易なのだろう。それでも思わぬところでシール台帳が立ち上がってくることがあるので、むずかしいものだなと思う。
iPad 2では多くは期待できないので、Bluetooth 4.0を使う新しいペンが使える機種を将来は検討することになるだろう。Adonit Jot Touch 4シリーズ|製品案内|プリンストンテクノロジーから少し引用しよう。
新たに搭載されたパームリジェクション機能により、画面に直接手を付けたままでの描画が可能になり、筆圧感知レベルも2048レベルと、グラフィックペンタブレット並みのスペックになりました。
さらに、iPad第3世代から搭載されたBluetoothR 4.0に対応したことで、1回のフル充電で最長100時間もの連続使用が可能になりました。
WACOMのBAMBOOのほうは、Wacom|CS500を参照。同様にBluetooth 4.0を使うペンで、筆圧・パームリジェクション対応となっている。
Wacomには、Wacom|DTH-A1300/DTH-W1300のようにenchantMOONと同じペン入力とタッチ入力を併用した13インチのAndroidシステムも既に存在しているが、158,000円也。
HTML5のCanvasで実装したMicrosoft Office互換ドキュメントツールTeamLabは優れもの | TechCrunch Japanネタ。Office互換ドキュメントがCanvasに実装できるというのは、ここまで来たかと思う、興味深い話。Google Drive EditorやMicrosoft Word Web Appとの比較もある。Creating an HTML5 Based Document Editorもチェックしよう。
fillText(), strokeText() メソッドを使えば、手書き文字だけでなく、フォント文字そのものをCanvas上で取り扱えるのは当然。
enchantMOONデータのCanvas描画にテキストを加えるこの方法を使えば、enchantMOONページデータの描画にページの情報やメモなどをオーバーレイ表示するのも簡単にできるね。左記の画像サンプルはページのIDを黄色のフォントで表示するようにしたもの。最終的にはenchantMOONを情報収集・加工の先端部としたハイパードキュメント・データベース・システムのようなものになるはずだ。
iDraw+Inkscape!ベクタードローツールが面白い!|ツルマルボーイのブログを見つけて、iPad 2にiDrawを入れてみた。900円。illustratorデータをiPad for iDrawで作ろう!: アップル生活 | 備忘録にはSVG出力可能とある。レイヤーも可能。SVGならWebブラウザでもInkscapeでも読める。しかし、残念ながら、iDraw上で文字を書くのが難しい。指で書くわけにもいかないし、BAMBOOのペンを使ってみたものの、先端の太いペンを使って、思うように極細の線の小さな文字を書くのは難しい。使うとすれば、文字はキーボードから入力できるし、文字認識もないのだから、手書きに拘る必要はないかもしれない。
デジタイザを搭載していないiPadで、どこまで細密な絵を実用的に描けるか、試してみる必要がある。一応、Adonit Jot Pro (Dampening)のペンを試してみることにしたけれども。
Jot Pro (Dampening)を調べてみると、意外に情報が多い。デジタルペンは関心が高いデバイスなんだなと感じた。触ってわかる、見てわかる、実用的な問題である。enchantMOONの手書きの感触は、パームリジェクションも合わせて、かなり自然で素晴らしいものだ。色や線の太さを選択するためのお絵描きのインターフェースが今後重要になるのではないかと思う。
iPad 2でPenultimateというEvernote用の手書きメモアプリをテストしていると、ポップアップが出て、誤動作を防ぐ(おそらく、パームリジェクション、手のひらを画面に乗せて書いても誤入力しない機能を有効にする)ために、iOSの「設定」でマルチタスク用ジェスチャをOFFにするようにアラームが出た。なるほど。
The Rise And Fall of Languages in 2013 | Dr Dobb'sネタ。大袈裟に言えばプログラミング言語の興隆。
記事はGoogle trendsも使っているので、試しに触ってみると結構おもしろい。ただ、それが実際どのようにして数値化されているのかはよくわからない。Perlの地域別人気度は日本はルクセンブルグについて2位。Rubyは当然のことながら日本が1位。Pythonはプログラミング言語として捉えることが難しいようだ。
