吉本隆明死す (03/18/2012)で読み始めたと書いたが、読み終えていない。1924年生まれから計算すると、57歳の頃の著作である。中沢新一著「MIKROKOZMOSZ II - 耳のための、小さな革命 -」(中公文庫、2014年;原著: 四季社、2007年)の中の「吉本隆明さんをめぐる三つの文章」の二つ目、「二十一世紀に向けた思想の砲丸」が「最後の親鸞」(ちくま学芸文庫、2002年;原著: 春秋社、1981年)の解説であることに気が付いて、もう一度最初から読み始めた。
序の最初は次のようだ。
生きた親鸞を虚空に描いてみると、かれがひそやかに抱いた自誡のようなものを想定できそうにおもえてくる。かれはあくまでも、法然とその法弟にあたる聖覚や隆覚の念仏思想の祖述者として振舞って、念仏者としての自己主張を決して流布しなかった。これが思想的な自誡なのか、わたしたちは知ることができない。当然、じぶんの見解を流布していい場面で、かれは聖覚や隆覚の著作の註解者として、弟子たちに振舞っているところから、ひそやかにそう推察するのである。・・・
この文章を読んで、主張したいことを明瞭に述べる方法とは何かということに思い至った。詩人として出発した吉本隆明ならではの表現なのかもしれない。「生きた親鸞を虚空に描いてみると、かれがひそやかに抱いた自誡のようなものを想定できそうにおもえてくる。」「自誡」するように振舞ったのはなぜなんだろうと、すっきりと疑問が浮かんでくる。
この世の出来事を複雑で深いままに理解する知性の働きが「夜の知恵」。本来、学問や芸術はそういうものであらねばならないのではなかろうか。それを、学問と芸術の守護女神アテナのそばに鎮座している梟が象徴している。梟は未来を予知する。
結論から書くとそうなる。単純な理解は阻まねばならない。昼の理性が混乱するとしても「夜の知恵」がそれを拒む。不吉な話を嫌ってはいけない。その先に答えがある。
話は飛躍するが、おそらく、自然と文化の二分法を乗り越えることがその先にある。それは中沢新一が昨年現代思想誌2014年1月号の「野生の科学、あるいは新構造主義の時代」のインタビューで語っていたこと。
・・・ゲーテの色彩論にしても植物学にしても、人間の脳内過程と外界の自然過程を一つの連続として捉えていこうとする考え方です。ニュートンの色彩論は自然過程と記号過程を分離してしまいますが、ゲーテはそれを拒否します。神話は植物が「変態」していくように自己変形を行い、そのなかの内在論理が無数のヴァリエーションを生み出していく。レヴィ=ストロースは人間の精神活動を、そういうふうに自然過程そのものから生み出されるものとして読み込んでいきます。
「フイロソフィア・ヤポニカ」では、簡単に言えば、日本思想には、自然と文化の二分法すなわち近代(モダン)を乗り越えるものが内在していると、ポストモダンでもなく、非モダンの哲学があるという方向につながっていく。これについてはもう一度どこかで取り上げよう。なにしろ、ポストモダンではなく、非モダンという展開なので。十夜一冊ではすでに「フイロソフィア・ヤポニカ」を取り上げていたが・・・、こういう展開になろうとは、予想できていないということはまったく読めていなかった、むしろ読んでいなかった^^;)もうポストモダンの話は超えていくことになるのかもしれない。
中沢新一自身が自らの思想を表した出発点とする「雪片曲線論」(中公文庫、1988年;原著: 青土社、1985年)がある。あとがきには「チベットのモーツァルト」(講談社学術文庫、2003年;原著: せりか書房、1983年)の続編のような性格を持つとあり、次に「森のバロック」が出る予定ともある。最初に置かれた「ジェネレーション 1」のジョン・ケージの茸の採集から展開される茸の話は「森のバロック」の南方熊楠につながるのだろうと思わせる。ここでは「中間性の知性」という表現になっていて、既に自然と文化の二分法を超える考え方が現れている。
「雪片曲線論」の解説は鶴見俊輔先生が書いているのだけど、たいへんおもしろい。引用しておこう。
棒状のヤクのほし肉を背中に、ネパール高原を歩いていたころに、著者は、この術を身につけたのだろう。日本の国にせおわせず、どこの仲間にたちまじっても、かろやかに、ほとんど自分を消してくらしていく流儀である。そういう印象を、私はこの本から受ける。
著者の手にかかると、フラクタルもコッホ曲線も、数学の術語も、科学の術語も、みなたとえになってしまう。著者の幻想流の棒術によって、たとえとして使いこなされる。
たとえはあやうい。著者の術語の使い方が、学校教師の心胆を寒からしめるのは、うなづける。
・・・
ヤクのほし肉は実際には短いものだろうが、棒状のヤクのほし肉を背にさしてネパール高原をさまよい歩くひとりの青年の姿は、長刀物干し竿を背に宮本武蔵を求めて歩く佐々木小次郎に似ていないこともない。・・・彼の表現はたとえを使いすぎるが、たとえば、一つの思考領域から、かけはなれたもう一つの思考領域に考え方を移し植えて育てる方法であり、もとの思考領域においたまま再生産する方法とはちがう。それがよいたとえであるなら、そのたとえをとおして、読者(著者自身をふくめて)に新しい善いものが見えてくるだろう。私にとって、この本は善い本だ。
このような観点から見て、「フィロソフィア・ヤポニカ」を解読するのはむずかしそうに思うが、エピローグ「非モダンの哲学へ」以外の部分も必要に応じて当たってみようと思っている。たとえが詩的なものを伝えるのは、科学的なものを取り扱う場合にどのような作用があるのかを見ることになるかもしれない。
「雪片曲線論」というタイトルの意味は、フラクタルという物質の構造を持っている雪片が現実に立ち現われる時には流体的な力学が作用して曲線になるということと思われる。雪片曲線論の最初の章のタイトルは「流体とフラクタル」である。この章には「雪片」という用語は唯一「ホイルの星雲モデルとも言われるフェーブ雪片(phoebe snow)のフラクタル図形だ(図参照)。」の部分に現れるだけ。これがマンダラが持つ奇妙に希薄な半-空間の性質と類似しているというわけだ。曲線とは関係がない。
フラクタルは物質の構造の一面を表しているだけに過ぎないということもできる。乱流でさえ、フラクタルな性質を持っているということはあるのだけど。カオスにはフラクタルの性質があることが確認されているものもある。
