iPhone6発表イベントは9/9確定 iWatchの期待高まるキャッチコピー - 週アスPLUSネタ。
moreは何と比較してかが、問題なのだが、あなたが予想しているものと比較してということだろう。複数のサイズのiPhone 6に加えて、iWatchも発表されるだろうというのが、現時点の最新情報だと思われるが・・・。
ネタ記事の最初の方に次のように書かれている。
複数の海外ソースによれば、開催地は、クパチーノのFlint Center(フリントセンター)だとのこと。Mac30周年イベントをやったあの場所、そして初代Macを発表した場所。いわば、アップルのスタート地点のようなシンボリックな会場です。
WWDC 2014で何が発表されたかというと、iOS 8とOS X Yosemiteであることから、新しいMacが発表されてもおかしくない。HealthKitはiWatchが担うにしても、HomeKitの中核には、Macが必要だろう。次世代のMacにはApple TVも統合されてもよい。ここまで到達すれば、パーソナル・コンピューティングの完成形に近い。
[Apple] 過去25年で最高の製品 - 新しいMac!? (2014-06-02)の記事も参照。
僕と同じような思いの記事が見つかった。
ASCII.jp:33ドルのFirefox OSスマホ! インドで販売開始ネタ。
うーむ。モバイルをそろそろ考えないと。だいぶ前に娘が使っていた@nifty WiMAXのURoad-7000SSのバッテリーが膨れ上がり、iPhone5のテザリングに切り替えたので、引き取り、バッテリーはさすがに交換して使おうと、Amazonで1400円ぐらいの本体込み(?)バッテリーを購入したのだが、どうも感度に問題がある。バスの移動中はほとんどつながらない。家の窓際ではまず問題ないようだが、建物の中とか、高速移動中には弱い。WiMAX 1Dayサービスを使っているのだが、まったく役に立つ場面がなかったりで・・・実際モバイルで使う必要性はそんなにないということかも。
さて、だが、Firefox OS勉強会に出掛けるのだが、こういう時にモバイル接続環境がないと置いて行かれてしまう。前回は隣の方につながせてもらったのだが・・・一応WiMAXを持って行こう。行き先は懇親会の会場も一応○になっている。窓際の席を取らないと・・・
(追記) 結局、窓際で窓を開けても、WiMAXはつながらなかった。WiMAX2+に力が入っているのかもね。結局、同じ方につなげてもらったというか、そのままつながったというか^^;)ありがとうございました。
久しぶりの夏晴れ、比治山橋にてenchantMOONのデータを久しぶりにUSB経由でバックアップして、データフォルダから該当する撮影画像データ(background.png)を見つけ出した。enchantMOONは最近、Ver. 2.10.0にアップデートしたばかり。
enchantMOONを使って講義内容をメモしながら、勉強会風景を撮影した。三つの講義を6ページぐらいにメモって、1ページのインデックスを作成して、各講義ページへのリンクを張った。
Audioのサンプラー、JSARToolkitによるAR、Web componentsのアプリを作るという開発者向けの話、三題だった。いずれも興味深いものだが、Firefox OSデバイスがまだ日本では公式に発売されているわけではない。7-8月にFlameという開発者向けのデバイスが販売されたばかり。あっという間に売り切れ状態。Flameについては、Flame - Mozilla | MDNを参照。
本気になるためにはデバイスが手に入らないと・・・なにはともあれ、皆さま、お疲れ様でした。
アップル、ウェアラブル端末を9月の「iPhone 6」発表イベントでお披露目か - CNET Japanネタ。出るみたいだね。
HealthKitとHomeKitが、iOS8の新しい殻なのだから、iOS8の発表に一緒に出ないと役者不足だ。
PlayStation4、想像を超える売れ行きに「不安」なソニー首脳陣 ≪ WIRED.jpネタ。
僕はスペック的に見て、まあいいんじゃないと思うけど、何をやんのってところで、踏み込めない感じ。最早、ゲーム機にPCを超える性能を夢見ることはできなくなっている。なぜ売れるのかという「不安」を感じるのは普通の感覚だろうけど、価格が安いというのはあると思う。PS3初号機に比べて、お買い得感はかなりあり。
調べてみると、PlayStation 4 - Wikipediaのリンクから、「尖った独自技術をしっかり盛り込めた」、PS4の開発責任者に設計思想を聞く - 家電・モバイル - 日経テクノロジーオンラインの記事に辿り着いた。少し引用しよう。PlayStation4がPCを超える部分について述べている。
そこでSCEは、基本アーキテクチャはパソコンを踏襲しながら、ゲーム機として求められる独自技術を盛り込むという方針を選んだ。「『Supercharged PC Architecture』というコンセプトに対して、開発者からはとても良い反応があった。大幅な性能向上と開発しやすさを両立できたからだ」(Cerny氏)。多くのゲーム・タイトルの開発を手掛けてきた同氏の経験に照らしても、「本当に開発しやすいハードウエアになった」(同)という。
独自に拡張した「Supercharged」の部分は、「非常に多くあるが、代表的なものは四つだ」(Cerny氏)。(1)CPUとGPUの間で高速にデータを転送できる機構、(2)GPU内のキャッシュ・メモリからの書き戻し回数を減らす機構、(3)演算やグラフィックス描画の処理について多階層で優先順位を付けられる調停機構、(4)GPUの前処理をCPUに肩代わりさせる機能、を盛り込んだという。「我々はイノベーションを主導する会社を自負している。PS4にも、我々らしい尖った独自技術をしっかり盛り込めた」(同)と振り返る。
僕は市販のゲームそのものにはあまり興味はないので、ゲームをプレイするためにPS4を買うことはないだろう。よほど、ゲームの概念が拡張されない限りは。
ゲームの概念が拡張される可能性があるのは、「Project Morpheus」のような技術が、PS4プラットフォームに統合された場合である。[E3 2014]ソニーのVR対応型HMD「Morpheus」,その新作デモ2作品をレポート。路面スレスレを滑走し,恐竜と間近に触れ合える迫力の超体験だ - 4Gamer.netを参照。
TVを中核としたメディア・コントローラとしては、PS Vita TVがあるし。他にもいろいろ | PlayStation(R) Vita TV | プレイステーションR オフィシャルサイトを参照。まだ魅力的とは言えないけど、nasneの録画マシンとして使っているので、期待している。