昔はCが圧倒的に強かったわけだけど、言語は多様化の一途を辿っている。Perlの長期低落傾向は変わらず。
TIOBE Software: Tiobe Indexの上位20位までの言語で、Ratingが+0.5%以上増加した言語は、Objective-Cの11.098%(+0.82%、3位)、Transact-SQLの1.559%(+0.98%、10位)、Visual Basic .NETの1.558%(+0.52%、11位)とF#の0.720%(+0.53%、16位)。Visual Basic .NETは、7位にランクされる(Visual) Basicの2.989%が、-1.76%なので、Basicとしては実質的に減少傾向と考えたほうが良いだろう。Transact-SQLについては、Transact-SQL - Wikipediaを参照してわかるように、拡張型SQL言語なので、一般的なプログラミング言語に含めるのはいかがなものかと思う。そうすると、Objective-CとF#ぐらいが注目すべきプログラミング言語ということになる。
Objective-Cが増えているのは、当然のことながら、AppleのiOSデバイスのプログラミング言語であることが、増加傾向にあることの要因だろう。
F#はF# - Wikipediaに説明されているようにオブジェクト指向関数型言語OCaml(OCaml - Wikipedia)の.NET版ということらしい。OCamlのCamlは圏抽象機械語を意味する「categorical abstract machine language」から名前の由来となっていることは以前にも述べた。関数型言語ということで関心がある。昔、Audrey Tang氏が関数型言語のHugs(Haskell)であっさりとPerl 6を実装して見せたからだ。Hackage: Pugs: A Perl 6 Implementationにある。パフォーマンスに問題があるので、ParrotやMoarVM、JVMへの実装の検討が進められているのだろうと思うが、OCamlはC並に高速で動作するらしい。
肝心のPerlの動向だが、主要サイトのリンクをまずリストアップしよう。
Perl 5は万全なので使えばよいだけ。Perl 5の予想外の発展の中で、姉妹言語として位置づけられたPerl 6については、Rakudo Perl 6の動向が問題である。Parrot上で動作するRakudo Starが既に提供されているが、JVMやJavascriptのバックエンドで動作する構想も動いている。MoarVM(Metamodel On A Runtime Virtual Machine)からJVMへの移行を想定しているようだ。
Rakudo.jsがあるので試してみてもいいけど、こういうものを見るにつけ、プログラミング言語とは何かと考えてしまう。昔、Larry Wallのa2pでawkのプログラムが完璧にperlに変換されるのを見て、凄いもんだなと思ったけど、結局、要は言語は何でもいいよねと思う。複雑なことを簡単に書けて、早く動きさえすればそれが便利ということになる。Perlは経験も長いし、簡単に書けるから使っているわけで、スクリプト言語のパフォーマンスについてはハードウェアの進化に任せようというのが基本的な戦略である。Perlにできないことが、他の言語を使えばできるなら、それを使うしかない。Webブラウザ上で動作するJavaScriptやHTMLなどはそういう位置づけの言語なのである。もっともPerlから生成して使うこと(CGI)がほとんどなのだけど・・・
Perl以外で注目する言語としては、OCaml、F#、Scala、Erlangなどの関数型言語、並列処理言語があるけど、JavaScript追っ掛け再入門もあるので、今のところ、Perlに注力だろう。実用的には、下記の並列コンピューティングを追い掛けてみるのがよいのではと考えている。
U.S. Mac Sales Grow 28.5% in Holiday Quarter, PC Market Suffers Worst Decline Ever - Mac Rumorsネタ。タブレットなどPost-PC込みのシェアは低減傾向だったMac(U.S. Commercial Channel Computing Device Sales Set to End 2013 with Double-Digit Growth, According to NPD)はデスクトップだけのシェアなら着実な増大傾向にある。2012年9.9%のシェアが13.7%へ(2006年は5%未満だった)。シェア数字のマジックではなく出荷数量実数も増大。出荷台数は、169万台から217万台へ。