ちなみに「phoebe snow」という用語をホイル(Hoyle)や星雲(Nabula)と組み合わせても、「フェーブ雪片」には簡単には行きあたらない。Phoebe Snow(フィービ・スノウ)という歌手に関係する記事に出会うだけだ。
さて、中沢新一の思考がどこまで深まるか、楽しみにしている。この十夜一冊のツリーもさらに伸びるかもしれない。フラクタルやカオスは科学がもたらした認識だが、哲学は科学やテクノロジーの進展をどこまで捕捉できるだろうか、新しい自然哲学、あるいは非モダン哲学の中に包括できるだろうか。
先週、めだか五匹と6リットル程度のプラスチックの鉢と水草、カルキ抜きの薬液と餌を買ってきて、めだかの飼育らしきことを始めた。近所で屋外で飼っているのを見ていて、飼ってみたいという話になった。
大昔、金魚は飼っていたことはあるし、そんなにむずかしいことはないだろうと思っていた。しかし、自分で、最初から、すべて準備しての飼育は初めてだ。
数日経つと、鉢の底にゴミが澱んできて、そのせいかどうかはわからないけど、二匹を死なせてしまった。水草の葉の色もなにか黒くなってきた。水は1/3程度ずつ代えていたのだが、水や底の汚れを防げなかった。さて、どうするということになった。
一つは水面に油っぽいものが浮かんでいるので、深緑色のプラスチックの鉢から出たのではと疑った。水草も葉の色が変色してきた。綿のようなゴミが底に溜まっている。
まず、疑わしいものは取り除く方針。一晩汲み置いたバケツの水に残った三匹を掬い取って移した。水草も他のものに交換しよう。水槽は使いたくないので、横から鑑賞できるように透明なものに交換する。底砂を入れる。ツイッターで水草はカボンバを推薦してもらったので、探すことにした。
生き残っためだか三匹水中カメラで撮影。
水で洗うと黒い変色は見られなくなった。種類は不明。
比治山多聞院に墓参りの後、竹屋町のフジグランのペットショップで物色。なにしろ、底砂なんて、取り扱いがややこしくなることは目に見えているし、実績のある組み合わせが欲しいと思った。「テトラ メダカ飼育セット」(テトラ アクアウェーブ AW-18KM)には「テトラ ミニアクアサンド メダカ」が別売である。ただ、別売の砂の在庫はなく、結局、勧められた別のメダカ用の砂2.5kgを購入。飼育セットには「テトラ オートワンタッチフィルター AT-20」が付いている。水中ポンプで水槽の水を汲み上げ、フィルターを通して、水槽に水を戻して、循環させる方式だ。
新しい水槽の中で水草はガボンバに交換。深さに合わせて、茎をハサミでカットして、底砂に埋めた。
底砂は2.5kgは多過ぎる。最初は全体をかなり丁寧に洗ったが、水槽に入れて、水を入れると濁りが出る。量も多過ぎるので、必要と思われる分量を洗面器でさらに丁寧に洗った。底砂の濁りで汚れた水槽の壁面ももう一度洗って、底砂を入れた。濁りは出なくなった。
水槽の容量は7リットル。フィルターはコスト的に入れたくなかったのだが、問題が水の汚れだったので、直接的な効果を期待して、入れることにした。1-3週間で交換する必要があると書いてある。フィルターが目詰まりしても、オーバフローするだけで、系外に水が溢れないような構造にはなっている。どの程度の交換頻度が必要か、しばらく様子を見る予定。
音は静か、一晩問題なく動いている。底砂の影響もなく、めだかたちも元気で泳いでいる。安心した。
Twitterを始めたのは2007年なので、古株ではある。Twitterは2006年に始まり、2007年に注目され、日本語版が出たのは2008年になってからだ。衝撃だったのは2011年の東北大震災・福島第一原発事故の時で、Twitterは緊迫感に包まれた。状況の把握に欠かせないモノだった。今や、その時の緊張感はなくなり、日常に飲み込まれ、惰性が支配しているように見える。ただ、事件が起きた時は情報源として需要だ。必ず誰かがツイートしてくれる。
世間ではフォロワー数を問題にするが、情報源として使うためにはフォローすることが大切。通常はフォロー数の上限は2000である。フォロワー数の多い人は2000を超えてフォローできるのだが、フォローする人の情報を求めている人には2000で十分だろう。僕のフォロー数は、1500-2000の間を上下している。フォロー数が2000に達すると、最近のツイートがない活動度が低いものや自分にとって重要度が低いと考えられるものはフォローを外していく。フォロワーはできるだけ残すが、絶対の基準ではない。そして、新たに見つけたツイートや興味があるものを新たにフォローすることを繰り返す。
フォローすることに合わせて重要なのは、ツイートすること。自分の関心のあるツイートを見ればリツイートする。これは自分のタイムラインに乗るので、少なくともフォロワーには見えることになる。自分のフォロワーには関心がないと思えばお気に入りにする。そうするとツイートした人にだけ伝えることができる。もちろん、Webでよい記事を見つけた時にはツイートに載せる。そうすると、フォローは自然に増えていく。フォローはしなくてもリストに載せてくれたり、リツイートしたり、お気に入りに登録してくれる。フォローしていなくても、検索結果から読みに来る場合もあるし、ブログ記事のリンクから読みに来る場合もある。
このようにして、フォローしてくれたり、リストに加えたり、リツイートしてくれたり、お気に入りに登録してくれたりすれば、共通の関心のある人を見つけることができるので、新たにフォローすることができる。
今朝も新たに二つフォローを加えた。一人は「The Pragmatic Programmer」という「達人プログラマー」の原題をツイートしただけに過ぎないツイートをお気に入りに加えてくれたのだが、プログラマーなんだけど、どうも芸術家みたいだ。目がいいねえ。オーストラリア、シドニー在住。
そのツイートの中に「A3. Ink.」というのがあって、これを調べていると、Inkscape関連のブログに到達。Inkscape メモ。そのブログの著者のツイッターも合わせてフォローすることに。そんな具合だ。
「A3. Ink.」のほうは、HP Officejet 7500A インクジェットプリンター | 日本HPのA3印刷の方かもしれないが。A3対応、ADF搭載だし、レーザー対比、40%省エネ・低ランニングコストということなので、少し考えるかな。まあねえ、むしろ、コンピュータでのお絵描きが進展してからかもだが・・・A3に拘らず、写真画質ならオフィスから家庭まで幅広く:費用対効果に優れるA4複合機「HP Officejet 5740」の実力をチェックする (1/3) - ITmedia PC USERのほうがよいかも。