しかしながら、それはともかく、ソニーは変わりつつある。PlayStation Now - Wikipediaが北米で始まる。既にクラウド型のサービスに転換する方向に舵を切っている。どのデバイスでもゲームができるようにしようというのが方向性だろうけど、PS4の販売好調に途惑うのは、モバイル・デバイスのハードウェア性能とのバランスだろう。
単一のソフトウェアを動作させるだけならば、デスクトップとモバイルはほぼ同じ性能を発揮できるようになる可能性が出てきているだろう。そこに到達できれば、問題はなくなるはずだ。
しかし、この方向性には合理性や整合性があるだけで夢がない。
Android LでBluetooth 4.1をサポートし、IoTに向けた第1歩へ - PC Watch (2014/8/22)ネタ。
メモ程度だが、あらゆる物をネットに接続するBluetooth 4.1規格が12月にリリースへ - PC Watch (2013/11/6)を上げておこう。
AV Watchの記事がより詳しい。
Bluetooth 4.1 正式発表。SMART機能を強化、通信を意識させない「モノのインターネット」へ - Engadget Japaneseによれば、Bluetooth 4.0対応機器はソフトウェアのアップグレードで4.1に対応できるようになるという。
目が覚めると、外が少し光る。しばらくして雷鳴が轟く。異常気象だ。昨日から雷がずーっと続いているようだ。
昨晩は雷が近くに落ちた瞬間に瞬停して、一瞬PCの画面が暗くなり、その時は停止せず回復したが、これはまずいと慌ててシャットダウンした。天気予報を見てみると、雷雨、27℃と表示される。雨は今日一日降り続きそうだ。
メールを一通書いた。消防車が遠くを走っていたが、いつのまにか雷も静かになった。もう一度寝よう。
(追記)安佐南区や安佐北区で大きな土砂災害が起きた。ちょうど僕が消防車のサイレンを遠くに聞いた頃、朝4時ぐらいに起きたそうだ。10棟もあった建物が跡形もなくなるという土石流とは・・・。地質が真砂土で脆い土壌に大量の雨が降ったことが原因という。しかし、ここまでの同時多発土砂災害は初めてでは。平成11年に広島・呉でも大きな災害があったことをテレビで報じているが、その時に制定された土砂災害防止法に基づく土砂災害警戒区域に指定されていない地域が、今回6地域もあったという。初めて被害にあった地域が多かったということだ。
今朝は、山陽本線が動いていたし、二号線はほとんど乾いていた。帰りも、層状の暗い雲が重なるようにして空を低く覆っていたが、雨は止んだままだった。NHKで36人死亡、7人不明が繰り返して放送されている。救助活動で子供を助けようとして、新たな土石流に襲われて子供さんと一緒に亡くなった消防士の方もおられたそうだ。痛ましいことだ。
NHKで局地的な大雨だったことを説明していた。予測が難しいらしい。避難勧告が遅れたこともあるが、深夜で停電になったために実際上避難ができなくなっていた。車にみんなを乗せてとにかく逃げた人もいたらしいが・・・緑井には阿武山の土石流危険渓流が13本あったそうだ。その下流が被害を受けた。
報道ステーションを見ている。花崗岩が風化してできた真砂土だけでなく、硬い流紋岩も崩れて流れているとしている。それだけ雨がひどかったという話だ。
曇天に蝉が力強く鳴き始めた。それに合わせて聞いたことがないような別種の蝉が鳴き始める。大雨警報が出ているが雨は降っていない。最近の雨は局所的で、少し離れると大したことがないということもあるらしい。天気図を見ると東北南部に掛かっていた前線が南下しただけで、関東以西はほとんど変わらない。
スリガラスの向こう側の空が明るくなってきた。大雨警報解除。
青空が出て、陽が差してきた。
ジョーン・G・ロビンソン著、越前敏弥・ないとうふみこ訳、「新訳 思い出のマーニー」(角川文庫、2014年)。日本列島を前線が九州から四国・中国地方、近畿・中部・関東・東北南部を斜めに横断している。太平洋上の高気圧はほとんど停滞したままだ。雨で大阪からの新幹線も遅れている。迎えに行く時間を合わせないと。広島駅北口は停車するにも場所がグランヴィア側に変わったし、停車したまま待機はほとんどできなくなった。タイミングを合わせて遅滞なく乗降車する必要がある。
情報の連環にとらわれた僕は、昨日もゆめタウンの紀伊國屋書店に歩いて出掛けた。運動不足の解消を兼ねてはいるが、もちろん、「思い出のマーニー」の原作を調べるために。
最初に見つけた角川文庫版を開いて、読み始めると、物語に惹き込まれた。これは買ってもいいなとすぐ思った。本文だけで343ページあるが、先ほど読み終えた。アニメでストーリーを大体知っていることもあるし、何を読み取る必要があるかもはっきりしている。アニメの「思い出のマーニー」がどのように原作を翻案しているかだ。
宮崎駿監督の「1+1=5」という評価がそれをよく物語っている。少ないリソースですべてを表現してみせたということ。いずれにせよ、100分程度の短い時間に何を詰め込むかは難しい問題だ。ある程度省略したり、物語の組み立てを整理・改変する必要がある。
原作の物語の後半では、リンジーさん夫婦とその家族が中心的・重要な役割を果たすのだが、アニメでは家族のうち実質的にプリシラ(彩香、さやか)だけが登場人物となる。
最後に秘密が明かされた後でもストーリーには説明できない謎が残る。なぜ、アンナはマーニーと出会い、さまざまな体験をしたのかという謎である。もちろん、そのヒントは原作の中に現象として十分丁寧に書き込まれているのだが、それを前提としても謎が残る。原作もその謎を敢えて解こうとはせずに終わる。偶然という解釈も示されてはいるものの、プリシラが見つけた日記とアンナの体験の符合は偶然の一致とは考えにくいからだ。
岩波書店のハードカバー特装版に一緒に収録されている河合隼雄先生の「思い出のマーニー」に関する文章は、岩波現代文庫の<子どもとファンタジー>コレクション1から再録されたもの。これを読んでみると参考になるかもしれない。特装版には岩波少年文庫上下版の挿絵も含まれている。他に新潮文庫版がある。
雨が降り続いている。原爆の日も、終戦の日も雨。少しの間止んで明るくなることはあるのだが、基本的に雨。盆明けの来週も前半は雨、後半は曇りだ。水不足はないだろうけど、日照時間の不足は明らかだ。売られている野菜も出来が悪いらしい。最近、テレビはほとんどつけていないが、クリント・イーストウッドの「硫黄島からの手紙」を見始めた。一度見たことがあると思うけど。
「クリント・イーストウッドは82歳で、まだ現役の理由はよく睡眠を取るからだ」というツイートを見かけて、クリント・イーストウッド - Wikipediaを調べると84歳だった。少し古いネタだったんだろう。巨匠クリント・イーストウッド監督『ジャージー・ボーイズ』、日本オリジナル予告が完成 - Ameba News [アメーバニュース]が話題になっている。現役監督だ。僕はローハイドではまだ知らなかったような気がするが、マカロニ・ウェスタン、「荒野の用心棒」の時代からのファンだ。続いて「ダーティー・ハリー」が代名詞のような時代が長く続いた。三年前に「グラン・トリノ」(2008年)という映画を「Apple TV」で見ている。次のように日記に書いている。