iPhoneやiPadだけではいずれメモリが足りなくなることは明白。Apple生態系以外のデータのストレージも必要だ。必ず、PC/Macが必要になる。iPhone/iPadからコンピュータ・ユーザーに仲間入りしたユーザーは、Macを選択するだろう。
したがって、Macユーザーは今後も着実に伸びていくはずだ。お手頃で魅力的なMacを準備すれば爆発的に伸びる可能性もある。Apple TVにそのような母艦機能を持たせるのも一つのアイデアである。
今年の僕の予想。iPhone/iPadの母艦を想定したMac/Apple TVの新機種の登場・販促が始まる。
ただ、世界は広い。米国のマーケットは台数ベースで世界の1/5以下だ。世界PC出荷台数、7四半期連続で減少--第4四半期調査 - CNET Japanをチェックしておくべきだ。それはMacがもっと売れるということを意味しているかも。
Amazonインスタント・ビデオに言及したので、Amazonのメディア関連の昨年の動きを復習しておこう。テレビのコンテンツを支配するもの - Amazon Studio (2013/03/04)と年末に見る新聞・雑誌の未来 (2013/12/17)ネタ。
ビデオ・スタジオを作って、番組制作をアマゾンが始めているという話は昨年の3月の記事だ。その後、年末にワシントン・ポストをベゾフCEOが個人で買収した。Amazon.co.jp: Amazonインスタント・ビデオにはまだニュースの様なものはない。
既にアップルはApple TVなどで、iTunes FestivalやApple Eventsなどをビデオ配信したり、映画レンタル配信する能力を持つ。Apple TVで配信されているアップルのコンテンツ以外の他の様々なコンテンツに興味があれば、最早テレビ局と言えるかもしれない。
上記元ネタの昨年3月のビデオ・スタジオ記事のさらに元ネタは2012年の話。一連の記事をリストアップしておこう。
記録的な App Store の売上げ | maclalala2ネタ。ほーっ、アプリの売り上げが圧倒的に多い。やはり、コンピュータ時代なのか。あー、ゲームかな。
まあ、そういうことで、アップルのコンテンツ戦略は成功を収めている。デバイスのデザイン・操作性とコンテンツとストア・アプリ(iTunes)、そしてクラウド(iCloud)の統合化を達成しているのはAppleだけだろう。
唯一、Amazon.co.jp: Amazonインスタント・ビデオの動きは見逃せないけど。
今朝、8℃、帰りは雨の中、8℃だった。2014年、Ubuntuタブレットに見る5つの可能性 - CNET Japanネタ。
Ubuntuなら、RAM 1GBでもなんとか動く。2GBあれば十分かもね。問題はUbuntuでなければならない理由。僕は、Apache+Perlをタブレット・ローカルで動かせるんじゃないのと思うわけだけど。これはWindows 8.1も同じことを期待しているんだよね。ただ、他の人はそんなことはまず思わないだろうからなあ。Ubuntu上でAndroidアプリを動かせるということが最大の売り文句になるのかもしれない。
シリコンバレー101 (547) Google Glass人気は2013年がピーク!? 期待と現実のギャップ | マイナビニュースネタ。最近、ネガティブな記事、Robert Scoble - Google+ - Scoble says Google Glass is doomed First, I love headlines…を見てどうなんだろうと思っていたら、シリコンバレー101が話題に取り上げた。
一見してわかるバッテリーが足りない問題、衆人環境あるいは雑音環境の中での音声認識コントロールの問題。写真撮影の容易化による他人のプライバシー・肖像権侵害の問題。そして、そんなにしてまでコンピュータを使うのかよという初歩的な問題。いろいろあるけど、いずれも結構大変そうな問題である。それで、実用化は2020年という話になってくる。
実用的なのは、車や自転車などの運転中、両手がふさがっている時に使うことかなと思う。ただ、いずれの環境もノイズレベルが高いので実用的だろうか。車載コンピュータを使う選択肢もあるわけだけど。