ということで、世界にはフォローしたくなるような、まだまだ知らない人がたくさん見つかるはずだ。当然だけどね・・・
速報:Googleの独自携帯サービス Project Fi 発表。年契約縛りなし、複数社LTE網とWiFiを一元化 - Engadget Japaneseネタ。
現在、スマホ・サービス調査中。NifMoかなと思ったり。円高ならともかく、今のところ日本の方がはるかに安いプランを実用的に使えるのかもしれない。3GBプラン+音声通話対応+スマホ分割支払い代金込みで月30ドルもいらないだろう。
しかしながら、Project Fiは国内通話や国内・国際SMSを無制限に使えるところ、低価格の国際電話、120カ国以上でモバイルデータ通信可能なことが優位性なので、電話大好き人間、グローバルに活躍している人にとってはメリットがあるかも。
今のところ、米国内限定の招待制で加入を募っている。ハードウェアも当面NEXUS 6限定。日本にやって来るのはいつのことやら・・・
角川書店や富士見書房、消滅の裏で…内部事情が垣間見えるKADOKAWAの組織再編|おたぽるとKADOKAWA、アマゾンと紙の本を直接取引 大手で初 :日本経済新聞ネタ。
過去最高の売り上げだった1996年対比、2014年の出版物の売り上げは1兆6065億円となり、4割も減ったのだそうだ。流通を含め、合理化は極限まで進むだろう。
まあ、ぼくの買う本は4割は増えたと思うが^^;)
中沢新一著「ミクロコスモス I ---夜の知恵---」(中公文庫、2014年;原著: 四季社、2007年)ネタ。
中沢新一著「ミクロコスモス I ---夜の知恵---」中沢新一を知ったのはいつだったかははっきりしないが、本日記の検索結果から見ても、最初に購入した著作が「チベットのモーツァルト」(講談社、2003年;原著: せりか書房、1983年)であったことは間違いないだろう。
「チベットのモーツァルト」はクリステヴァ論のタイトルに与えられているが、本文には一度も「チベット」も「モーツァルト」もでてこない。それは、まえがきに当たる「本の調律」の最初に書かれているように、クリステヴァの「ポリローグ」から取られているからだ。
エレガントな記号の解体学。微分法の官能性。クリステヴァはそれを「チベットのモーツァルトのような」と形容した。
・・・
だがぼくはこの言葉に、ゴダール風の東風趣味とともに、クリステヴァの意図をこえていく思想実験への意志のようなものをこめようとした。
(中沢新一著「チベットのモーツァルト」、講談社学術文庫、2003年、15-16ページ)
ぼくは「チベット」と「モーツァルト」の言葉の組み合わせに、シュールレアリスム的なおもしろさ、斬新さ、奇妙さを感じていた。これは何を意味しているのだろうと。タイトルが本を購入させたのだが、内容のおもしろさ、斬新さ、奇妙さは中沢新一がもたらしたものだ。著者が1979年の春からネパールでチベット人の密教僧に弟子入りして修業したという話が、最初に置かれた「孤独な鳥の条件 ---カスタネダ論」にある。
to be continued...この記事は長くなるだろう。
月と宵の明星チベットの月というわけではない。広島の月だ。
「モーツァルト」がタイトルにあるなら音楽に関係のある文章があるのではと思うが、奇妙なことに「モーツァルト」以外には、まえがきの「本の調律」の「調律」ぐらいしか音楽に関係のある言葉がない。
「ミクロコスモス」のタイトルに、音楽愛好者であれば、バルトークのピアノ曲集を思い浮かべるに違いないが、そうでなければ、字義通り「小宇宙」のことだと考えるかもしれない。まえがきの「短い序曲」には実際そのようなことが書かれている。バルトークの音楽的技法と音楽的思考のエッセンスを凝縮してつめこんだ一曲一曲がバルトークの精神的宇宙の全体につながっていくように、文章の一つ一つが、思考の全体性へのつながりを保ったまま、「小宇宙」としてのたたずまいをしめしていると心づかれたいと著者は願っている。
ぼくはといえば、バルトークが1940年にニューヨークで弾いた「Baltók plays Baltók」に含まれる「Mikrokosmos」を聴いている。No.97からNo.153までの32曲がある。「ミクロコスモス」は全6巻、153曲からなる。
スキャナ ScanSnap: 仕事で使う!ScanSnap導入事例 〜取材・執筆〜 : 富士通ネタ。ノンフィクション作家山根一眞先生の記事。膨大な資料を『ScanSnap』でデジタル化、執筆に必要な資料を瞬時に引き出す。
情報処理の鉄則は50音順がベスト。分野別分類ではどこになにがあるのかわからなくなる。50音順にすること。これが山根一眞著「スーパー書斎の仕事術」(アスペクトブックス、1986年)の第2章「袋ファイルの個人データベース」に書いてある。
山根一眞著「スーパー書斎の仕事術」(1986)この50音順でPCにフォルダを作ればよい。最初の3文字をカタカナで表示、フォルダ名を「フクロ・袋ファイル」とする。後はScanSnapでバンバン入れていくということらしい。
山根一眞氏のスーパー書斎の道具術と情報の仕事術三部作「スーパー書斎の道具術」(1987)と「情報の仕事術」三部作(1989)を読んでいた頃は、パーソナル・ワープロ全盛の時代だった。個人的なワープロの最後の機種となった富士通のOASYS30AXにはMS-DOSが提供されていて、jperlやjgawkなどで日本語テキスト処理を始めていた。しかし、今から考えてみると、知的生産の技術の空想に耽っていただけで、具体的な知的生産には程遠い状態だったと思う。現在は、当時夢見ていた山根一眞氏の仕事術や道具術を遥に超えた環境を手に入れている。
さて、それでいかほどの知的生産ができているかは心許ないが、そろそろ浮上する必要があるかもしれない。
[SF] 十夜一冊 第六百九十.一夜 ブラインドサイト - シンギュラリティを超えた世界の続き。下巻も完読。The Sword and Laser - Blindsight: Siri - connections to iPhone 4S (showing 1-7 of 7)ネタ。