最近、Apple TVでクリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」を見た。主人公(クリント・イーストウッド)はフォードの組立て工で既に引退している。すごい車「グラン・トリノ」を毎日整備して磨き上げている。もっともその車の威容が主題ではない。衰退し、変容した米国の現在が描かれる。最初は奥さんのお葬式で始まり、まだ見ていない方のために最後は言わないでおこう。若い牧師が説教をするのだが、奥さんから言い残されたと主人公に懺悔に教会に来るように熱心に言う。主人公は「お前さんのように若いのに懺悔する必要はない」と嘯く。言動や見掛けは極めて荒っぽいが、実は心根の優しい公正で現実的で善良な古き良き米国人だ。
「硫黄島からの手紙」(2006年)は、米国人が日本人の側から戦争を描くという、普通ちょっと有り得ない作品だ。クリント・イーストウッドならではの映画だろう。当然、今でもファンだ。
今日は、稲妻が煌めいてかなり時間が経って遠くで雷がのろまな感じで鳴っていた。雨が強く降る時間もあったが、いまは静かだ。とにかく、変な夏だ。僕は日記で好き勝手なことを書きまくっているという感じはするけど、さて、いったいどこに着地するんだろう。
プログラミングはどこにいってしまったか。iOSやAndroidのAPIを開発者用のページを検索したり、眺めたりして、AppleやGoogleが世界をどう捉えているかと比較しながら探っている。世界の状況の調べ方については様々な方法が考えられるわけだが、プログラミングもその一つだ。世界を記述するためには自然言語だけでなく、数学言語もあれば、プログラミング言語もある。もちろん、アニメだってその方法の一つと言えるだろう。
世界はデジタルだけでできているわけではないので、メールで通信できない領域に、ここ数日、はがきを印刷して紙メールを出したりしていた。いやはや、盛り込める情報量があまりにも少ないのにいつも愕然とする。往復はがきに印刷したかったので、いろいろと試した結果、Windows8.1に筆まめの新しいVer.24をインストールすることにした。XPでも長い間使っていたのだが、しばらくお付き合いしていなかった。よくできているアプリケーションだと思う。Windowsを手放せない理由がもう一つ増えた。郵便を使う人がいる限りはだが、僕が生きている間はなくならないかな。復信の返信欄に手書きの文字を見つけるとうれしく感じるのだから悪くない。
宮崎駿を渋谷陽一がインタビューした「風の帰る場所」(2002年)はロッキング・オンの「CUT」と「SIGHT」いう雑誌のインタビュー記事で、「続・風の帰る場所 映画監督・宮崎駿はいかに始まり、いかに幕を引いたのか」(ロッキング・オン、2013年)が続いて出ている。「崖の上のポニョ」(2008年)以降の宮崎駿はこちらに存在している。「風の谷のナウシカ」(1984年、最初のインタビューは1990年)から「千と千尋の神隠し」(2001年)までが「風の帰る場所」に書かれていた。直接的には抜けている「ハウルの動く城」(2004年)については、続編に「ポニョ」のインタビューの中で言及がある。
宮崎駿は「風立ちぬ」のインタビューの中で、ポニョの世界が好きと述べている。次の部分。
「いや、僕は『ポニョ』の世界って好きなんですよ。これこそ自分のやりたいアニメーションのひとつだって思ってるんです。思ってるんですけど、ちょっとやっぱり世の中の波と歯車が噛み合ってないなと思いましたね、やってみて」
(「続・風の帰る場所」、ロッキング・オン、2013年、「初めて自らの映画に泣く」(CUT2013年9月号「風立ちぬ」インタビュー)、197ページ、「時代に追いつかれた『ポニョ』」)
「やってみて」というのは「崖の上のポニョ」のことではなくて、「思い出のマーニー」のイメージ画を試していて思われたのだろうと考えられる。[思い出のマーニー]“二つの顔を持つ”この映画を作った意味 米林宏昌監督が語る | マイナビニュースの「宮崎さんの話を聞く会」の結果を意味している。「そのときに宮崎さんが、舞台は瀬戸内だと。そこに和洋折衷の家があって、ここに船を泊めてという絵を描いたんです。その絵がすごく『崖の上のポニョ』(08年)に似ていて、・・・でもそれ以降、宮崎さんはノータッチなんです」とある。
「続・風の帰る場所」は、「出発点 1979〜1996」から再録された「ナウシカ」以前の作品のインタビューを除けば、2008年から2013年に行われた4回のインタビューである。ここには日本のアニメが置かれた厳しい現状とともに宮崎駿が如何にアニメ作りに取り組んできたかが赤裸々に語られる。渋谷氏も対談中言わなくてもいいことを言わなくてもいいのにと言いながら、すべてをしっかりと収録している。アニメは制作に費用が掛かることとアニメーターの人材が払底していることが問題の根底にある。
宮崎駿先生は映画を見られないとのことなんだが、最近のCG合成技術で作られた一種リアルな映画をどのように評価されるのか知りたいと思う。こういった映画でもエンディング・クレジットに出てくる人の名前は膨大な数になる。いつも、延々と長いクレジットを熱心に見ている自分にあきれている自分がいる。
渋谷陽一氏も僕の時代のプレーヤーのお一人だが、ロッキング・オンという雑誌が今も続いているとは知らなかった。ロックには興味があったけれども、どちらかと言えば、横目で見ていた程度でしかなかった。当時は関心のあるほとんどすべてを横目で見るしかなかったということもできるのだが、これまでロッキング・オンも手に取って見たこともない。最近のロック?は、Radioheadぐらいしか聴かない。聞き直すのもボブ・ディランぐらいだし。宮崎駿でまともに再会するとは思わなかった。そして、ロッキング・オンの出版物 | RO69(アールオーロック) - ロッキング・オンの音楽情報サイトを見ると、休刊や廃刊が相次ぐ雑誌を、8誌も擁しているのには驚いた。
単行本では宮崎駿だけでなく、「SIGHT」に連載した吉本隆明の記事をまとめた吉本隆明 吉本隆明が最後に遺した三十万字 上巻 吉本隆明、自著を語る | ロッキング・オンの出版物 | RO69(アールオーロック) - ロッキング・オンの音楽情報サイトなどを出している。世界を認識しつつある僕はいよいよ深みにはまっていく。