Google Glassのネガティブな雰囲気に、Telepathyの動向やいかに。
Android中位下位勢力の盛り返しでiPhoneのシェア低落傾向が全世界的に続く | TechCrunch Japanネタ。
Chromebookもだけど、価格の問題は大きい。ジョブズも200ドル効果はiPod touchで認識したはずだが、高付加価値路線が続いている。ただ、iOSデバイスはApple一社のみの製造だ。これ以上、製造するのはリスクが高すぎると言えなくはない。
アップルは今後どこまで魅力的な製品を開発し続けることができるだろうか。それが、iPad Proなのか、iWatchなのか、iTVなのか、さてさてさて・・・
目覚ましい伸びの Chromebook コンピュータ | maclalala2ネタ。最近、話題になっているけど・・・
まず正確にどのようなものかを認識するところから始めよう。
米国人が合理性を追いかけはじめると究極まで行ってしまう。危うし、マイクロソフトかなあ。米国のMacBookやiPadだってシェアが落ちている。iPadの勢いが鈍ったのは、Chromebookのせいだったか・・・Linux Tutorial参照。
さて、OSは自由なものであってほしいのだが。そして、ハードウェアの拡張性や接続性も。Chrome OSのプログラミング環境はいかがなものかも知りたい。
ASUS、Windows 8とAndroidのデュアルOS採用「Transformer Book Duet」発表 | マイナビニュースのような、ちょっとなんなのみたいなハイブリッド・デバイスも出てきた。これを混沌と言わずして何と言おう。
まだまだ、Windowsのシェアは高い。【イベントレポート】ソニー、11.6型液晶搭載の2-in-1ノート「VAIO Fit 11」を発表 〜小型ウェアラブルデバイス「SmartBand SWR10」も - PC Watchの「VAIO Fit 11」はスペック的には充分実用的だが、高価になるだろう。したがって、決定的なものはどこにもない。情勢は変わり得る。もう僕の趣味心は、Mozillaとパナソニック、次世代スマートTV向けに「Firefox OS」を共同開発 | マイナビニュースのほうに向いているけどね。なぜなら、Webブラウザだけはどの環境でも動くわけだし、自由に操れるホームサーバーがほしいということになる。
Firefox OSをスマートテレビに - モジラとパナソニックが提携発表 - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)ネタ。
いい動きだねえ。Apple、Googleと違う第三勢力がオープンと言うのは望ましいのでは。サードパーティーの自由なサービスが生まれる可能性がある。
【イベントレポート】Lenovo、コンシューマ向け2-in-1「MIIX 2 10/11」、「YOGA 2」などを発表 - PC Watchネタ。
MIIX 2 11の8GB RAM、64bit CORE、256GB SSDなら、性能は十分出そうな感じ。基本的には、Surface Pro 2と同等のスペック。
小飼弾氏のハテブ(404 Blog not found)のコメントにあった8インチWindowsタブレット雑感によれば、Acerの「Iconia W4-820」と、機種は違うが好きだという感想が出ている。2GB RAM、32bit Windows 8.1、1280x800のディスプレイで一概にダメと決めつけるのは難しいかもしれない。もっとサンプルが必要かも。もう少し追いかけよう。Bay Trail-Tタブレットレビュー:エイサー ICONIA W4-820(ハードウェア編) - Engadget Japaneseも参考になりそう。
さて、冬休みは終了。健康には誰もが関心がある。ご要望に従って、fitbit oneを一台導入してみる。自分のデータを取るわけでもないが・・・
enchantMOONを媒介にして、enchantMOONのページやWebページ・新聞記事・写真などにメモを付与したり、結びつけたりするハイブリッドな情報集積・生成のためのデータベースシステムを作ろうかと考えている。それに似たものはRSS、ATOMなどのフィードデータやカレンダーの日付については既に作ってきたが、活用するところまでには至っていない。新たな情報を生み出すという観点が抜けている。それが更新日記になっているとも言えるのだけど、引用している記事全体が確保されているわけでもない。記事が古くなると引用したリンク先は消滅している場合も多いし、日記の中の引用自体が不十分なことが多い。