ブラインドサイトの主人公の名は、シリ・キートン。シリはSiriと綴る。もちろん、Apple、iOSのデジタル・アシスタント・サービスの名と同じだ。この名付けが意図的なものかどうかは定かでないが・・・シリ・キートンは「統合者、本書の語り手」と登場人物の説明にはある。常に全体を観察・統合理解して記録する。シリは大脳半球切除術を受けている。これによって、事象全体の無意識的な理解が強化されるという設定らしい。
登場人物には、ユッカ・サラスティという吸血鬼の指揮官、アイザック・スピンデルとロバート・カニンガムという二人の生物学者、スーザン・ジェームスという多重人格者、軍事担当のアマンダ・ベイツ、宇宙船テーセウスを制御するAIの船長がいる。他にはシリの家族や恋人・幼馴染。
実を言うと、なかなか物語が頭に入らなかった。登場人物の設定を見ても分かるように、話が奇想天外すぎて、何が起こっているのか、話の展開の予想がつかないからだ。ぼんやりと眺めているだけでは頭に入らない。結局、端折ってはわからなくなるので、最後から元に戻って細部を一つ一つ確認し、さらにもう一度下巻を通して読み直した。
謝辞と参考文献・注釈をまず読んでおく方が理解しやすいかもしれない。参考文献は144件もある。実際、専門的な科学文献も多く、背景知識は奥が深い。参考文献の注釈でさえ、事実なのかなあと疑うくらい奇想天外なので、注釈そのものも大変興味深いものだ。
大筋を理解するためには、まず、ビッグ・ベンとは何かは正確に把握しておいたほうがよい。名前が名前だけに連想に頼っていると惑わされてしまう。ロールシャッハも同じ。スクランブラーはなんとかイメージができるが、スキマーが何かが最後までよくわからない。
テッド・チャンの日本語版解説があるが、最も重要な意識の関わる部分についての解説とテッド・チャン自身の見解が述べられている。
ブラインドサイトはファーストコンタクトものという振れ込みでもあるが、今一つ相手が何者かわからないまま。Blindsightという設定そのものが理解を妨げるからだ。昨年出た姉妹長編のEchopraxiaにもSiriが登場する。そのような疑問を補完するものになっているかどうか、展開が楽しみだ。
『Ex Machina』:美しく強力なアンドロイドとの三角関係を描く映画(予告動画あり) ≪ WIRED.jpネタ。Ex Machina (2015) - IMDbによれば、TRANSCENDENCEの6.3星評価に対して、8.0星の評価。高評価。残念ながら、日本公開の予定はないみたいだが・・・英国映画。
一応、記録として残しておこう。最初に見つけた記事は、ネタバレを含む映画「Ex Machina」の人工知能まじ怖 : ギズモード・ジャパン。
AIやチューリングテストなどが出てくるらしいけど、映画が見せるものは、テクノロジーというよりは、物語だ。「I Robot」もそうだった。
まだ、ブライアン・クリスチャン著「機械より人間らしくなれるか? AIとの対話が、人間でいることの意味を教えてくれる」(草思社文庫、2014年)は積読状態。これは、人間の代表としてチューリングテストに参加した著者が語る「人間でいる」ことの意味。人間のサクラとAIプログラムと五分間ずつ話をしてどちらが人間かを当てるというテストで、人間が選ばれるか、AIが選ばれるかというものである。AIが人間だと審査員を騙せる比率が30%を超えると機械は考えることができると言ってよいだろうとチューリングは考えたのだ。参加AIは、「Most Human Computer」賞を目指し、参加する人間は「Most Human Human」賞を目指す。
会話だけなら、害はないけれども・・・
それはともかく、読まなければならない本をいろいろと思い出したよ。
「桜を見る会」が報じられているが、葉桜が映っていた。さすがに広島の桜の花はとっくの昔に散ってしまった。覚えているのは、雨水の溜りを覆った桜の花弁の集まりだ。今年の四月は雨が多く、雨量ゼロの日はつい最近まで1日しかなかったとか。また、雨が多くなるという予報が出ている。太平洋側の水温が高く、日本海側からは寒気が流れ込むために、日本の上に停滞前線ができる状態になりやすい。梅雨みたいなものだ。今晩も雨が降る。
Bing Desktopで天気を確認すると、今朝は寒く、外気温8℃。上着を着て、超音波エコーの定期検査に、歩いて出掛けた。Kindle PaperwhiteでPeter Wattsの「ECHOPRAXIA」を時折眺めながら。外光のもとでもディスプレイへの写り込みや目障りな反射光が実用的にはまったくないE-inkで、なるほど、電子書籍リーダーを外に連れ出すならKindleかなと思った。検査は問題なし。血圧も低く安定している。Kindleを眺めながら帰宅。
KindleもFire OSのタブレットなら読み上げ機能が付いているらしいので、もう少しで購入しそうになったのだが、踏みとどまっていた。本日記を書くために調べていると、iOS8から超カンタンになったKindleの音声読み上げ方法 - Web学びがあったので、確認。設定一般のアクセシビリティからスピーチの画面読み上げをオンにすればよい。二本指の上からのスワイプで起動できる。iOSの標準機能として提供されている。ヤレヤレ、飛びつかなくてよかったよ。AmazonがFire OSタブレットの読み上げ機能を声高に宣伝しないのが不思議だったので、購入を躊躇していたのだが、腑に落ちた。
iOS8の画面読み上げインターフェース on Peter Watts's Echopraxia in Kindle読み上げが単調なものであることは仕方がないが、車を運転しながら本を聴くことができるのは便利かもしれない。ページは自動で捲られていく。読み上げ速度は「亀」と「うさぎ」のボタンで調整する。インターフェースはページの左側に小さく閉じることができる。
熱風2015.4号の『宮崎駿「いま」の生活を語る。』には、Amazonの宅配が大量消費文明の象徴の一つとしてやり玉に挙がっている。歯ブラシ一本をアマゾンで買うのはおかしいというわけだ。僕だって、1000円未満の文庫本を一冊だけ注文するのはもったいないのではないかと思う。最近、景気のいいのは宅急便屋さんで、配達員が足りなくて、年寄りが増え、さらに女性が増えているらしい。しかしながら、大量に注文を受けて、配達を含めて経済的合理性を満たすように経営されているからできるので、一つ一つの注文や配達だけ取り出して考えても無意味ということもできる。どっちが正しいのだろう。近くの店にだって、配送は必要なわけだから。物はいずれにせよ、消費者に届くまでに必要な距離を移動しているのだ。移動経路や移動するものが違っているだけ。