その前に、僕は十夜一冊第五百五十夜で取り上げた吉本隆明「世界認識の方法」を読み直していた。ミシェル・フーコーとの対話が最初にあるのだが、これが一人分の発話が随分と長い。中公文庫で実質43ページ分あり、7回の発話しかない。蓮實重彦氏の通訳で行われている。周到に事前に準備された書面の交換に基づく対話の再構成なのかどうかについては言及はない。フーコーについての深い読みはこの吉本隆明の読みに優るものはないかもしれないので、ここに戻っている。言葉と物を巡るバージョンアップの旅はさらに続くだろう。
ロッキング・オンから吉本隆明へ、日記に戻ると、さらに蓮實重彦が来て、夏目漱石の「文学論」から、ご両人の「夏目漱石論」や他の様々な書籍の存在に気が付く。やれやれ、すべてを読みつくすことは不可能だしね。それでなくとも、手元には読み切れないほどの書籍が積み重なっているのだ。そろそろ、いい加減にしなさいと言われそう・・・
青空文庫には夏目漱石の「文学論」はまだない。「文芸の哲学的基礎」という明治40年の東京美術学校文学会の開会式に朝日新聞社員として講演した述録を見つけて読み始めた。速記をもとにして、倍ぐらいの長さに敷衍して説明している。
すると、こうですな。この世界には私と云うものがありまして、あなた方と云うものがありまして、そうして広い空間の中におりまして、この空間の中で御互に芝居をしまして、この芝居が時間の経過で推移して、この推移が因果の法則で纏められている。というのでしょう。・・・
漱石は哲学とは何かを心得ていることは明白だ。そして、「意識の連続」ということに至る。僕はベルクソンの「意識の持続」やプルースト(1871-1922)の「失われた時を求めて」の「意識の流れ」を思い浮かべてしまうが、ニュートンの空間やカントの直覚を持ち出しながら、「これを申し上げないと、いつまでたっても文学談に移る事はできないのであります」といい、時間と空間の存在から「数の創造」に言及し、さらには意識の連続から、必ず同一順序で出現するものを切り出して、因果の法則を捏造するという話をしている。後にはイプセン・モーパッサン・ゾラ・デフォーが登場するが、今時、文学の哲学的基礎を主題として、まじめに語る人がいるだろうかと思った。今なら、脳科学的基礎になってしまうかもしれない。
明治40年というと、1907年、ベルクソン(1859-1941)やフッサール(1859-1938)が活躍していた時代だ。英国留学で学んだこともあっただろうけど、日本にも西洋哲学が入っていたに違いない。西田幾多郎(1870-1945)の時代でもある。
結局、どこに着地するつもりかって、いや、それは「Small World」に聞いてくれ。あなたの隣かもしれない。
[思い出のマーニー]“二つの顔を持つ”この映画を作った意味 米林宏昌監督が語る | マイナビニュースと宮崎駿、ジブリ新作『思い出のマーニー』のポスターにおかんむり ...などネタ。見に行ってきた。
イオンシネマの4番スクリーン、トランセンデンスと同じスクリーンだった。14:05開始。最終的に20名程度と見た。小学生低中学年の子供連れの親子が中心。女子中高生はいなかったような。ジブリ・ファンらしい若い男性一人の観客もいた。夫婦は僕らぐらいだったと思う。
ジブリ作品でも今回は行かないかなと、思い出のマーニー - Wikipediaを読んでしまっていたので、秘密は知っている。それが、どのような具体的なストーリーの中で、どう表現されるのか、それが関心だった。
原作は知らないが、登場人物の設定が宮崎作品とは大きく違う。主人公は最初は魅力的ないい人には描かれない。母親もおどおどしている。なぜ、と、最初の違和感がそこにあった。一種のリアリズムというか、解析的なものを感じた。主人公は問題を抱えているのだから、当然ではあるのだが、見ている方は気分が落ち込んでしまう。
原作の物語は主人公の心の中にあるためか、場面転換を視覚化して描くのに苦労している。眠り込んだり、転んで倒れて気絶したりする場面が多い。最後の謎解きも説明的になってしまった。話の展開の中で自然に謎が解けていくわけではない。残された日記の記載から謎が解ければ、破り取られた部分が活きてくるのだが・・・最後は、抱えていた問題も解消して、ハッピーエンド。よかった、よかったということに。
完成記者会見には、「麻呂(米林監督の愛称)はよく頑張った。1+1を5にする男」「じじいが去ったジブリの押しも押されぬエース。祝福したい」と宮崎監督、高畑監督からそれぞれコメントが届いたそうだ。
エンディング・クレジットを最後まで見たが、宮崎駿の名前はどこにもなかった。ネタ記事を読むと宮崎駿は途中で関わろうとしたらしい。前者記事には次のようにある。
・・・「宮崎さんが『風立ちぬ』(13年)の製作で忙しい最中に『こういうイメージはどうだろう』とたびたび(マーニーの)イメージ画を持って来られて。これは(双方にとって)まずいというふうに鈴木さんが判断して。宮崎さんとほかのスタッフも何人か交えて『宮崎さんの話を聞く会』のような機会を作りました」ということがあった。「そのときに宮崎さんが、舞台は瀬戸内だと。そこに和洋折衷の家があって、ここに船を泊めてという絵を描いたんです。その絵がすごく『崖の上のポニョ』(08年)に似ていて、なんか(米林監督がイメージしているのとは)違うんじゃないかなと思って。でもそれ以降、宮崎さんはノータッチなんです」・・・
後者の記事には、「いまどき、金髪の女の子で、お客さんの気を引こうなんて古い!」とスタジオ中に貼られたポスターを見て宮崎駿が怒っているという記載がある。このポスターだけでなく、ダブルヒロインという売り込み方は物語の主題や秘密をなんだか誤解させる方向性で、これを宮崎駿は怒ったのではないかと僕は思ったりした。二人一緒のポスターやマーニーと杏奈の交流の描き方を見ていても違和感が残った。解釈によってはまったく否定するものではないと思うが、特にマーニーの描き方はとてもむずかしいと思う。ファンタジーであるがゆえに。
確かに、宮崎駿が描いたら、まったく別の世界になっただろうなあと思わせる話だ。もっとも宮崎駿自身は「この原作は自分では生涯、映画にできないと思っていた。難しすぎる」と言っていたそうだ。
「続・風が帰る場所」(2013年)の「風立ちぬ」のインタビューに「映画とは人間に肉迫すること」という項がある。宮崎駿は、そんなのありかなと思わせながらも、観客を驚かせて、一気にファンタジーの世界に引き込む力がある。例えば、「風立ちぬ」なら、堀越二郎が子供時代に夢の中で屋根の上に設置した飛行機で飛ぶ場面やカプリーニ伯爵の挿話の場面だ。話が終わっても、あれは何だったんだろうと、思い返したり、謎が深まったりする。矛盾をそんなに気にしない。もともとファンタジーなので現実にはあり得ない話なのだ。宮崎駿ファンとすればもう一度そんなアニメを見たいなと思った。
一応、「プロフェッショナル 仕事の流儀」を見る準備は整えたが・・・ジブリ初のダブルヒロインに会いたい 「思い出のマーニー」の世界をセットで再現する種田陽平展 - ねとらぼで少しネタバレ。そこにはまた別の世界があるだろう。