画面の広さを贅沢に使えば、創造性を高めるための様々な可能性があることに気が付いたことがきっかけ。
三賀日は快晴で暖かい日が続いた。今日は気温はそれほど低くはないが、北風が吹いて冷たく感じる。ようやく、冬の雰囲気がしてきた。寒くなるのかもしれない。年末放談(12/30/2013: [デバイス] コンピューティング年末放談)に続いて、新春放談といこうか。
Windows 8.1タブレット
404 Blog Not Found:続報 - Windows 8.1 & Miix 2 8ネタ。
動作が重いこととバッテリーが持たないことが問題。スペックから考えて予想できることであるかもしれないが、出すからにはなんとかなるのだろうと期待していたのだが。やはりRAMが2GB(ストレージ: 64GB 1.8インチHDD)では難しそうだ。Surface Pro 2はミニマムスペックで4GB(ストレージ: 128GB SSD)搭載。続報は当然として、元の404 Blog Not Found:Back to the Netbook - 品評 - Windows 8.1 & Miix 2 8の時点で既に低評価。
僕が狙っていたVenue 8 Pro(11/14/2013: [タブレット] さて年末に出るけどね - Venue 8 Pro)もRAM 2GB(ストレージ: 64GB eMMC HDD)で、今回Dellのサイト(Dell Venue 8 Pro Windows 8.1 HDタブレットの詳細 | Dell 日本)を調べるとストレージはHDDだと判明。ディスプレイもIPS液晶、1280 x 800でMiix 2 8と同等なので、同程度の結果になるだろう。
狙うなら、Venue 11 Proにして、Core i5/RAM 4GB/SSD 128GBとSurface Pro 2のミニマムスペックを選択すると、89,980円。Surface Pro 2 対 VAIO Tap 11 仕様比較、Haswell 搭載 Windows 8 タブレット対決 - Engadget Japaneseによれば、同スペックのSurface Pro 2で99,800円。Surface Pro 2のWindowsは64bitだけれど、Venueのほうははっきりしないが32bit。結局コスト的にもあまり変わらないということ。
デスクトップ並みの動作を期待するなら、もう少しモバイル・ハードウェアが進化するまで待ったほうがよさそうだ。購入するなら、Surface Pro 2のRAM 8GB/SSD 256GBのスペックぐらいでまず確かめるべきかもしれない。129,800円。フルHDでデジタイザ搭載。キーボードを別に購入する必要はあるが、なくてもタッチ操作で使えるだろうし、スタイラス・ペンは付いている。
アップル2013採点表
John Siracusa のアップル採点表 | maclalala2ネタ。
低価格Windows 8.1タブレット普及の可能性を期待していたのだが、そう容易いことでもなさそうだということが見えてきたのかもしれない。デバイスのハードウェアとソフトウェアのバランスが取れていないと売れないということになる。iOSデバイスは両方をバランスよく徐々に進化させて、ユーザーにハードウェアの更新を迫ってきている。旧機種にもOSのアップグレードにはできるだけ配慮するから、仕方ねえなと思わせるぐらい、じっくりと。
Appleは「12 DAYS」で12/26〜1/6までプレゼントを地味に送り続けている。電子書籍、ゲーム、音楽とアニメ。iTunes Festivalも年中行事の一つとして定着した。コンピュータもコンテンツがなければただの箱だからね。MacでもiBooksが動き始めた。問題はストレージ。iBooksの場合、iTunes Storeから購入済みのものなら、iCloudがあるが、自前のコンテンツは同期されないし、他のアプリに移すこともできない。PDFの文献資料などはiBooksで整理しない方が良い。自前のコンテンツはMac/PCなど大容量のストレージを持つデバイスで管理する必要がある。もっともな話で、Amazonから購入したMP3の音楽データも同期されることはない。iTunes Storeから購入したものだけ、iCloudの恩恵を受けることができる。実際、便利だから、次第にAppleの生態系に取り込まれてしまう。