熱風2015年3,4月号特集は「エルサレム」と「アフリカのいま」。時代を象徴する重いテーマが取り上げられる。3月号の緊急インタビュー、ピース・ウィング・ジャパン代表、大西健丞氏の『過激派組織「イスラム国」(ISIL)日本人人質事件を考える』に示される現実の過酷さは衝撃的だ。
だからといって、いずれにせよ、近くの店で買おうと買うまいと、大量消費文明が存在していることは間違いない。
・・・食い物は、膨大な種類と量のものが過剰に包装されて出回っている。それらがゴミになって出てくればまだいいんですけど、そこらへんに捨てられる。それが食い物の実態です。何を言っているかというと、大量消費という文明そのものに問題があるんですよ。日本国に起こっていることだけじゃないんです。モロッコのほうに行ったとき、砂漠に行ったら黒い鳥がいっぱい舞っていると思ったら、それは全部黒いビニール袋なんです。ゴミの袋。あれが町の上にウワーッと舞っているんです。ゴミだらけです。
(熱風2015.4号、91ページ)
一足飛びに、宮崎駿先生の結論を書いておくと、「世界に冠たる日本はない。東の片隅で楽しく、ひっそりしていよう」ということ。まあ、それもちょっとと思うわけだけど・・・
大量消費文明をおわらせないと世界は滅びる、というか、世界的な混乱に陥る。まずは自分たちは大量消費文明になるべく関わらずに生活しようという宣言かもしれない。実際のところ、そういうわけにもいかないはずだが、世界情勢に関して言えば、世界の紛争に関わらずに、東の片隅でひっそりとしていようという意味のほうが強いのだろう。もっとも地域紛争と大量消費文明の関わりを解明すれば、世界が平和になる糸口を見つけられるかもしれないが・・・
日曜日の朝は7時過ぎぐらいに鳥の鳴き声が聞こえてきた。雨が止んだのかもしれない。単純には大量消費文明を少量消費文明に転換するためことは「モッタイナイ」ことを止めることなのだろう。しかし、世の中は景気を拡大しようとしているわけで、仕事を増やし、収入を増やせば、消費を促進することになるのだが、さて、難しい話だなあと感じてしまう。文明はどのように転換していくのだろう。
今朝のテレビで、クロネコヤマトのクロノゲートが紹介されていた。羽田クロノゲート -ヤマトロジスティクス株式会社の話だね。流通業が巨大化することによってモノの流れの効率化を進めている。Amazonは販売業を巨大化することによって、モノの流れの効率化を進めている。実際上、販売と流通は密接に結びついている。おそらく、もう一つの重要なプレーヤーは、流通・販売のクッション、消費者とのリアルな接点としてのコンビニだろう。もっと、いろいろなことが思い浮かぶが、終わらなくなるので止めておこう。
モノとデジタルの関係の行く末についても大量消費文明との関係において取り上げる必要はあるが、電子書籍は重要なものの一つになるだろう。
大量消費文明からの転換は、人類の最後の課題になっていくだろう。折に触れて取りあげよう。
Raspberry Piに取り付け可能なLTE通信モジュール 〜購入者にはPythonライブラリも提供 - PC Watchネタ。
いろいろと出てくるねえ。必要になる場合もあるだろうね。
MozOpenHard - MozOpenHard Linksネタ。
CHIRIMENボードにはFirefoxOS 2.0がインストールされていて、GPIO/I2C APIをコントロールデバイスに拡張できる。
Chromebookも値下げで1万円台! ネットブック復活に先手 : ギズモード・ジャパンとWindows 10でネットブック復活…1万円台のラップトップが続々発売か : ギズモード・ジャパンネタ。とうとうPCも1万円台か。
記事のタイトルを見て、Windows 8.1マシンが2万円台まで下がっていたことを思い出した。米国では、Chromebookが学校で普及しているらしい。安いからだ。
Apple Watch には Safari がないのに誰も気づいていない | maclalala2のような記事にあるようにウェアラブルではWebブラウザが不要だという話が出ているが、それは単にディスプレイが小さいからに過ぎない。そして、ディスプレイに表示させるアプリはすべてが単機能のブラウザなのだ。
Chromebookは万能のブラウザそのものなのだろうか。サイトの管理に使えるかどうかとか、ローカルサーバーを動かせるのだろうかが気になる。Windowsマシンなら心配はいらないので、同じ値段なら、まあ、そちらを選択してしまうのではと思う。
いや、この価格を見て、スマホやウオッチの価格設定は高すぎると思ってはいけない。価格だけでなく、スペックは少なくとも最早スマホの方が高いのだ。ディスプレイのサイズだけはPCのほうが大きいけど、画面解像度はスマホのほうが高い場合もある。
もっとPCの形態は変わっていくかもしれない。そういうことを予感させるものがある。
それはともかく、最先端のゲームをまともに動かそうと思えば、PS4の8GBのメモリのうち5GBはゲームに割り当てられている : えび通ぐらいのスペックは必要なわけで、まだまだモバイルのスペックは足りない。ゲームマシン自体ももっと進化していくはずだし、モバイルはモバイルでどのようなスペックのマシンが手のひらに載ることになるのだろう。
Mさんが行くと言っていたので、昨日、広島県立美術館に車で出掛けた。途中、立町の喜久に寄って間違われて東京まで旅をして戻ってきた靴を受け取ると、女将さんからお詫びにと焼酎をもらった。もう一人のMさんに今晩も来ていただきますとの話。立町から北上して城北通りに抜けて、白島線の通りに曲がる。県美の地下駐車場のB2Fに車を停めて、エレベーターで特別展が開催される三階まで上がる。人は少なかったのでゆっくりと見ることができた。精神性にまで高められた世界最高のリアリズムの一つだろう。お勧め。5月24日まで。
53歳で亡くなられたのは本当に残念。晩年、スペインから帰って、広島市立大学で教鞭を取られていたそうだが、その驚異的なリアリズムの技法を後輩たちは学んで受け継げただろうか。100点ぐらいの作品を眺めながら、その秘密を知りたいと思った。