プロフェッショナル 仕事の流儀 第236回 2014年8月25日(月) 放送予定 細部を突き詰め、世界を創る 美術監督・種田陽平ネタ。
8/10のジブリ汗まみれのエアチェックで、2014/08/02 「思い出のマーニー×種田陽平展」との連動キャンペーン「au loves ジブリ」のトークセッションの模様をお送りします。を聴いたと思ったら、Facebookにネタが現れた。「思い出のマーニー」は苦戦中らしく、女子中高生ばかりが入っているそうだ。プロモーションのターゲットが絞られ過ぎという若い人への苦情が語られた。今回は鈴木敏夫のプロモーションが出ないなと不思議に思っていたのだが、若い人に任せたらしい。後追いではあっても時限爆弾的仕掛けが次々と開いていく。最後の波状攻撃、追い込みに入った感じ。
熱風8月号「特集 思い出のマーニー」とアエラ2014.8.11号の「ジブリ作品を育てた本の森 鈴木敏夫を宮崎駿につなげた232冊」熱風の8月号は「思い出のマーニー」の特集、「ジブリ汗まみれ」の一つ前の番組は、アエラの記事になっている「ジブリ作品を育てた本の森」の選定を収録したもので、さらに代官山蔦屋書店の「鈴木敏夫書店」とジョイントした企画になっている。
「プロフェッショナル 仕事の流儀」を意味のあるように見るためには、最終成果物の「思い出のマーニー」を見ておく必要がある。予告編は何度も映画館で見ていたが、今一だったので迷っていた。中味を隠し過ぎなんだよね。謎がわかっちゃうと終わりみたいな印象を与えてしまう。それはともかく、明日見てくるかな・・・鈴木敏夫先生がポッドキャストで、女子中高生だけでなく、おじさんにもおもしろいと言明したのを信用して・・・
ニコニコ技術部と中国の工場を見にいったら凄すぎて絶望した件:伊予柑ブロマガ - ブロマガネタ。
元ソニーのバイオ、全機種を1万円値下げ 再出発も受注に苦戦の記事を見ながら、ため息をついた。もう10万円を超えるPCはいくら魅力的でもそんなには売れないだろう。次世代のPCとはどうあるべきだろうと考えるのだが、そんなに都合のよい解はなさそうだ。
シャオミ、中国でついに1位、サムスンは2位に後退 明暗分かれた4〜6月のスマホ市場:JBpress(日本ビジネスプレス)が現在のpost-PC市場を象徴している。高性能なものが低価格で販売される時代だ。XiaomiのアマゾンでのSIMフリーの並行輸入品の価格を見てもスマホやタブレットの価格は2-5万円に止まる。Androidでいま最も勢いあるメーカー「Xiaomi」。独自ROM『MIUI』の使い勝手をテスト | ライフハッカー[日本版]、42,500円か、微妙な価格ではあるけど。
それはともかく本論。Xiaomiに象徴される成功例が頻出するかどうかだけど、その点はまだわからない。結局は何をするかだ。何をしたいかだ。アイデア律速。アイデアさえあれば、日本でもなんとかなりそうな気はするけど。
さて、次はiWatchがどのような形態のデバイスとして登場するか、どこまで成功するかに注目が集まるだろう。Appleが新たに準備しているのは、HealthKitとHomeKitだ。しかしながら、iWatchとどのように関係するのかは必ずしも明らかではない。
GoogleのAndroid Developersを覗くと、WearとTVとAutoにカテゴリ分けされている。Autoは自動車を意味する。WearとAppleのHealthKitとHomeKitが機能的にどう対応するのかはよくわからない。
資本主義を乗りこなすためには、新たなカテゴリを生み出せるかどうかに掛かっているだろう。もっとも、乗りこなす前に終わってしまう可能性もあるわけだけど・・・
今井むつみ、針生悦子著「言葉をおぼえるしくみ 母語から外国語まで」(ちくま学芸文庫、2014年)。言語学、認知科学、人工知能の領域において、重要な書物が出た。チョムスキーおじいちゃんに読ませたい。言語能力は生得的能力に基づくものだということを根拠を示して明言しているし、これまで言語心理学の分野でどのような問題が議論されてきているのかも紹介してくれている。チョムスキーは既に前提であり、人工知能についても意識している。言語に興味があるなら必読だ。
人間は、様々な推論方法を組み合わせて、複雑な推論を行いながら言語を獲得して巨大な言語システムを作り上げていく。本書は、実験や観察に基づいた言語獲得の方法についての研究の先端とその成果や知識を得ることができるだけでなく、逆に出来上がった文の構造を解析していくためのヒントを得るためにも有用かもしれない。また、心の成り立ちを解明する端緒になる可能性もあると思う。最初の項目名になった「心の中の辞書」という言葉にぐっと惹きつけられた。日本でこのような本が生まれたことをうれしく思う。
人間は集合すると、コミュニケーションをしながら、任意の言葉を生み出して、世界を認識するシステムを作り上げていく。コミュニケーションが先か、言葉が先かということになるのだが、おそらく、相手の真似をして学習していくのだろう。誰かが最初に発明するわけだ。それを相互に学習して定着させていく。このように新しい音を真似ることが出来るのは、岡ノ谷先生によれば人間と小鳥とクジラぐらいだそうだ。スズメだって、「こんにちは」とはっきり言えるようになるらしい。[ストーリーテラー (2014/07/01)]「言葉をおぼえるしくみ」で驚いたもう一つの点は、手話でもそれが可能だということだ。「さえずり言語起源論」だと言語の起源は音声ということになるが、ジェスチャーも言語の起源になり得る。なんらかの記号であれば、言語になり得る。世界に、これだけ多くの言語が存在する理由だろう。
千住博の著書は「千住博の美術の授業 絵を描く悦び」(光文社新書、2004年)を先に読んでいる。これは著者自らが京都造形芸術大学の実際の授業を光文社新書編集長に見せて、本にしたものだ。この本はアマゾンの芸術教育カテゴリでベストセラー第1位になっている。ここでは、近著、千住博「<オールカラー版>日本画を描く悦び」(光文社新書、2013年)を取り上げる。
最近、NHKの達人シリーズで千住博と石川さゆりの組み合わせがあって、大変興味深く拝見したわけだが、千住博が岩絵の具を垂れ流す滝や和紙をくしゃくしゃに丸めて広げる岩肌の表現の試みに辿り着いた道筋がどうであったかと思った。SWITCHインタビュー 達人達(たち)「石川さゆり×千住博」 - NHKにまだリンクが残っている。Eテレ、7月12日、土曜日のことだった。
「日本画を描く悦び」は、小さいがフルカラーの図版が多用されている割に、価格も920円と抑制されていると感じたので購入した。いずれ軽井沢千住博美術館に訪れたいと思わせる図版も多い。通俗的にはそういうことになるが、決定的だったのは、「まえがき」の次の部分を読んだこと。