最近、enchantMOONでディスプレイのピクセル・サイズや解像度などについて具体的に考えさせられた。iOSデバイスは4:3の従来のディスプレイの縦横比を取っている。Apple TVは1080p(正方形比率ピクセルにおいて1920×1080)で、16:9、iOSデバイスとは異なるディスプレイ出力を持っている。iMacのディスプレイは16:9だが、16:10の外部ディスプレイもつなぐことが可能。Nexus 7 2012は1280x800で16:10、Nexus 7 2013は1920 x 1200で16:10となっている。iPad miniのRetinaディスプレイは2048 x 1536の4:3である。僕自身の感じでは、タブレットでは4:3のほうがページ情報の表示には適しているのではと思う。小画面では16:9や16:10は縦長すぎる。大画面で横長に使うなら、16:9や16:10も便利だと思う。Appleは画面サイズによる使いやすさを考慮して画面解像度を決めている。
John Siracusa のアップル採点表の最低は「TV」のF評価。テレビは結局コンテンツだから、むずかしい。テレビの再発明というものが想像しにくいこともある。テレビはテレビでいいんじゃないのみたいな気がするから。そんな常識をどう覆すのかが問題。
さて、今年は複数のBig Planがあるらしいので、楽しみではある。
iPad Proの行方
iPad Pro というプロダクトは、Tablet/Laptop ハイブリッドになるのか? | Agile Cat --- in the cloudネタ。
今年のBig Planの一つだろう。昨年も話題になった「iPad Pro」だが、ハイブリッド的なiOSデバイスが出てくるのかどうか。出てもまったくおかしくない。12インチのiPad+MBAハイブリッドになるという予想が出ている。MBA=MacBook Airである。それから、ARMプロセッサがメインで使われるという噂もあった。CPUには64bitのA8(quad core)が使われるという話でいよいよ信憑性が高まる。後藤氏によれば64bit ARMは効率がよく、プログラミングも容易らしい。
しかしながら、iOS7そのままではないだろう。Mac OS XのARM版になるのかどうか。すなわち、タッチ・インターフェースがMac OS Xに組み込まれることになるのかどうか。Apple TVも合わせて次世代版が出るような話もあったけど。RAMの容量がどうなるかだねえ。わざわざMac用のiWorkのスペックまで落としたわけなので、あまり増やさずにバランスを取る可能性はあるなあ。我がMacBook 13-inch Late 2009はIntel Core 2 Duoで2GBのRAMを搭載。Mavericksは少し重い感じだが動く。後は、価格がどうなるかだけどね。
今、並行して読んでいる二冊は、大江健三郎の「In Late Style、晩年様式集、イン・レイト・スタイル」(新潮社、2013年)と「大江健三郎 作家自身を語る」(聞き手・構成: 尾崎真理子、新潮文庫、2013年、単行本(2007年)の増補改訂で「In Late Style」までをカバー)なんだけど、「晩年様式集」が出た直後に手には取ったものの、本当に読むだろうかと思ってそのままにしてしまったのだが、何かのきっかけで気になって本屋で迷っていた。後者の「作家自身を語る」を見つけて、これをガイドに読めそうだなと思った。
大江には「私という小説家の作り方」(新潮文庫、2001年; 単行本: 1998年)という著作もあり、この中に「虚構の仕掛けとなる私」という章がある。トーマス・マンを引いて、小説家とは何かを自白しているわけで微笑を禁じ得ないところもある。「晩年様式集」は真に私小説的であり、現実と虚構が混淆しているが、「前口上として」を読むと現実を書き留めた印象が強い。虚構の部分は小説としての体裁を取るための仕掛けに過ぎないように感じた。過去の著作名が出てくるし、家族についても語られる。家族の「三人の女たち」の意見さえ掲載されている。これが虚構だとは思いたくなかった。文庫の棚で「大江健三郎 作家自身を語る」が、小説が現実なのか虚構なのかを知りたいという欲求を満たしてくれそうだと直感して、喜んで、「晩年様式集」のある日本文学の棚に戻ったのである。
大江健三郎の「晩年様式集」など大江健三郎の初期の著作を大昔に読んで、若くしてこのような小説が書けることに衝撃を受けたことを思い出す。晩年様式集の「前口上として」の書き出しの文章の自在な日本語の使い方も、やはり素晴らしいと思った。今頃になって、日本語の文章を書き綴っている自分が不思議な感じがする。