「19歳でスペインに渡った磯江毅(1954−2007)は、徹底した観察で細部まで深く描き込むことを特徴とするマドリード・リアリズムと呼ばれる潮流の中にあって、スペイン美術界で最も注目される一人となります。」と展覧会のパンフレットには紹介されている。物質的にそこに存在していると錯覚するぐらいのリアリズムであるが、写真のような表現とは一線を画する精神性を備えている。そこまで写し取る必要があるのかというようにも思うが、モノと対峙して観察する人間の究極の行為とも考えることができるだろう。
磯江毅展のパンフレット・出品作品リストとチケットの半券「新聞紙の上の裸婦」(1993-94年)の一部が載ったパンフレットにMさんは惹かれたらしい。さすがに新聞紙の小さな文字はぼかされていた。実際の絵は、第2章「ものの命を描く」の最初に展示されていた。150.0×182.0のサイズで、材質は「紙、ジェッソ、鉛筆、水彩」とある。ジェッソというのは白色の地塗り剤で、炭酸カルシウムとチタニウムホワイトの顔料が分散している。ジェッソ | 商品リスト | バニーコルアートが参考になるだろう。絵具の発色と定着が良くなる。水彩にも使えるとある。
細密画的なものには興味があるので、磯江毅に迫ろうと思えばどのような技術が必要だろうと下手は下手なりに試してみた。庭の片隅に倒れていたフリージアを切って、花瓶に挿したものを題材とした。フリージアはアヤメ科フリージア属の植物で、キンモクセイのような強い匂いがする。葉はアヤメに似ている。まず見える形を精密に捉えることが出発点だが、一つの明確な輪郭に到達すること自体が難しい。短い時間の中では、輪郭は曖昧なままに描き進め、着色の途中で修正することになる。尤も、磯江毅の絵には単なる輪郭というような概念はないのだけど・・・
実際、鉛筆で輪郭を描くと、形を捉えるために何本も引き直した数多くの黒い線が彩色の時点で邪魔になってくる。磯江先生の絵は鉛筆も使っているものもあるが、さて、どのように形態を浮かびださせているのだろう。モノクロの場合と彩色する場合で技法が異なってくるのだろうか。
暗色系の色を塗る場合は鉛筆の黒い線も大きな問題にはならないが、黄色など明色系の色彩に塗られる花弁の部分は少し苦労した。消しゴムでできるだけ鉛筆の線を消したり、白で下塗りしたりの工夫がいる。スケッチブックの画用紙に描いた絵の画像はスキャナで読ませているので、コントラストが強く出て、実際よりはメリハリのある絵に見える。
GIMPで写真を切り出すのと、実物を描いたものがどの程度違って見えるか試してみた。写真は写真に過ぎないが・・・GIMPもマウス操作だけでは精密に切り出すのは難しいかな。おそらく拡大して操作すればよいのだろうなあ。そして、マウスではなくデジタルペンが必要だろう。
拡大すればマウスでもなんとか処理できる。写真を差し替えた。凝ればもっと完璧に処理することも可能だろう。現在の画像は、GIMPで画像のサイズを、ビットが見えるように800%まで拡大し、消しゴムのブラシサイズを、通常の20.00を5.00まで下げ、最終的には3.00まで下げて処理したものだ。
現代において、コンピュータを使った絵画が登場してもまったくおかしくない。CGがそうだという考え方もあるかもしれないが、真の意味で芸術家がコンピュータを使おうと考えたという事例があるかどうかを知りたい。
調べると、デジタル絵画 - Wikipediaというページがある。
磯江毅で検索すると、内田先生のブログが引っ掛かってきた。磯江毅さんの展覧会に行く (内田樹の研究室)。もう8年前のことで、磯江先生が存命の時のことだ。写実主義の絵画について磯江先生と話をされている。引用しよう。
写実絵画からは腐臭がする。どうしてかしらないけれど、写実が端正で緻密であればあるほど、そこに描かれているものから腐臭や屍臭に似たものが漂ってくる。
それがぼくはわりと好きなんですけどね、と申し上げる。磯江画伯がぐっと膝を乗り出して「そうなんですよ」と言う。「写実主義の絵画には時間が塗り込められていますから。」
それはどういうことですか、とお訊ねする。写実画はものすごく時間がかかるのだそうである。今回出品されていた葡萄の絵の場合、制作に一月かかっている。
葡萄は当然腐る。腐ってどんどん形態が変わってしまっては写生できないので、腐った葡萄の粒をもぎ棄てて、買ってきた似たかたちの葡萄を粒を接着剤で貼り付けて、続きを描く。描き終わったときには、描き始めたときに描いた葡萄はもう一粒も残っていない。絵に描かれた葡萄のかたちは瑞々しいのだが、最初に皿の上にあった葡萄はすべて腐って、画架の前から姿を消してしまったのである。
だから、この絵の中には、そこにはもう存在しないいく房もの腐った葡萄の残存臭気のようなものが塗り込められている。
・・・
磯江画伯自身もカタログにこう書いている。「対象物を正確に表現するためには時間がかかります。有機物は腐り、モデルは動き、無機物にも埃がたまり、時の経過を表します。更に作家自身の感情も常に揺れ動いています。現実は流動していると言う事を体感するのは肉眼だからです。そんな時間を含んだ揺れる現実を体感することがリアリティー(=実感)に触れるという事ではないでしょうか。」
私はこれまで抽象画と具象画の差異というのを形象的な違いとしてしかとらえていなかったけれど、「時間」ということをキーワードにすると、別のとらえかたがあるような気がしてきた。
(原文はセンテンスごとに改行されているので、引用者が段落を適当に作っている)
写実画は描くのにものすごく時間がかかる。写実主義は、印象派の出発点が、写生する時間の中で、風景・事物の形象や瞬間を捉えるために編み出した一種の省略技法であることの対極にある。印象派の手法は時間を切り取る方法と言える。
リアリズムで真に現前するように見えるとしても、それは現実と同じではない。作られたものなのだ。想像・創造の産物なのである。そして、どのようなものにも時が織り込まれている。
Apple Watchの予約、早くも一部はデリバリが6月に延期 | TechCrunch Japanネタ。「ジョナサン・アイブ」の日本語版序文を書かれた林信行氏の記事、林信行が踏み込んで解説:「Apple Watch」であなたの生活はこう変わる (1/5) - ITmedia PC USERを読んだ。操作性やインターフェースの感触はかなりよいので、どうも盛り上がりそうな予感。