当時(5〜6歳)、私の描いていた絵は、それらを自分の言葉へと変換し、噛み砕いて、自分の理解の仕方に落とし込んでいくという感じでした。自然を見ても、その通りに描くのではなく、それを自分なりの世界観、ストーリーとして再構成して描くのです。つまり、物事を観察し、説明的な描写をするということにはあまり興味がありませんでした。・・・
その他にもいくつか引用しておこう。ここには予想を超えた記述がある。
芸術とは、煎じ詰めれば心を持つ生命体の情報交換のことですから、科学という一面も確実にあります。レオナルド・ダ・ヴィンチやルネッサンス期の巨匠たちはその両面にまたがる仕事をしていました。実はここが重要なポイントなのですが、芸術は人文学だけでは踏破できない、生物学や情報科学の領域にまたがった多角的な山なのです。芸術とはイマジネーションのコミュニケーションであり、美とは本能的な感性なのです。
(第二章 優れた芸術が生まれるには、火の鳥、61ページ)
物質的な日本画は、膠に分散させた岩絵の具を和紙に定着させたものということになる。しかしながら、和紙の性質によっては膠との相性が悪く、滲みが出て、岩絵の具をうまく定着できない場合もあるそうだ。膠を使った日本画の修復が困難な外国では、耐水性が必要な場合はアクリル絵の具を使う場合もある。日光が当たるのが避けられないような場合は、インクジェットプリンタで印刷して、数年ごとに模様も含めて取り換えるということもある。ここには日本画の物質科学としての側面がある。
第四章 夢、現実、生、死の「夢」の項に次のようにある。ここには<楽園について>という1988年の作品の図版が置かれている。アフリカの黒い土の香りのする暗い静謐なジャングルから遠くに見える小さな青い海の光景だが、これは観察したものをそのまま写しとるような絵ではない。時間が止まったような夢の中の光景かもしれない。
夢を夢のままに残しておいても、やがては遠い記憶の彼方に消え去っていくのみです。消えないような形に残してみて初めて、その夢は価値を持ち、そしてその夢について考えを重ねることもできるわけです。
本日記も気が付いたもの、思いついたものを書き留めておいて、さらに考えを重ねることができるようにしたいということが根本の目的にある。絵もそういう側面を持っている。記録された情報はそのようにして役立てるものである。
宮崎駿やジブリなどを含めてアート関連の記事が続いている。さらに続くだろう。もちろん、本日記が取り上げる題材は創造的な物事に関わる。本日記を要約すれば、テクノロジーを含めて、世界でどのようにして新しいものが創造されていくのかを追求していると言えるだろう。この観点から日記を整理していくのもわかりやすいかもしれない。そんなつもりで様々な話題を取り上げていく。
宮崎駿「風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡」(文藝春秋、2013年;ロッキング・オン、2002年)。インタヴュアーは渋谷陽一氏。初めて、電子書籍をまともに読み通した感じ。iPad2のKindleで読んだ。他にも宮崎駿先生自体が書かれたものやインタビューや対談も読んでいるので、知っていることもいろいろあるが、知らないこともかなりあった。1990年から2001年までの5回のインタビューの集成だけど、戦後日本の歴史の貴重な資料でもあると思う。
「風の帰る場所 on iPad 2」と「ジブリがアエラにやってきた」増大号アエラ昨日、台風の影響がなくなったのがはっきりしたので、ゆめタウンの紀伊國屋にアエラを探しに出かけた。雑誌の棚にはなく、芸術関係の一角にあるジブリ関係のコーナーに何冊か置かれていた。
最近、ハフィントン・ポストとの提携などを含めて、朝日新聞が勢いを取り戻しているように感じる。混迷する現代日本という池に一石を投じる重要な企画だ。特別定価410円。お買得の一冊。まだ、雑誌は生き延びる。
『どこにもなかった「未来」をみつけた』という記事にある星野康二ジブリ社長の「大事なものは守り通したい」(40ページ)には、特に心を打たれた。
ナウシカは漫画を12年掛けて描いているので、他の作品とは違う。止めたいと思いながら描いていたというのには、あーっ、そういうものなんだと思った。風の谷のナウシカ (2009/11/02)で一度取り上げたが、中味に言及していない。もう一度ひっくり返してみようか。
本書のインタビューは、宮崎駿の創作の秘密というか、宮崎駿という人間そのものにかなり迫っていると思う。記憶に残ったのは、「もののけ姫」について『まずずいぶん古いモチーフとしては「美女と野獣」があって、それから、日本を舞台にした製鉄集団というのもありました。山を削っていくうちに巨大なものがやってきてね、ある日歩き出すっていう、そういう映画を作れないかなって。東映に入ったばかりの頃から言っていたことなんです』という部分。これはナウシカの巨神兵も思い浮かべさせるのだが・・・
AERA 2014.8.11(Vol.27, No.34)「ジブリ・鈴木敏夫特別編集長/宮崎駿 引退後の初仕事」とGHIBLI熱風 2014年7月号「特集 三鷹の森ジブリ美術館企画展示 クルミわり人形とネズミの王さま展」熱風の最初の『「クルミわり人形」との出会い』の最後に「ともあれ、ホフマンという人にこの歳で僕は遭遇した。不思議ですよね。と同時に、この世界を理解しようとノートまでつくって、ほとほとくたびれた半年間でした(笑)」とある。楽な仕事はないということか。
ホフマンが原作「くるみ割り人形とねずみの王様」(Wikipedia)を書いたのは1816年。くるみ割り人形 - Wikipediaによれば、アレクサンドル・デュマ・ペールが1845年にフランス語に簡訳し、バレエの作曲の依頼を受けたチャイコフスキーがデュマ版を元に「くるみ割り人形」を作曲した。宮崎駿が出会ったのは、絵本「くるみわりにんぎょう」(E・T・A・ホフマン原作、アンマリー・アンダーソン再話、アリソン・ジェイ絵、蜂飼耳訳、徳間書店、2012年)。絵本で人形やクリスマスツリーが大きくなるのは、バレエの表現に基づいた話になっているからだと思われる。
熱風7月号の8ページに次のように宮崎駿は書いている。
「くるみわりにんぎょう」の絵本に触発されたんですが、僕は以前アニメーションでファンタジーはもう無理だと言っていましたが、ファンタジーはあり得ると思うようになりました。大きなマーケットを相手にするのは構えが大きくなってややこしいけど、本当にファンタジーと言えるような、こういうまろやかな世界をつくる仕事はあり得るんだというふうに、「クルミわり人形」の原作者ホフマンとずっとつき合っていて思うようになったんですね。それはどういう形なのか見当もつかないんだけど、・・・
宮崎駿は新しい道筋を見つけて、既に転換を始めている。結局、調べていくとホフマン(Wikipedia)が重要だということになる。
さらに、また、何か書くかもしれない。to be continued...