大江は外国語の詩を原文で読むこと、もちろん日本語に翻訳しながら読むことを駆動力とすることによって小説を書いている。詩を小説の言葉で捉えなおすことが小説制作の操作、小説作法となる。「ぼくにとって詩は、小説を書く人間である自分の肉体=魂につきささっている(燃える)トゲのように感じられる」、このように感じる能力こそが小説家にとって必要なものなのだろう。(234-253ページ、「詩の引用と翻訳をめぐる考察」、「大江健三郎 作家自身を語る」)
村上春樹は小説を書くときに深いところに降りていくという、狂気と紙一重のような状態になって書くようなことを示唆している。大江の作品に「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」(1969年)というタイトルがあるが、この作品から詩の本格的な引用が始まる。これは小説を書くという狂気の生き延びる道を探す魂の叫びでもあるのかもしれない。
よく考えてみると、「飼育」などの初期の著作は別にして、長い間、文学や哲学から離れたこともあって、大江の小説はほとんど読んでいない。手元にあるのは「みずから我が涙をぬぐいたまう日」(1972年)、「同時代としての戦後」(1973年)、「新しい文学のために」(1988年)、「小説のたくらみ、知の楽しみ」(1988年、九刷: 2002年)、「同じ年に生まれて 音楽、文学が僕らをつくった」(2004年、小澤征爾との共著)、「『話して考える』と『書いて考える』」(2007年)ぐらい。1970年代初期以降から「晩年様式集」まで、小説は途切れている。
小説という形式を生み出す原動力とは何かという観点から、過去に遡って辿るかもしれない。
今日もさらに暖かい。室温が2℃高い。外気温、13℃。恒例行事を進めておこう。
更新日記生産量・記事数の推移400字詰原稿用紙に換算すれば、テンプレート部分とHTMLタグを除いたとしても、少なくとも900枚ぐらいにはなるだろう。暇人だねえ。少しは日本語がうまくなったかな。語彙や言い回しが貧困だなあと思うこの頃。
「日本語」のほうへ | ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日ネタ。元旦のポスト。ポストがあるとメールが届くように設定していた。この日記に気づいたのは昨年の大晦日あたりだったもしれない。Twitterのタイムラインを調べると12/28の「はてな新着」で知ったのだね。His Old Dream | ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日がそれ。奇妙な雰囲気の日本語だなと思ったのだが、著者はニュージーランドの方のようだ。
「日本語」を使うことの深部について述べられているこの記事は日本語に熟達したガイジンあるいはバイリンガルならではこそ言えることなのかもしれない。自らの日本語を点検しつつある自分としては、ガイジンの書いた文章の中に読めない文字があることがちょっとはずかしい。その部分を少し引用しよう。
なんでもいいから日本語の本を読んで、日本語のタネを頭のなかに植え付けて、日本語の海にローンチからボートを出すように滑り出てゆくと、「日本語の思考」が回転しはじめる。いつだったかツイッタにまるで日本語の悪魔「大庭亀夫」を召喚するようだ、と書いたら友達に笑われてしまったが、言葉にして聞かされる方では笑うしかなくても、日本語が言語の精霊の森林にようにざわめきだす一瞬には、実際にそう感じる。あるいは、そういう感覚が起きないときには、どんなに力んで書いても無惨な英語からの翻訳で、読んで、まるごと放擲することになる。
日本語を書くためには「日本語だけで出来た魂」が必要なのであると思う。往々にして「日本語人格」は、普段、ほとんど弛緩しきった毎日を送る「英語幸福わし」とは意見があわないが、日本語が憑依して、わしのろくでもない灰白色の脳髄を薔薇色に興奮させて、いつもは見ないシンボルを明滅させて、つまりはそういうことを歓びとして言語を習得するのであると思う。
そうやって言語の混沌から生まれる日本語の精霊は、西洋人たちの知らない、異様な輝きに満ちている。この現代日本語の表層の下には、表現されることを拒まれて憤怒をたぎらせている「圧殺されつつある日本語」があって、瞋恚の炎が焼き尽くした日本人が忘れてしまった荒野がある。
どこかで、ガメ・オベールのいう「異様な輝き」や「日本人が忘れてしまった荒野」を見出してみたいと思う。具体例などを示してもらうと助かるのだが・・・日本語であれば、それだけで共通の特質を持ち得るのか!?