iPhoneユーザーの30-40%が購入する可能性があるという調査結果も出ていたので、すぐに売り切れる可能性も高い。あれ、Apple Watch、米では予約受付開始後6時間以内にほぼ売り切れに - iPhone Maniaの記事が。
Apple Watchアプリ、4日間で1,000を超える申請数 ≪ WIRED.jpには、『クックCEOによれば、「数千万」の潜在顧客が、Apple Watchの基調講演とヴィデオガイドを視聴したという。』との記載がある。
タグ・ホイヤー+インテル+グーグルがスマートウォッチを発売へ ≪ WIRED.jpの動きもあるので、興味深いが、まだ姿が見えない。高級機種に限定されるのであれば、Apple Watchの成功を阻む要因とはなりにくいだろう。
これからは単なる時計は売れなくなる可能性も高い。なぜなら、誰もがスマホを所有している時代だからだ。長期にわたって、良い時計を大切に使うという時代は過ぎ去ろうとしているかもしれない。
Redbullコラボモデルも:カシオ、スマートフォン連携ウオッチ「EDIFICE」に新モデル - ITmedia ビジネスオンラインは、元コンピュータメーカーのカシオの記事という意味で、興味がある。Bluetoothを介して、時計の設定をスマホでやるという。G-SHOCKのGW-A10000ユーザーとしては、おー、なるほど便利だねというもの。確かに、世界時計などの切り替えは、マニュアルを見ないと無理だし、時計の文字盤が見難く分かりにくいという問題があるからね。PDF取扱説明書 時計取扱説明書 / 操作説明ダウンロード - 時計お客様サポートメニュー - お客様サポート - CASIOでマニュアルをダウンロードして、今更ながら、機能を確かめた^^;)
今も野鳥の鳴き声が聞こえている。時折、聴こえてくる方向と種類が切り替わる。朝、大体6時前、少し明るくなると、鳥が鳴きはじめる。目覚めだ。おもしろいのは鴉の時もあれば、野鳥の時もあることだ。尤も、最も早起きなのは人間で、4時過ぎには、おそらく新聞配達の、バイクが走り出す音が聞こえる。1578夜『イスラム国』ロレッタ・ナポリオーニ|松岡正剛の千夜千冊ネタ。気になっていた本を松岡先生が取り上げられたので、チェック。千夜千冊の記事も最近はずいぶん長くなった。
一番興味深かったのは次の部分。詳細は千夜千冊を繙いていただきたい。
第1に、イスラム原理主義やイスラム過激派の組織はそもそもネットワーク型であるということだ。ピラミッド組織ではないということだ。欧米もロシアも中国も強力なヒエラルキーによって国家や軍隊や経済組織をつくっている。イスラム過激派はそうならない。アルカイダがその典型だ。本部もなく支部もない。網の目状のネットワークの結節点(ノード)のそれぞれに覚醒したジハード戦士のコロニーが活動するだけなのである。
このことは過激派のみならず、実はすべてのイスラム組織にあてはまる。どんなイスラム組織もそうなっている。
・・・
第2に、このようなムスリムを結び付けているネットワーク力は商業活動にこそ向いていたということだ。これまでのイスラム史の国家や帝国はことごとく商業国家であり、商業的ネットワーク帝国だった。歴史上、このような特徴を顕著にもつ国家社会はなかった。ぼくの言葉をつかえばイスラムとは「思想商業主義」なのである。ムハンマド・バーキルッ=サドル(305夜)の『イスラーム経済論』、加藤博(1395夜)の『イスラム経済論』などを読まれたい。
松岡先生は他にも様々な参考書を示されているが、そこまで読んでいる余裕はないので、中東戦争の歴史や背景などはさらに新しい千夜千冊の夜を待つとして、最後にナポリオーニの本について要約の部分を引用しておこう。
今夜はナポリオーニの着眼をのみ紹介することにした。それは、イスラム国の手口が投資銀行や証券会社やかつての欧米の戦争債券ビジネスと酷似しているということだった。ISは危機(リスク)をつくりだすことによって、投資家やトレーダーたちの有事ゲームを成立させているということなのだ。
ナポリオーニは、かれらがこの有事投資ビジネスをグローバル・ネットワーク状に広げている以上、この国を容易に解体することは困難だろうと語っている。
著者のロレッタ・ナポリオーニはテロ対策のコンサルタントなのだそうだ。
世界では何が起こるかわからない。しかし、起こるべくして起こっている。さらに事態の解明が進み、簡単なことではないだろうが、世界が平和になるような道筋が見えることを期待したい。
1577夜『インターネットを生命化する プロクロニズムの思想と実践』ドミニク・チェン|松岡正剛の千夜千冊ネタ。
ベイトソンは生命の来歴がその形態やしくみに刻みこまれることを「プロクロニズム」(prochronism)と名付けた。生命システムにはどのようにしてか先行する(pro)時間(chrono)が組みこまれてきたという見方だ。時間が組み込まれたということは、その履歴と、履歴にふくまれるしくみの残響とが組み込まれたということである。
これが言っていることは結局、あらゆるものが時間の経過の中に折りたたまれているということ。福岡伸一先生の「生物と無生物のあいだ」で「時間という名の解けない折り紙」という概念が提示されたのだが、これはジャック・モノ−の「偶然と必然」(1971)に、もっと深く包括的な、類似した概念が示されている。モノ−の先見性には今更ながら驚くのである。尤も、ミチオ・カク先生は超弦理論によれば過去への時間旅行は可能だと言われているので、時間というものは解きほぐせる折り紙ということになるのだが・・・
世界は高速で変化しつつある。コンピュータとネットワークのお蔭で。3.11の東北地方太平洋沖地震も4周年が経過し、何のコメントもできぬまま、時が過ぎ去った。1995年に阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件があったことを今更のように思い出したりして、自分自身の1990年代の記憶の時間軸を修正しつつある。インターネットが普及が始めるきっかけとなったWindows 95が発売された年でもある。9.11以降の事件は更新日記に捕捉しているが、単に過去に遡るだけでなく、未来を切り開くために役立てる必要があるだろう。