蝉が鳴き始めた。雨は止んでいる。開いたブラインドの向こうのスリガラス越しに空が明るくなっているのがわかる。6時頃、台風11号は北北東に向かっていたはずだが、テレビを点けると、もう少し東寄りに傾いている。8時25分の雨雲のレーダー像は蝉が鳴く理由を明白に示している。台風の目の東側に雨域のほとんどが広がっているからだ。近畿地方が大きく影響を受ける。
避難指示と避難勧告を合わせると150万人以上に出ているそうだ。盆休みの帰省を直撃している。
台風13号が迷走して日本に近づかなければよいが。
(追記) 台風13号は985hPaとなって勢力が弱まっている。台風11号は温帯低気圧になって、台風13号付近の太平洋上の雲も少なくなっている。
ジブリ、長編制作は小休止 鈴木敏夫さん「解体」説否定:朝日新聞デジタルネタ。ジブリ、アニメ撤退 映画制作部門を解体 「ポスト宮崎駿」育てられず - ライブドアニュースの記事が発端。
遡って、「この世は生きるに値するんだ」 「風立ちぬ」の後をどう生きるか 宮崎駿監督、引退会見全文 (1/9) - ITmedia ニュースを読んだ。2013年9月6日の引退会見の時、宮崎駿監督は72歳。集中できる時間が12-14時間から7時間に減ってしまった。風立ちぬの制作に5年を要した。これ以上の長編制作は無理との判断だった。
もう一度いう。ジブリ解散も撤退もない、そして次回作はコレだ!|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見という見方もある。
70歳を越えれば、あと10年で何ができるか、考えてしまう。三鷹の森ジブリ美術館は2001年に開館したそうで、最初の展示は色褪せてきているという。やりたいことはいくらでもあるだろうね。
それはともかく、スタジオジブリの未来[前編]:脱却できない「宮崎駿=スタジオジブリ」イメージ(松谷創一郎) - 個人 - Yahoo!ニュースとスタジオジブリの未来[後編]:ホワイトナイトはだれなのか?(松谷創一郎) - 個人 - Yahoo!ニュースを読んでなるほどと思った。が、やはり宮崎駿抜きではホワイトナイトも戦えないだろう。ハリウッドの映画製作のテクノロジーが宮崎駿を如何に助け得るのかという見方もあるのでは・・・
宮崎駿を少しずつ機械学習させてね。アニメを描かせる。あーっ、それはジブリを助けることにはならないか^^;)
(追記) ジブリとディズニーがDVDの販売やアニメの配給において提携関係があるので、ディズニーのCG技術そのものかどうかは知らないけれども、「もののけ姫」の段階でジブリにも同様のものが導入されているらしい。
43年振りの雨の原爆記念日。雨の記憶がないはずだ。今朝は宮島口から西のほうに二号線は大渋滞だった。岩国の錦帯橋のほうではかなり被害が出たらしい。ガザ地区、ウクライナの紛争。飛行機の墜落。アフリカのエボラ出血熱の流行。笹井氏の自殺。世界はざわついている。世界を平和にするにはどうすればいいのだろう。昨晩、「平和の夕べ」コンサートに出掛けた。
式典前夜、雨の広島平和記念資料館と準備の灯り昨晩、広島国際会議場フェニックスホールで開かれた「平和の夕べ」コンサートで、クリスティアン・アルミンク指揮、広島交響楽団のマーラーの交響曲第9番ニ長調を聴いた。アルミンク氏の身体全体を使うダイナミックな指揮と生の演奏を思う存分愉しめた。予想したよりだいぶよかった。帰りに原爆死没者慰霊碑の前で手を合わせた。その後の写真。
記憶に間違いがなければ、先週の水曜日ぐらいに日本の高空に押し寄せてきた厚みのある雲の群れは台風の影響のはずであるという程度だった。それが実際に雨雲となり、脈動する雨となって降り続いている。高知ではここ数日で1000ミリ降ったという。広島の年間降雨量が1600ミリだそうだ。四国は地盤が広島よりはしっかりしているが、ここまで降ると危険。台風11号の影響で今週はずっと雨らしい。めずらしい雨の夏だ。「ゲーデル、エッシャー、バッハ あるいは不思議の環」はまだ閉じていない。環は開かれたばかりでだらんと垂れている。バッハをいろいろ聴く機会になった。
「ゴルトベルク変奏曲、14のカノン 高橋悠治」、「音楽の捧げもの パイヤール室内管弦楽団のソリストたち」、「フーガの技法 グレン・グールド」「音楽の捧げもの」のRealisationはジャン=フランソワ・パイヤールとなっている。
風が雨を吹きつけている。ザーッともゴーともつかない風の音がやってくると雨音が隣の屋根を打ちつける。バラードの狂風世界を思い出す。
Glenn Gouldはゴルトベルク変奏曲の演奏をいくつか残している。1955年版とか1981年版とか言われている。iTunesのグレン・グールドのベストセラーになっている「バッハ:ゴールドベルク変奏曲」は演奏データが見当たらない。ベストセラーの要因は600円という低価格だと思うが、「Stave The Classical Label」と書かれているだけだ。ググっても由来はわからない。
「GLENN GOULD IN SALZBURG」(Saltzburg Festival 25.8.1959)がMEMORIAからHISTORICAL RECORDINGとして1988年に出ているが、この中にライブの「Goldverg-Variationen BWV 988」がある。このあと、グールドはコンサート活動から身を引いて音楽の研究や放送・録音などに専心することになったので、ライブ録音としては貴重なものである。
高橋悠治の「ゴルトベルク変奏曲、14のカノン」に興味を持ったのは、当然「14のカノン」というタイトル。カノンに敏感になっているからだ。富田庸氏のバッハ:カノンへの目覚めには次のように書かれている。
《14のカノン》は、一冊の《ゴルトベルク変奏曲》初版譜巻末の未使用ページにバッハが丁寧に書き込んだもので、「先のアリアの8つの基礎音に基づく様々なカノン」という題名がつけられている。1974年にストラスブールで発見されたこの楽譜は、修正や改良を多く含む「私蔵保存本」で、バッハが将来改定版を刊行する予定でいたことを示している。
それぞれのカノンの記譜法自体は<謎カノン>の様相を呈し、演奏楽器の指定も無く、至って抽象的な音楽思考を追求した奇抜な作品である。反行と逆行に始まり二重・三重カノンと経て、最後の14番では拡大と縮小による4声のカノンが展開されることからも分かるように、殆どすべてのカノン手法を網羅しており、カノン技巧の難度が順に上がっていくようにアレンジされている。これらのカノンの解決は1通りである必要はなく、R.ボスは1996年の著書において268通りの解決を提示している。
Canons & Fugues of J. S. Bachにもバッハのカノンに対する熱心な関心が伺える。ゴルトベルク変奏曲自体にも9つのカノンが含まれている。「音楽の捧げもの」には10曲、「フーガの技法」にも4曲のカノンが含まれる。調べていくと、コラール前奏曲などにもカノンは含まれているが、まずはこの三枚に含まれるカノンを聴くことから始めようとしたわけだ。
なぜバッハはカノンを書いたのかについては、前段の北アリゾナ大学(Nothern Arizona University)のサイトにCanon: Why Did Bach Write Them?のページがある。このサイトはバッハについての多様な学習ができるようになっている。素晴らしい。