(付記: ガメ・オベール氏について調べていくと、記事から受ける奇妙にアンバランスな印象の原因は、単に日本語に熟達したバイリンガルがお道化て書いているからではないらしい。まあ、そんなことを追求しても始まらないので、おもしろければよしとしておこう。)
しんい【瞋恚/嗔恚】の意味 - 国語辞書 - goo辞書を勉強がてら、記録しておこう。「瞋恚の炎」とは「燃え上がる炎のような激しい怒り・憎しみ、または恨み。瞋恚のほむら。」である。
大晦日に続いて穏やかな元旦を迎えた。足元の40Wの座ホットマットだけで室温20℃。お昼の外気温は12℃程度。2014年は静かに幕を上げたかに思えるが・・・東北、北陸は大雪のよう。
少し部屋の本を片付け始めた。充分に読み込んだり、日記を書くなどして、頭の中がある程度整理できたクランシー本、物理学・宇宙論関係のカテゴリの本はまとめて別の部屋の書棚に移動。積み重なっている本の中から、書店で付けてくれるブックカバーを取り外すと11冊分にもなった。読めていない本が多い。最近購入した、当面読もうとしている本二冊にはブックカバーを付けたままにしておく。
「新世代が解く! ニッポンのジレンマ」の討論は「この国のカタチ2014」という論題。タイトルは、司馬遼太郎の「この国のかたち」のアナロジーと考えてもよいけど、司馬遼太郎が「この国のかたち 一 1986〜1987」(1990年)を書いたのは、小説に書いてきたことから、「あらためて形象としてとりだし、説明的文体で書いてみることにした(文藝春秋の巻頭随筆連載)。・・・書きながら、語りかけている相手として、ソウルの未知の韓国人を想定したり、ニューヨークで出会うかもしれないアメリカ人の見知らぬ相手を思ったりした」としている。司馬遼太郎が元の小説を書いた問題意識は次のようだ。
司馬遼太郎、「この国のかたち」全6巻、文春文庫、1993年〜2000年)終戦の放送をきいたあと、なんとおろかな国にうまれたことかとおもった。
(むかしはそうではなかったのではないか)
と、おもったりした。むかしというのは、鎌倉のころやら、室町、戦国のころのことである。
やがて、ごくあたらしい江戸期や明治時代のことなども考えた。いくら考えても、昭和の軍人たちのように、国家そのものを賭けものにして賭場にほうりこむようなことをやったひとびとがいたようにはおもえなかった。
(283ページ、あとがき、この国のかたち 一、文春文庫、1993年: 単行本、1990年)
1979年生まれか、戦争を知らない子供たちじゃないけど、「戦争を知らなくてもその残り香ぐらいは知っているので伝えていきたい」という日本史の若い研究者はしっかり発言していたと思った。がんばってくれよな。
インターネットというパラメータが最終的にどのように社会や国家・世界に影響を与えるのかは、まだ未知数のように思えるが、少なくとも世界の均質化には役立つだろう。シェアハウスでマトリックス化している若者の話は興味深いが、お体大切にと思った。これから生きるためには、英語とプログラミングを学んで、東京・シリコンバレーへ来ることが重要だという、あっ、やはりそうなんだという話と、それがグローバル化とすれば、逆に国々の母語を使って発展できるようにすることの方向性を目指すべきではないかという意見が新鮮だった。