書籍データが先の記事に出ていないね。ピーター・ワッツ著、嶋田洋一訳、「ブラインドサイト」(東京創元社、2013年;原著: BLINDSIGHT、2006 by Peter Watts)。
ようやく最近何度も読むのを試みた。頭にある程度の全体像のイメージが作り上げられないと読み進めることができない。そうしているうちに気付いたのが、下記引用箇所。カーツワイルとシンギュラリティが出てきた。
本日記は、最近では、[電子書籍]十夜一冊 第六百二十夜 シンギュラリティは近い - 人類が生命を超越するとき (2014/04/30)で本格的に取り上げたが、[日記]過ぎ行き、変化する世界 - CEATEC JAPAN 2005と"Singularity is Near" (2005/10/08)が最初の記事だった。この頃、ピーター・ワッツも創作のヒントを得たと考えられる。
おれはずっとカーツワイル研究所と契約していた。最先端のサヴァンの分派の一つで、彼らは量子グリア細胞のパラドックスを解消する目途がついたと確信していた。この障壁のせいで、AI研究は何十年も停滞したままになっている。そこさえ突破できれば、十八ヵ月後には最初の人格アップロードが可能になり、二年もすればソフトウェア環境で人間の意識を確実にエミュレートできると、専門家たちは断言していた。肉体の歴史は終わりを告げ、五十年前からずっと待機したままの、シンギュラリティへの道が開かれるはずだと。
(上 48-49ページ)
to be continued... まだまだ続くだろう。今、下巻に突入したところだ。
ついでに、最近話題のマイクロ波拳銃が登場するところを引用しておこうか。SFならどうにでもなるが、エネルギー効率が高くないと現実世界に登場させるのは難しいと思うけどね。レーザー - Wikipediaあたりから調べるべきだろう。
ベイツは腿の鞘から武器を抜く。あんたはたじろぐが、相手は銃口をあんたに向けたりせず、武器をデスクの上に置く。あんたの斜め前、簡単に手が届く位置だ。
マイクロ波拳銃。フル・チャージされ、安全装置もはずしてある。威力を最低にセットすれば、撃たれた相手は軽い火傷を負い、吐き気を覚える。最高にすれば瞬時に脳を沸騰させられる。その中間で思うままに、さまざまな程度の苦痛と傷を与えることができる。
こういう事態に対して、あんたの感覚はとても敏感になっている。あんたはぼんやりと銃を見つめたまま、罠を見破ろうとする。
(上 257ページ)
著者のピーター・ワッツ(Peter Watts)については、毎度のことながら、Wikipediaにお世話になろう。ピーター・ワッツ - Wikipediaを参照のこと。単なるSF作家ではなくて、海洋哺乳類の生物学者なのだ。昨年、Echopraxiaという姉妹長編が出ている。Echopraxia - Wikipedia, the free encyclopediaを参照。
03/21/2015: [拡張現実] Magic Leapのデモ動画についてのお話。Zazelさんの指摘。見直してみると、確かにレーザー銃の反動が半端でない。
物質的に考えると、エネルギーは伝達されるのだから、反動があってもおかしくはないとも感じる。E=mc2だから、それ相応の反動があってもよいと感じてしまうからだ。Webを調べてみると、みんな疑問を持っていて、レーザー銃の反動の有無について質問サイトに応答が蓄積されている。もちろん、光だから、m=0だ。そうすると、E=0になってしまう。そうすると、エネルギーは伝達されないことになる。
しかしながら、光のエネルギーはE=hνだ。hはプランク定数、νは振動数だ。ν=c/λ。λは波長。光は物質ではない。ここが実際には難しいところだ。光だけ特別扱いだ。光は波動である。しかし、物質だって波動性を持っている。ド・ブロイ波(物質波)と呼ばれるものだ。光も波動性だけでなく、粒子性を持っている。しかし、質量はない(が、実は僅かながら質量があるのではという説もある)。
相対論で物質と光は統合される。E2=m2c4+p2c2というわけだ。pは運動量なので、m=0の光が運動量を持つことを意味している。これが光の圧の発生源、レーザー・マニュピレータの原理である。物質の運動量はmvなので、そう考えてしまうと、光はやはり特別な場合になるのだけど・・・この運動量pはE=hν=pcなので、p=hν/cとなる。運動量は保存される。指向性エネルギー兵器 - Wikipediaの「光はエネルギーに対する運動量の比率がほぼ無い(正確には1/c)ことにより、レーザーの生じる反動は無視できる程度のものである。」との記載はこのことを意味しているようだ。運動量p=0の場合は、特殊相対論のE=mc2の式となる。
相対論や量子論はまだ未完成な理論であり、重力を取り込んで統合する万物理論として超弦理論が唯一の候補としてあるが、11次元であり、メンブレンをどう取り扱うべきかがまだ不十分だというのがミチオ・カク先生の昨晩の白熱教室第1回講義「アインシュタインの夢」だった。
超弦理論やM理論はともかく、エネルギー保存の法則 - Wikipediaの知識を整理しておこう。放射されたレーザー光は到達したところでエネルギーを消費すると考えればよいのか。しかし、レーザー光が発生するところでエネルギーの変換が生じているはずで、そこでエネルギーの損失が生じ、なんらかの(熱などの)エネルギーに姿を変えて消費されているだろう。機械的なエネルギーに変換されるかどうかは別にして、一種の反動として検知されてもよいとは思う。レーザーのエネルギー効率は炭酸ガスレーザーでは高くて20%程度に過ぎない。最近の兵器用実例は米海軍が1発100円のレーザー砲発射実験を公開、強力な破壊力もプレステ感覚で操作可能 - GIGAZINEにあるが、これでどの程度の効率があるのだろう。
<グーグル>東大で「青田買い」 AI技術流出に日本危機感 (毎日新聞) - Yahoo!ニュースネタ。
テクノロジーが世界を支配する時代になったということかな。
探しに行こうか。
1万3000年前から地球上に滞空…?“黒騎士の衛星”の撮影にNASAが成功。 | Amp.をツイートしたのは3/31なのだが、Facebookでは、April fool?と話題になった。
日本版『ゴジラ』総監督に庵野秀明!『進撃の巨人』樋口真嗣とタッグ! - シネマトゥデイ。これは、April foolの可能性が高そう。