taro-nishino氏のスラッシュドットの記事、非SQLデータベース Apache CouchDB 1.0 (2010/07/17)あたりが切っ掛けだったと思う。taro-nishino氏はTSNETで発言されたこともある方だが、Perlだけでなく、数学に造詣が深いことを知ったのは。おそらく数学科の出身なのだろう。最近は、Perlの記事はなく、数学関係の記事がほとんどだが、僕はtaro-nishino氏のスラッシュドットの記事で志村五郎先生を知ったのだ。志村五郎著「記憶の切繪図 七十五年の回想」(筑摩書房、2008年)自体は数学そのものの本ではない。数学者の子供の頃からの回想録である。最近、立て続けに、ちくま学芸文庫から、数学そのものについての本が三冊出たこともあって取り上げることにした。もうすぐさらに一冊出るそうだ。
直接的には、昨日、ツイッターの「数学のあゆみボット」(@Auf_Jugendtraum)が「谷山豊さんの葬儀は、・・・」とつぶやいたので調べ始めて、「記憶の切繪図」をもう一度点検して、通して読み終えた。夫婦して、谷山豊を思って泣く場面がある。もう56年近く前のことである。
僕の高校時代の友人にも数学科の出身者がいるけれども、今はもう忘れてしまったと言っている。数学の世界はむずかしい。志村五郎先生にしても、自分の考えていることを理解しているのは、場合によっては自分だけ、あるいは世界でも片手の指で数えるほどでしかないという。志村五郎著「数学をいかに使うか」(ちくま学芸文庫、2010年)を眺めて、どう使うべきかイメージできれば相当の数学的能力があるだろう。数式を見て、その内容をイメージできるのは、楽譜を見て、音楽を見通す能力と同じようなものなのかもしれない。じっくりと抽象的な数式を追い掛ける余裕がないので、もっと実際に必要な具体的なテーマを置いて考えたい。そんなものが目の前にあるのかどうか・・・
「数学のあゆみボット」の兄弟ボットである「素数の歌はとんからりbot」(@On_Absolute)の加藤和也先生を調べると、数理の世界−新世紀の数学を探る(学術俯瞰講義) The World of Mathematics (Global Focus on Knowledge) −講義一覧 Course list−UTokyo OCWが見つかった。東大のオープンコースウェアだ。数学を学ぶ出発点としては興味深いものである。
僕は数学と物理学世界の対応に興味がある。ゲーデルの不完全性定理からは演繹的に世界のすべてを表現できないことは明らかだ。数学、物理、言語、意識、脳、カオスのつながりに興味がある。どんな具合につながっているのかを知りたい。
ところで、この記事の探索で、次のような記事を見つけた。僕のゲーデルの証明への理解を修正させることになった。最後の部分を引用する。
不完全性定理は自然数の体系についての主張であって、完全で矛盾のない公理系もある。たとえば、実数の足し算や掛け算は矛盾を含んでいない。ただし、実数の中で、その部分集合として自然数を定義しようとすると、そのような理論の中では自分自身に矛盾がないことが証明できなくなる。
このように、不完全性定理は自然数を含む理論についての限定的な主張だ。「ゲーデルの定理は、私たちの知識は常に不完全であることを明らかにした」などと言われることがあるが、この定理にはそのような包括的な意味はない。
とはいえ、自然数は数学の基礎のひとつなので、ゲーデルの定理のインパクトには大きなものがあった。数学は、数少ない公理からはじめて、数多くの定理を証明することが重要だ。自然数についても無限個の定理が考えられる。有限な数の文字で表される公理から始めて、そのすべてを証明することはできない。不完全性定理が突きつけているのは、僕らが有限の存在であるということだと思う。
(大栗博司 無限世界と不完全性定理 後編<数学の言葉で世界を見たら> - 幻冬舎plus)
僕の目から見ると、公理系から導かれる世界は閉じられているはずなのだが、実際にはそんな世界は存在せず、何処かが開いているというか、他の世界につながっている。それは直観的に自明だと思う。XMLなどで世界を記述しようと思えばすぐわかることだ。僕が表現したいものはそのような構造である。
iOS は 53% で Android は 166%:アプリ売上の成長率を1枚のチャートで! | Agile Cat --- in the cloudネタ。
Apple が iPhone を 死ぬほど大切にする理由: それを示す1枚のチャート | Agile Cat --- in the cloudの記事もある。iPadやMacの伸びが停滞している理由は、iPhoneがパーソナル・コンピューティング・デバイスの中で最も重要だからだ。単純に言えば、電話でもあるが故に欠かさすことはできないからだと思う。個人のこのようなデバイスへの投資には限界があることも示している。高価格帯のアップル製品は、先進国では成熟し、新興国需要に多くは頼れないからかもしれない。さらには世界経済の減速を意味している可能性もある。
最初の記事は、Androidのアプリ・マーケットの大きな伸長から、デバイスの利用度がiOS対比低いと言われてきたAndroidが、圧倒的な台数優勢をベースに、着実な発展を遂げつつあると見ている。既にそのアプリ・マーケットの規模はiPhoneのサイズに匹敵している。
Appleが、今年から来年にかけて、新しいカテゴリのデバイスで追撃を躱すことができるかどうか。これが焦点になるだろう。
科学ネタが二本続いた。いずれも発想を刺激されるものだが、新たなモノやコトを生み出すのには時間と手間が掛かる。「Soft Matter」誌の「matter」は、可算名詞としては事とか、事柄、問題であり、不可算名詞としては物質でもある。いいタイトルだね。自由さを感じる。
本日記も記事の分類用に登録しているカテゴリだけで、現在366件ある。これをいくつかの束にまとめて100本ぐらいの複線として弦のように響き合わせながら思考するということを考えたい。その束はさらに時によって組み合わせ方を変えていく。そのような変化をビジュアルに示せればおもしろいかもしれない。
関連する記事をどう辿って読むかという問題もある。読み方によって新しい発想・記事が生まれるかもしれない。
そんなことをアプリ化できるとおもしろいと思いながら、なかなか落ち着いて考えることができない。さて、精神分裂的思考状況から如何に頭を切り替えて、複線思考に集中できるかが問題・・・
DIY、ハードサイエンス、バイオハッカー...。MITメディア・ラボ伊藤穰一氏が示すイノヴェーター未来予想図 : ギズモード・ジャパンネタ。
イノヴェーターは、サイエンティストであり、エンジニアであり、アーティストであり、デザイナーであることが必要だというお話。
「スプーン1杯で1TB」液体による情報保存技術 ≪ WIRED.jpネタ。
発想が斬新だね。Shape-shifting clusters move beyond ‘hardware’ | Michigan Engineeringを見て、ルーディ・ラッカー(Rudy Rucker)の「ウェットウェア」(Wetware)を思い出した。
「Digital colloids: reconfigurable clusters as high information density elements」という論文はRSC(Royal Society of Chemistry) Publishingの「Soft Matter」誌で読める。物理学と化学と生物学が出会う場所。